エスプリシーズ 単語

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エスプリシーズ

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エスプリシーズEsprit Thes)とは、1999年生まれの日本競走馬鹿毛

2004年川崎記念レコード勝ちした青森

な勝ち
2002年東京湾カップ南関東GⅢ
2003年船橋記念(南関東GⅢ)、京成グランドマイラーズ(南関東GⅢ
2004年川崎記念GⅠ、報知オールスターカップ南関東GⅢ

概要

*カコイーシーズスマコバレディ*スマコバクリークという血統。
……スマコバクリーク?という感じだが、まあ順にいこう。

アメリカ産のイギリス調教で、1990年G1ターフクラシックSの勝ち。ほか89年英ダービー3着、キングジョージ2着、90年ジャパンカップ3着などの実績がある。種牡馬として日本に輸入され、帝王賞コンサートボーイ南関東牝馬二冠馬ナミなどを輩出し地方向け種牡馬として活躍した。
青森で、川崎で走り30戦8勝。エスプリシーズが初だが、翌年に第2を産んだあとに膿がたまる病気ってしまい、息子の活躍を見ることなく死亡してしまった。
Mr. Prospector産駒アメリカで、2代カナダ年度代表馬Fanfrelucheをもつカナダの名門ファミリーに産まれた良血。種牡馬としては中央重賞1頭、交流重賞1頭を出すに留まった。ちなみに変な日本語感のある名の英語表記は「Smackover Creek」。今だったら「スマックオーヴァークリーク」表記だったろうに……。

牝系は遡ると*ビユーチフルドリーマーに辿り着く、日本の基礎牝系のひとつ。そしてハイセイコーの半アアセイコー名前があるのが渋すぎる。アアセイコー産駒なんて40頭もいないのに……。

1999年4月18日青森県八戸市大橋牧場で誕生。「エスプリ」冠名を用いていた依田泰雄の所有となり、も所属した川崎競馬場武井一厩舎に預けられることとなった。

機知に富む

2歳~4歳(2001年~2003年)

2001年11月16日今野忠成を上に川崎900mの新馬戦デビューしたエスプリシーズは、ここを537の好タイムで駆け抜けて8身差の圧勝。続く2戦も5身差、6身差で楽勝し、一躍南関東の注となる。

明けて3歳となり、浦和ニューイヤーカップ南関東GⅢ)で重賞初挑戦も、後方からのレースになってしまい3着。続く京浜盃南関東GⅡ)もアタマ差競り負けて2着と惜敗が続く。
それでも準重賞雲取賞を勝って南関東三冠名乗りを挙げ、一冠羽田盃南関東GⅠ)では堂々1番人気に支持されたが、ここも後方からのレースになってしまい4着まで。二冠東京ダービー南関東GⅠ)ではゲート入りを嫌がり、中では他と接触してやる気をなくしたか9着に沈んだ。
ソエに悩まされていたこともあり、結局三冠ジャパンダートダービー瘤を理由に回避。ここまで戦だった今野忠成もこれで降となった。

5ヶ休み、船橋オープン戦・ベイシティカップ甲斐上に復帰し4着。続く東京湾カップ南関東GⅢ)からは森下騎手を迎えると、中団から徐々に進出、中央重賞ヒミツヘイキをあっさりとかわして2身半差で勝。待望の重賞初制覇を飾った。以降、引退まで森下騎手戦となる。

明けて4歳、A級戦の神奈川盃をまず楽勝するが、報知グランプリカップ(南関東GⅢ)はヒミツヘイキにやり返されて2着。続く金盃(南関東GⅡ)も4着に敗れるも、船橋記念南関東GⅢ)を3身差で快勝して重賞2勝を挙げる。

ここから勇躍、中央勢相手の交流重賞戦線に挑むことになったエスプリシーズだったが、中央の壁はさすがに高かった。初戦の群馬記念GⅢこそ1番人気ノボトゥルー(4着)に先着する地方最先着の3着と好走したものの、かしわ記念GⅡは3コーナーでもうついていけなくなり最下位14着に撃沈。一休みして向かった日本テレビ盃GⅡは中団からめに仕掛けて直線入口で先頭に立ったが5着まで。
営は適性を模索し、なんと続いては600mの距離短縮となる短距離戦の東京盃GⅡスタートで盛大に出遅れながら3着に突っ込んで短距離適性を見せ、JBCスプリントGⅠに乗りこんだが、見せ場を作るまでは至らず5着。

なんだか適性がよくわからないまま、年内ラストマイル戦の京成グランドマイラーズ南関東GⅢ)。3歳ナイキアディライトに次ぐ2番人気に支持されたエスプリシーズは、好位から抜け出してジーナフォンテンやトーシンブリザードを蹴散らし4身差で快勝。スピードはあるがゲート難など気性面の弱点があった彼にとって、短距離の一線級のペースを経験したことが良い刺になったのかもしれない。

5歳(2004年)

明けて5歳川崎記念トライアル報知オールスターカップ南関東GⅢ)に向かったエスプリシーズ。単勝1.6倍の1番人気に支持された彼は、4番手で折り合いをつけて先行すると、3でもう先頭を捕まえて直線抜け出し、あとは独走。思うまま突き放して7身差の大圧勝である。

覚醒の時を迎えたエスプリシーズは、大一番・川崎記念GⅠに乗りこんだ。断然人気東京大賞典勝ちスターキングマン。他の中央勢は8歳のリージェントブラフやここ3走惨敗のカネツフルーヴだったので、エスプリシーズは前走の圧勝もあり、地元川崎の期待を背負って5.6倍の2番人気に支持される。
昨年に続いてカネツフルーヴがハイペース大逃げする展開を、3番手の好位で追走したエスプリシーズは、4カネツフルーヴを射程に捉え、直線入口であっさりかわして先頭へ。後ろからはスターキングマンが追いかけて来たが、カネツフルーヴ大逃げめに捕まえたエスプリシーズとの差は川崎の短い直線では詰まりようがない。そのまま力強く押し切って4身差の勝だった。

勝ち時計2:12.8はレギュラーメンバーレコードを0.1更新する堂々のレコードタイム森下騎手武井師はともに嬉しい交流GⅠ勝利。地元川崎勢としては2000年インテリパワー以来の川崎記念制覇。青森としては2001年阪神JFタムロチェリー以来、グレード制導入後2頭GⅠ勝利となった。

武井師は「本格化はこれから」とコメントし、南関の新たなエースとしてさらなる飛躍を期待されたエスプリシーズだったが……このあと、脚部不安を発症。10ヶ休み、年末の報知オールスターカップで復帰したが、全くレースにならずブービー11着。これを最後に現役引退となってしまった。
通算23戦10勝。うち川崎競馬場では7戦6勝と故障まで類の強さを誇った。

彼のあと、青森が次にGⅠ級を勝つのは12年後、2016年ジャパンダートダービーキョウエイギア。そして地元川崎勢が川崎記念を勝つのは2024年ライトウォーリア、実に20年後のことになる。

引退後

引退後は青森に戻り、故郷の大橋牧場と繋養する山内牧場との共同所有の種牡馬として繋養され、受胎条件10万円で募集された。7年間の種牡馬生活で血統登録された産駒は26頭、活躍はない。

2012年限りで用途変更となり、その後の消息はわかっていない。

血統表

*カコイーシーズ
1986 鹿毛
Alydar
1975 栗毛
Raise a Native Native Dancer
Raise You
Sweet Tooth On-And-On
Plum Cake
Careless Notion
1970 鹿毛
Jester Tom Fool
Golden Apple
Miss Uppity Nasrullah
Nursery School
スマコバレディ
1992 鹿毛
FNo.12
*スマコバクリーク
1985 鹿毛
Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
Grand Luxe Sir Ivor
Fanfreluche
ツキノパツシヨン
1987 黒鹿毛
アアセイコー *ファラモンド
ハイユウ
アレツレデー *アレ
オオクウイーン

クロスRaise a Native 3×4(18.75%)Nasrullah 5×4(9.38%)

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