イングランディーレ(Ingrandire)とは、1999年生まれの日本の元競走馬。鹿毛の牡馬。
長距離戦において逃げ馬を馬鹿にするとこうなるという事実を、平成のファンに思い知らせた馬である。
主な勝ち鞍
2003年:日経賞(GII)、ブリーダーズゴールドカップ(GII)、ダイヤモンドステークス(GIII)、白山大賞典(GIII)
2004年:天皇賞(春)(GI)
父はキレ者の短距離馬から重厚なステイヤーまで輩出する名種牡馬*ホワイトマズル、母マリリンモモコ、母父*リアルシャダイという血統。
一応社台の基幹牝馬の血を引くのだが、父も母父も重たく母も目立った実績はなく、セレクトセールでも1310万と当時猛威を振るったサンデー産駒に比べると格安で取引された。そこ、バラゲーより高いとか言わない。
2001年夏にデビューするがなかなか勝ち上がれず、勝ち上がった頃には秋になっていた。 その後ダートばかり走るがもイマイチ勝ちきれず、2勝目は翌年3月。その後もダービー挑戦のために青葉賞に挑むが惨敗。
その後も苦戦は続き11月にようやく3勝目を挙げた後、久々に芝のレースであるステイヤーズステークスに挑み、積極的先行策で4着に粘りこむ。開花の兆しを見せつつあった。
2003年は開花の年となる。格上挑戦で挑んだダイヤモンドステークスを逃げ切り、日経賞もバランスオブゲームをねじ伏せ重賞連勝。
堂々と天皇賞(春)に向かうが連勝中より慎重に運び過ぎ、逆に持ち味を殺す結果となり9着に敗れてしまう。
この後休養を挟み再びダート路線に向かい、ブリーダーズゴールドカップと白山大賞典を連勝。JBCクラシックでGI制覇に挑むがアドマイヤドンに完敗。その後もステイヤーズステークスは2年連続4着、ダートに舞い戻るが連敗。
ここまでは、長距離芝もこなす重賞級のダート馬という評価であった。実績を見れば当然である。
それでも再び天皇賞(春)に挑む。前年の二冠馬ネオユニヴァース、菊花賞馬ザッツザプレンティ、未完の大器ゼンノロブロイとリンカーンが四強を形成し、父マーベラスサンデーの如き勢いで登ってきたシルクフェイマスといった脇役も存在。
前走のダイオライト記念こそ2着(ただしミツアキタービンと5馬身差)とはいえここまで4連敗中のダート馬扱いの彼は、前年の実績から着目したファンもいたが10番人気、単勝オッズ71.0倍と完全に軽視された。
レースではそれを利してか鞍上横山典弘の超積極策で今年は逃げていく。後続の四強は切れ味重視の競馬に変わった今なら、サンデーの血を引く自分たちならば末脚で覆せると言わんばかりに泰然と構える。
イングランディーレはその油断を突き、1コーナーを回るあたりでペースを上げるが四強は動かず。四強を警戒する他馬も動かず。
そうこうしている間に20馬身近い差がついたまま、適度に息を抜きつつ3コーナーの坂にかかる。観客騒然。ようやくハメられたことに気づいたゼンノロブロイやシルクフェイマスら後続が仕掛けていくが時すでに時間切れ。 さすがに脚色は鈍ったが7馬身差つけて悠々と逃げ切り。京都競馬場騒然。四強というくくりがネオユニヴァースの負傷引退もあったとはいえこの一戦で消滅する程であった。元からそんなに重みはなかった気もするけど。
そして、この圧勝劇を見た馬主(二代目、社台総帥の吉田照哉氏の妻吉田千津氏)はイギリス遠征を決断。ロイヤルアスコット開催の伝統GI・ゴールドカップ(芝19ハロン210ヤード)に挑戦。
セントサイモンなど戦前の名馬が駆け抜けた、今まで日本馬が遠征したレースの中でも伝統という意味では抜群に高いこのレースであったが、アスコットの19ハロン210ヤード(メートル換算で約4012m)はさすがに厳しく9着に敗退する。
失敗こそしたが、おそらくこのレースに遠征する日本馬はもう現れないであろう。
帰国後は再びダートに舞い戻り、ブリーダーズゴールドカップに出走。タイムパラドックスの2着に敗れるが、帰国初戦としては上々であり秋以降の活躍も期待されたが、屈腱炎で全てご破算となる。
1年3ヶ月の療養を経て復帰するも、その後は全く精彩を欠く。みなみ北海道ステークスで3着し一瞬復活の気配を見せたが、ブリーダーズゴールドカップで6着した後再び脚を壊し引退となった。
引退後は種牡馬入りする予定だったのだが、日本では思うようなオファーもなくエアスマップ(マンハッタンカフェの半兄)と共に韓国に渡り種牡馬入りすることになった。
初年度である2008年生まれは特筆すべき産駒はいなかったものの、2年目となる2009年生まれ世代からは韓国ダービー馬チグミスンガンを輩出するなど向こうでそれなりの地位を築いた。さらにチグミスンガンも種牡馬として2021年の大統領杯(韓国の大レースの1つ)を制したシムジャンウィゴドンを送り出し、イングランディーレの血を韓国に根付かせている。
2020年12月12日、繋養先で老衰により21歳で死亡したことが伝えられた。
長距離戦の逃げ馬の恐ろしさを嫌というほど刻みつけたイングランディーレ。しかし彼の教えは風化したのか、2012年の天皇賞(春)でオルフェーヴルにビビった結果、前を行ったビートブラックを逃す結果となった。
さらに時代が進んで2022年、横山典弘の息子・和生も、同じ舞台でタイトルホルダーとともに逃げ、天皇賞(春)を勝利してみせた。後続との間につけた差は7馬身と、奇しくもイングランディーレの時と全く同じ結果になったのも印象深い。逃げ方はだいぶ違うけど。
ビートブラックやプリテイキャスト、そしてイングランディーレ。大本命で揺るぎなし!と思ったら彼らを思い出して欲しい。
長距離戦でなら、彼らのような軽視されている逃げ馬は思わぬ臨時収入をもたらしてくれるかもしれない。ただし絶対もたらしてくれるとまでは言わない。
イングランディーレが春天を逃げ切った2004年5月2日、京都競馬場のスタンドに1人の少年がいた。
菱田裕二。当時小学6年生の彼は、京都競馬場の所在する伏見区の出身だったが、地元の京都パープルサンガのジュニアユースに所属するほどのサッカー少年であり、しかも両親は競馬ファンでもないどころか、ギャンブル嫌いであったという。
そんな彼がなぜ淀のスタンドにいたのかといえば、幼少時に京都競馬場内の緑の広場に親に連れられて遊びに来た時、裕二少年がはじめて立ち上がった、という縁があったのだとか。その後サッカーに打ち込むようになると競馬場の広場に行くこともなくなったが、「そういえばずいぶんと行ってないね」「今日はGⅠがあるそうだし、行ってみようか」……と、本当にその日だけたまたま家族連れで訪れていたのだそうだ。
菱田少年はイングランディーレの走りにあっという間に「騎手になりたい」と志し、両親を説得して競馬学校への入学を果たす。奇しくも、同期には横山典弘の長男・横山和生がいた。菱田は留年したもんで、卒業は同期ではないのだが。
そして、イングランディーレの春天制覇からちょうど20年後の2024年、菱田裕二はテーオーロイヤルで第169回天皇賞(春)を制覇、13年目にして初のGⅠ制覇を、騎手を志すきっかけとなったレースで果たした。菱田は勝利騎手インタビューで「20年前ここへ見に来たあの自分に『見といてくれ』という気持ちで追ってました」と答えている。
*ホワイトマズル 1990 鹿毛 |
*ダンシングブレーヴ 1983 鹿毛 |
Lyphard | Northern Dancer |
Goofed | |||
Navajo Princess | Drone | ||
Olmec | |||
Fair of the Furze 1982 鹿毛 |
Ela-Mana-Mou | *ピットカーン | |
Rose Bertin | |||
Autocratic | Tyrant | ||
Flight Table | |||
マリリンモモコ 1986 栗毛 FNo.4-r |
*リアルシャダイ 1979 黒鹿毛 |
Roberto | Hail to Reason |
Bramalea | |||
Desert Vixen | In Reality | ||
Desert Trial | |||
ピーチクリアー 1979 栗毛 |
*ノーザンテースト | Northern Dancer | |
Lady Victoria | |||
シャダイクリアー | *ガーサント | ||
ペルルピーチ |
クロス:Northern Dancer 4×4(12.50%)
6代母に1952年クラシック世代の朝日杯3歳S勝ち馬で皐月賞・東京優駿・優駿牝馬全て2着のタカハタがいる。
掲示板
15 ななしのよっしん
2024/04/29(月) 12:04:55 ID: x8LKhZFGF0
>>13
そして20年後も元気にハナを切りにいくのはノリさんという
16 ななしのよっしん
2024/10/23(水) 19:03:35 ID: AmhVTatXmJ
https://
産駒チグミスンガンが韓国内産馬3位、全体ランキング34位
米国産馬が練り歩いてる中やりますねぇ
17 ななしのよっしん
2025/01/25(土) 20:38:03 ID: xxKoHJg1wc
チグミスンガン産駒で大統領杯(韓国ローカルG1)を勝ったシムジャンウィゴドンがどうやらプライベートながら種牡馬入りしたらしい
直系はまだまだ続きそう
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最終更新:2025/04/22(火) 06:00
最終更新:2025/04/22(火) 05:00
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