マイネルセレクト 単語


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マイネルセレクト

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マイネルセレクトMeiner Select)とは、1999年生まれの日本競走馬栗毛

2024年現在、「麗なる一族」最後のGⅠ

な勝ち
2003年シリウスステークスGⅢ
2004年JBCスプリントGⅠ東京盃GⅡガーネットステークスGⅢ
2005年黒船賞GⅢ

概要

*フォーティナイナーウメノアスコット*ラッキーブリンという血統。
アメリカで数々の名と渡り合ってGⅠ4勝を挙げ、種牡馬としても1996年北米リーディングサイアーいた名。その前年に日本輸入され、日本ではダート種牡馬としてユートピアクーリンガーを輩出した。*エンドスウィープなどアメリカでの産駒日本輸入され種牡馬として活躍している。
は7戦1勝。半ダイイチルビーがいる。マイネルセレクトは第4
Nijinsky産駒で、生涯成績は15戦でGⅢ1勝のみに終わったが、マルゼンスキー衝撃醒めやらぬ日本種牡馬として輸入され、ロングハヤブサスズマッハラッキーゲランなどを送り出した。としてもコスモドリームショウナンカンプカネツクロスなどを輩出している。あとハルウララ

ダイイチルビー名前が出てきたところでお察しの通り、彼の2代ハギノトップレディ。すなわち、いわゆる麗なる一族」と呼ばれた*マイリー牝系の生まれである。
イットー、ハギノトップレディダイイチルビーという3代にわたる活躍で名血と讃えられたこの一族だが、ダイイチルビーは初ダイイチシガーオークス3着になったぐらいで立った産駒が出ず、牝系全体でもダイイチルビー以降10年以上中央重賞はなく、21世紀になる頃には牝系としての存在感はすっかり薄くなっていた。

1999年5月29日、三石町の加野牧場(後のな生産コスモバルク)で誕生。オーナーは「マイネル」冠名でおなじみ、一口馬主クラブサラブレッドクラブラフィアン岡田繁幸総帥がそのトモの素らしさに惚れ込んで購入したという。1口22万円×200口(=4400万円)で募集された。

私の選択

2歳~3歳:雌伏の日々

トウカイローマン、マイネルマックスなどを管理した東・中村均厩舎に入厩。2001年10月28日福島ダート1000mの新馬戦高橋上にデビューすると、単勝1.3倍の支持に応えて6馬身差の圧勝デビューを飾る。
この勝ちっぷりに、芝1200mの福島2歳ステークス(OP)へ向かったが4着敗戦。ダートに戻って中1週で阪神ダート1200mのポインセチア賞500万下)を蛯名正義の騎乗で勝利。以降はダートの短距離戦に専念することになる。

しかし、さらに中1週で吉田稔を迎えて向かった阪神ダート1400mのシクラメンステークス(OP)ハナ差2着に敗れたあと、脚部不安を発症。10ヶの長期休養を余儀なくされる。

3歳となり、10月京都場自己条件で武豊上に復帰すると、初戦はクビ差2着に敗れたが、2戦を2馬身半差で快勝。しかし1600万下ステークス岩田康誠の騎乗で3着に敗れたあと、再び脚部不安を発症してしまい半年以上休養……と、実力は高いものの、脚元の不安でなかなか順調に使えなかった。

4歳:10mが生んだ分岐点

4歳となって新潟で復帰。1000万下に降級していたが、復帰戦の予定だった自己条件を除外になってしまったため、ダート1200mの北陸ステークス(OP)大西直宏を迎えて格上挑戦して見事勝利。続くBSN賞(OP)レコード3馬身差の圧勝を飾る。

本格化の時を迎え、勇躍シリウスステークスGⅢ(※当時は1400m戦)で重賞初挑戦。ここでは昨年のJBCスプリント覇者スターリングローズという今までとは別格の強敵が出現したが、あちらが斤量59.5kgを背負ったこともあり、マイネルセレクトは3.1倍の1番人気に支持される。先行勢を4番手でスムーズに追走すると直線で楽々と抜け出し、3馬身差で圧勝(ちなみにスターリングローズ斤量いたか8着撃沈)。今までの憤をらすように3連勝で一気に重賞ウィナーへと駆け上がった。「麗なる一族」の中央重賞勝利は、ダイイチルビー1991年スプリンターズS以来実に12年ぶりである。

JBCスプリントGⅠ出走は賞金面がやや不安だったが、事に中央出走5頭の5番に滑り込み。1番人気は当然、ダート距離重賞6連勝を記録したサウスヴィグラス……ではなく、前戦の東京盃でそのサウスヴィグラスノボトゥルーノボジャックをまとめて蹴散らした地方ハタノアドニス。サウスヴィグラスは3番人気で、他に中央勢は前年覇者スターリングローズ実績ノボトゥルーノボジャックが参戦、レース史上最高のメンバーったとも評される中、大西直宏とともに乗りこんだマイネルセレクトは勢いを買われて2番人気に支持される。
そしてもうひとつ、この年のJBCスプリントには重要なポイントがあった。スタンド改築工事のゴールの位置が移動しており、1190mでの開催となっていたのである。

だいぶプペったファンファーレ(関連動画参照)とともにスタートしたレースは、サウスヴィグラスが好スタートからハナを切ってナイキアディライトとともに逃げ、マイネルセレクトは4番手の好位で追走。直線、ナイキアディライトを振り落として逃げ込みを図るサウスヴィグラスに対し、マイネルセレクトは同じ位置にいたスターリングローズを振り切って猛然と追い込む。2番手にいたハタノアドニスをかわし、一歩ごとに詰まっていく差。最後は2頭横並びになったところがゴールだったが……結果はハナ差の2着。あと10mあれば間違いなくマイネルセレクトが差し切っていた勢いだけに、改築工事による僅か10mのゴール移動が大きく運命を分けることになった。

この勝利を最後に種牡馬入りしたサウスヴィグラスはその後、産駒5000勝をえ、地方競馬種牡馬記録の数々を塗り替える、地方歴史的大種牡馬となる。もしこのときJBCスプリント1200mでマイネルセレクトが差し切っていたら、大種牡馬サウスヴィグラスははたして存在したのだろうか。ひょっとしたら日本競馬史にとんでもないを与えていたかもしれない、10mが生んだハナ差であった。

5歳~6歳:それが私の選択だ

明けて5歳となったマイネルセレクトはドバイ遠征プランを発表。前戦として1月ガーネットステークスGⅢから始動した。上は大西直宏から武豊に交代となり、以降は引退まで武が騎乗することになる。トップハンデ58.5kgながら1.8倍という断然人気に支持されると、当時はまだ覚醒前の4歳だった2番人気ブルーコンコルドを3馬身半蹴散らして圧勝、重賞2勝を挙げる。

というわけで日本ダート距離界の代表としてドバイゴールデンシャヒーンG1に乗りこんだ。当時はナドアシバ競馬場1200m直線コースだったこのレースBCスプリント勝ちCajun Beatらを相手に、マイネルセレクトは先行集団の後ろでレースを進めたが中追走が苦しくなり、終盤盛り返したものの重賞勝利兵Our New Recruitの5着まで。とはいえ当時はまだ2年前に参戦したブロードアピール(5着)に続く2頭日本挑戦で掲示板確保なので充分健闘といったところ。

後はしばらく休み、9月さきたま杯GⅢで復帰したが、休み明けで調子が出なかったか6着撃沈といささか不安の残る滑り出し。
しかし続く東京盃GⅡでは営いわく「7、8分」の仕上げながら、しぶきのあがる不良馬場をものともせず中団から快に差し切って1馬身半差で勝。本番へ向けて弾みをつける。

かくした迎えたJBCスプリントGⅠ。相手関係もシリウスSを勝ってきたばかりの4歳アグネスウイング東京盃で蹴散らしたヒカリジルニア、芝から参戦してきたサニングデールと、前年にべてはるかに手薄な顔ぶれとなり、マイネルセレクトは堂々1.3倍という断然人気に支持される。
そしてレーススムーズに3番手で先行すると直線堂々と抜け出し、あとは後続を突き放して全く寄せ付けず2馬身半差という何の文句もつけようがない勝。「麗なる一族」の歴史に、ダイイチルビー以降長らく絶えていたGⅠの栄を刻み込んだ。また武豊は意外にも?これがJBC勝利となった。

明けて6歳もドバイゴールデンシャヒーン再挑戦をして現役続行……したのだが、始動戦に予定していたフェブラリーSを直前に感冒で回避となり、そのままドバイ遠征も断念となってしまう。仕方ないので高知黒船賞GⅢに向かい、シーキングザダイヤに次ぐ3.1倍の2番人気に支持されると、ゲートで暴れて出遅れたシーキングザダイヤに4番手でレースを進め、4でもう先頭を捕まえてそのまま抜け出し押し切って2馬身差で勝。59kgの斤量もものともせずダート距離王の貫を見せる。

かしこの後、若い頃に苦しめられた脚部不安が再発。かしわ記念を回避となり、東京盃での復帰へ向けて調整していたが、8月に追い切りで屈腱炎を発症。全治1年以上、再発の可性も高いことから現役続行を断念、引退することになってしまった。通算17戦10勝 [10-3-1-3]。

引退後

引退後は2006年からビッグレッドファームで種牡馬入り。受胎条件30万円/出生条件50万円で募集され、初年度は84頭のを集めたが、血統登録43頭というイマイチな受胎率が嫌われたか種付け数は減少。初年度産駒地方で好成績を残したので2010年は種付け数が78頭と回復したが、2011年は29頭に留まり、その年限りでイーグルカフェとともに韓国輸出されることになってしまった。結局日本での産駒181頭、地方重賞6頭を出すに留まった。

韓国では済州島牧場で繋養されたが、あちらでも特に立った産駒は出なかったようで、2020年10月に斃死のため種牡馬登録抹消。同日にオーロマイスタースパイキュールも同様に斃死で抹消されており、正確な日は不明である。

マイネルセレクトの後、「麗なる一族」こと*マイリー牝系からはブルーショットガン2006年阪急杯を、ヴィーヴァヴォドカが2009年フラワーカップを勝っているが、それを最後にもう15年以上中央重賞は出ておらず、もはやこの牝系が良血と呼ばれることはない。ヴィーヴァヴォドカも転売不明になってしまい、直近の中央での活躍となると、2019年全日本2歳優駿2着で中央リステッド勝ちのあるアイオライト(3代イットー)が挙がるぐらいである。
サイアーラインに栄枯盛衰があるように、牝系もまた栄枯盛衰は歴史の常ではあるが、マイネルセレクトが「麗なる一族」最後の栄で終わってしまうのだろうか。

血統表

*フォーティナイナー
1985 栗毛
Mr. Prospector
1970 鹿毛
Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
File
1976 栗毛
Tom Rolfe Ribot
Pocahontas
Continue Double Jay
Courtesy
ウメノアスコット
1989 鹿毛
FNo.7-e
*ラッキーブリ
1974 鹿毛
Nijinsky II Northern Dancer
Flaming Page
Sovereign Pardao
Urshalim
ハギノトップレディ
1977 黒鹿毛
*サンシー Sanctus
Wordys
イツトー *ヴェンチア
ミスルミ

クロスNasrullah 5×5×5(6.25%)

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