ファーラップ(Phar Lap)とは、1926年ニュージーランド生まれ・オーストラリア調教の競走馬。「レッド・テラー(赤い恐怖)」「ワンダーホース(驚異の馬)」などと呼ばれたオセアニア競馬の英雄である。
馬名はチワン語で「稲妻」を意味する「farlap」を元に、メルボルンカップの勝ち馬に多かった「7文字で、2単語に分割された名前」になるようにひねったもの。
※オセアニアでは8月がシーズンの変わり目であり、馬齢もここで加算される。以下でもそれを踏まえて記述する。
父Night Raid、母Entreaty、母父Winkieという血統。父はイギリスで35戦2勝、母はニュージーランドで1戦未勝利(着外)と、両親とも競走成績に特筆すべきことは無かった。
しかし、彼の調教師となるハリー・テルフォード師は、血統に名馬カーバインの父であるマスケットのインブリードが存在することと、母系が一流であることからファーラップの素質を見抜いたのだという。もっともセリでの購入額は160ギニー(約3万円)とそこまで高いわけではなかった。
入厩時は背高の痩せっぽちであまり良い馬体ではなかったファーラップ。そのせいでテルフォード師が馬主になってくれるよう依頼したデヴィッド・デイヴィスという人物が激怒して、預託料の支払いを拒否する事態に発展してしまった。結局「3年間預託料を払わない代わりに賞金の2/3を調教師の取り分にする」ということで決定したが、こうなると走らなければ何も入ってこないため、成長を促すためにテルフォード師はファーラップをあっさり去勢してしまう。当時の豪州クラシックレースはセン馬でも出走可能だったのである。とっちゃったら立派に育ったファーラップは、最終的には体高179cmというとんでもない巨漢馬になってしまう。でかすぎである。ヒシアケボノもびっくりだ。
デカい身体を持て余したからか、初戦から4戦連続着外。2歳4月末に5戦目で初勝利を挙げるものの、シーズンが変わってから5戦連続で負け。正直、ここまでは全然大した馬ではなく、「オーストラリアダービーにだって勝てる」と初勝利時に発言したテルフォード師も業を煮やして、障害競走への転向を検討した。しかし、テルフォード師が見込んだ才能はここから急激に開花する。
初めてマイルを超える距離を使われたチェルムスフォードS(9ハロン)で2着に入った後、これで波に乗ったのか3歳戦の大競走の一つであるローズヒルギニーで久々の勝利を挙げると、次走のオーストラリアダービーをレコードタイムで完勝。続くクレイヴンプレートも4馬身差で圧勝した後、ヴィクトリアダービーでもレコードタイムで勝利。オーストラリア最大のレース・メルボルンカップこそ敗れ、年明けのセントジョージSも3着に敗れたものの、続けて出走したVRCセントレジャーを皮切りに2ヶ月半で9連勝を挙げ、最終的にこのシーズンは20戦13勝をマーク。特に凄まじいレースとして語り継がれているのが18ハロン戦であったAJCプレートというレースで、ファーラップはこのレースで大逃げを打ったまま逃げ切り、コースレコード、10馬身差(そんなものではなくて200mぐらい着差があったという説もある)で圧勝。彼に『赤い恐怖』という異名が献上されたのはこの時であるとされる(アメリカで付いた異名という説もある)。
翌シーズンは本格化して更に手が付けられなくなる。16戦14勝、しかも14連勝(最初と最後に負けている)である。フューチュリティS(7ハロン)では途中で先頭から30馬身差を付けられ、更に複数回進路を塞がれながらクビ差で勝利。前年に敗れたメルボルンカップにも1.7倍というダントツの一番人気に応えて楽勝。
この時、あまりの人気に損を恐れたブックメーカー(賭け屋)がメルボルンカップ3日前のメルボルンSというレースのレース前追い切りを行ったファーラップをピストルで撃ったという話まである(当時、出走取り消しされた馬の馬券は払い戻さなくても良かったんだそうな)。あるいはこの銃撃事件は新聞記者が特ダネ欲しさにやったのだという説もあり、いずれにせよ当時のファーラップがオーストラリアにおいてどれほどの話題を集めていたのかが分かるようなエピソードだ。
なお、4歳最後の敗戦は軽い疝痛を推して出走させたのが主要因であるとされ、それを悔やんだテルフォード師は5ヶ月近くファーラップを休養させた。この間に預託料に関する契約が満了し、デイヴィス氏側は4000ポンドで所有権の半分を購入した。
5歳になったファーラップは休養明けから8連勝。連覇を狙ったメルボルンカップこそ150ポンド≒68kg(!)という酷量が響いて8着に負けてしまったものの、その強さはもはやオセアニアに留まるレベルではないと見做されていた。そしてついに、デイヴィス氏はファーラップのアメリカ大陸遠征を企てたのである。
狙うは3月にメキシコのアグアカリエンテ競馬場で行われるアグアカリエンテハンデキャップ。この時期、アメリカでは多くの州で馬券の発売が禁止されてしまい、競馬がほとんど行われていなかった。そのため、禁止法の抜け道的に国境近くにあるこの競馬場での開催が盛り上がっていたのである。アグアカリエンテハンデキャップはその中でも世界最高賞金(5万ドル)を誇る大レースであった。
しかしこのレース、ファーラップはそもそもいきなり寒い冬に(南半球の3月は夏)連れてこられて体調を崩していた上に、初めて走るダートコースに戸惑い、おまけに大きく出遅れてしまう。ところが中盤で気を取り直すと、8.23mもあったという大完歩であっという間に差を詰めて先行馬を一気に抜き去り、レコードタイムでゴール。アメリカの競馬関係者はあっけに取られて声も出なかったという。
この勝利は、欧米からさんざん格下扱いされていたオセアニア競馬における、遠征馬による初めての海外大レース勝利であった。まさに歴史的な勝利だったのである。
この後、ファーラップはカリフォルニアの牧場に送られ、休養に入った。アメリカ各地を転戦する計画が立てられていたのだという。しかし、ここで悲劇が起こるのである。
1932年4月5日。ファーラップが牧場で苦しんでいるのが発見され、数時間後に大量の血を吐いて死んでしまったのである。その死のニュースはオーストラリアで大々的に報道され、オーストラリアのファンはヒーローの突然の死に驚き、悲嘆に暮れた。
解剖の結果、ファーラップの死因は疝痛であると判定された。しかし、同時に体内から砒素も検出されたのである。
このニュースにオーストラリアのファンは怒り狂った。「ファーラップがアメリカ人に毒殺された!」と叫んでアメリカに囂々たる非難を浴びせたのである。この事件はオーストラリア人の反米感情に火を付け国際問題にまで発展したという。現在でもオーストラリア人がアメリカ人を貶す際にファーラップ事件を持ち出す例は多いのだとか。
もっとも、前述のように当時のアメリカでは幾つもの州で馬券の発売が禁止され、競馬は冬の時代であった。オーストラリア人の主張では、アメリカのマフィアが八百長レースの邪魔になるファーラップを毒殺したのだ、ということなのだが、当時の状況からは無理があると思う。アメリカの馬主がオーストラリア馬なんかに負けるのを恐れたという主張も、アメリカ人の気質的には無いのではないかと思われる。
殺虫剤のついた牧草を食べたのだとか、ファーラップを献身的に世話していたトミー・ウッドコック厩務員が砒素の含まれていた食欲増進剤の投与量を間違えたのだという説もある。いずれにしろ、真相は歴史の闇の中。ファーラップは競馬史上、もっとも不可解な死に方をした名馬として語り継がれている。
ファーラップは通算51戦37勝という恐ろしい戦績(9・14・8連勝したことがある)を残し、獲得賞金は6万6738ポンド(当時の世界3位)に達した。しかしその数字以上にオーストラリア競馬に残した足跡は大きい。オーストラリアとニュージーランドの競馬殿堂が出来た時にも当然真っ先に選出された。1930年のメルボルンカップ圧勝劇は2006年にシドニー・モーニング・ヘラルド紙が行った「オーストラリアのスポーツ名場面」投票で第7位に選ばれている。実はアメリカでの評価も非常に高く、20世紀のアメリカ名馬100選ではアメリカ合衆国で一度も走っていないにも関わらず22位に選ばれている。
その遺体はオーストラリアに送り返され、剥製はメルボルン博物館に、骨格はニュージーランド国立博物館にそれぞれ展示されている。そしてなんと通常の2倍もあったという巨大な心臓はキャンベラの解剖学研究所に保管されている。
現在でもオーストラリア競馬史上最強馬と言われるファーラップ。その異名に似合わず非常におとなしく心優しい馬であったそうである。セン馬であったから子孫は残せなかっただろうが、引退しても牧場で人気者になったのではないだろうか。そんな余生を送って欲しかった。遠い異国の地で寂しく死なせるにはあまりにも惜しい名馬であった。
Night Raid 1918 栗毛 |
Radium 1903 黒鹿毛 |
Bend Or | Doncaster |
Rouge Rose | |||
Taia | Donovan | ||
Eira | |||
Sentiment 1912 鹿毛 |
Spearmint | Carbine | |
Maid of the Mint | |||
Flair | St. Frusquin | ||
Glare | |||
Entreaty 1920 黒鹿毛 FNo.2-r |
Winkie 1912 栗毛 |
William the Third | St. Simon |
Gravity | |||
Conjure | Juggler | ||
Connie | |||
Prayer Wheel 1905 鹿毛 |
Pilgrim's Progress | Isonomy | |
Pilgrimage | |||
Catherine Wheel | Maxim | ||
Miss Kate |
クロス:St. Simon 4×5(9.38%)、Galopin 5×5(6.25%)、Musket 5×5(6.25%)
掲示板
10 ななしのよっしん
2022/08/10(水) 03:51:02 ID: gaqSndpdTb
なお毒殺でほぼ確定の模様
競馬系の記事は書いてる奴の妄想とか主観が多すぎる
11 ななしのよっしん
2022/11/30(水) 14:18:05 ID: Y6gjQZWyfD
アメリカ人の気質云々はたしかに主観でしかないからなぁ。というか当時のアメリカ人の性質なんてものを我々はどれだけ知ってるのか?
致死量の大量の砒素が死の数十時間前に一度に投与されたということが近年分かったということと、毒殺なのか薬剤投与のミスか事故なのかは現在でも議論が続いているが、毒殺と信じている人が数多いということを書くだけで十分だと思う。
12 ななしのよっしん
2022/12/14(水) 22:02:33 ID: y1FdXCtMr4
書くなら
・ファーラップの体毛から致死量を上回る砒素が検出されたこと。
・ファーラップは継続的に砒素入りの強壮剤を使用していたこと。
・ファーラップが死の数十時間前に大量の砒素を一度に摂取していたということ。
・最後を看取った担当厩務員は「ファーラップの死因は強壮剤(砒素)の過剰投与ではなく感染症によるものでした」とコメントしていること。
・死因が感染症か毒殺か投薬ミスか事故なのかは不明だが、毒殺と信じている人が多いということ。
あたりかな
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最終更新:2024/11/30(土) 07:00
最終更新:2024/11/30(土) 07:00
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