フェイエノールト(Feyenoord)とは、オランダ・南ホラント州・ロッテルダムに本拠地を置くサッカークラブである。
オランダ1部リーグのエールディヴィジに所属。ホームスタジアムのスタディオン・フェイエノールト(通称デ・カイプ)。
正式なチーム名はフェイエノールト・ロッテルダム(Feyenoord Rotterdam)。
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クラブの創設は1908年。アヤックス・アムステルダム、PSVアイントフォーフェンと並ぶオランダ伝統の3大クラブの一角。伝統的に赤と白のユニフォームを着用している。
1908年にヴィルヘルミナとして設立され、1912年に近隣の地名にちなんでSCフェイエノールト(Feijenoord)と呼ばれることに落ち着き、1974年にSCフェイエノールト(Feyenoord)に変更。その後1978年にアマチュアクラブから分離してフェイエノールトとなった。
これまでのタイトルはエールディヴィジでの優勝11回、KNVBベーカー12回、UEFAチャンピオンズカップ (現:UEFAチャンピオンズリーグ) 1回、UEFAカップ2回、インターコンチネンタルカップ1回。オランダでは国際舞台で大きなタイトルを獲得した初めてのクラブである。
国民の支持が厚い国民クラブとして知られており、クラブリートの一節である『不言実行 (Geen woorden maar daden) 』がそのままクラブ・カルチャーとなっており、『袖をまくってお金のために働こう』というロッテルダムの労働者精神がクラブのベースにある。サポーターは、良い時も悪い時もチームをサポートする世界で最も忠実なサポーターグループの一つと言われており、オランダ語で軍団を意味するヘット・レヒューン(Het Legioen)という愛称で呼ばれている。クラブの公式マスコットはクーンチェ。
伝統的に最大のライバルチームはアヤックスで、両チームの伝統の一戦は「デ・クラシケル」と称され、オランダ国内最大のダービーマッチとして知られている。両クラブのライバル関係は、「エリートの街」アムステルダムと「労働者の街」ロッテルダムという、街の性質の違いによるライバル心が存在し続けており、この2クラブがそれぞれの大都市を代表するようになった時点で必然的にお互いが宿敵となった。
下部組織はデ・カイプに隣接するファルケノールトのスポーツ施設に約20面のフットボール・ピッチを備えており、"ファルケノールト"の名前でも呼ばれている。幼少期からの一貫した育成を重視するのがクラブの育成方針であり、国内外の15〜17歳の選手を上手く買い集めるアヤックスの手法とは一線を画している。下部組織出身の名選手としてはロビン・ファン・ペルシーなどが知られている。
日本人選手では小野伸二が2001年から2005年まで所属し、2002年のUEFAカップ優勝に貢献。また、2011年には宮市亮がアーセナルFCからのレンタルで在籍。2023年からは上田綺世が在籍している。
1908年7月19日、カフェ"the Association"でJac. Keizerによってヴィルヘミナ(Wilhelmina)として創設。1909年に名前をHFC (Hillesluise Footbal Club) に改名、ロッテルダムのフットボール連盟に加わったが、ハールレムにすでに同名クラブであるHFC (現:コーニンクレッカHFC) が存在していたため、RVV Celeritasと改名。
1912年に現在のKNVBの前身であるオランダ・フットボール連盟 (NVB) に加盟したが、やはり同名のクラブ (HSV Celeritas) が存在していたため、フェイエノールト (Feijenoord) を名乗ることになり、同時に赤白のシャツと黒パンツ、黒ソックスのスタイルに変更された。
創設から16年、トップリーグに昇格して3年後の1924年にフェイエノールトは初めてオランダ・リーグを制する。この最初の優勝は「『労働者たち』が『紳士たち』を打ち負かした」というオランダ・フットボールの歴史の転換点となったため、今もなお多くのフェイエノールトサポーターにとって最も美しい優勝と見なされている。1930年には初めてKNVBベーカーで優勝。30年代と40年代にランズカンピューン (Eerste Klasse West Ⅱ) 7回、KNVBベーカー獲得5回とクラブの成功の歴史の土台を築いている。
クラブにとっての黄金期は1960年代から70年代初頭にかけて到来する。1960-61シーズンにプロリーグとなったエールディヴィジに初優勝。1961-62シーズンにはエールディヴィジ連覇を達成すると、1964-65シーズンにはクラブ史上初となるエールディヴィジとKNVBベーカーの国内二冠を達成。また、欧州の舞台でも1962-63シーズンのUEFAチャンピオンズカップで準決勝まで進出。ベスト4で"黒豹"エウゼビオを擁したベンフィカに敗れたものの、国際舞台でも存在感を見せることとなった。
そして1968年にオーストリア人のエルンスト・ハッペルが監督に就任。それまでのフェイエノールトはファイタータイプが多く、伝統的に実直で泥臭い戦いをするチームだったが、ハッペルは先進的なプレッシング戦術、良く配慮された攻撃的なフットボールをもたらす。1968-69シーズンには二度目となる国内ダブルを達成。1969-70シーズンのチャンピオンズカップではクーン・ムーライン、オヴェ・シンドヴァルなどの活躍で決勝まで進出すると、決勝では延長戦の末にセルティックFCを破り、オランダのクラブとしては史上初となる欧州の頂点に立つ栄誉を手にする。さらにはインターコンチネンテルカップでもエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタに勝利し、ハッペルは在籍した5年間で5つのタイトルをクラブにもたらしている。ハッペルがチームを去った後の1973-74シーズンもエールディヴィジに加えてUEFAカップ初優勝の二冠を達成。
1970年代後半から1980年代初頭にかけてはタイトルから遠ざかることになるが、1983年に宿敵アヤックスからヨハン・クライフが加入。すでにキャリアは晩年のクライフだったがクラブにもたらすしたものは大きく、ルート・フリットら新たなスター選手も台頭し1983-84シーズンには久々のタイトル獲得となる国内二冠を達成。1年でクライフは現役を引退し、フリットも1985年に移籍したころからその後はPSV、アヤックスよりもタイトル争いで後手を踏むこととなる。それでも90年代にもフェイエノールトはリーグ戦を2回、スーパーカップ2回、KNVBカップを2回獲得。
2000年にマルク・ファン・マルワイクが監督に就任。2001-02シーズンは小野伸二、ヨン・ダール・トマソン、ピエール・ファン・ホーイドンクといった魅力的なタレントを擁し、28年ぶり2度目となるUEFAカップ優勝を果たす。この頃はディルク・カイトやロビン・ファン・ペルシーといったタレントも台頭していたが、ボスマン判決の影響を受けて国外の名門クラブにすぐに引き抜かれていた。
2006年11月、UEFAカップのグループステージ ASナンシー戦の前後において、約3,000名のフェイエノールト・サポーターが現地警察と衝突する事件が勃発。スタジアムのアウェイボックスにいる全フェイエノールト・サポーターが警察によって追い出され、その際催涙ガスが使用されたことで試合は一時中断。クラブはUEFAカップからの追放と巨額の罰金という重い処分を科せられることになる。さらに、この頃からクラブの成績は低迷するようになり、無理な大型補強を敢行したこともあってクラブの財政は悪化。2006年から3シーズン連続でトップ3にすら入れず、低迷期を迎えることとなった。
2010-11シーズンには財政運営で協会の監視下に置かれ、補強費捻出はほぼ不可能になってしまい、ライセンスを失う危機を迎えるほどクラブの立場は深刻なものとなっていた。PSVとのアウェイ戦で10-0という歴史的惨敗を喫し、リーグでは過去ワースト2の10位で終えるなど最悪のシーズンとなってしまう。その後、財政的な危機は脱したものの、ロナルド・クーマン監督が積極的に若手を登用したもののタイトル獲得には届かず、クラブの価値は失墜したままだった。
2015-16シーズン、ベテランとなったディルク・カイトが9シーズンぶりに復帰。キャプテンを任されたカイトに牽引されたチームは、KNVBベールを優勝し8年ぶりのタイトルを獲得。さらに、2016-17シーズンはクラブOBであるジョバンニ・ファン・ブロンクホルスト監督のもとリーグ戦で開幕9連勝という好スタートを切ると、ステフェン・ベルハイスらの台頭もあって最後まで安定した戦いぶりを続け、最終節ではカイトがハットトリックを達成するという「おとぎ話」のような展開で18年ぶりとなるリーグ優勝を手にする。翌日、クラブ復活の立役者となったカイトは現役引退を表明。
ファン・ブロンクホルストは2016-17シーズンにもヨハン・クライフ・スハールと100周年記念大会のKNVBベーカートーナメント制覇に導き、低迷していたクラブに4年間で4つのタイトルをもたらす。その後はぱっとしないシーズンが続いていたが、2021年にアルネ・スロットが監督に就任。新設されたUEFAカンファレンスリーグで決勝まで進出するが、ファイナルでASローマに敗れ、惜しくも初代王者の座を逃す。しかし、2022-23シーズンには多くの主力を失いながらも最終的に2位PSVに9ポイントを離す独走で16回目のリーグ優勝を達成。2023-24シーズンには6シーズンぶりにKNVBベーカーを優勝。
| 背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| - | 監督 | ロビン・ファン・ペルシー | 1983.8.6 | 2025 | ヘーレンフェーン監督 | |
| 1 | GK | ジュスティン・バイロー | 1998.1.22 | 2016 | フェイエノールトU-21 | |
| 2 | DF | バルト・ニューコープ | 1996.3.7 | 2023 | サン=ジロワーズ | |
| 3 | DF | トーマス・ベーレン | 2001.6.11 | 2023 | ズヴォレ | |
| 4 | DF | 渡辺剛 | 1997.2.5 | 2025 | KAAヘント | |
| 5 | DF | ハイス・スマル | 1997.8.31 | 2024 | トゥウェンテ | |
| 6 | MF | ファン・インボム | 1996.9.20 | 2024 | レッドスター・ベオグラード | |
| 7 | MF | ヤクブ・モデル | 1999.4.7 | 2025 | ブライトン&ホーヴ・アルビオン | |
| 8 | MF | クインテン・ティンバー | 2001.6.17 | 2022 | ユトレヒト | |
| 9 | FW | 上田綺世 | 1998.8.28 | 2023 | サークル・ブルージュ | |
| 10 | FW | サイル・ラリン | 1995.4.17 | 2025 | RCDマジョルカ | |
| 11 | FW | ゴンサロ・ボルジェス | 2001.3.29 | 2025 | FCポルト | |
| 14 | MF | セム・スタイン(C) | 2001.11.12 | 2025 | FCトゥウェンテ | |
| 15 | DF | ジョーダン・ボス | 2002.10.29 | 2025 | KVCウェステルロー | |
| 16 | FW | レオ・ザウアー | 2005.12.16 | 2025 | NACブレダ | |
| 17 | FW | カスパー・テングシュテット | 2000.6.1 | 2025 | エラス・ヴェローナ | |
| 18 | DF | ゲアノット・トラウナー | 1992.3.25 | 2021 | LASK | |
| 21 | DF | アネル・アフメドジッチ | 1999.3.26 | 2025 | シェフィールド・ユナイテッド | |
| 22 | GK | ティモン・ヴェレンロイター | 1995.12.3 | 2022 | ヴィレムⅡ | |
| 23 | FW | アニス・ハジ・ムサ | 2002.2.11 | 2024 | フィテッセ | |
| 25 | MF | シロー・ザンド | 2003.5.14 | 2023 | ヘラクレス・アルメロ | |
| 26 | DF | ジヴァイロ・レアド | 2004.6.1 | 2023 | フォレンダム | |
| 27 | FW | ガラスー・ディアワラ | 2002.11.21 | 2025 | イスタンブールスポル | |
| 28 | MF | ウサマ・タルガリン | 2002.5.20 | 2025 | ル・アブール | |
| 29 | MF | エゼキエル・ブローデ | 2000.10.26 | 2022 | フォルトゥナ・シッタード | |
| 30 | DF | ジョーダン・ロトンバ | 1998.9.29 | 2024 | ニース | |
| 31 | DF | マルコム・ジェン | 2005.3.9 | 2025 | RCランス | |
| 32 | FW | アイメン・スリティ | 2006.3.14 | 2025 | フェイエノールトU-21 | |
| 36 | FW | ジェイデン・スロリー | 2005.5.9 | 2024 | ドルドレヒト | |
| 37 | GK | マナウ・ベルハー | 2004.10.15 | 2025 | フェイエノールトU-21 | |
| 39 | GK | リアム・ボシン | 1996.6.15 | 2025 | ボルシア・ドルトムント | |
| 40 | MF | ルチアーノ・ヴァレンテ | 2003.10.4 | 2025 | フローニンゲン |
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最終更新:2025/12/05(金) 22:00
最終更新:2025/12/05(金) 22:00
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