セルティックFC(The Celtic Football Club)とは、スコットランドのグラスゴーを本拠地とするプロサッカークラブである。スコティッシュ・プレミアシップに所属。
ユニフォームは白と緑の横縞。ホームスタジアムはセルティック・パーク。
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レンジャーズFCと並ぶスコットランド2強の一角であり、その歴史の中で100以上のトロフィーを獲得した世界で5つしかないクラブの1つである。タイトルの獲得数においてはライバルのレンジャーズを大きく上回っており、1966-67シーズンには国内リーグ、カップ、そしてUEFAチャンピオンズリーグの三冠獲得(トレブル)を達成している。
100年以上の歴史を誇る伝統のあるクラブであり、1887年にグラスゴーのイーストエンドに住むアイルランド系移民の貧困を緩和する目的で設立された。そのため、グラスゴーは元より、アイルランドにもファンは多く、さらに北米大陸や南半球などに移住して行った多くのアイリッシュ、スコティッシュ移民達の象徴的クラブとされている。また、本拠地のセルティック・パークにはスコットランド国旗とアイルランド国旗が掲げられている。
名称のセルティックとは「ケルト人」あるいは「ケルトの、ケルトに属する」を意味しており、ケルト文化の象徴的クラブとしても扱われている。歴史的にイングランドに対する反抗心を持っているので、ヨーロッパ内でもイングランドと戦争経験のあるドイツやイタリアなど歴史的政治的に遺恨を残す国にとって判官贔屓のクラブとして応援されている。
同じグラスゴーに本拠地を置くレンジャーズFCとは長年に渡って激しいライバル関係にあり、両チームの対戦は「オールドファーム・ダービー」と呼ばれ、世界的に有名なダービーマッチとして知られている。レンジャーズとのライバル関係の背景には宗教問題があり、プロテスタント系の支持が多いレンジャーズに対し、セルティックはカトリック系から支持されている。また、英国連合の政治的、民族的な関係をも含む複雑な背景もあり、オールドファームではユニオンジャックを掲げるレンジャーズサポーターやアイルランド国旗を掲げるセルティックサポーターの姿も多く見られる。
国内リーグでは圧倒的な強さを誇っているが、スコットランドの2強以外のクラブのレベルが低いことは否めず、セルティックもボスマン判決以降は欧州各国の強豪クラブと比べると実力的に差が開いており、欧州の舞台で目立った結果を残せておらず、CL本戦出場すら叶わないシーズンも珍しくない。
日本人選手では、中村俊輔が2005年から2009年まで所属。在籍時にはマンチェスター・ユナイテッド戦での伝説に残るFKを決めるなど多くの栄光をもたらしており、現在においてもクラブのレジェンドとして多くのサポーターから愛されている。
2021-22シーズンの夏に古橋亨梧がヴィッセル神戸から完全移籍で加入し、同シーズンの冬に旗手怜央、井手口陽介、前田大然が加入。その後も日本人選手が次々とチームに加わり、2022-23シーズンには6人もの日本人が在籍していた。
1887年、アイルランドからグラスゴーにやってきたマリスト教徒であるブラザー・ウォルフリッド宣教師が、グラスゴーの貧しい人々や空腹の人々に食事を提供するために設立。翌年の5月には、のちのライバルとなるレンジャーズを相手に初の公式戦をおこない、5対2で勝利している。
1889年、セルティックは初めて開催されたスコティッシュカップ決勝に進出したが、2対1で敗れた。クラブは1892年も再びスコティッシュカップ決勝に進出し、クイーンズ・パークFCを5対2で破り優勝を果たした。数カ月後、クラブは本拠地をセルティック・パークに移し、次のシーズンはスコティッシュ・リーグ・チャンピオンシップを初制覇している。
1897年にクラブは有限会社となり、ウィリー・マレーが初の監督に任命される。
1900年代に入ってクラブは力をつけるようになり、1905年から1910年までの間にシーズン連続リーグチャンピオンシップ優勝という偉業を成し遂げる。1907年にはスコットランドにおけるスポーツの歴史上で初のスコティッシュカップとリーグの二冠を達成。第一次世界大戦中、セルティックはリーグを4連覇し、1915年11月から1916年4月までは無敗を誇った。
1937年のスコティッシュカップ決勝アバディーン戦では新記録となる146,433人もの観衆が集まり、ヨーロッパでのサッカークラブの試合記録として今も残っている。この試合にも勝利し、もはやスコットランドのスポーツクラブとして確固たる地位を確立。
セルティックの元選手であり、キャプテンも務めたジミー・マクグローリーがジミー・マクステイから監督の座を引き継ぐことに。マクグローリーの下、セルティックは女王エリザベス2世の戴冠を記念して1953年5月に開催された一度限りの大会であるコロネーションカップにおいて、アーセナル、マンチェスター・ユナイテッド、ハイバーニアンを破り優勝。
1957年には、ハムデン・パークで行われたスコティッシュリーグカップ決勝でレンジャーズを7対1で破っている。しかし、このタイトルを最後にしばらくの間、クラブはタイトルから遠ざかることになる。
1965年、マクグローリーの跡を元キャプテンのジョック・ステインが引き継ぐと、セルティックに再び黄金期が到来。就任してすぐにスコティッシュカップ優勝に導き、7シーズンぶりのタイトルをもたらすと、1966年には12年ぶりにチャンピオンシップ獲得を果たす。ここからチームは1974年までリーグ9連覇という偉業を達成。これは1997年にレンジャーズによって並ばれるまで世界記録であった。
その中でも特に偉大なシーズンとなったのが1966-67シーズンであった。1967年5月25日、リスボンのエスタディオ・ナシオナルにおいてインテル・ミラノを2対1で破り、イギリス勢初となる欧州王者の座に就く。さらに、リーグ戦とスコティッシュカップも優勝し史上初のトレブルを果たすと、スコティッシュリーグカップも優勝し4冠を達成。このシーズンの参加した全ての大会を制覇したことになる。この功績が称えられ、ステイン監督は1970年に大英帝国勲章を受勲する。
1978年、スコットランド代表監督就任によりステイン監督が退任。後任は1967年のトレブル達成時にキャプテンだったビリー・マクニールが就任。1980年代に入ってもクラブは国内でタイトルを獲得し続け、クラブ創立100周年となった1987-88シーズンには、リーグとスコティッシュカップの国内二冠を11年ぶりに達成する。
しかし、1990年代に入ってクラブの財政難が発覚。クラブは破産寸前という危機的状況に陥っており、当然チーム力も低下。1988年から1997年まで宿敵レンジャーズの国内9冠を許してしまう。このクラブの危機を破産が宣告される数分前に救ったのが実業家のファーガス・マッキャンだった。マッキャンは、有限責任私会社セルティックPLCとしてのクラブビジネスを再構成し、セルティック・パークの全席座席付き60,832人収容のスタジムへの再開発を監督。1997-98シーズンには前サンフレッチェ広島監督のビム・ヤンセンのもとで10シーズンぶりのリーグ優勝を果たし、レンジャーズの連覇を阻止する。
2000年にイングランドで実績を残していたマーティン・オニールが監督に就任。オニールは就任してすぐにチームに規律をもたらすと、就任1年目の2000-01シーズンに国内3冠を達成。絶対的なエースストライカーとして毎年ゴールを量産したヘンリク・ラーションの大活躍もあってリーグ3連覇を達成。国内での覇権をレンジャーズから取り戻すことに成功する。2003年にはUEFAカップ決勝まで勝ち進むが、ファイナルでジョゼ・モウリーニョ率いるFCポルトに延長戦の末に敗れ、惜しくも準優勝に終わっている。
クラブ復活の立役者となったラーション、オニールがチームを去った2005年にはゴードン・ストラカンが監督に就任。ストラカンは左利きのファンタジスタである中村俊輔をチームの中心とし、2006年から2008年までリーグ3連覇、2006-07シーズンには国内二冠を達成。さらに2006-07、2007-08シーズンには2年連続でUEFAチャンピオンズリーグでノックアウトステージまで進出。特に2006-07シーズンのCLにおいて中村がマンチェスター・ユナイテッドを相手に2試合連続でFKを決めたことは語り草となっている。
2009年にストラカンと中村はチームを去るが、2010年代にレンジャーズが破産申請によって4部まで降格したことにより国内では完全な1強状態が続くようになり、2011-12シーズンから2019-20シーズンまでリーグ9連覇、2016-17シーズンから2019-20シーズンまで4年連続の国内三冠を達成。一方でリーグの魅力が低下したことは否めず、トップレベルの選手がなかなか加入しなくなり、欧州での競争力は著しく低下してしまう。
2020-21シーズンはレンジャーズに敗れリーグ10連覇が阻止されると、横浜F・マリノスの監督だったアンジェ・ポステコグルーを招聘。ポステコグルーは安価で獲得できる日本人選手をチームに積極的に加え、2022-23シーズンは得点王を獲得した古橋亨梧の活躍もあって国内三冠を達成する。ポステコグルーがトッテナム・ホットスパーへ移籍した2023-24シーズンはブレンダン・ロジャースが監督に再任し、リーグ3連覇を達成。2024-25シーズンはCLリーグフェーズで3勝を挙げプレーオフまで進出するが、バイエルン・ミュンヘン相手に善戦しながら敗れている。冬にエースの古橋が移籍するが、前田大然がその穴を補って余りある活躍を見せ、リーグ4連覇及び国内二冠を達成。
| 背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| - | 監督 | ウィルフリード・ナンシー | 1977.4.9 | 2025 | コロンバス・クルー 監督 | |
| 1 | GK | カスパー・シュマイケル | 1986.11.6 | 2024 | アンデルレヒト | |
| 2 | DF | アリスター・ジョンストン | 1998.10.8 | 2023 | CFモントリオール | |
| 3 | DF | グレッグ・テイラー | 1997.11.5 | 2019 | キルマーノック | |
| 4 | DF | ジャフマイ・シンプソン=ピュゼー | 2005.11.4 | 2025 | マンチェスター・シティ | |
| 5 | DF | リアム・スケールズ | 1998.8.8 | 2021 | アバディーン | |
| 6 | DF | オーストン・トラスティ | 1998.8.12 | 2024 | シェフェールド・ユナイテッド | |
| 7 | FW | ジョタ | 1999.3.30 | 2025 | スタッド・レンヌ | |
| 8 | FW | ベンジャミン・ニグレン | 2001.7.8 | 2025 | FCノアシェラン | |
| 10 | FW | ミシェル=アンジェ・バリクウィシャ | 2001.5.10 | 2025 | ロイヤル・アントワープ | |
| 12 | GK | ビジャミ・シニサロ | 2001.10.1 | 2024 | エクセター・シティ | |
| 13 | MF | ヤン・ヒョンジュン | 2002.5.25 | 2023 | 江原FC | |
| 14 | MF | ルーク・マコーワン | 1997.12.9 | 2024 | ダンディ | |
| 17 | FW | ケレチ・イヘアナチョ | 1996.10.3 | 2025 | セビージャFC | |
| 18 | FW | 山田新 | 2000.5.30 | 2025 | 川崎フロンターレ | |
| 19 | MF | カラム・オスマンド | 2005.11.8 | 2025 | フラムFC | |
| 20 | DF | キャメロン・カーター=ヴィッカース | 1997.12.31 | 2021 | AFCボーンマス | |
| 23 | FW | セバスティアン・トゥネクティ | 2002.7.13 | 2025 | ハンマルビーIF | |
| 24 | FW | ジョニー・ケニー | 2003.6.6 | 2025 | シャーロック・ローヴァーズ | |
| 25 | DF | 稲村隼翔 | 2002.5.6 | 2025 | アルビレックス新潟 | |
| 27 | MF | アルネ・エンゲルス | 2003.9.8 | 2024 | アウクスブルク | |
| 28 | MF | パウロ・ベルナルド | 2002.1.24 | 2023 | ベンフィカ | |
| 31 | GK | ロス・ドゥーハン | 1998.3.29 | 2025 | アバディーン | |
| 36 | DF | マルセロ・サラッキ | 1998.4.28 | 2025 | ボカ・ジュニアーズ | |
| 38 | FW | 前田大然 | 1997.10.20 | 2022 | 横浜F・マリノス | |
| 41 | MF | 旗手怜央 | 1997.11.21 | 2022 | 川崎フロンターレ | |
| 42 | MF | カラム・マクレガー(C) | 1993.6.14 | 2009 | ノッツ・カウンティ | |
| 47 | DF | デーン・マレー | 2003.7.26 | 2025 | QPR | |
| 49 | MF | ジェームズ・フォレスト | 1991.7.7 | 2010 | セルティックユース | |
| 56 | DF | アントニー・ラルストン | 1998.11.16 | 2015 | セント・ジョンストン | |
| 63 | DF | キーラン・ティアニー | 1997.7.5 | 2025 | アーセナル |
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最終更新:2025/12/08(月) 09:00
最終更新:2025/12/08(月) 09:00
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