アヤックス・アムステルダム 単語

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アヤックスアムステルダム

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アヤックス・アムステルダムAmsterdamsche Football Club Ajax)とは、オランダエールディヴィジに所属するサッカークラブである。本拠地はオランダ首都でもあるアムステルダムホームスタジアムはヨハン・クライフアレナ(旧名: アムステルダムアレナ)。

AFCアヤックスとも表記される。

概要

ヨーロッパサッカーリーグ
AFCアヤックス
基本情報
創設 1900年
所属リーグ エールディヴィジ
ホームタウン アムステルダム
ホームスタジアム ヨハン・クライフアレ
(67,394人)
クラブカラー
代表者 ヘニー・ヘンリフ
プロサッカークラブテンプレート

1900年に創設。エールディヴィジ優勝28回、UEFAチャンピオンズリーグ(前身大会含む)優勝4回を誇るオランダの名門クラブである。特にヨハン・クライフが活躍した1970年代UEFAチャンピオンズカップUEFAチャンピオンズリーグの前身)3連覇達成は有名であり、ビッグイヤー永久保持が認められている。オランダ三大クラブの一であるが、PSVアイントホーフェンフェイエノールトべてもタイトルの実績は上回っている。

また下部組織運営に力を入れており、アヤックスアカデミーは古くはリヌスミケルス、ウィール・クーバーヨハン・クライフルイス・ファン・ハールなどの長年のプログラムの改善によって現在の形式に至った歴史があり、マルコファンバステンやデニス・ベルカンプヴェスレイ・スナイデルなど有力スター選手を多数輩出している。また世界中に下部組織の支部を持っていることも特徴に挙げられる。その育成力は世界的に見てもトップレベルであり、柔道トレーニングに組み込むなど様々な試みもなされている。特に、1980年代クライフが導入した育成メソッド世界中に大きなを与えるものであり、有名なFCバルセロナの下部組織「カンテラ」もアヤックスの育成システム流としているとされている。

クラブの戦術はプレッシングサッカーとポゼッションフットボール、これにパス&ランとワンタッチプレーを合わせたものであり、これを俗にアヤックススタイルとも呼ばれている。クライフの有名な育成や戦術哲学の数々がクラブの伝統として受け継がれており、毎年のように世界からコーチ監督が視察に訪れる程、アヤックス独自のプログラムは注されている。

エールディヴィジフェイエノールトPSVアイントホーフェンの2クラブとはライバル関係にあり、毎試合熱戦が繰り広げられる。特にフェイエノールトとの伝統の一戦は「デ・クラシケル」と呼ばれており、オランダ最大のダービーマッチとして知られている。両者の関係は「エリート」アムステルダムと「労働者ロッテダムという、の性質の違いによるライバル心が存在し続けており、この2クラブがそれぞれの大都市を代表するようになった時点で必然的にお互いが宿敵となった。
2023年9月24日のデ・クラシケルでは、アヤックスサポーターピッチ花火発炎筒を投げ込み、0―3で負けている後半11分に試合は中止になるという事件が起きている。

歴史

1900年にフロリス・ステンペルカレル・リーザー、ハン・デイデによってアムステルダムに設立。1902年にクラブ名をFCアイウス (Footh-Ball Club Ajax) と名づける。名前の由来はギリシャ神話に登場するアイアースという人物で(Aiasオランダ語Ajaxと読む)、創設者のステンペルがこの人物をとても尊敬している。

1908年、クラブ名をAFCアヤックス (Amsterdamsche Football Club Ajax) に改名。

1910年に初のコーチとしてアイルランド出身のジョンキーワンを迎え、とてもフットボールと呼べる状態ではなかったチーム監督導によって常勝チームにまで押し上げる。1911年にはクラブ史上初となるトップリーグ昇格を果たしている。

1915年にイギリス監督ジャックレイノルズを招聘。レイノルズの独自のトレーニング方法は現在世界有数の育成プログラムの礎となっており、後のトータルフットボールパイオニアの一人と言われている。1917年にはクラブ史上初タイトルとなるKNVBベーカー優勝を果たすと、1918年にはオランダ選手権を初優勝1919年には敗でのリーグ連覇を果たし、強クラブへと成長していく。1930年代には5回の全リーグ優勝を飾っている。

第二次世界大戦後、戦争クラブの最初の黄金期を築き、30年近くクラブを率いたレイノルズが引退したこともあっておよそ10年間タイトル獲得から遠ざかる低迷期を迎える。

1956年オランダ初のプロリーグであるエールディヴィジが創設。創設メンバーとして参加したアヤックスは栄えあるエールディヴィジの初代王者となり、1959-60シーズンには二度リーグ優勝を果たす。

1965年、リヌスミケルスが監督に就任。ミケルスはチームに「トータルフットボール」と呼ばれたポジションに縛られないワイドでスペクタクルな戦術を具現化させることに成功。ヨハン・クライフを筆頭にピートカイザーシャーク・スワルトミケルスの哲学を実現できるタレントも擁しており、アヤックス内のみならず欧州をも制する黄金期を迎える。ミケルス就任当初のアヤックスは降格の危機に直面するほど低迷していたが、就任2年の1965-66シーズンエールディヴィジを制覇。その後、エールディヴィジでは3連覇、1967年1970年には内二冠と圧倒的な成績を残す。トータルフットボールの快進撃はオランダ内のみに留まらず、UEFAチャンピオンズリーグでも上位に進出するようになる。1968-69シーズン決勝でACミランに1-4で敗れたものの、その後にヨハン・ニースケンスやアリー・ハーンなどの若手が台頭。1970-71シーズンの決勝ではパナシナコスを2-0で破り、初の欧州王者の座に君臨する。

ビッグイヤー獲得を最後にミケルスは退任したものの、後任となったシュテファン・コヴァチはミケルスの哲学を継承。クライフ力も脂がのった時期に差し掛かったこともあり、1971-72シーズンリーグカップ戦、チャンピオンズカップトレブル三冠)を達成。さらにこの年のインターコンチネンタルカップも制し、事実上四冠を成し遂げている。1972-73シーズンチャンピオンズカップでも準々決勝でフランツ・ベッケンバウアーゲルト・ミュラーを擁するバイエルン・ミュンヘンを相手に4-0と勝。決勝でもユヴェントスを下し、チャンピオンズカップ三連覇という偉業を成し遂げている。

1973年に二度のバロンドールを受賞するなど黄金期の最大の立役者となったクライフFCバルセロナに移籍。クライフを失ったアヤックスは、その後内でもタイトルが取れない時期が続き、黄金期三度ビッグイヤーを最後に終焉を迎える。それでも、1976-77シーズンエールディヴィジタイトルを取り戻し、1978-79シーズンには二度ダブルを達成している。

1981年12月クライフが9年ぶりに復帰。クライフの加入によって息を吹き返したチームは1981-82、1982-83とエールディヴィジを連覇する。1983年フロントと対立したクライフは宿敵のフェイエノールトに移籍してしまうが、引退後の1985年テクニカルディレクターとして復帰し、アヤックスユース・アカデミーを設立。この頃にはマルコファンバステン、フランクライカルトといった次世代のスターが台頭しており、1986-87シーズンには久々タイトルとなるUEFAカップウィナーズカップ優勝を成し遂げている。

1990年代になると、ルイス・ファン・ハール監督に就任。さらにアカデミーから生まれた傑作デニス・ベルカンプが台頭。1991-92シーズンにはそのベルカンプの活躍によってUEFAカップ優勝を果たしている。1993年ベルカンプチームを去ったものの、エトヴィン・ファン・デル・サールエドガー・ダーヴィッツクラレンス・セードルフ、ヤリ・リトマネンパトリッククライファートらアカデミー出身の有望な若手が次々と台頭。1994-95シーズンエールディヴィジでは優勝を成し遂げると、UEFAチャンピオンズリーグでは決勝で当時世界最強と言われたACミランを破り、4度欧州制覇を達成。この年のトヨタカップでもグレミオFBPAを破り、クラブ世界一の座に就いている。
1995-96シーズンも2年連続でCLファイナルに進出するが、ユヴェントスに敗れている。もっともこの試合に敗れるまでの2年間でCL・19試合連続敗という記録立している。

しかし1990年代後半からいわゆるボスマン判決のが直面するようになり、指揮官ファン・ハールを含めたビッグイヤー獲得時の力のほぼ全員外のクラブへ移籍。さすがにユース育成に「谷間の世代」が生じたことでクラブ2000年代からスカウト網を世界中に広げ、有望な若手外国人選手の発掘に力を入れるようになる。こうして獲得したのがズラタン・イブラヒモビッチやミド、ルイス・スアレスらである。2000年代後半にはラファエルファン・デルファールトやヴェスレイ・スナイデルアカデミーから台頭したが、彼らもまたブレイクすると欧州4大リーグに引き抜かれてしまい、内のタイトル争いではPSVアイントホーフェンの後を拝し、舞台での競争力も失われていた。

2010-11シーズン、成績不振から12月マルティン・ヨル監督が辞任。クラブOBのフランク・デ・ブールが後任となるが、失われつつあったアヤックススタイルを再び取り戻したおかげでチームは見違えるように安定感を増し、最終節での劇的な7シーズンぶりのリーグ優勝を果たす。シーム・デ・ヨングやクリスティアン・エリクセンら若手を抜したデ・ブールの方針が功を奏し、アヤックスクラブ史上初のエールディヴィジ4連覇を達成するなど復活を遂げ、2013-14シーズンには内二冠も果たしている。

2016年、退任したフランク・デ・ブールの後任としてピーターボス監督に就任。宿敵フェイエノールト出身ということもあり、サポーターから反感を買うことも多かったが、2016-17シーズンUEFAヨーロッパリーグでは年齢22歳という若手体のメンバー構成ながらも21年ぶりに欧州ファイナルに辿りつく。決勝でマンチェスター・ユナイテッドに敗れはしたが、このときにいた種は数年後に実ることになるのだった。

2017年エリック・テン・ハグ監督に就任。テン・ハーグはドゥシャン・タディッチを偽の9番に置いて攻撃の全権を任せ、マタイス・デ・リフトフレンキー・デ・ヨング、ドニーファン・デ・ベークら若手をセンターラインに抜し、自らの哲学を実践させるためのチームを作りあげる。すると、5シーズンぶりのリーグ優勝を含む内二冠を達成。さらに、CLでは予備戦から勝ち上がっていき、決勝トーナメントではレアル・マドリードユヴェントスといった強相手に勝利する快進撃を披露。実に23年ぶりのベスト4進出であり、オランダ勢としてもPSV以来14シーズンぶりの快挙となった。結局準決勝でトッテナム・ホットスパーに惜しくも逆転負けを喫したが、このときのCLでの戦いぶりは世界中から称賛されており、予選出場チームベスト4進出は史上初の快挙であった。
テン・ハグ率いるアヤックスは、新型コロナウィルスのために中止となったシーズンを挟み、リーグ3連覇、2020-21シーズンには二度内二冠も達成している。

テン・ハグが去って以降は冠のシーズンが続き、2023-24シーズンは一時は降格圏に沈むほど低迷している。

タイトル

国内タイトル

国際タイトル

現在所属する主な選手

背番号 Pos. 選手名 生年 加入年 前所属
- 監督 フランチェスコ・ファリオーリ 1989.4.10 2024 ニース
1 GK ヘロニモ・ルジ 1992.5.20 2023 ビジャレアル
2 DF フィンレンシュ 2003.1.18 2020 ヨング・アヤックス
3 DF アントン・ガーエイ 2002.11.19 2023 ヴィボー
4 DF ヨレル・ハト 2006.3.7 2022 ヨング・アヤックス
5 DF オーウェン・ワインダル 1999.11.28 2022 アントワープ
6 MF ジョーダン・ヘンダーソン(C) 1990.6.17 2024 アル・イテファク
8 MF ケネト・テイラー 2002.5.16 2020 ヨング・アヤックス
9 FW ブライアン・ブロビー 2002.2.1 2022 ライプツィヒ
10 FW チュパ・アクポム 1995.10.9 2023 PAOK
11 FW ミカ・ゴドツ 2005.6.7 2024 ヨング・アヤックス
12 GK ジェイ・ホルテル 2000.5.30 2021 ヨング・アヤックス
13 DF アフメジャン・カプラン 2003.1.16 2022 トラブゾンスポル
15 DF ユーリバース 2003.3.17 2023 NEC
16 MF ヴェルト・マンズヴェル 2002.5.8 2023 モルデ
18 MF イヴィ・クラーセン 1993.2.21 2024 インテル
19 MF ジュリアン・ライコフ 2005.1.25 2024 ヨング・アヤックス
20 FW ベルトラン・トラオレ 1995.9.6 2024 ビジャレアルCF
21 MF ブランコファン・デン・ボーメン 1995.7.21 2023 トゥールー
22 GK レンコ・パスフィール 1983.11.8 2021 フィテッセ
23 FW ステフェン・ベルイス 1991.12.19 2021 フェイエノールト
24 DF ダニエレ・ルガーニ 1994.7.29 2024 ユヴェントス
25 FW ヴォウト・ヴェグホルスト 1992.8.7 2024 ホッフェンハイム
27 FW アムリショ・ファンアクセルドンヘン 2004.9.29 2021 ヨング・アヤックス
28 MF キアン・フィッツ=シム 2003.7.5 2023 エクセルオール
29 DF クリスティアン・ラスムッセン 2003.1.19 2022 ノアシェラ
30 DF ガストン・アビラ 2001.9.30 2023 アントワープ
33 MF ベンヤミン・タヒロヴィッチ 2003.3.3 2023 ローマ
36 DF ディエス・ヤンセ 2006.1.17 2024 ヨング・アヤックス
37 DF ヨシプ・シュタロ 2000.2.2 2023 ディナモ・ザグレブ
38 MF クリスティアン・フリンソン 2005.3.16 2022 ヨング・アヤックス
40 GK ディアント・ラマ 2001.9.19 2023 フランクフルト

永久欠番

過去に所属した主な選手

歴代監督

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