アヤックス・アムステルダム(Amsterdamsche Football Club Ajax)とは、オランダ・エールディヴィジに所属するサッカークラブである。本拠地はオランダの首都でもあるアムステルダム。ホームスタジアムはヨハン・クライフ・アレナ(旧名: アムステルダム・アレナ)。
AFCアヤックスとも表記される。
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1900年に創設。エールディヴィジ優勝28回、UEFAチャンピオンズリーグ(前身大会含む)優勝4回を誇るオランダ屈指の名門クラブである。特にヨハン・クライフが活躍した1970年代にUEFAチャンピオンズカップ(UEFAチャンピオンズリーグの前身)3連覇達成は有名であり、ビッグイヤーの永久保持が認められている。オランダ三大クラブの一角であるが、PSVアイントホーフェン、フェイエノールトと比べてもタイトルの実績は上回っている。
また下部組織運営に力を入れており、アヤックス・アカデミーは古くはリヌス・ミケルス、ウィール・クーバー、ヨハン・クライフ、ルイス・ファン・ハールなどの長年のプログラムの改善によって現在の形式に至った歴史があり、マルコ・ファン・バステンやデニス・ベルカンプ、ヴェスレイ・スナイデルなど有力スター選手を多数輩出している。また世界中に下部組織の支部を持っていることも特徴に挙げられる。その育成能力は世界的に見てもトップレベルであり、柔道をトレーニングに組み込むなど様々な試みもなされている。特に、1980年代にクライフが導入した育成メソッドは世界中に大きな影響を与えるものであり、有名なFCバルセロナの下部組織「カンテラ」もアヤックスの育成システムを源流としているとされている。
クラブの戦術はプレッシング・サッカーとポゼッションフットボール、これにパス&ランとワンタッチプレーを合わせたものであり、これを俗にアヤックススタイルとも呼ばれている。クライフの有名な育成や戦術哲学の数々がクラブの伝統として受け継がれており、毎年のように世界各国からコーチや監督が視察に訪れる程、アヤックス独自のプログラムは注目されている。
エールディヴィジのフェイエノールトとPSVアイントホーフェンの2クラブとはライバル関係にあり、毎試合熱戦が繰り広げられる。特にフェイエノールトとの伝統の一戦は「デ・クラシケル」と呼ばれており、オランダ最大のダービーマッチとして知られている。両者の関係は「エリートの街」アムステルダムと「労働者の街」ロッテルダムという、街の性質の違いによるライバル心が存在し続けており、この2クラブがそれぞれの大都市を代表するようになった時点で必然的にお互いが宿敵となった。
2023年9月24日のデ・クラシケルでは、アヤックスのサポーターがピッチに花火や発炎筒を投げ込み、0―3で負けている後半11分に試合は中止になるという事件が起きている。
1900年にフロリス・ステンペル、カレル・リーザー、ハン・デイデによってアムステルダムに設立。1902年にクラブ名をFCアイウス (Footh-Ball Club Ajax) と名づける。名前の由来はギリシャ神話に登場するアイアースという人物で(Aiasをオランダ語でAjaxと読む)、創設者のステンペルがこの人物をとても尊敬している。
1908年、クラブ名をAFCアヤックス (Amsterdamsche Football Club Ajax) に改名。
1910年に初のコーチとしてアイルランド出身のジョン・キーワンを迎え、とてもフットボールと呼べる状態ではなかったチームを監督の指導によって常勝チームにまで押し上げる。1911年にはクラブ史上初となるトップリーグ昇格を果たしている。
1915年にイギリス人監督のジャック・レイノルズを招聘。レイノルズの独自のトレーニング方法は現在の世界有数の育成プログラムの礎となっており、後のトータル・フットボールのパイオニアの一人と言われている。1917年にはクラブ史上初タイトルとなるKNVBベーカー優勝を果たすと、1918年にはオランダ全国選手権を初優勝。1919年には無敗でのリーグ連覇を果たし、強豪クラブへと成長していく。1930年代には5回の全国リーグ優勝を飾っている。
第二次世界大戦後、戦争の影響とクラブの最初の黄金期を築き、30年近くクラブを率いたレイノルズが引退したこともあっておよそ10年間タイトル獲得から遠ざかる低迷期を迎える。
1956年にオランダ初のプロリーグであるエールディヴィジが創設。創設メンバーとして参加したアヤックスは栄えあるエールディヴィジの初代王者となり、1959-60シーズンには二度目のリーグ優勝を果たす。
1965年、リヌス・ミケルスが監督に就任。ミケルスはチームに「トータル・フットボール」と呼ばれたポジションに縛られないワイドでスペクタクルな戦術を具現化させることに成功。ヨハン・クライフを筆頭にピート・カイザー、シャーク・スワルトらミケルスの哲学を実現できるタレントも擁しており、アヤックスは国内のみならず欧州をも制する黄金期を迎える。ミケルス就任当初のアヤックスは降格の危機に直面するほど低迷していたが、就任2年目の1965-66シーズンにエールディヴィジを制覇。その後、エールディヴィジでは3連覇、1967年と1970年には国内二冠と圧倒的な成績を残す。トータル・フットボールの快進撃はオランダ国内のみに留まらず、UEFAチャンピオンズリーグでも上位に進出するようになる。1968-69シーズン決勝でACミランに1-4で敗れたものの、その後にヨハン・ニースケンスやアリー・ハーンなどの若手が台頭。1970-71シーズンの決勝ではパナシナイコスを2-0で破り、初の欧州王者の座に君臨する。
ビッグイヤー獲得を最後にミケルスは退任したものの、後任となったシュテファン・コヴァチはミケルスの哲学を継承。クライフら主力も脂がのった時期に差し掛かったこともあり、1971-72シーズンは国内リーグ、カップ戦、チャンピオンズカップのトレブル(三冠)を達成。さらにこの年のインターコンチネンタルカップも制し、事実上四冠を成し遂げている。1972-73シーズンもチャンピオンズカップでも準々決勝でフランツ・ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラーを擁するバイエルン・ミュンヘンを相手に4-0と完勝。決勝でもユヴェントスを下し、チャンピオンズカップ三連覇という偉業を成し遂げている。
1973年夏に二度のバロンドールを受賞するなど黄金期の最大の立役者となったクライフがFCバルセロナに移籍。クライフを失ったアヤックスは、その後国内でもタイトルが取れない時期が続き、黄金期は三度目のビッグイヤーを最後に終焉を迎える。それでも、1976-77シーズンにエールディヴィジのタイトルを取り戻し、1978-79シーズンには二度目の国内ダブルを達成している。
1981年12月にクライフが9年ぶりに復帰。クライフの加入によって息を吹き返したチームは1981-82、1982-83とエールディヴィジを連覇する。1983年にフロントと対立したクライフは宿敵のフェイエノールトに移籍してしまうが、引退後の1985年にテクニカル・ディレクターとして復帰し、アヤックス・ユース・アカデミーを設立。この頃にはマルコ・ファンバステン、フランク・ライカールトといった次世代のスターが台頭しており、1986-87シーズンには久々の国際タイトルとなるUEFAカップウィナーズカップ優勝を成し遂げている。
1990年代になると、ルイス・ファン・ハールが監督に就任。さらにアカデミーから生まれた傑作デニス・ベルカンプが台頭。1991-92シーズンにはそのベルカンプの活躍によってUEFAカップ優勝を果たしている。1993年にベルカンプはチームを去ったものの、エトヴィン・ファン・デル・サール、エドガー・ダーヴィッツ、クラレンス・セードルフ、ヤリ・リトマネン、パトリック・クライファートらアカデミー出身の有望な若手が次々と台頭。1994-95シーズンのエールディヴィジでは無敗優勝を成し遂げると、UEFAチャンピオンズリーグでは決勝で当時世界最強と言われたACミランを破り、4度目の欧州制覇を達成。この年のトヨタカップでもグレミオFBPAを破り、クラブ世界一の座に就いている。
1995-96シーズンも2年連続でCLファイナルに進出するが、ユヴェントスに敗れている。もっともこの試合に敗れるまでの2年間でCL・19試合連続無敗という記録を樹立している。
しかし1990年代後半からいわゆるボスマン判決の影響が直面するようになり、指揮官のファン・ハールを含めたビッグイヤー獲得時の主力のほぼ全員が国外のクラブへ移籍。さすがにユース育成に「谷間の世代」が生じたことでクラブは2000年代からスカウト網を世界中に広げ、有望な若手外国人選手の発掘に力を入れるようになる。こうして獲得したのがズラタン・イブラヒモビッチやミド、ルイス・スアレスらである。2000年代後半にはラファエル・ファン・デルファールトやヴェスレイ・スナイデルがアカデミーから台頭したが、彼らもまたブレイクすると欧州4大リーグに引き抜かれてしまい、国内のタイトル争いではPSVアイントホーフェンの後塵を拝し、国際舞台での競争力も失われていた。
2010-11シーズン、成績不振から12月にマルティン・ヨル監督が辞任。クラブOBのフランク・デ・ブールが後任となるが、失われつつあったアヤックススタイルを再び取り戻したおかげでチームは見違えるように安定感を増し、最終節での劇的な7シーズンぶりのリーグ優勝を果たす。シーム・デ・ヨングやクリスティアン・エリクセンら若手を抜擢したデ・ブールの方針が功を奏し、アヤックスはクラブ史上初のエールディヴィジ4連覇を達成するなど復活を遂げ、2013-14シーズンには国内二冠も果たしている。
2016年、退任したフランク・デ・ブールの後任としてピーター・ボスが監督に就任。宿敵フェイエノールト出身ということもあり、サポーターから反感を買うことも多かったが、2016-17シーズンのUEFAヨーロッパリーグでは平均年齢22歳という若手主体のメンバー構成ながらも21年ぶりに欧州のファイナルに辿りつく。決勝でマンチェスター・ユナイテッドに敗れはしたが、このときに蒔いた種は数年後に実ることになるのだった。
2017年にエリック・テン・ハグが監督に就任。テン・ハーグはドゥシャン・タディッチを偽の9番に置いて攻撃の全権を任せ、マタイス・デ・リフト、フレンキー・デ・ヨング、ドニー・ファン・デ・ベークら若手をセンターラインに抜擢し、自らの哲学を実践させるためのチームを作りあげる。すると、5シーズンぶりのリーグ優勝を含む国内二冠を達成。さらに、CLでは予備戦から勝ち上がっていき、決勝トーナメントではレアル・マドリード、ユヴェントスといった強豪相手に勝利する快進撃を披露。実に23年ぶりのベスト4進出であり、オランダ勢としてもPSV以来14シーズンぶりの快挙となった。結局準決勝でトッテナム・ホットスパーに惜しくも逆転負けを喫したが、このときのCLでの戦いぶりは世界中から称賛されており、予選出場チームのベスト4進出は史上初の快挙であった。
テン・ハグ率いるアヤックスは、新型コロナウィルスのために中止となったシーズンを挟み、リーグ3連覇、2020-21シーズンには二度目の国内二冠も達成している。
テン・ハグが去って以降は無冠のシーズンが続き、2023-24シーズンは一時は降格圏に沈むほど低迷している。
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
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- | 監督 | フランチェスコ・ファリオーリ | 1989.4.10 | 2024 | ニース | |
1 | GK | ヘロニモ・ルジ | 1992.5.20 | 2023 | ビジャレアル | |
2 | DF | デフィン・レンシュ | 2003.1.18 | 2020 | ヨング・アヤックス | |
3 | DF | アントン・ガーエイ | 2002.11.19 | 2023 | ヴィボー | |
4 | DF | ヨレル・ハト | 2006.3.7 | 2022 | ヨング・アヤックス | |
5 | DF | オーウェン・ワインダル | 1999.11.28 | 2022 | アントワープ | |
6 | MF | ジョーダン・ヘンダーソン(C) | 1990.6.17 | 2024 | アル・イテファク | |
8 | MF | ケネト・テイラー | 2002.5.16 | 2020 | ヨング・アヤックス | |
9 | FW | ブライアン・ブロビー | 2002.2.1 | 2022 | ライプツィヒ | |
10 | FW | チュパ・アクポム | 1995.10.9 | 2023 | PAOK | |
11 | FW | ミカ・ゴドツ | 2005.6.7 | 2024 | ヨング・アヤックス | |
12 | GK | ジェイ・ホルテル | 2000.5.30 | 2021 | ヨング・アヤックス | |
13 | DF | アフメジャン・カプラン | 2003.1.16 | 2022 | トラブゾンスポル | |
15 | DF | ユーリ・バース | 2003.3.17 | 2023 | NEC | |
16 | MF | シヴェルト・マンズヴェルク | 2002.5.8 | 2023 | モルデ | |
18 | MF | デイヴィ・クラーセン | 1993.2.21 | 2024 | インテル | |
19 | MF | ジュリアン・ライコフ | 2005.1.25 | 2024 | ヨング・アヤックス | |
20 | FW | ベルトラン・トラオレ | 1995.9.6 | 2024 | ビジャレアルCF | |
21 | MF | ブランコ・ファン・デン・ボーメン | 1995.7.21 | 2023 | トゥールーズ | |
22 | GK | レンコ・パスフィール | 1983.11.8 | 2021 | フィテッセ | |
23 | FW | ステフェン・ベルハイス | 1991.12.19 | 2021 | フェイエノールト | |
24 | DF | ダニエレ・ルガーニ | 1994.7.29 | 2024 | ユヴェントス | |
25 | FW | ヴォウト・ヴェグホルスト | 1992.8.7 | 2024 | ホッフェンハイム | |
27 | FW | アムリショ・ファン・アクセル・ドンヘン | 2004.9.29 | 2021 | ヨング・アヤックス | |
28 | MF | キアン・フィッツ=シム | 2003.7.5 | 2023 | エクセルシオール | |
29 | DF | クリスティアン・ラスムッセン | 2003.1.19 | 2022 | ノアシェラン | |
30 | DF | ガストン・アビラ | 2001.9.30 | 2023 | アントワープ | |
33 | MF | ベンヤミン・タヒロヴィッチ | 2003.3.3 | 2023 | ローマ | |
36 | DF | ディエス・ヤンセ | 2006.1.17 | 2024 | ヨング・アヤックス | |
37 | DF | ヨシプ・シュタロ | 2000.2.2 | 2023 | ディナモ・ザグレブ | |
38 | MF | クリスティアン・フリンソン | 2005.3.16 | 2022 | ヨング・アヤックス | |
40 | GK | ディアント・ラマイ | 2001.9.19 | 2023 | フランクフルト |
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掲示板
1 ななしのよっしん
2017/05/19(金) 00:03:32 ID: oGJ1R45plq
EL決勝までいったけど、相手がモウリーニョマンU・・・
はぁ・・・
2 ななしのよっしん
2022/06/12(日) 00:56:47 ID: jKO3DApsIn
支配階級を中心にファンも多いがアンチも多いクラブ。「アヤックスはエリートのクラブで、それ以外は民衆のクラブ」という言い方をされることもある。
国内では際立った存在で、フェイエノールトやPSVからも選手を高額の移籍金でぶっこ抜くこともある。アヤックスから国外のビッグクラブに行く選手も他クラブからアヤックスに引き抜かれた選手も多いから、「育成上手い」と言っても日本人のイメージするいわゆる育成クラブとは違うのかもしれない。
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最終更新:2024/12/27(金) 20:00
最終更新:2024/12/27(金) 20:00
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