ライブリマウント 単語

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ライブリマウント

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ライブリマウントとは、1991年生まれの日本競走馬

地方競馬との交流が活発化した「交流元年」において、中央のエース格としてダート界を牽引した。
地方から中央へ攻勢を仕掛けたライデンリーダーと並ぶ交流元年の徴。
また、日本として初めてドバイへ遠征した。ホクトベガが最初じゃないよ。
名前冠名の「ライブリ(Lively)」+グリーンマウント名前の一部から。

な勝ち
1994年:ウインターステークス(GIII)
1995年:フェブラリーステークス(GII)、平安ステークス(GIII)、帝王賞(地方重賞)、ブリーダーズゴールドカップ(地方重賞)、マイルチャンピオンシップ南部杯(地方重賞)

1995年JRA賞最優秀ダートホースNARグランプリ特別表

血統・若駒時代

グリーンマウントシナノカチドキ、ファーザーズイメージという血統。

グリーンマウントリファール産駒。スワーヴダンサーエイシンプレストンを輩出した名種牡馬グリーンダンサーの半である。シナノカチドキは地方競馬で10勝を挙げている。
のファーザーズイメージ競走馬としては微妙だったが種牡馬としてハワイアンイメージを輩出。として優秀で、本の他スダホークライフタテヤマなど、どことなく重厚な印。実はサンデーサイレンス親父ヘイロー兄貴ノーザンダンサーのいとこという良血だったりする。

1993年11月デビューし、京都ダート1400mの新馬戦を後続に10身付け圧勝。この時上を勤めた石橋が以後戦を勤めた。500万条件を2度惜敗の後勝利するが、出られる番組がない。というわけで芝を3戦したが、芝1400mの葵Sを6着が最高。
になり出られるダート番組が出来た。9月シーサイドオープンまで5戦し1勝、2着3回と好走する。
ここまでは、よく走るダートでしかなかったのだが...

交流元年の魔王

2ヶ半ほど間隔をけ、準オープンである園Sを勝利して以降、何か吹っ切れたように快進撃が進む。
年末のウインターS勝利重賞勝利を飾り、「交流元年」こと1995年を迎えた。
この年にダート路線が一気に拡充。中央が出られる交流競走、中央のダートレース増。
の中央にて平安SフェブラリーSを連勝し、トーヨーリファールミスターウジンを撃破。
中央ダートエースとして、今度は地方へと向かう。

手始めに4月に開催されていた帝王賞にて、南関東の雄アマゾンオペラを破り、地方競馬メッカ大井競馬場にて凱歌を高らかに上げた。このレースツインターボが控えて大敗したのは内緒。
続いて旭川ブリーダーズゴールドカップ勝利
水沢南部杯にて岩手魔王ことトウケイニセイを破り堂々と交流重賞3連勝。

1995年の暮れ頃になると、その時GIを複数勝ったはいなかったので、暮れの大一番たる東京大賞典の結果次第では年度代表馬が十分にあった。1番人気東京大賞典本番を迎えたが、当時の東京大賞典大井ダート2800m2000mになるのは1998年からである。流石距離が長かったか4着に敗れ、菊花賞マヤノトップガン有馬記念を制したことから年度代表馬の話は流れた。
しかし1995年は6戦5勝、94年の園Sから7連勝を飾り、最優秀ダートホースとなったのは当然。

翌96年には新設されるドバイワールドカップへの参戦を見据え、川崎記念に出走。相手にホクトベガとかいうヤバイがいたが、更に東海地区の名ライフアサヒにも負け3着。
予定通りにドバイへ遠征したが、ホクトベガ以上にヤバイシガーがいた。全く相手にならず後の日本定位置たる6着に敗れる。しかし、当時ドバイ遠征したも人も少ない事を考えるとむしろライブリマウントはよくやった方だろう。
ただ、帰してから芝の札幌記念とか、交流競走を出てみたが著しく精細を欠く。翌97年の帝王賞11着を最後に引退する事となった。

通算成績は31戦10勝。戦の石橋守はそのうち27戦9勝を努め、ドバイでも手綱を握った。
中央地方の交流競走を荒らす光景は今ではお染みとなったが、それを初めてやったのはライブリマウントであり、ホクトベガとともに交流初期を代表する優駿であった。少し後にメイセイオペラが一矢報いたが、ライブリマウントと闘を繰り広げたアマゾンオペラと同であるのが面い。

引退後は1998年から種牡馬入り。初年度からミドリオトメが高知優駿を、ホクザンフィールド園田で活躍していたがそれくらいで、2003年シーズンを最後に引退し乗となった。
すると、2年産駒であるミツアキタービンダイオライト記念オグリキャップ記念を連勝するなど活躍し、ミツアキオーナーのプライベート種牡馬だが血を残すことに成功した。芝で走るもいたし、もうちょっとを据えて種牡馬生活を送れば面かったかも。こればっかりは仕方ないか。

種牡馬引退後には北海道で乗になり、2012年開された映画、「のぼうの城」にもシゲルホームランセイユウ記念を三連覇したアングロアラブの名)と共に参加している。もっとも沢山が集まったせいかどこに映ってるか分からないらしい。

23歳に乗引退した後は、功労となって余生を送った。馬主加藤氏はライブリマウントを所有し続けて、年一回は会いに行っていたという。その後2022年8月に死去、31歳の大往生であった。中央交流明期の立役者は、2024年に訪れるダート3歳三冠競走を中心とした新時代のダート界をから見守っていく事だろう。

血統表

*グリーンマウント
Green Mount
1983 栗毛
Lyphard
1969 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Goofed Court Martial
Barra
Green Valley
1967 黒鹿毛
Val de Loir Vieux Manoir
Vali
Sly Pola Spy Song
Ampola
シナノカチドキ
1975 鹿毛
FNo.6-a
*ファーザーズイメージ
1963 栗毛
Swaps Khaled
Iron Reward
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
シナノイス
1968 芦毛
*グレイモナーク Grey Sovereign
White Lodge
シナノクイン シマタカ
ペツトネーシヨン
競走馬の4代血統表

クロスAlmahmoud 5×4(9.38%)

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ライブリの馬主さんは大阪で設備施工会社を経営してるらしい。

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