第一駆逐隊 単語

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第一駆逐隊(だいいちくちくたい)とは、旧大日本帝国海軍部隊の一つ。初代以降は横須賀鎮守府に所属する1番駆逐隊である。日露戦争時のほかに歴代は3度編成されており、三代目以外は転属による番号変更を繰り返している。

 第一駆逐隊(日露戦争)

所属駆逐艦

艦名 転入・転出・損失
駆逐艦 [I] 日本海戦前に転出
駆逐艦 朝潮 [I] 日本海戦前に転出
駆逐艦 [I] 日本海戦前に転出
駆逐艦 [I] 1904年明治37年5月17日沈没
春雨駆逐艦 春雨 [I] 日本海戦前に編入
春雨駆逐艦 吹雪 [I] 日本海戦前に編入
春雨駆逐艦 [I] 日本海戦前に編入
山彦駆逐艦 [II] (山彦 日本海戦前に編入
春雨駆逐艦 有明 [I] 日本海戦後に編入

概要

日露戦争時の第一駆逐隊は、第二・第三駆逐隊らと共に連合艦隊第一艦隊に所属し、日本海戦などに参加した。

開戦時は日本海軍初の駆逐艦である東雲の改良ともいえる2隻と、東雲と同じく日本海軍初の駆逐艦とされる雷の改良である2隻で構成された、新鋭の駆逐艦による部隊であった。開戦時の駆逐艦である。しかし、1904年5月の旅順港閉塞作戦中、老山南東駆逐艦の初代が触雷沈没してしまう。

その後再編により、朝潮第四駆逐隊に、を第三駆逐隊に転出。変わりに第四駆逐隊から春雨を、工した吹雪を相次いで編入したため、日本海戦時には当時最新鋭となる初の駆逐艦春雨3隻と、後述するロシア鹵獲艦である山彦1隻での編成となった。日本海戦時の駆逐艦春雨である。

1904年8月、山東省の芝において、ロシア海軍のソーコル級雷艇駆逐艦シーテリヌイ(Решительный)が降したため、これを捕獲して整備し、日本海軍へ編入した。前述の駆逐艦の初代沈没ロシア側には気づかれていないと判断されたため、レシーテリヌイをと命名し、初代沈没したことと、ロシア駆逐艦を使用していることを悟られないように欺瞞した。

二代日本海戦において、見たからロシア側のものと誤認させ、敵の前方に連繋機雷(一号機雷)を撒く作戦が立案されたものの、悪のため実行はされなかった。終戦後、初代の除籍と同時に山彦と改名された。

1905年明治38年12月12日の新編成では、吹雪有明は第一駆逐隊に、春雨山彦は第三駆逐隊に編入された。よって以降はそれぞれの駆逐隊の項を参照。

駆逐隊司令

時期 役職 名前 備考
開戦時 浅井次郎大佐兵7期)
日本海戦時 藤本四郎大佐兵11期)

年表

日付 出来事
1901年明治34年 12月14日 イギリス・ヤーロー社にて [I] 工。)
1902年明治35年 2月13日 イギリス・ソーニクロフト社にて工。)
2月14日 イギリス・ヤーロー社にて工。)
5月4日 イギリス・ソーニクロフト社にて朝潮工。)
5月7日 [I] が横須賀に到着。)
5月30日 に到着。)
6月15日 横須賀に到着。)
11月20日 朝潮横須賀に到着。)
1903年明治36年 6月14日 (レシーテリヌィ就役。)
6月26日 横須賀にて春雨工。)
12月28日 常備艦隊を分割し、大本営揮下に二代連合艦隊
および第一艦隊を新編(旗艦:戦艦三笠)。
雲、、暁 [I] で第一駆逐隊を新編?
1904年明治37年 2月8日 日露戦争開戦。)
5月17日 [I] 触雷沈没
8月12日 (降した露駆逐艦シーテリヌィを捕獲。)
1905年明治38年 1月17日 (レシーテリヌィの整備を了し、 [II] と命名。)
2月28日 海軍にて吹雪工。)
5月10日 海軍にて工。)
5月27日
〜28日
春雨吹雪 [II] の第一駆逐隊で日本海戦に参加。
6月1日 [I] 喪失表。
6月14日 第一艦隊を再編成(旗艦:戦艦三笠)。
7月30日 横須賀にて有明工。)
9月5日 日露戦争終戦。)
10月19日 [I] 除籍。 [II] を山彦と改名。)

 第一駆逐隊 [I] →第四駆逐隊 [II] →第七駆逐隊 [II]

1905年明治38年12月12日1917年大正6年3月31日(〜1919年大正8年12月1日

所属駆逐艦

艦名 転入・転出・損失
春雨駆逐艦 有明 [I]
春雨駆逐艦 吹雪 [I]
春雨駆逐艦 [I] 1917年大正6年4月1日転出
神風型駆逐艦 [I] 弥生 [I] 1917年大正6年4月1日転出

概要

初代第一駆逐隊は横須賀鎮守府所属で、春雨3隻と、準同艦である初代神風型1隻により編成された。神風型が混ざっているのは春雨が全7隻であったため。日露戦争終戦時に第一駆逐隊であった3隻を基に編成されているが、日本海戦時に駆逐艦であった春雨は第三駆逐隊に移っている。

新編時は最新鋭の駆逐艦による部隊として第一艦隊に所属し、第一次世界大戦時の対独臨戦編制では第二・第十六・第十七駆逐隊と共に第一水雷戦隊に所属した。

最後の2年は有明吹雪の2隻だけとなり、最初の年は大要港部にて二代第四駆逐隊となる。翌年横鎮へ帰り二代第七駆逐隊と改称され、1919年に三等駆逐艦整理のため第八駆逐隊に編入され消滅した。

駆逐隊司令

時期 役職 名前 備考
1905年明治38年12月12日 - 不詳
1908年明治41年11月20日 永田次郎中佐兵15期) 12月10日より兼第二駆逐隊
1909年明治42年5月25日 - 不詳
1912年大正元年12月1日 大内田盛繁中佐兵21期)
1914年大正3年12月1日 - 不詳
1914年大正3年8月18日 長沢太郎中佐兵26期)

年表

日付 出来事
1905年明治38年 9月23日 横須賀海軍にて弥生工。)
12月12日 有明吹雪弥生で第一駆逐隊を新編。
12月20日 二代連合艦隊解隊により、
部指揮下に第一艦隊を再編成(旗艦:戦艦富士)。
1906年明治39年 6月1日 第一艦隊(旗艦:装甲巡洋艦日進)。
1912年大正元年 8月28日 三等駆逐艦に類別。
1914年大正3年 8月18日 第一艦隊(旗艦:戦艦摂津)配下に
第一水雷戦隊を新編(旗艦:防護巡洋艦音羽)。
8月23日 日本第一次世界大戦に参戦。)
1915年大正4年 12月13日 第一艦隊(旗艦:戦艦扶桑第一水雷戦隊(旗艦:装甲巡洋艦日進)。
1916年大正5年 12月1日 横須賀鎮守府予備艦?
1917年大正6年 4月1日 要港部部隊となり?第四駆逐隊と改称。
霰は第九駆隊、生は第十四駆逐隊に編入。
1918年大正7年 4月1日 第七駆逐隊と改称。横須賀鎮守府予備艦?
11月11日 第一次世界大戦終戦。)
1919年大正8年 12月1日 解隊。有明吹雪第八駆逐隊に編入。
1924年大正13年 4月1日 が除籍。)
12月1日 有明吹雪弥生が除籍。弥生は雑役に編入。)
1925年大正14年 4月10日 有明認許。)
11月12日 有明が内務省に移管、東京水上警察署取締となる。)
1926年大正15年 5月-- 吹雪処分となり解体。)
8月10日 弥生。豊後沖島で、標的として撃沈処分。)

 第一駆逐隊 [II] →第三十三駆逐隊→第十八駆逐隊 [II]

1917年大正6年4月1日1920年大正9年10月12日(〜1935年昭和10年4月1日

所属駆逐艦

艦名 転入・転出・損失
磯風駆逐艦 磯風 [I]
磯風駆逐艦 浜風 [I]
磯風駆逐艦 天津風 [I]
磯風駆逐艦 [I] 時津風 [I] 1918年大正7年3月25日沈没
1920年(大9年)2月17日代艦編入

概要

二代第一駆逐隊は横須賀鎮守府所属で、磯風の一等駆逐艦全4隻で編成され、最新鋭の駆逐艦として最初から二戦に配属された。しかしわずか1年後、宮崎県の折生迫海岸時津風が座礁大破し、3隻編成となってしまう。

結局、時津風は兵装と備品をはずし放棄され、その兵装と備品を使用して代艦が建造された。新造なので実際には別の艦だが、名上は大規模修理とされ同一の艦として扱われた。そのため二代はあくまでも陽炎型駆逐艦時津風である。

また、八丈島東方域での大演習時には、駆逐艦浜風の艦が波浪により圧壊し、が殉職している。

その後、新生時が合流するも、8ヶ後に二戦の任を解かれ、3年間の横鎮生活から舞鎮へ転出し、一代限りの第三十三駆逐隊を名乗る。2年後、鎮へ転出して二代第十八駆逐隊となって残りの13年を過ごし、全艦退役により解散となった。

駆逐隊司令

時期 役職 名前 備考
1917年大正6年4月1日 中佐兵26期)
1917年大正6年11月14日 堅蔵中佐兵26期) 第十七駆逐隊
12月1日より大
1918年大正7年6月19日 - 不詳
1918年大正7年12月1日 中佐兵28期) 1919年大正8年11月20日殉職
1919年大正8年11月20日 心得 高橋中佐兵28期) 12月1日大佐進級と同時に
1920年大正9年8月23日 - 不詳
1924年大正13年12月1日 田尻敏郎(兵33期)
1925年大正14年12月1日 小籏巍(兵33期)
1927年昭和2年11月15日 - 不詳
1930年昭和5年11月20日 吉田兵36期)
1931年昭和6年4月10日 - 不詳

年表

日付 出来事
1914年大正3年 8月23日 日本第一次世界大戦に参戦。)
1917年大正6年 2月28日 海軍にて磯風川崎所にて時津風工。
3月28日 三菱長崎所にて浜風工。
4月1日 磯風浜風天津風時津風で第二艦隊(旗艦:巡洋戦艦榛名
第二水雷戦隊(旗艦:装甲巡洋艦吾妻)配下に第一駆逐隊を新編。
4月14日 海軍にて天津風工し、編成完成
12月1日 第二艦隊(旗艦:巡洋戦艦金剛第二水雷戦隊(旗艦:装甲巡洋艦吾妻)。
1918年大正7年 3月25日 時津風が座礁大破、放棄。
11月11日 第一次世界大戦終戦。)
12月1日 第二艦隊(旗艦:巡洋戦艦榛名第二水雷戦隊(旗艦:装甲巡洋艦戸)。
1919年大正8年 11月20日 演習中、艦圧壊事故によりが殉職、高橋心得就任。
12月1日 第二艦隊(旗艦:巡洋戦艦榛名第二水雷戦隊(旗艦:軽巡洋艦天龍)。
1920年大正9年 2月17日 工した時津風代艦を編入。
10月13日 舞鶴鎮守府籍(予備艦?)となり第三十三駆逐隊と改称。
1922年大正11年 ---- 呉鎮守府籍となり第十八駆逐隊と改称。
1935年昭和10年 4月1日 解隊。全艦除籍。

 第一駆逐隊 [III]

1922年大正11年7月31日1945年昭和20年8月26日

所属駆逐艦

艦名 転入・転出・損失
駆逐艦 1945年昭和20年2月20日沈没
駆逐艦 1945年昭和20年2月5日転出
駆逐艦 1943年昭和18年12月18日沈没
神風型駆逐艦 [II] [II]
駆逐艦 1945年昭和20年2月15日転入
駆逐艦 朝顔 1945年昭和20年2月15日転入

概要

三代目横須賀鎮守府所属で、峯の後期である改峯(野)の全艦である3隻と、準同艦である二代神風型1隻によって編成された。当初は最新鋭の駆逐艦として二戦所属であったが、その後は大要港部所属となり北方漁場保護活動のための警備駆逐隊として、長らく漁場監視を勤めた。

日中戦争では華北中の沿作戦に参加。太平洋戦争開戦時は大要港部所属のまま、に本土周辺の警備や北方方面の団護衛任務に従事するようになった。ただし、護衛任務を受け持つ上護衛総部などが設立されたときも所属することはなく、最終的には連合艦隊付属となった。

戦況が悪化してくると順次南方戦線に転換され、まず駆逐艦であった沼沖縄潜水艦グレイバックの雷撃により戦し、渡辺が戦死。翌年には波択捉島南方潜水艦シールの雷撃を受け大破。舞修理を行うと同時に回天搭載艦へ改造され、連合艦隊付属に転出。以後、回天の訓練のため瀬戸内海で活動し、第一駆逐隊に復帰することはなかった。

残った野と神1945年昭和20年)に南方進出が命じられ、1月10日、大を出港。南方に向かう最後の団の護衛に就く。2月11日台湾・基を出港しシンガポールに向かうが、野印カムラン湾で潜水艦パーゴの雷撃により戦。一方で1月15日に解隊した第三十駆逐隊よりを、第一護衛艦隊より朝顔を編入するが、燃料不足のため瀬戸内海を動くことはできず、南方にいる野・神と合流することはなかった。そのため神は第五戦隊附属として単艦で戦い続けるが、重巡洋艦羽黒足柄を相次いで失ったため第五戦隊も解隊。シンガポールにいる高雄妙高も大破していたため、6月以降現地で行動であった艦は神ただ1隻であった。

終戦時には神シンガポールにて、朝顔にて、また転出した波前線に復帰することなくにて残存していた。しかし、終戦のわずか7日後、98回の護衛活動を事生き抜いた朝顔関門海峡六連灯台で触雷し大破着底。1947年昭和22年)から1948年昭和23年)にかけて日本サルヴェージにより浮揚解体された。

・波は特別輸送艦定を受け復員輸送に従事する。南方戦線をほぼ傷で生き抜いた神1946年昭和21年6月4日に御前崎にて座礁した海防艦後を救出作業中に、自らも座礁。1947年に解体された。事復員輸送を終え解体。体は福島県・小名一号埠頭先端の防防波として埋設された。波は特別保管艦(賠償艦)に定されて中華民国に引き渡され、中華民国海軍に編入後「瀋陽」(シェンヤン) と改名。1960年昭和35年)に退役、除籍され解体となった。

駆逐隊司令

時期 役職 名前 備考
1922年大正11年7月31日 岡本郁男中佐兵30期) 第五駆逐隊
1922年大正11年9月1日 竹内大佐兵30期)
1923年大正12年5月10日 市村久雄中佐兵31期)
1923年大正12年12月1日 後藤大佐兵31期)
1924年大正13年12月1日 岩村兼言大佐兵31期)
1925年大正14年12月1日 - 不詳
1926年大正15年12月1日 田尻敏郎大佐兵33期) 1927年昭和2年5月1日より9月15日まで兼第三駆逐隊
1928年昭和3年1月15日 石川四郎大佐兵33期)
1928年昭和3年12月10日 - 不詳
1929年昭和4年11月30日 石戸勇三中佐兵36期)
1931年昭和6年1月31日 原顕三郎中佐兵37期)
1931年昭和6年10月31日 阿部中佐兵39期)
1932年昭和7年12月1日 小林大佐兵38期) 1933年昭和8年4月1日より5月19日まで兼神艦長
1934年昭和9年11月1日 高間中佐兵41期)
1935年昭和10年11月15日 - 不詳
1936年昭和11年11月16日 橋本中佐兵43期)
1937年昭和12年12月1日 中川中佐兵42期)
1938年昭和13年10月3日 杉本雄大佐(兵41期)
1938年昭和13年11月15日 - 不詳
1939年昭和14年10月20日 荒木中佐兵45期) 11月15日より大佐
1940年昭和15年11月15日 貝塚武男大佐兵46期)
1941年昭和16年10月10日 香川清登中佐兵46期) 10月15日より大佐
1943年昭和18年5月1日 脇田一郎大佐兵48期) 5月17日より6月1日まで兼沼艦長
1943年昭和18年8月20日 渡辺保正大佐兵49期) 12月18日戦死
1943年昭和18年12月20日 春日少佐兵59期) 兼神艦長

年表

日付 出来事
1921年大正10年 7月29日 (舞海軍にて工。横須賀鎮守府籍に編入。)
1922年大正11年 3月31日 (舞海軍にて野工。横須賀鎮守府籍に編入。)
7月31日 海軍にて沼工。野、沼で第一駆逐隊を新編。
9月30日 石川所にて第十駆逐艦工。)
11月11日 海軍にて波工。
11月15日 を編入。
12月1日 揮下に三代目連合艦隊を新編(旗艦:戦艦長門)。
第二艦隊(旗艦:戦金剛)第二水雷戦隊(旗艦:軽巡洋艦北上)。
12月28日 三菱長崎所にて工した第一駆逐艦を編入。編成完成
1923年大正12年 12月1日 第二艦隊(旗艦:戦艦金剛第二水雷戦隊(旗艦:軽巡洋艦北上)。
1924年大正13年 4月1日 第一駆逐艦を第一号駆逐艦、(第十駆逐艦を第十号駆逐艦)と改名。
12月1日 第二艦隊(旗艦:戦艦金剛第二水雷戦隊(旗艦:軽巡洋艦五十鈴)。
1925年大正14年 12月1日 横須賀鎮守府予備艦。
1928年昭和3年 8月1日 一号駆逐艦を神、(第十号駆逐艦朝顔)と改名。
12月10日 要港部部隊
1929年昭和4年 11月30日 横須賀鎮守府予備艦。
1933年昭和8年 11月15日 要港部部隊。以後、北方警備に従事。
1937年昭和12年 7月7日 事件勃発。日中戦争に突入。)
1938年昭和13年 8月25日 離脱。
12月15日 復帰。
1941年昭和16年 12月8日 太平洋戦争開戦。)
1943年昭和18年 12月18日 沈没渡辺戦死。
1944年昭和19年 2月5日 除籍。
9月18日 損傷、修理改造のため離脱。
1945年昭和20年 2月1日 修理了。
2月5日 連合艦隊付属に転出。
2月15日 第三十駆逐隊よりを、第一護衛艦隊より朝顔を編入。
2月20日 沈没
3月1日 連合艦隊付属。
4月10日 除籍。
4月25日 海軍総隊を新編。連合艦隊付属。
6月1日 海軍総隊連合艦隊付属。
8月15日 太平洋戦争終戦
風(シンガポール(呉)、(呉)残存。(転出し(呉)も残存。)
8月22日 朝顔触雷着底、放棄。
8月26日 解隊。
10月5日 (神除籍。)
10月10日 海軍総隊、三代目連合艦隊解隊。)
11月30日 朝顔除籍。)
12月1日 (神、波が特別輸送艦定。)
1946年昭和21年 6月7日 (神座礁、放棄。)
1947年昭和22年 10月3日 (波中華民国に引き渡し。後に瀋陽と改名。)
10月31日 (神解体終了。)
1948年昭和23年 ---- 朝顔解体終了。)
1960年昭和35年 ---- (瀋陽が中華民国海軍を除籍、解体。)

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