77
31 ななしのよっしん
2018/04/03(火) 13:36:44 ID: p3lq2S6gEl
信玄があと1年生きていたら…
三河遠江は完全、そうでなくても支配権のほとんどを手中に納めて織田と尾張で決戦することになるのだろうか、信長も義景の撤退である程度は自由になれたと思うから信玄に兵を回す余裕はあるはず
32 ななしのよっしん
2018/06/01(金) 01:29:19 ID: wesSFpH4UL
無理に決まってる。そもそも史実の武田信玄侵攻でも岡崎、吉田、浜松、掛川と三河遠江の
重要拠点は一切落ちていない。信玄はあくまで自領信濃にほど近い二俣、野田などを落としていただけにすぎない。
あと、武田信玄が織田信長と戦うことを想定していたのは尾張ではなく美濃。
朝倉が越前から山脈を抜けて美濃に入り武田と合流して織田信長と決戦を挑むというのが信玄の戦略。
しかしこの作戦は朝倉にとって非常に負担がデカく領国を開けっ放しにする上
難所の山岳地帯に侵入して、かつやってくるかもわからない武田軍をアテにする必要があり、
さらに大問題として織田軍全体が朝倉+武田より軍勢の数がさらに多く他の協調勢力の増援が
必要不可欠で、しかもその協調勢力も織田側に押され気味という非常に勝算の低いものだった。
結局武田信玄が織田信長と戦うには、そして勝つには桶狭間の戦い並の奇跡、僥倖が必要になる
33 ななしのよっしん
2018/06/01(金) 11:55:33 ID: p3lq2S6gEl
信玄の西上作戦の時点で織田家はかなりのピンチだと思ってたがまだまだ勝機はあったのね
34 ななしのよっしん
2018/06/01(金) 12:01:54 ID: mIX1DZAIb2
35 ななしのよっしん
2018/07/10(火) 08:25:14 ID: wesSFpH4UL
第二次包囲網で反信長連合の鍵を握っていたのは三好。
三好は当時落ちぶれたとは言え元々三好長慶を輩出した畿内の覇者。
こいつらは領国規模で考えると約3万程度の軍勢が捻出可能。
3万の軍勢というと武田と同程度か少し多いくらいの数(武田は2万5千から3万と言われてる)
しかし三好は指揮系統が滅茶滅茶で、1573年に入ると篠原長房を含む畿内の反信長派と
四国を中心とする穏健中立派で内乱起こすところまで突入。結局篠原は敗死する。
この頃には三好義継も敗死する。もし三好がしっかりしていたら史実より善戦したかもしれん。
あと軍勢の数はいわゆる万石250人計算がメジャーだが、明智光秀家中軍法の
「100石につき6人兵役」を考慮してもっと数が増える可能性がある。
万石250人は明治期のもので、年がら年中戦争していた時代に適応するのは
少し無理があるしな。これだと武田軍が6万動員可能になるが、織田はほぼ倍の12万が動員可能。
やっぱり計算上は織田信長がかなり有利。協調勢力は信長側にもいるしな。
36 ななしのよっしん
2019/02/18(月) 20:41:32 ID: +MQn52Hzer
信長包囲網で悪いのは武田さんじゃね。
漁夫の利を得ようとして、参戦がおそすぎる。
信長を敵に回して、死にに行っただけの最悪の判断。
包囲網の中で一番頑張ってないのが武田家でしょ。
最後の方まで生き残れたのは、ゴミ立地だから後回しにされただけ。
朝倉家を罵れるような奴らじゃない。
37 ななしのよっしん
2019/03/31(日) 10:28:35 ID: 0+TGElSjTp
包囲網参加までの流れが江戸時代の史書だと信玄の打算と謀略あるいは部下の秋山の暴走にされたけど、当時の史料や駿河の獲り合いの経緯を考えると家康から仕掛けた喧嘩
徳川が掛川を手に入れた直後に武田を裏切り北条と同盟→駿河を北条徳川に獲られた
→徳川の暴走を止めてくれと信長に要請→信長が約束だけして助けてくれない
→武田家の皆が必死に頑張って自力で北条徳川をボコって駿河奪還
→家康の裏切り行為を再度信長に報告。武田は信長と敵対する意志はないと伝える
→将軍足利義昭が家康に肩入れし、信長も同調
→家康が美濃遠山家と組んで抗争を続けるので仕方なく遠山家も攻撃。でも遠山家の主家は信長という罠
→生き延びるには朝倉浅井と組んで織田徳川を倒すしかないじゃない
→将軍様も包囲網に参加してくれたし、このワンチャンに賭けるしかない!
38 ななしのよっしん
2019/04/09(火) 06:31:33 ID: 7OKmGxQjgV
>>37
その説で見ると家康が最高にダサいんだよなあ
駿河欲しさに自分から喧嘩売ったのに
反撃されて駿河を奪い返された挙げ句、三方ヶ原で軽く殺されかけるという…
この経験が家康を成長させたのかもしれん
39 ななしのよっしん
2019/05/10(金) 23:20:46 ID: MBzjufKTV+
信玄もかなりダサいけどな、その説
売られたケンカを信長ごと買う決断が結局死に際まで出来ずに「ボクの敵は家康だけです!信じて!」と言い続けた間抜けになってしまう
40 ななしのよっしん
2019/05/13(月) 19:52:53 ID: 0+TGElSjTp
まあ家康も信玄も事情があったみたいだから…
家康の場合は浜名湖周辺の氏真シンパにボコボコにされて退路失いかけて、他の地域制圧した酒井忠次が合流したおかげで持ち直した、というくらい苦戦
三河の奥平や遠江の天野はまだ従ってなかったし、今川北条と組んで彼らに駿河獲らせ、見返りに三河遠江の今川支持の国衆を従えるのはその時点では良策に思えたんじゃないかな
信玄と同盟したままでもし国衆が武田に靡いたら、家康の勢力は萎んでしまうからな
まあ同盟破った後にそうなったけど
41 ななしのよっしん
2019/05/13(月) 20:12:38 ID: 0+TGElSjTp
信玄の場合は内政しまくってもなお貧しい甲斐の大名がやっと駿河獲ったと思ったら北条徳川にボコられてすぐ失陥
信玄が動けない間に、経済力で武田を圧倒する上杉謙信が越中と北関東で勢力拡大
ここから武田は挽回したが、それができたのは里見が北条を襲い、三河遠江の元今川派の国衆多数が家康から離反して信玄に味方し、陸奥の蘆名と越中一向一揆が上杉領へ侵攻したおかげ
越中一向一揆の挽回には朝倉義景の間接的な援護もあった
周りの連中が動いてくれたおかげで弱った北条徳川に襲い掛かり、武田は織田にようやく挑めるようになった
十分な成果が出たのは1572年に入った頃だから、
1570年頃までは織田に挑むなんて自殺行為だっただろうね
駿河失陥の直後は武田存亡の危機だったし、信長に縋って助けてもらえるならそれに越したことはないという考えだったんじゃないかな
貧乏な武田単独では大したことできないって自覚が信玄にはあったのだと思う
次の勝頼も味方の動きに合わせて出兵したし
42 ななしのよっしん
2019/05/24(金) 01:00:08 ID: rM90IEpkBN
>>37
武田信玄を包囲網側に引き込んだのは本願寺顕如だぞ。
顕如の書状では武田+朝倉+本願寺(三好)による三方面作戦で
織田信長をなんとか押し止める(運が良ければ潰せる)と睨んでる。
足利義昭に至っては信長包囲網に参加したのは最後も最後。ぶっちゃけ
「織田信長ヤバそうだし、ワシも挙兵したら信長倒せそうじゃん?w」
で挙兵したら一瞬で自軍が圧倒的劣勢になってしまった逆神。だから時系列が逆
(朝倉義景+本願寺顕如+三好三人衆→武田信玄→足利義昭)
第三次の信長包囲網で足利義昭が主導したのは朝廷が織田信長を
右近衛大将(=次期武家の棟梁)にしたのが理由。
43 ななしのよっしん
2019/05/29(水) 01:08:59 ID: 0+TGElSjTp
>>37
顕如とは長い付き合いで対上杉では協力したが、対織田では信玄は当初本願寺に協力しなかった
という事実を忘れてる
1570年~71年、石山本願寺及び伊勢の願証寺、近江門徒が積極的に攻勢に出た時期、信玄は信長との協調のために信長と足利義昭に秋波送ったからな
石山本願寺からの要請で信長包囲網に参加したとは決めつけられないんだよ
信玄の参戦で本願寺と願証寺が大喜びしたのは確かだけど
逆に朝倉からの要請で大きな計画立てて動いたことは、武田家が美濃遠藤家に送った書状で分かる
で、同時期は足利義昭シンパの朽木元網が朝倉義景に協力し、義昭の娘婿の三好義継が信長支持の畠山昭高を攻撃した時期なんだ
44 ななしのよっしん
2019/11/14(木) 07:52:47 ID: E9qQ7KL2/0
朝倉が”第一次包囲網の戦犯”とディスられ
まくってるのって、”金ヶ崎の戦いでの拙速”
”姉川で半分ぐらいの徳川家康にボコられる”
”信玄死後二万率いて出陣したのに其処から
負けに負けてまさかの拠点陥落&滅亡”という
”槍で戦ったらまず負けるレベルの不甲斐なさ”
(実際には様々な事情があるんだろうけど)にも
ありそう
45 ななしのよっしん
2020/06/08(月) 12:41:30 ID: XSHLrB22Yq
金ヶ崎はむしろ浅井がせっかちすぎるんだよなあ
姉川の戦いは通説のような徳川大活躍じゃないし
まあ最後の負けっぷりは織田信長が桶狭間で見せた
神がかり的な殲滅采配が出たとも言える感じだけど
46 ななしのよっしん
2020/11/24(火) 20:02:27 ID: jP3JC9oLQJ
そういえば北畠とかの伊勢衆って織田に従った後浅井や朝倉と戦ったりしてるの?
47 ななしのよっしん
2020/11/26(木) 21:02:53 ID: ii7RV1SeKm
第二次木津川口の戦いって信長公記の記述だと
鉄船で織田方大勝利で本願寺への物資搬入を阻止したって書いてあるけど
最近出てきた毛利本願寺間の書状だと
物資搬入には成功したからとりあえず当面は安心みたいに書いてあるから
本当に信長公記で喧伝してるほど織田方が大勝したかどうかは怪しいんじゃないっけ
毛利本願寺方からすると基本人目に付かない外交文書内だからわざわざ噓を書く必要もないし
一応信長が講和を中断したらしいから織田方にとってはある程度手応えのある結果ではあったんだろうけど
48 ななしのよっしん
2020/12/03(木) 19:17:49 ID: VJoIoRvHV/
>>14
亀スレだけど日本軍の蛮行より米ソの蛮行の方が戦慄しそうだな
49 ななしのよっしん
2021/01/13(水) 07:59:34 ID: KZgaeXUxSa
少なくとも同時進行していた荒木村重の乱で
高山右近と中川清秀らがなんの戦闘もせずに投降したことと
第二次木津川口の結果は思いっきり関係があるような気がするが
個人的にはむしろ一連の木津川口の戦いを「物資運搬のためだけに行われた戦い」とするのがそもそもの間違いな気がする
荒木村重の乱では毛利兵や本願寺兵も存在していた。
時系列を考えると、第二次は荒木村重への支援も
見込んでいるはずで、そうなると兵糧だけではなく
兵士の補充も可能性としてはあっただろう。
織田方からすれば「増援を阻止したので勝ち」(実際にその後増援は来ていない)
毛利方からすれば「当初の目的はある程度達成できた」(ただし海から増援は送らなくなった)
少なくとも毛利が勝った戦いではないのは確かだろう
50 ななしのよっしん
2021/03/04(木) 18:58:08 ID: Y2/FP1uUCC
結局のところ三好三人衆、阿波三好、朝倉、六角、浅井、本願寺にまだ余力があった義昭幕府包囲網の志賀の陣の時が一番可能性があったかな
51 ななしのよっしん
2021/03/25(木) 20:19:51 ID: 3TV0yyMoY3
志賀の陣の時は
織田信長:総兵力4万(言継卿記)
根来雑賀:総兵力2万(河内畠山とかも多分ここに入ってる)
足利三好:兵力不明(ただしかなり多い。松永だけで8千いる)
VS
三好三衆:8千(言継卿記より。なお三好義継らは敵)
浅井朝倉:3万(信長公記より)
だから志賀の陣の時でも相当しんどいんだよな。
52 ななしのよっしん
2021/03/25(木) 20:21:54 ID: 3TV0yyMoY3
浅井朝倉を倒すために織田軍が全軍で野田福島から撤退したけど
この段階で三好三人衆らが摂津以東へ向かった形跡がないので防がれた可能性が高い。
となると織田信長に協力していた軍に押しとどめられてたんだろう。
極端なことを言えば信長の野望みたいにこの段階で上杉武田毛利その他諸侯全員で
織田信長を叩きますみたいなシナリオを考えたらまだワンチャンあったかもだが
外交関係や対立構図や史実の流れをまるっきり無視してるし、まあできないわな
53 ななしのよっしん
2021/05/13(木) 00:27:03 ID: aG4ehXaiGL
戦国にわかの私が何となくそんな気がするってレベルの話だけど――
信玄あたりはそこまで信長とガチ喧嘩するメリットなさそうに見えるなあ。朝倉は地理的にも政治的にも京都近いし一番信長から狙われてたからまず揉めて、浅井は朝倉から芋づる式になったのはわかるけど。
武田の位置的には、信長とは戦するよりはどうにかなあなあにしつつ、京への経路を確保しておくっていう形に持ち込むって手はなかったのかな。北条と越後の白いのも目の上のたんこぶだろうし。
武田信玄の主観から見たら、当時のリアタイでの情勢とか、「織田ってこんな感じ」っていうのはどう映ってたんだろう。
義昭から声かけられたのが大きいのかな。元就は断ったらしいけど、信玄は室町将軍家を救わねばならんのじゃみたいな同機はあったの?
54 ななしのよっしん
2021/06/20(日) 10:12:26 ID: zfi49LjDVR
武田信玄を誘ったのは足利義昭ではなく本願寺顕如。
足利義昭はむしろこの2人に釣られた側だから、むしろ信玄が義昭を誘ったと言ってもいい。
というか武田信玄が行動を起こすまで、足利義昭が公然と信長打倒を唱えた書状は
一枚も存在してないから、義昭は本当に釣られただけ。
(そもそも当時の体制では反信長≒反義昭≒反幕府なので、
幕府追討の総大将に
幕府の将軍が就任するという意味不明な状況が最終的に起こってる)
武田信玄は典型的な「取れるところから取っていく」主義で、
単純に織田信長が別方面で硬直状態になっているから、かねてから火種の一つだった
徳川家康から領地ぶんどって、あとは流れで、という感覚。まあ浜松も吉田も岡崎も落とせてないけど。
55 ななしのよっしん
2021/06/20(日) 10:18:50 ID: zfi49LjDVR
付記すると、室町幕府顕在時代の信長包囲網の首謀者は、朝倉義景。足利義昭ではない。
足利義昭が信長包囲網で主導的な役割を果たすのは京を追われて備後に行ってから。
この大百科でも他の作品でもしばしば誤謬されるが、室町幕府が顕在時代の
信長包囲網は、足利義輝を弑逆して足利義栄を擁立していた三好三人衆と
織田信長と領土問題で対立した朝倉義景の連携が主であって、
足利義昭は最後の最後で勝ち馬から負け馬に乗り換えた宮部長房並の選択ミスをしただけ。
56 ななしのよっしん
2021/06/26(土) 22:19:33 ID: jyxg1DjmQA
足利義稙
細川高国→細川澄元→細川高国
足利義晴
細川高国→細川晴元
足利義輝
細川晴元→三好長慶
戦国時代の将軍は負け馬を見捨て勝ち馬に乗り換えるからな
義昭もそのつもりだったんだろう
まさか乗り換えた直後に信玄が病死し、阿波三好が内紛でグダクダになって戦況がひっくり返るとは
57 ななしのよっしん
2021/07/12(月) 01:00:00 ID: RjoxNRseMP
義昭も信長のイマイチな頼りなさげなところは見てるからな(志賀の陣での泣きつきや朝倉征伐も失敗どころか妹婿に裏切られたり)
包囲網といっても単純に信長対反信長というより畿内に元々あった対立構造に信長も巻き込まれた感(松永VS筒井や三好VS畠山とかに+して本願寺、浅井朝倉六角も混ざる)
58 ななしのよっしん
2021/10/04(月) 07:56:25 ID: OYjOBuTnig
なんだかんだ一回目が一番危なかったと思う
第二次包囲網は大河や時代劇のイメージとは違って、そこまでじゃないことが近年わかってきてるし(武田と朝倉の連携不足、そもそも武田は織田を相手にしてない)、第三次に至っては畿内の地盤完全に固めてるから余裕とは言えないまでも、十分にしのげた。
やっぱ基盤ガタガタの上に、退路も塞がれて和睦しないと詰みだった第一次が信長にとって最大の試練だったように思う
59 ななしのよっしん
2021/11/25(木) 07:48:08 ID: rugEv1rpCc
この記事は古い時代小説の史観で書かれていて、信長と義昭の関係が滅茶苦茶だな。
60 ななしのよっしん
2021/11/30(火) 15:38:54 ID: /UKgXmzpT6
信長の野望ですら未だに1571年の時点で信長と義昭が対立してるからね
第一次信長包囲網は実質反幕府連合、首謀者はほぼほぼ朝倉義景
>>56
別にひっくり返ってはいないぞ。信玄が生きていても信長を滅ぼせる確率なんて
殆どないからな。自分で勝ち馬手放したんだから呆れ返る他ない。
だから足利義昭が都落ちした後、朝廷は義昭を一切相手にしなかった
ほめた!
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