地元のファンからは『金沢の帝王』や『加賀の雄』と呼ばれており、金沢競馬場で開催される2013年JBCのJRA勢にとって最後にして最大の壁となりうる馬でもあった。
主な勝ち鞍
2011年:MRO金賞(地方重賞)、オータムスプリントカップ(地方重賞)、サラブレッド大賞典(地方重賞)、中日杯(地方重賞)
2012年:スプリングカップ(地方重賞)、イヌワシ賞(地方重賞)、オータムスプリントカップ(地方重賞)、北國王冠(地方重賞)、中日杯(地方重賞)
2013年:オグリキャップ記念(地方重賞)、北國王冠(地方重賞)、百万石賞(地方重賞)
2014年:百万石賞(地方重賞)
通算成績:中央8戦2勝、地方34戦26勝
概要
血統とその他大勢だった中央時代
父・スパイキュール、母ナムラビャクレン、母の父・チーフベアハート。
馬名の由来は冠名+大吉から。
血統を見てもわかるが、どことなく地方競馬で走っていそうな血統であり、デビュー戦から金沢にいた……わけではない。
実は、この馬もともとは中央競馬でデビューした馬である。
その中央時代は2戦目で初勝利を挙げ、500万下も勝ち2勝目までは順調に進んだ。
しかし、オープンに入ると壁にぶつかったのか3戦惨敗が続き、中央所属でのラストランとなった2011年5月のいぶき賞16着を最後に中央競馬の登録を抹消し、金沢競馬への移籍をすることとなる。
そして、この移籍がナムラダイキチの運命を大きく変えることとなった。
金沢移籍後
金沢への移籍初戦は、まだ金沢のダートになれていなかったのか2着に敗れた。
だが、この時に移籍初戦とはいえナムラダイキチを破ったマイネルトラヴェルの名前は、覚えていてほしい。
その後、ナムラダイキチは移籍2戦目で金沢初勝利を挙げると、3戦目で当時金沢で最強を誇っていたジャングルスマイルの胸を借りることとなった。
レースでは、ちぎられて2着と敗れたものの、それから白山大賞典の前まで金沢競馬場では20戦16勝2着4回という恐ろしいことになっていた。
さて……ここで2着4回と述べたが、その時の勝ち馬は2頭しかいない。
移籍初戦でナムラダイキチを破ったマイネルトラヴェルとジャングルスマイルだけなのである。
特にジャングルスマイルは、移籍3戦目こそナムラダイキチを子供扱いしたものの、2011年の北國王冠と2012年の百万石賞では、終盤ひたひたと迫りくるナムラダイキチをどうにか抑え込んで勝っている。
どちらのレースも動画として挙がっているが、とくに2011年の北國王冠は必見。
そう、この時点でナムラダイキチを抑えられる馬は金沢にはほぼいなくなってきていたのである。
そのため金沢のA1級の馬が束になって止めようとしてもそれすらかなわない。
破ったことがあるジャングルスマイルや、同じように金沢の強豪であったタートルベイはそのA1勢からは頭一つ抜けた存在であったが、そういう馬ですら相手にならなくなってきていた。
なら、他地区勢はどうだ!?となるが、やはりナムラダイキチを止められない。
例をあげると、2011年のMRO金賞という重賞では2011年の東海ダービーを制した名古屋のアムロと兵庫チャンピオンシップ2着だった兵庫のホクセツサンデーも遠征していたのだが、それらの馬を競り落として勝利を収めていた。
しかし、これでもまだ本格化前である。
本格化した2012年オータムスプリントカップでは3コーナーであっという間に先頭に立つと、地元勢はおろか遠征してきていた他地区勢もだれも付いていけなくなり2着に2.2秒差をつける圧勝。
さらには、イヌワシ賞(白山大賞典の前哨戦)で笠松の雄マルヨフェニックスが8馬身ちぎられたりしたことから、金沢では向かうところ敵なしであったとも言えるだろう。
そして、白山大賞典にはJRA勢が5頭参戦していたものの、それらを押しのけてナムラダイキチが2番人気だったのである。
レースでは、先に抜け出した馬こそ捉えるに至らなかったが、その他のJRA勢を突き放して2着となった。
実は、この先に抜け出した馬こそ、ニホンピロアワーズであった。
のちに、ニホンピロアワーズはジャパンカップダートを制しており、同馬に最後までくらいついたナムラダイキチに対する期待は高まったのである。
また、このレースでナムラダイキチに敗れたものの、3着に入ったエーシンモアオバーと4着のピイラニハイウェイが続く交流重賞の浦和記念でワンツーゴールを果たしており、白山大賞典のレベルが高かったことが言えるのではないだろうか。
その後、北國王冠・中日杯を制し、交流重賞を制するべく、名古屋競馬場に遠征して挑んだ名古屋グランプリはまさかの4着。
地方移籍後、ほぼ完ぺきな成績を残していたナムラダイキチであったが、名古屋グランプリで初めて馬券圏外になったのである。
また、遠征してやぶれたことから遠征競馬は苦手なのか?とも言われるようになった。
だが、2013年。
その不安はあっさり打ち砕かれることとなる。
金沢でのスプリングカップが中止となり、初戦となった笠松のオグリキャップ記念では9馬身ぶっちぎっての圧勝であった。
そして金沢に帰ると、ジャングルスマイルの4連覇がかかった百万石賞でそのジャングルスマイルに2.5秒差をつける圧勝劇。
ここまで来てしまうと、金沢でこの馬に勝てる馬はほぼいないのではないだろうか。
JRA勢や南関東勢なら何とかしそうな気がするのだが、2012年の白山大賞典を見てもわかるとおり、1頭を除いてJRA勢がコテンパンにやられており、それすら難しいような気がする。
そして、2013年秋。
金沢競馬場で行われるJBC。
過去、JBCで優勝した地方馬はJBCスプリントのフジノウェーブだけで、JRA勢がただもらいになっている部分が大きい。
しかし、金沢にはナムラダイキチという最後にして最大の砦が待ち構えている。
JRA勢が牙城を崩すのか、それともナムラダイキチがすべてはねのけてしまうのか。
何より、金沢で唯一ナムラダイキチを抑えたJRAのニホンピロアワーズとナムラダイキチの再戦があるのか。
2013年11月4日の金沢競馬場が熱く盛り上がるのは間違いないだろう。
……と思われていたのだが、7月になってナムラダイキチは骨膜剥離を起こしてしまい、休養に入った。
この故障により、白山大賞典は絶望、またJBCも回避という残念なニュースが入ってきた。
しかし、この故障を乗り越えた先に、改めて金沢競馬最強馬としての道が続いているはずと願う者は多かった。
ときは流れ、2014年5月。長期休養を終えて、ナムラダイキチが帰ってきた。復帰に際してはNAR公式サイトでも告知されるなど、地方競馬ファン全体がその動向に注視していることを改めて印象付けた。
そして、迎えた復帰戦の山中温泉菖蒲湯まつり特別(A1)であったが、このレースは金沢の現在のベストメンバーとも言える面々がそろっていた。
ジャングルスマイルをはじめとし、金沢移籍後好成績を残していたセイカアレグロや金沢では掲示板を外していないマイネルリボーンが参戦し、いくら金沢競馬最強馬と言ってもおかしくないナムラダイキチとてそう簡単には勝たせないぞ!という体制ができていた。
一方、ナムラダイキチの馬体重は休養前から15キロ減らし、さらに11カ月休養していたことから、決して万全とは言えず、まずは無事に回ってくれれば……と思うファンも多かったのではないだろうか。
しかし、金沢競馬の、いや地方競馬のファンはナムラダイキチの予想以上の快走を見ることとなる。
スタートを決めたナムラダイキチは、畑中騎手の手綱に導かれ先頭を走る。
レースでは先頭を走り3コーナーから4コーナー、そして最後の直線を迎えた際に、ファンが見たのは信じられない光景であった。
そこにあったのは決して万全とはいえないナムラダイキチの畑中騎手が手綱を抑えている後ろで、2番手のセイカアレグロ以降の馬の騎手が必死になって手綱をしごく姿であった。
しかも、ナムラダイキチは持ったままで最後の直線を迎え、結局鞭も使われないまま2着のセイカアレグロに4馬身差をつけて復活の勝利を挙げたのである。
再び金沢のファンの大声援にこたえ豪快に走る姿を見せつけたナムラダイキチ。
しかし、これはまだ復活の序章に過ぎない。
彼が休んでいる間に金沢で活躍したサミットストーンは船橋に移籍後、ダイオライト記念でニホンピロアワーズの3着に入り、帝王賞の前哨戦ともいえる大井記念を完勝し、一気に現地方競馬最強馬候補に名乗り上げたと言ってもおかしくない結果を残している。
再び、動き始めたナムラダイキチの時計の針。
いつか来るであろう交流重賞で戦う日のために。
そして、金沢競馬初の交流重賞制覇のために、再び走り始めている。
だがその後はあまりにも無情であった。次走の百万石賞も勝利したもの、再度故障を発生し1年近い長期休養へ入ることに。
翌年の復帰戦を勝利で飾るが2着のセイカアレグロとの差は頭差。続く百万石賞ではジャングルスマイルの2着。
相次ぐ故障による衰えは明らかだったがここで三度目の故障発生、1年近い長期休養…三度目の復帰後は2戦を経て出走した百万石賞で移籍後初めて連対を外す4着…そして4度目の故障が判明。
関係者・ファンに望まれていた交流重賞制覇どころから一度も出走することなく現役を引退することになった。
主戦の畑中騎手によると最初の故障以降全盛期の走りに戻ることは無かったとの事。つくづく惜しまれることである。
全盛期の走りが評価されたのか種牡馬入りが決定したが、1年目である2017年5月に死亡。最初の種付けを行う前の死であったため産駒は1頭も残せず、金沢に種牡馬として舞い戻る夢は幻となってしまった。
血統表
スパイキュール 2000 黒鹿毛 |
*サンデーサイレンス 1986 青鹿毛 |
Halo | Hail to Reason |
Cosmah | |||
Wishing Well | Understanding | ||
Mountain Flower | |||
*クラフティワイフ 1985 栗毛 |
Crafty Prospector | Mr. Prospector | |
Real Crafty Lady | |||
Wife Mistress | Secretariat | ||
Political Payoff | |||
ナムラビャクレン 2000 鹿毛 FNo.8-c |
*チーフベアハート 1983 栗毛 |
Chief's Crown | Danzig |
Six Crowns | |||
Amelia Bearhart | Bold Hour | ||
Myrtlewood Lass | |||
*カンブリアンヒルズ 1989 鹿毛 |
Caerleon | Nijinsky II | |
Foreseer | |||
My Therape | Jimmy Reppin | ||
Howrytuar | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Secretariat 4×5(9.38%)、Gold Digger 5×5(6.25%)、Bold Ruler 5×5(6.25%)、Northern Dancer 4×5(9.38%)
- 父スパイキュールは2004年当時ダート戦で500万下から5連勝で一気にオープン勝利まで駆け上がったが故障で引退した馬(ダート戦に限れば7戦7勝無敗)。おそらくシルバーステートと同様に未知の魅力を買われて種牡馬入りしたのだろう。産駒の活躍はプリンシアコメータが交流重賞のエンプレス杯を勝つなどダート中心。
- 母ナムラビャクレンは中央で2戦0勝。
- 母父チーフベアハートは北米の芝路線を中心に活躍し26戦12勝で1997年ブリーダーズカップ・ターフ優勝馬。1998年にジャパンカップにも来て4着に入っている。マイネルキッツ(2009年天皇賞(春))、マイネルレコルト(2004年朝日杯FS)などが代表産駒となる。
関連動画
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地元の交流重賞での走り
関連コミュニティ
関連項目
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