プリメロ単語

1件
プリメロ
3.7千文字の記事
  • 2
  • 0pt
掲示板へ

プリメロPrimero)とは、1931年生まれの英イギリス競走馬鹿毛

1934年アイルランド二冠馬で、日本競馬の礎を築いた大種牡馬

な勝ち
1934年アイリッシュダービーアイリッシュセントレジャー

概要

BlandfordAthasi、Farasiという血統。
ブランドフォード競走馬としては故障でキャリア4戦に終わったが、1935年イギリス三冠馬Bahram英ダービーBlenheim凱旋門賞Brantomeを輩出した大種牡馬。直系は滅亡寸前ではあるものの現代まで繋がっている。
アサシは31戦5勝のな成績だったが、そのAthgreanyアイルランドオークス繁殖牝馬としてBlandfordとの相性が凄まじく良く、Blandfordとの5頭の全てがステークスウィナーになるという凄まじい成績を残し、その功績を称えてAthasi Stakesという芝7ハロンG3競走がアイルランドカラ競馬場現在も施行されている。
ファラシは22戦3勝、大レースの勝ちはなしというだったらしい。

1929年英ダービー・英セントレジャーの英二冠馬Trigo1933年愛ダービーセントレジャー二冠馬Harineroがいる。またドンカスターカップなどを勝った全*アスフォードが先に日本種牡馬として輸入された。

*アスフォードと同じく生産者のウィリアムバーネットが所有し、Blandfordや全Harineroも手掛けたイギリスリチャードセシルドーソン調教師が手掛けた。

名の「primero」はスペイン語で、英語の「first」にあたる形容詞の男性形。女性形は「primera(プリメーラ)」。

競走成績

2歳のデビューしたがなかなか勝利を挙げられず、デビューから未勝利のままエプソムダービーに挑戦。Windsor Ladの10着に敗れたものの、続くアイリッシュダービーPatriot Kingとの同着ながら勝利。初勝利愛ダービーで挙げた。

続いてグレートノーザンレジャーという、当時英セントレジャーの前戦だったらしいレース勝利し、英セントレジャーに挑んだが、ここもWindsor Ladの6着。しかしその翌週のセントレジャーに向かうと1身半差で勝利Harineroに続いて2年連続で兄弟アイルランド二冠馬となった。

4歳まで現役を続けたが、その後は4戦して4着が最高で現役引退。通算15戦3勝。

日本競馬の礎

さて、そんなプリメロを種牡馬として購入することになったのが、*シアンモアに続く種牡馬を探していた、日本小岩井農場であった。時に1935年、まだ東京優駿が始まって数年、皐月賞菊花賞桜花賞オークスも存在しなかった頃の話である。

当時、アイルランド三冠の価値はイギリス三冠べれば相当低く、Harineroオーストリアに輸出されていた。だからプリメロも当時の日本でも輸入できたのだろう。お値段は6万円だったそうで、「当時の最新鋭戦闘機1機分」と紹介されることが多い。[1]トウルヌソルの10万円には及ばないものの、やはり小岩井農場のバックについていた三菱財閥のマネーあっての輸入であったと思われる。

ともあれ、当時の日本に輸入された種牡馬としてはトップクラスの実績と良血の持ちであったプリメロは、そのお値段という形でかけられた期待を上回る結果を出した。2年産駒から1941年中山四歳牝馬特別(現:桜花賞)を勝ったブランドソールを出すと、3年産駒からダービーナミホマレを輩出。以後、陸続と活躍を出し続け、1950年代までプリメロはトップサイアーとして活躍し続けた。同じ小岩井農場の先輩種牡馬であった*シアンモアとは相性も良く、プリメロ×シアンモアの活躍は多い。
20歳をえても種牡馬を続けたが、1955年、疝痛をこじらせて死亡。24歳(当時の表記では25歳)だった。

トウルヌソルダイオライトセフトが高いとして立ちはだかったため、実はリーディングサイアーは一度も獲れなかったのだが(1949年2位が最高)、プリメロ産駒はとにかくレースに滅法強かった。1947年にはトキツカゼ農林省賞典(現:皐月賞)と優駿牝馬の変則二冠を達成、1949年には皐月賞菊花賞二冠馬トサミドリダービータチカゼクラシック三冠を制覇。1950年1952年にはクモハナクリハナ二冠馬となるなど、最終的にダービー4頭を輩出し、産駒クラシック勝利数は15勝。これは2003年に*サンデーサイレンス更新されるまで半世紀にわたって最多勝記録として君臨していた。
晩年の産駒には1958年クラシック三冠全て2着の記録を残し、八大競走は勝てなかったが25戦で[13-11-0-1]という戦績をマークしたカツラシユウホウがいる。

後継としてもトサミドリダービーコマツヒカリ、名ガーネツトキタノオーキタノオーザ兄弟など八大競走7頭を出すという、内種牡馬として歴史に残る活躍を見せた。トサミドリ以外にも、闇競馬上がりのトビサクラ日本として海外重賞初制覇を挙げた八大競走3勝ハクチカラを出したのをはじめ、ミナミホマレゴールデンウエーブダイゴホマレダービー2頭を出し、クリハナ天皇賞クリペクリヒデタカマガハラを出すなど、プリメロの直系は60年代まで存在感を誇った。

その後は内種牡馬への逆に抗えず、残念ながら直系は絶えてしまったものの、プリメロの血は牝系に入って現在日本競馬全に根付いている。そちらの代表格はなんといっても二冠馬コダマとなったシラオキで、スペシャルウィークウオッカを輩出する名牝系を作りあげた。
としての産駒には他にもオンワードゼアメイヂヒカリといった錚々たる名が名を連ね、その牝系からメジロマックイーンショウナンカンプを輩出したアサマユプリメロを持つ。
すなわち現代のエピファネイア産駒オルフェーヴルゴールドシップ産駒はみんなプリメロの血を持っているわけである。サートゥルナーリアエフフォーリアなど今後も続々とプリメロの血を持つ種牡馬が登場してくるわけであるから、日本競馬からプリメロの血が消え失せることはおそらくないのではないか。

明期から戦後にかけての日本競馬に大きな足跡を残した大種牡馬プリメロ。現代まで続くその血は、日本競馬の礎となったと言っていいだろう。

血統表

Blandford
1919 黒鹿毛
Swynford
1907 黒鹿毛
John o' Gaunt Isinglass
La Fleche
Canterbury Pilgrim Tristan
Pilgrimage
Blanche
1912 鹿毛
White Eagle Gallinule
Merry Gal
Black Cherry Bendigo
Black Duchess
Athasi
1917 鹿毛
FNo.22-a
Farasi
1903 鹿毛
Desmond St. Simon
L'Abbesse de Jouarre
Molly Morgan Morgan
Sissie
Athgreany
1910 鹿毛
Galloping Simon Melton
Simena
Fairyland Lesterlin
Stella

クロスSt. Simon 5×4×5(12.50%)、Gallinule 4×5(9.38%)、Isonomy 5×5(6.25%)、Galopin 5×5(6.25%)

主な産駒

太字は記事のある

関連リンク

関連項目

脚注

  1. *当時の最新鋭戦闘機というと、九五式もしくは九六式艦上戦闘機あたりだろうか。

【スポンサーリンク】

  • 2
  • 0pt
記事編集 編集履歴を閲覧

ニコニ広告で宣伝された記事

ブルーアーカイブ (単) 記事と一緒に動画もおすすめ!
提供: 神楽
もっと見る

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

プリメロ

まだ掲示板に書き込みがありません…以下のようなことを書き込んでもらえると嬉しいでーす!

  • 記事を編集した人の応援(応援されると喜びます)
  • 記事に追加して欲しい動画・商品・記述についての情報提供(具体的だと嬉しいです)
  • プリメロについての雑談(ダラダラとゆるい感じで)

書き込みを行うには、ニコニコのアカウントが必要です!


おすすめトレンド