- プロ野球選手一覧 > 石井一久
石井一久(いしい かずひさ、1973年9月9日-)とは、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)である。
概要
OB | |
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石井一久 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県千葉市沸若葉区 |
生年月日 | 1973年9月9日 |
身長 体重 |
185cm 100kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1991年ドラフト1位 |
引退 | 2013年 |
経歴 | |
選手歴
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プロ野球選手テンプレート |
東京学館浦安高等学校を経て1991年ドラフト1位でヤクルトスワローズに入団。
1992年はレギュラーシーズンでは未勝利の高卒新人だったが、日本シリーズで投げたという初の投手となった。初勝利は1993年に挙げた。1997年には猛追していた横浜ベイスターズ相手にノーヒットノーランを達成。1998年に最多奪三振、2000年には最優秀防御率と最多奪三振を受賞。また当時フジテレビのアナウンサーだった木佐彩子と結婚した。
MLB時代
2002年にはポスティングシステムでロサンゼルス・ドジャースに移籍。ピッチャーライナーを顔に受けて大怪我を負う不運もありながら3年間で36勝をあげている。
2005年にニューヨーク・メッツにトレード移籍したが3勝に留まった。
日本球界復帰後
2007年5月17日の中日ドラゴンズ戦で日米通算1500奪三振を達成した。オフにFA宣言し、埼玉西武ライオンズに移籍した。
2008年3月29日の福岡ソフトバンクホークス戦で日米通算100勝を達成。先発ローテーション入りし、11勝10敗だった。
2010年5月19日のヤクルト戦で9回136球を投げ抜き、勝利投手(試合は西武のサヨナラ勝ち)となり、9人目の「12球団勝利」を達成した。
2011年8月7日の福岡ソフトバンクホークス戦で通算2000奪三振を達成。
2012年は西武移籍初年度以来となる二桁勝利を達成し、ベテラン健在をアピールした。6月13日には自身初の無四球完封勝利を達成したが、「四球を出さなかったのが気持ち悪かった」と述べている。2008年以来の二桁勝利を達成するが、それ以降は勝ち星が付かなかった。
2013年は左肩の不調で出遅れ、9月24日に現役引退を表明。10月8日の引退セレモニー後に、セグウェイでグラウンドを一周(もちろん史上初)した。
引退後
吉本興業に契約社員として入社。傍らで野球解説者、野球評論家として活動した。
楽天GM・監督時代
2018年9月からは東北楽天ゴールデンイーグルスの取締役ゼネラルマネージャーに就任。同年オフに浅村栄斗をFAで、2019年オフには鈴木大地をFAで、涌井秀章をトレードで、牧田和久をメジャーから獲得するなど、自身の古巣である元西武の選手を中心に積極的な戦力補強を押し進める。
その一方、2019年オフには初の球団生え抜きの監督でありAクラスの3位を確保した平石洋介監督を「僕の中では3段階に分けたら(3位は)Bクラス」と就任1年目で事実上の解任。後任に三木肇をあてがったが、2020年は前年を下回る4位に終わる。
3位の平石監督を1年で辞めさせて三木監督で本当にBクラスの4位になったため、同年オフにどうするのかが注目されたが、なんと2021年からは自身がGMを兼ねながら一軍監督を務めることになった。背番号は99。
2023年は監督のみを務めたが、シーズン最終戦で敗れAクラス入りはならず、監督を退任した。
監督退任後
その他
- 規定投球回数での奪三振率の元NPB記録保持者(2019年に千賀滉大に更新された)。1990年代は速球が魅力だったが、アメリカへ渡ってからは技巧派として数多くの変化球で三振を奪うようになった。
- 隔年投手の傾向があった。また制球が悪く、好不調の差が激しかった。
- グランドの外では飄々とした言動で周囲を沸かせるマイペースな人物であり、オフになると度々引退をほのめかす発言をする。引退後はラジオ番組のパーソナリティをやりたいとコメントしている。
- かなりのイタズラ好きで知られ、2001年リーグ優勝時には真っ先にベンチを飛び出し高津臣吾に、2008年に日本シリーズを制覇した際はアレックス・グラマンに抱きついた。要は捕手に投手を抱かせなかった。また、2001年の日本一の際、監督である若松勉の胴上げの際、石井弘寿と共に共謀し、監督を一回転させた。
- 美味しい店を沢山知っていることから、西武移籍後は涌井秀章や岸孝之から先輩にもかかわらずぐるなび扱いされている。
- 犬を飼うようになった。名前はペロ。8月18日にはもう一匹(モコ)も飼い始めたことを報告した。本拠地のヒーローインタビューで成長報告をすることがある。
- 無類のゲーム好きでヤクルト時代にはウイニングイレブン、西武時代ではボンバーマンをすることが多い。2009年にはWBCに落選した岸と共に、WBC(ワールド・ボンバーマン・クラシック)を開催した。
- 実写版映画『ゲゲゲの鬼太郎』に妖怪べとべとさん役の声優として出演したことがある。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
西武 | 応援歌のピコカキコ一覧 | 8643 |
成績
通算投手成績
通算:22年 Year |
登板 G |
先発 GS |
完投 CG |
完封 SHO |
勝利 W |
敗戦 L |
セーブ SV |
ホールド HLD |
勝率 W-L% |
投球回 IP |
与四球 BB |
奪三振 SO |
失点 R |
自責点 ER |
防御率 ERA |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB:18年 | 419 | 332 | 25 | 9 | 143 | 103 | 1 | 1 | .581 | 2153.1 | 941 | 2115 | 971 | 869 | 3.63 |
MLB:4年 | 105 | 102 | 2 | 2 | 39 | 34 | 0 | 0 | .534 | 564.0 | 354 | 435 | 310 | 278 | 4.44 |
タイトル・表彰
タイトル | |||
---|---|---|---|
NPB | 最高勝率 | 1回 | 1995年 |
最多奪三振 | 2回 | 1998年、2000年 | |
最優秀防御率 | 1回 | 2000年 | |
表彰 | |||
NPB | 月間MVP | 2回 | 1995年8月、1997年9月 |
MLB | ルーキー・オブ・ザ・マンス | 1回 | 2002年4月 |
記録
初登板 | 1992年6月9日 | 対横浜大洋ホエールズ10回戦 | 横浜スタジアム |
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初奪三振 | 対横浜大洋ホエールズ10回戦 山崎賢一から |
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初勝利 初完投 |
1993年8月3日 | 対阪神タイガース14回戦 | 阪神甲子園球場 |
初完封 | 1994年8月31日 | 対阪神タイガース24回戦 | 明治神宮球場 |
初セーブ | 1995年7月6日 | 対広島東洋カープ15回戦 | |
ノーヒットノーラン | 1997年9月2日 | 対横浜ベイスターズ23回戦 | 横浜スタジアム |
1000奪三振 | 2000年7月5日 | 対読売ジャイアンツ13回戦 ダレル・メイから |
明治神宮球場 |
1000投球回 | 2000年9月28日 | 対読売ジャイアンツ26回戦 | |
1500奪三振 | 2007年5月17日 | 対中日ドラゴンズ9回戦 小笠原孝から |
ナゴヤドーム |
1500投球回 | 2007年9月5日 | 対広島東洋カープ19回戦 | 明治神宮球場 |
100勝 | 2008年3月29日 | 対福岡ソフトバンクホークス2回戦 | 西武ドーム |
全球団勝利 | 2010年5月19日 | 対東京ヤクルトスワローズ2回戦 | |
2000奪三振 | 2011年8月7日 | 対福岡ソフトバンクホークス14回戦 多村仁志から |
|
2000投球回 | 2011年9月13日 | 対福岡ソフトバンクホークス18回戦 | 福岡Yahoo!JAPANドーム |
初ホールド | 2011年10月15日 | 対東北楽天ゴールデンイーグルス24回戦 | 西武ドーム |
関連動画
ヤクルト時代
西武時代
その他
関連コミュニティ
関連項目
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