C-1とは、日本の航空自衛隊が保有する国産の中型戦術輸送機である。
概要
C-1は、世論を考慮して作戦距離を本州~九州までに制限し、その代わりに敵戦闘機からの避退を確実にする速度を与えた。国産ジェット旅客機の習作という意味もあったが、これは実現しなかった。[1]
生産機数は試作機含めて31機。事故損失が4機。現有25機が運用されている。うち試作1号機は飛行開発実験団でC-1FTBとして試験機に。量産21号機が総隊司令部飛行隊直属の電子戦訓練支援機・EC-1として運用されている。
沖縄が本土に復帰する前の時点で基本設計が行われたC-1は中型輸送機としては航続距離が短かかったので、沖縄が本土に復帰、さらに東京から1200km離れた硫黄島を自衛隊が訓練用基地として利用を始るに従いC-1の航続距離を問題視する声が大きくなり、防衛庁は打開策としてC-130を導入している。[2]
開発
1960年代、航空自衛隊が発足する前から使用されていたC-46輸送機の老朽化による次期輸送機(C-X)導入計画が持ち上がった。
当時は戦後初の国産輸送機YS-11もなんとか目処が立ちつつあったころで国内航空機産業育成のために傑作戦術輸送機C-130を蹴ってまで国内開発にこだわったのだが、当時の国内状況はあまり良い状態といえず(70年代はベトナム戦争や日米安保など国内での混乱時期でもあった)、余計な揉め事を望まない政府筋の横槍なのか、極端に航続距離が削られた輸送機として実用化される羽目になる。
1970年代の輸送機として、岐阜を中心に北は北海道・南は九州までしかいけないような(沖縄返還も控えていたというのにこの)航続距離では使い道に困るというのが正しいだろう。最大積載量も8t程度で、C-130の20tに比べると明らかに見劣りする。確かにサイズ的には一回り小さいのは確かなのだが、それでもなお過小に過ぎる航続距離である。
・・・しかしその反面、輸送機でありながら90度バンクで旋回が出来るなどどうも頭のネジが外れたよう高機動っぷりで、アメリカの特殊部隊がその高速性と高機動性に目をつけたという噂話があるほどだった(ま、もっとも色々国内事情で輸出とかできる時代ではありませんでしたが)。今でも一般公開などでは輸送機らしからぬ軽快な空中機動をみせてくれる。
1980年代半ばには、胴体と主翼の結合部に燃料タンクを新設し、搭載エンジンを改良することで航続距離を最大50%伸ばす、さらに機体の胴体を延伸して搭載可能荷物を8トンから12トンに増やすといった改造案が取り沙汰されたが、日の目を見ることはなかった。[3]
関連動画
関連項目
脚注
- *「日本の防衛力再考」兵頭二十八 銀河出版 1995 p.170
- *「甦る零戦 国産戦闘機vs.F22の攻防」 春原 剛 新潮社 2009 p.69
- *「甦る零戦 国産戦闘機vs.F22の攻防」 pp.69-70
- 4
- 0pt