JR福知山線脱線事故とは、2005年4月25日に発生した、JR史上最悪の脱線事故である。
死者・重軽傷者は合わせて669人に及び、2022年現在、21世紀の国内の事故では最も被害者が多い。
概要
2005年4月25日午前9時18分頃に福知山線塚口駅~尼崎駅間のカーブにて発生した脱線事故で、被災車両は同志社前駅行き快速の207系7両編成。
分譲マンションの駐車場に先頭車両が突入し、2両目もマンション外壁に激突し大破した。運転士含む107名が亡くなった。犠牲者の多くは1・2両目に集中し、死因は衝撃で脳や頭部を車体に押し潰されたことによる圧死、胸部圧迫による窒息死が大半を占めた。被害の大きい先頭車にも生存者はいたものの、衝撃によって手足切断・半身不随などの後遺障害が残った。また、救助作業に当たったマンション及び周辺住民、救急隊、消防隊員なども凄惨な現場を目の当たりにし、広範囲でPTSDを発症するなどの影響を残した。
事故現場には当時ATS-SWが設置されていたが、古いタイプであった為にマスコミから叩かれた(ATS-PでなくSWであっても照査用地上子があれば速度照査は可能であり、事故原因ではない)。
※余談だが、当時P型をあまり整備してなかったJR九州も地元マスコミに狙われた。完全なとばっちりである。
事故発生時刻には新大阪駅発の183系「北近畿」(現:こうのとり号)が現場に接近していたが、特殊信号発光機が点灯した為100m手前で停止し防護無線を発報した事で二重事故を回避している。
事故後、現場カーブ及び直前区間の制限速度強化やATS-Pの整備などを行い6月19日に運転再開。その後事故当時殆ど無いに等しかった余裕時分を含んだ「ゆとりダイヤ」を山陽新幹線を含む各線に適用している。また、事故に伴いCMや「DISCOVER WEST」キャンペーンは一時中断され、JR東海が代替キャンペーンとして「のぞみで西へ」を展開した。
なお、この事故に伴い新快速の140km/h化は事実上凍結された他、山陽新幹線も500系導入時のような大幅なスピードアップは行えなく行われなくなった。また、事故後導入された321系の塗装に207系も変更され、225系以降は事故を受けての対策が採られている。
※詳細は下記リンクの、航空・鉄道事故調査委員会(現:運輸安全委員会)による鉄道事故調査報告書を参照されたし。
事故背景・原因
当該列車の事故発生までの様子
当日、当該列車は事故現場前の伊丹駅で72mものオーバーランをしていた。運転士は伊丹駅発車後車掌に(乗務員同士で交信を行う車内電話を通じて)オーバーランの距離を少なくして報告するよう要請している。その後、口裏合わせのため、車掌と総合指令所との列車無線に傾注しつつオーバーランの言い訳等を考えながら運転したために、前方への注視が外れてブレーキの開始が遅れ、問題のカーブに120km/h前後で突入したと推測されている。
過度な日勤教育
本事故の間接的要因として、不手際を起こした乗務員に対して「日勤教育」という非常に悪辣な処罰が行われていたことが挙げられる。日勤教育の詳しい内容は航空・鉄道事故調査委員会による鉄道事故調査報告書を参照していただきたいが、これはむしろ乗務員たちに対して逆方向に働き、日勤教育を受けたくないという気持ちが余計にプレッシャーを増加させるだけに終わっていた。事故を起こした運転士は入社11か月という新人であったが、過去3回の日勤教育を受けており、精神的にかなり疲弊していたと考えられている。不手際を起こした際の処罰を恐れる隠蔽の気持ちが乗務中に働いた結果が、上記の車掌への車内電話と考えられている。
※事故現場の遺留品や列車無線の交信履歴等はあるものの、当該列車の運転士は亡くなっているため、速度制限を超えてカーブへ進入した本当の理由は不明である点に留意されたい。
以下は、本事故の直接的原因ではないものの、事故発生当時のJR西日本の問題点として挙げられる件である。
余裕のないダイヤ設定
JR西日本では、並走する私鉄に対抗する、所要時間短縮のための余裕のないダイヤ設定をする傾向にあった。事故発生当時、運転士が列車の遅れを取り戻すために意図的に制限速度を無視した可能性が疑われたため、JR西日本が余裕のないダイヤ設定をしていたことに批判が寄せられていたが、航空・鉄道事故調査委員会により、事故直前の様子が判明したために、回復運転原因説については公式の事故調査報告書では否定されている。
本事故発生以降、JR西日本では、列車遅延が発生した際の回復運転が可能な余裕時分を加味したダイヤ設定を行うようになった。
当該編成
進行方向側より、207系 Z16編成(4両)+S18編成(3両)。
Z16編成 | S18編成 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
クハ207-17 | モハ207-31 | モハ206-17 | クハ206-129 | クモハ207-1033 | サハ207-1019 | クハ206-1033 |
祈りの杜 福知山線列車事故現場
施設の特徴
事故から13年目を迎えた2018年1月から、事故現場のマンション周辺を整備して慰霊の場とする工事が着手され、同年9月に完了した。[1]
列車と衝突したマンションは4階部分まで保存され、マンションを覆うようにアーチ状の屋根が取り付けられた。(⇒外観写真(日本経済新聞))
敷地内には慰霊碑が列車とマンションの衝突場所に向かって建てられ、事故で亡くなってしまった乗客の御霊に祈りを捧げる気持ちを表現している。(⇒慰霊碑 実物写真(日本経済新聞))
また、マンション内は地下1階と1階が事故の悲惨さを伝える資料館と事故に遭われた方やその遺族の哀悼の意を示す慰霊場となっている。こちらは、一般の人でも自由に出入りできるが、「ここが事故現場である」ということを肝に銘じて訪れてほしい。(観光気分で訪れることは、絶対厳禁である。)
また、撮影禁止、敷地内全面禁煙、飲食禁止、遊戯行為禁止、ペット同伴禁止なので、こちらも要注意である。[2]
なお、事故後から毎年4月25日に開催されている「福知山線脱線事故追悼慰霊式」の会場があましんアルカイックホールから、2019年からはこの祈りの杜で開催されることが決定している。事故現場となった場所で開催されるのは事故後初めてとなる。[3]
入館案内
- 開放時間・・・8:00~20:00(荒天時、臨時休業あり)
- アクセス・・・JR尼崎駅より徒歩20分
- 入館料・・・無料
- その他注意事項…来場時に入口で記帳が必要となる。なお、式典が開催される4月25日は一般開放時間が制限される。
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
関連リンク
脚注
- *「祈りの杜(いのりのもり) 福知山線列車事故現場」について (JR西日本ニュースプレスリリース)
- *祈りの杜 福知山線列車事故現場 (JR西日本 福知山線列車脱線事故について)
- *福知山線列車事故追悼慰霊式について (JR西日本 ニュースプレスリリース)
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