U-488単語

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U-488とは、第二次世界大戦中にドイツ海軍が建造・運用したXIVUボート8番艦である。1943年2月1日工。3回の戦闘で43隻のUボートに補給を実施した。1944年4月26日カーボベルデ西方にて、駆逐艦から対潜攻撃を受けて沈没

概要

XIVとはIXDの設計を流用した補給用Uボートである。通称ミルヒクー(乳牛)。

イギリスの圧力で、スペインカナリアにあるドイツ海軍基地が使えなくなった事を受け、遠洋作戦中のUボートに補給を行う2000トンUボートとして、1939年9月8日カール・デーニッツ元帥部に3隻の建造要請を出したのがXIVの始まりとなった。

体の全長を短めにして、全幅を広く取る事で貨物スペースを確保し、またデッキスペース滑化して補給作業を容易なものにしている。ただ側が低いので荒天時の作業は困難だったという。複殻構造を採用しており、耐圧殻厚は21.5mmと、VIIIXよりも3mm厚く、最大潜航深度が30m深い。部品はVIICから流用、艦IXのものを同じものを使用して生産性を向上させた。

作戦中のUボートに洋上補給を施して、期間を延長させるのがXIVの役割であり、魚雷4本、燃料720トン、潤滑34トン19.5トン、蒸留3トンVIIC12隻分もしくはIXC5隻分の食糧を積載可XIVには軍医が乗していて時には傷病者の診察も行った。艦内にパン製造機を持っているため焼きたてパン提供する事も可だった。

輸送団を震えあがらせるUボート、その活動期間を延長させるXIV連合軍にとっては、まさに悪魔のような存在であり、戦況を左右する重要な艦と認識して集中的に攻撃を加えた。ロンドン連合海軍本部は「いかなる犠牲を払ってでも乳牛を捕まえろ!」と命していたほど。

Uボートでありながら魚雷や甲を備えておらず、対用の37mm機関と20mm機関程度しか兵装を持っていなかった。一応シュノーケルを装備し、耐圧殻の厚さから他のUボートより深く潜れる強みこそあったものの、図体の大きさが祟って潜航に時間を要する上、操艦もしにくく、また連合軍から集中的に狙われたため1943年だけで7隻が沈没1944年に活動していたのはU-488とU-490の僅か2隻のみだった。最終的に建造された10隻全てが失われている。

XIVU-459U-460、U-461、U-462、U-463、U-464の6隻がドイチヴェルAG社、U-487、U-488、U-489、U-490の4隻がゲルマニアヴェルフトAG社で建造された。

排水量1688トン、全長67.7m、全幅9.35m、最大速力14.9ノット(水上)/6.2ノット(水中)、出力3200力、予備浮力368トン、安全潜航深度120m、最大潜航深度240m、急速潜航時40、乗組員53~60名。兵装は37mm単装機関1門と20mm連装機関1基のみ。

艦歴

1941年7月17日発注1942年1月3日ゲルマニアヴェルフト社のキール所にて、ヤード番号557の仮称を与えられて起工、同年10月17日に進し、1943年2月1日工を果たした。初代艦長には33歳のエルヴィンバートケ中尉が着任。

工するとともに、シュテッティンに本拠を置く訓練部隊第4潜隊群へ編入され、バルトにて慣熟訓練に従事。に予定されている大西洋大攻勢に間に合わせるべく訓練期間は短めであった。5月1日ボルドーの第12潜隊群に転属。

1回目の戦闘航海

1943年5月18日にU-488はキールを出撃、5月20日ノルウェー南部潜水艦基地クリスチャンサンへ寄港して燃料を補給し、ノルウェー西北上したのち、アイスランドフェロー諸島間を通って北大西洋に進出する。

1943年5月は「ブラックメイ」と呼ばれるUボート暗黒期で、118隻のUボート作戦行動中だったが、連合軍の対潜技術向上により最大級の喪失を出し、5月24日には損を恐れたカール・デーニッツ元帥中部大西洋での作戦を一時中止して退却を命。したがって大西洋で活動中のUボートは少なかった。

5月28日、GUS-7A団を迎撃するため、18隻のUボートで編成されたウルフパック「トゥルッツ」への補給任務を命じられる。ところが「トゥルッツ」所属のUボートは敵団を発見出来なかったため逐次U-488のもとを訪れて補給を受ける事に。6月6日からはU-488も「トゥルッツ」に所属し、6月30日までにU-92とU-569を除く26隻のUボートに燃料、食糧、飲料医師の診断などを提供。U-488の献身的な補給のおかげで「トゥルッツ」Uボート作戦期間を大幅に延伸した。

7月1日にU-634U-257へ燃料を補給したところで全ての補給用燃料を使い切り、帰路に就く。7月10日、53日間に及ぶ作戦期間を終えて、ドイツ占領下フランスボルドーへ入港した。

2回目の戦闘航海

9月7日ボルドーを出撃して二度戦闘を開始。

9月15日、ケープタウン通商破壊中のUボートに対する補給任務を受領し、9月28日から10月4日にかけてアゾレス西方で活動中のU-68、U-103、U-155に補給を実施。アゾレスでは連合軍の厳しい航空が行われており、U-68と合流する時にU-488は中の敵艦載機発見を報告した他、10月7日には部より敵艦載機に注意するよう命が出されている。これを受けてU-488は間のみ浮上、間は潜航状態で過ごして敵機をやり過ごした。

10月11日にはU-402、U-584、U-731に補給を行った。翌12日19時6分、悪の中、護衛空母ガードから発進してきたアベンジャー雷撃機2機がU-402に補給中のU-488を発見、500m間隔で両舷を護衛していたU-256U-271が対射撃を浴びせかけ、U-488は右側へ回避運動を取りながら潜航を始める。潜航し終えたU-488に向けてアベンジャー音響誘導魚雷フィドを発射。ガード側はU-488の撃沈を確信した(実のところU-488は傷で逃走に成功、代わりにU-402が撃沈された)。数時間後、再度敵機に攻撃されたが、こちらも何とか振り切っている。

10月13日、U-488を含むUボート14隻でウルフパック「シュリーフェン」を編成、ラインを形成するよう示され、U-488には護衛としてU-256U-271が伴走した。10月17日までにU-378、U-641、U-731、U-758への補給を済ませ、南西方面に進む。10月20日、対を引き受けていたU-271が別の標を与えられて離脱。伴走者はU-256のみとなる。

10月25日19時4分、護衛空母ブロックアイランド率いる第21.16任務部隊に発見され、周囲を間のように照らす照明弾が打ち上がった。奇襲を受ける格好となったU-488は慌てて潜航退避しようとするも、し切る前に護衛駆逐艦ロットから飛んできた4インチ弾が穿つ。更に、駆逐艦群がU-488にトドメを刺すべく大量の爆雷を投下してきたが、U-488は命からがら助かり、応急修理のため南西へ逃走、敵の包囲網を脱する。

11月11日にバミュー域南東へ移動。ここでU-129、U-193、U-214、U-530に補給を行う。

度重なる敵機の襲撃で、あまりにもU-488が危険に曝されたため、11月13日に基地へ帰投するよう命が出された。というのも、去る10月4日姉妹U-460が撃沈され、補給任務を行えるのがU-488しかいなくなってしまった事も、帰投命に繋がったと思われる(U-490は就役こそしていたが訓練中の事故で実戦投入が遅れていた)。U-488は11月14日域を出発。帰路の11月25日、ハインツ・ハインライン外へ転落し、救助されたものの心不全で亡くなっている。

12月12日、96日間の任務を終えてボルドーへ帰投した。停泊中に二代艦長ブルーノ・スタッド中尉が着任する。

3回目の戦闘航海

1944年2月22日ボルドーを出港。歴戦のU-123を含む9隻のIXUボートフリータウン及びギニア湾で精力的に通商破壊を行っており、U-488は同方面のUボートに補給を命じられて西アフリカに配備された。U-488は7隻のUボートに補給を行う。その中には日本占領下ペナンに向かうU-843も含まれていた。

3月11日、護衛空母ブロックアイランドを基幹とした第21.16任務部隊がアゾレスで活動中のU-488を追跡するためにカサブランカを出撃。補給予定だったU-801とU-1059を撃沈したがU-488の捕捉には失敗している。連合軍に暗号解析されている事を憂慮した部は解読手順をより複雑化した暗号、通称「マスク」を考案し、3月14日、その最初の暗号がU-488に送信された。

3月29日U-123と合流して燃料、エンジンオイル、14日分の食糧を補給。U-123送信機が故障していたため補給作業中に口頭で集めた情報を聞き取り、「間の沿付近では航空が活発」「上でのど行われていない」とU-488から部に報告した。

4月8日、補給を受けるためU-66、U-68、U-129、U-515、U-537がU-488との合流地点へと移動を始めた。ところが4月19日にU-543が合流地点で敵艦載機を発見して急遽補給ポイントを変更している。

4月21日、5隻の連合を撃沈して帰の途についているU-66が現在位置を報告するが、予想以上に燃料不足が深刻だったためU-488の方から迎えに行く必要が生じ、パリBdU(Uボート部)は「4月26日にU-488と合流せよ」と命じた。このエニグマ暗号アメリカ軍に解析され、護衛空母クロアタンと護衛駆逐艦5隻で編成されたハンターキラーグループに2隻の撃沈を命。U-488とU-66の通信に聞きを立てながらクロアタンは大量のアベンジャーを放って大規模な間捜索を開始する。

最期

1944年4月26日、アゾレス北西、U-66との補給地点に到着したU-488を待っていたのは、ハンターキラーグループであった。異変を察知したU-488は潜航退避するも、駆逐艦フロストソナー探知される。まずインチが2回に渡ってヘッジホッグ攻撃を実施。この攻撃をU-488は何とか回避、爆雷が炸裂したが荒れてソナーが一時使用不能になった。

穏になった後、再びソナー中を探ってみると170mのところで動かずに潜んでいる事が分かり、今度はフロストスノーデン、バーバーの3隻から一斉に爆雷投下を受けた。破片は浮かんでこなかったが反応も消滅したためアメリカ軍は撃沈と判断した。乗組員64名全員死亡。ちなみにU-66は合流地点に現れず難を逃れたが、それから間もない5月1日沈没

U-488の喪失によりXIVU-490のみとなり、そのU-490も2ヶも経たないうちに撃沈されている。またU-488の喪失でドイツ海軍潜水艦による補給を打ち切った。

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