U-256単語

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U-256とは、第二次世界大戦中にドイツ海軍が建造したVIICUボートの1隻である。1941年12月18日工。対特化のU-Flak(フラック)2に改装されたり、艦撃沈戦果より敵機撃墜の方が多かったり、三度の退役を経験していたりとUボートの中では特異な艦歴を持つ。1944年10月23日退役。1945年5月ベルゲンでイギリス軍に捕獲されて解体された。総戦果は1隻撃沈(1300トン)、敵機3機撃墜+自滅1機。

概要

第二次世界大戦開戦劈頭の1939年12月23日、ブレーマーバルカンベジザッカーヴェルフト社のブレーメンベジザック所に発注され、1941年2月15日にヤード番号21の仮称を与えられて起工、10月28日に進し、12月18日工を果たした。初代艦長にオド・ロエベ中尉が着任するとともに訓練部隊の第8潜隊群へ編入されて慣熟訓練に従事。

1回目の戦闘航海

1942年7月28日ドイツ占領下フランスに進出するべくキール軍港を出港。カデカット峡とスカゲラ峡を通過し、翌日ノルウェー南部クリスチャンサンへ寄港して燃料との補給を受け、7月30日に出発。中の8月1日ブレストを本拠地とする第9潜隊群へ転属となった。ノルウェー西北上した後、Uボートの通りとなっているアイスランドフェロー諸島間を通過して狩り場の北大西洋へと進出。8月5日、U-593が敵団を発見して追跡を開始。たまたま付近にいたU-256、U-379、U-605団攻撃へ投じられる事となり、南西方向へ舳先を向ける。8月7日から11日にかけてUボート14隻からなるウルフパック「スタイブリンク」に参加。U-176、U-379、U-607、U-704が相次いで団発見の報告を出したものの一向に発見出来ずにいたU-256はその4隻に対して誘導ビーコンを出すよう要している。

8月8日、僚艦からの報告で敵団は7~8ノットの速力で東に針路を取っている事が分かり、その先にはU-256を含む5隻が線をっていたため攻撃チャンスと思われたが、敵の対潜哨戒機が飛来したせいで潜航または退避を強いられる苦しい戦いに変貌。8月9日21時駆逐艦ジャーヴィスに向けて3本の魚雷を発射するも不成功。この接触を最後に敵団を見失った。「スタイブリング」は8月11日に解散、U-210とU-379を失う損を受けたが一定の戦果を挙げる事が出来た。同日中にU-256を含む19隻が加わった「ロース」に参加。北米イギリスを往来する敵団を獲物とする。

8月13日正午線傍受したところ西進する敵団が発見され、これを捕捉・撃滅するべくU-256、U-174、U-438の3隻が北西に向けて移動。しかし傍受した通信が誤っていたのか敵団は通過せず、翌14日午前1時より8ノットの速力で索敵を再開。6分後、U-705が北東に幾つかのを確認、その直後にU-256も北西方向に敵団が航行しているのを撃し、U-596、U-604、U-755へ追跡命が下される。8月15日午前11時53分にジグザグ運動を取る大を発見、翌16日には線から立ち昇る濃い煙を2回撃しているが最大速力を以ってしても距離を縮める事が出来なかった。ロエベ艦長は「駆逐艦と高速グループUボートを振り切るために様々な航路変更を行っている」と推測。

8月24日午前9時15分、U-705から「速力7ノットで敵団を追跡している」との報告が入り、周囲のUボートが攻撃に向かう。19時18分にU-256は接触中のUボートに誘導信号を要するが、その敵団にも強力な護衛が付いていたため、まず最初にU-755が消息不明となり、U-373駆逐艦から対潜制圧を受けて潜航を強いられ、U-174とU-596は撃退。かろうじて団を捕捉したU-256も翌25日午前1時5分に爆雷攻撃を受けて損傷、離脱しなければならなかった。午前2時42分、グリーンランド南部にて撃沈されたノルウェー蒸気トロラの生存者救助を行っていたノルウェー海軍フラワーコルベット「エグランティーン」のレーダーに捕捉され、辺りを間のように照らす照明弾が打ち上げられた。「エグランティーン」は救助活動を中断して潜航退避したU-256の撃滅に向かい、爆雷を投下。投下された10発の爆雷のうち1発がU-256に損傷を与え、排気口からの浸により一時深200mにまで沈んでしまう危機的状況に追いやられた。やがて「エグランティーン」は午前2時58分にON-122団の護衛に復帰。その約30分後にU-256は深海からの奇跡の浮上に成功したものの、大きな損傷を受けたためこれ以上の戦闘困難となり、フランス方面への移動を開始。

ビスケー湾まで辿り着いて後少しで入港出来ると思われた9月2日午前8時30分、空軍第77飛行隊のホイットリー爆撃機に襲撃され、機掃射を受ける。今やビスケー湾はイギリス空軍に制権を握られていて堂々航空攻撃を受ける事もしくなかった。続いてホイットリーは2~3発の爆弾を投下、幸い爆弾はU-256の後方約15mに着弾して命中しなかった。対するU-256は潜航退避ではなく対射撃で応戦。敵機が低を飛んでいた事もあり、対がコクピットに命中するのを乗組員が確認、すると敵機は薄い煙の尾を引きながら離脱していった。その後、ホイットリーからと思われるSOS信号が出されたもののパイロット5名ともども消息を絶つ。どうやらU-256の機弾が致命傷を与えて上へと不時着させたらしい。

9月3日満身創痍の状態で辛くもロリアンへ入港。しく傷ついていたため潜水艦まで辿り着く事が出来ず、機関室には高さ1mの浸が認められるなど浮いているのが不思議なほどだった。ひとまず耐圧殻を溶接して応急修理を行い、9月22日ロリアンを出港して翌23日にブレストへ回航、10月下旬にドックへ入渠して本格的な修理を受ける。

U-Flakへの改装

ビスケー湾の制権が敵に握られている事はU-256が身を以って明した。ずたぼろにされたU-256を見てドイツ海軍上層部はビスケー湾を往来するUボートを敵機の脅威から守るため、対装備でガチガチに固めた特殊なUボート「U-Flak」を考案。通常のUボートの中に紛れ込ませて敵機に対するトラップにしようと考えた。たまたま大破状態で修理が必要だったU-256はU-Flakへの改装におあつらえ向きであり、1942年11月30日一度の退役を迎える。そして1943年5月よりペンフェルト川上流の桟へ移動して改装工事が行われた。20mm四連装機2基、実験用の37mm四連装機関、20mm単装2門、対ロケット弾、MG42機関銃2丁を新たに装備。際立った対を獲得した代償に航続距離が極端に下がってビスケー湾内での運用しか出来なくなり、搭載魚雷本数は自衛用の5本のみ、増えた座を運用するための手を便乗させた事で艦内はとても窮屈になったとか。最終的にU-441、U-256、U-621、U-953の4隻がU-Flakに改装されている(U-211、U-263、U-271も改装予定だったが実行されず)。最初に工事に着手したのはU-256だったが遅延によりU-441が先に工事了したため、U-441が「U-Flak1」、U-256が「U-Flak2」となった。

8月16日、改装工事了とともに二代艦長にヴィルヘルム・ブラウエル中尉が着任。8月18日から造所で試運転や試験潜航を行う。

2回目の戦闘航海

1943年9月4日ブレストを出港し、アゾレス北部にある給油地帯の対任務に就いた。

10月8日午前3時34分、U-256の前にウェリントン爆撃機が襲来し、リーライトの照射をしてきた。対するU-256は自慢の対空砲火でウェリントンの機体右側と尾部に命中弾を与え、すかさず潜航退避。敵機は被弾したにも関わらず基地まで帰投したため引き分けに終わった。10月28日午前10時12分、U-220ともども護衛空母ブロックアイランドの艦載機に襲撃される。敵機は距離6000~8000mの距離を旋回しながら適切な攻撃位置へ就こうとするも、U-256から放たれる37mm機関に阻まれて動きが不自由になる。増援を呼ばれたと直感したブラウエル艦長は潜航退避を命し難を逃れた。

11月16日午前2時8分、ハリファックスMk.爆撃機がU-256の艦尾側から接近してきたため、彼我の距離が200mになったところで対空射撃を開始。砲火を受けて驚いたのかハリファックスMk.Ⅱは右舷側へと一時戦線離脱、再び戻ってきた時にはU-256は潜航済みだった。11月17日、ブレストに帰投。

U-Flakは登場から2ヵほどはイギリス軍を驚かせたが、次第に敵機は対火器の射程が及ばないギリギリの所を旋回して水上艦を呼び寄せて集中攻撃を行うという対策を行うようになり、また戦果もあまり出ておらず(6回の対で撃墜出来たのは2機のみ)、既に通常のUボートですらU-Flakに匹敵する対力を獲得しつつあったため、1943年11月を以って全てのU-Flakを元のVIICへ戻す決定が下された。12月に通常任務へと復帰。

3回目の戦闘航海

1944年1月25日15時、U-91とともにブレストを出港。予定ではU-413も一緒に出港するはずだったが姿を現さなかった。護衛の掃海艇や僚艦と別れた後はアイルランド西南と西部を遊する。2月3日から17日までウルフパック「イーゲル」に参加。2月9日午前11時1分、U-256は敵団を発見してT5音響魚雷を発射、敵駆逐艦撃沈を報告した(該当艦し)。総勢15隻のUボートが参加したにも関わらず戦果ゼロ、それどころかU-238、U-424、U-734の3隻が失われるという、連合軍の対潜技術向上をイヤと言うほど思い知らされる。2月17日からは「ハイ1」に参加。16隻中5隻喪失と更に手酷い被害を受けた。

2月20日20時11分、ON-224団を狙って艦首と艦尾の魚雷発射管から2本の魚雷を発射。2回の爆発音と沈没音を聴音して駆逐艦2隻撃沈と判断する。実際はブラックスワンスループ「ウッドペッカー」(1300トン)の艦尾に1本が命中、残り1本はスループ「スターリング」の近くで爆発していた。艦尾を失った「ウッドペッカー」は他のスループに航されてデボンポートへ向かったが、中の2月27日に悪で転覆して喪失。「ウッドペッカー」はこれまでに6隻のUボートを協同撃沈した難敵であった。2月22日からはウルフパック「プロイセン」に参加。31隻が参加する大規模なものだったが撃沈戦果は5隻、喪失は6隻とイマイチ振るわなかった。3月10日16時30分と55分にU-625からの遭難信号を受信。パリ部を置くBdU(Uボート艦隊部)は半径160マイル以内にいるUボートに救援へ向かうよう命じ、140マイル離れた所にいたU-256と、110マイル離れた所にいたU-741が救難に向かった。遭難域をU-741と捜索するが、損傷がしかったU-625は既に沈没していて生存者すら見当たらない絶望現実を突きつけられる。BdUは特別な命を受けるまでU-625の捜索を諦めないよう示。

3月11日21時48分、救難活動中にU-256は1機の敵機が近くに墜落するのを撃。墜落したのはカナダ軍のウェリントン爆撃機で、U-256を攻撃しようと低飛行していたところ、操縦ミス1500m先の中へ突っ込んでしまい、パイロット6名全員死亡。言わば自滅であった。それから約1時間半後の23時12分、ビスケー湾付近で今度はイギリス空軍B-24リベレーターが現れ、機掃射を浴びせてきた。すかさずU-256は20mm対空砲と37mm対空砲で反撃し、右翼と胴体に命中させる。B-24は頭上50mを航過したのち6発の爆雷を投下、その直後500m離れた場所に墜落して積載していた爆弾誘爆パイロット10名全員死亡した。U-256に被害かった。度重なる航空攻撃を受けた事でU-256とU-741は捜索を断念すべきだと考え、遭難域を出発。U-625の乗組員は全損と判断された。3月22日ブレストに帰投。

4月1日から6月6日まで救難用Uボートとしてブレストで待機。

4回目の戦闘航海

6月6日午前1時Uボート艦隊部に連合軍の侵攻艦隊が出撃したとの第一報が入った。シュノーケルを持っていないU-256は他18隻の僚艦とともにビスケー湾にて線をり、連合軍の上陸阻止と攻撃を命じられて同日出撃。リシャートで敵を待ち受けた。6月7日第224飛行隊所属のB-24と交戦して撃墜する事に成功したが、自身も大損を負って帰投せざるを得なくなり、翌8日にブレストへ戻った。後少し撃墜が遅ければ艦を放棄しなければならないほどの損傷だったという。ちなみにB-24が面に叩きつけられる時の様子をU-963が撃していた。

6月25日二度の退役。本来であれば損傷の大きさから自沈処分される運命にあったU-256だが、地獄の淵で幸運の女神が微笑んだ。8月初旬から連合軍はブレストロリアンを封鎖しようとブルターニュ半島を進撃し続けており、U-256が停泊しているブレストにも敵の魔手が及んだため、所属先の第9潜隊群が解隊。ギリギリまで現地に留まって揮を執っていたインリヒ・レーマン=ヴィレブロック少佐(元U-96艦長)が逃げ遅れてしまうも、半ば放置されていたU-256に生還の希望を見出して緊急修理を命じ、8月11日からブレスト海軍所に入渠して応急修理シュノーケルの取り付け工事チューブフランジ設置を実施。8月16日に再就役を果たし、9月2日に出渠するとともに三代目艦長としてヴィレブロック少佐が着任。

5回目の戦闘航海

ノルウェーへの逃亡に望みと生存を賭け、U-256は9月4日ブレストを脱出、辛くも包囲網が閉じる前にフランスから逃げる事に成功。ちなみにU-256は最後にブレストを脱出した艦だった。連合軍はUボートの脱出を阻もうと航空攻撃を仕掛けてきたが、新たに搭載されたシュノーケルは長時間の潜航を可にすると同時にレーダーに引っかからない画期的な技術だったためビスケー湾、ユトランド諸フェロー諸島上封鎖を事突破。

9月29日ベルゲン経由で本域まで帰投するよう命を受け、その後も通過報告をするよう何度も命が送られたにも関わらずU-256からは応答がく、ベルゲンへの到着予定日から10日を過しても姿を見せなかった事から、10月11日ドイツ海軍ビスケー湾で触雷して沈没と判断した。ところが10月17日、何の予告しにU-256がベルゲンに入港。軍の喪失判定とは裏に生きていたのである。どうやらヴィレブロック艦長の判断で絶対的な線封鎖を行っていたらしい。また通常であれば30日間の航行で到達出来るにも関わらず、何故ここまで時間が掛かったのかは未だ明らかにされていない。ともあれ10月23日三度の退役。今度こそ本当の退役だったようで予備部品扱いとなり他のUボートを直す材料に。

12月1日ヴィレブロック少佐ベルゲンを拠点とする第11潜隊群のに就任して艦を離れた。

最期

1945年5月ドイツの降後にノルウェーへ進出してきたイギリス軍が体を捕獲。もはや使い物にならなかったのか解体処分された。戦時下でありながら撃沈ではなく退役という「寿命死」を迎えられた幸運な艦であった。

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