フサイチホウオーとは、日本の元競走馬である。
2007年皐月賞で激戦を演じ、第74回日本ダービーで圧倒的1番人気になったことで有名。そしてその後、「塞翁が馬」という言葉を体現する存在になったことも……。
父はジャングルポケット、母はアドマイヤサンデー。全妹にトールポピー、アヴェンチュラがいる。
主な勝ち鞍
2006年:東京スポーツ杯2歳ステークス(GIII)、ラジオNIKKEI杯2歳ステークス(GIII)
2007年:共同通信杯(JpnIII)
2004年のセレクトセールにおいて「フサイチ」の冠名で有名な関口房朗氏に約1億円で落札される。
馬名はスポーツ報知の公募により決定。ホウオーとはスポーツ報知からとって「報王」などが由来とも言われているが JRA公式では冠名+鳳凰ということになっている。
当初は9月の札幌開催でデビューする予定だったが、飛節に腫れが出たためデビューは10月の東京芝1800m新馬戦となった。 調教でも好時計を出していた本馬は一番人気に支持され、レースでも2着馬に3馬身差をつけ快勝した。
デビュー戦の内容から、陣営は2戦目にいきなり重賞である東京スポーツ杯2歳ステークスを選択。 相手には後にGⅠを3勝するドリームジャーニーをはじめ後にGⅡを勝利することになるフライングアップルやトーセンクラウンなど好メンバーが揃った。 その強豪馬たちを相手に1番人気に押されたフサイチホウオーは先行策から抜け出し、最後はフライングアップルを半馬身抑え勝利した。
3戦目は朝日杯フューチュリティステークスには向かわずラジオNIKKEI杯2歳ステークスへ。ここでも粘るヴィクトリーを首差交わして、無傷の重賞3連勝を飾った。この年の最優秀2歳牡馬には朝日杯を制したドリームジャーニーが選出されたが、同馬を東スポ杯で下していることなどを材料として、フサイチホウオーは来年のクラシック最有力候補に推されるようになった。
3歳になったフサイチホウオーは初戦として共同通信杯に出走。ここにはディープインパクトの弟としてデビュー2連勝を飾ったニュービギニングも出走しており注目の対決となったが、ニュービギニングが4着に沈んだ一方でフサイチホウオーは追い込んできたダイレクトキャッチの追撃を首差退け勝利。前年から無敗の4連勝を飾った。また父ジャングルポケットも2001年に同レースを制しており共同通信杯父子制覇となった。
共同通信杯で無敗の4連勝を飾ったフサイチホウオーはトライアルレースを挟まず、直接皐月賞に出走した。
フサイチホウオーは初の中山コース、また共同通信杯以来のレースということもあって、1番人気を弥生賞を制したアドマイヤオーラに譲り、2番人気となった。共同通信杯から直接の参戦、1枠1番、そして単勝3.7倍での2番人気というのは偶然にも父ジャングルポケットと全て同じである。
レースは序盤からトライアル若葉Sを勝利して伏兵扱いで出走してきたヴィクトリーと、皐月賞と同舞台の重賞京成杯勝ちの実績があったものの、前走のスプリングSを惨敗したために全くの人気薄だったサンツェッペリンの2頭が後続をかなり離して逃げる形となり、レース前半の1000m通過は59秒台だった。しかし59秒台といっても2頭がかなり後続を離していたためほぼスローペースといったほうが良い。 最後の直線でも2頭の脚色は衰えず人気薄2頭の叩き合いに持ち込まれ競馬場内は悲鳴とも取れる歓声が挙がっていた。誰もが前の2頭でもう決まりだ…と思った瞬間、ものすごい末脚で前の2頭に迫る馬が現れる。それがフサイチホウオーだった。 外に持ち出したフサイチホウオーは残り200mから前2頭を急追、上り3ハロン33.9という末脚で前2頭に迫った。そして、前2頭に並びかけたところがゴールだった。 結果は大接戦の末、1着ヴィクトリー・2着サンツェッペリン・3着フサイチホウオーという結果に終わった。レース前から父ジャングルポケットと同じ枠、同じ人気、ならば着順も……とフラグが立っていたのかもしれないが、最後の末脚をみたファンの多くは「この末脚は府中でこそ輝く」「父を彷彿とさせる戦績(共同通信杯1着→皐月賞3着)ならば次はダービー勝利だ!フラグが立った!」「今年の日本ダービー馬は間違いなくこの馬だ」と考えたことであろう。
この年の日本ダービーは間違いなくフサイチホウオーの圧勝に終わる伝説のダービーとして歴史に刻まれるはずだった……この時は。
フサイチホウオーは皐月賞のレース振りから当然ダービーの最有力候補として臨むことになった。皐月賞馬ヴィクトリーが直線の長い東京コースには不利と見られていた逃げ脚質ということもあって、フサイチホウオーは単勝1.6倍という圧倒的な1番人気に推された。(2番人気のヴィクトリーは8.2倍)
過去ダービーで単勝1倍台に支持された馬を見てみるとシンボリルドルフやディープインパクトなど名馬どころか顕彰馬レベルの馬たちばかりである。そして今回のフサイチホウオーもダービーの勝利をステップに名馬への歩みを進めるに違いない!誰もがそう思っていた。
しかしこのダービー、フサイチホウオーとはまた別に注目されていた馬がいた。その馬は牝馬ながらもオークスをパスしてダービーへと参戦してきた。しかし牝馬のダービー制覇の例は戦前、64年前まで遡らなければならず、また直近の牝馬がダービーへ参戦したのは1996年のビワハイジであり、それも13着に惨敗したことから、この挑戦を無謀と見る人も多かっただろう。(それでも単勝3番人気に支持されていた)
そして日本ダービーは発走の時を迎える。ゲートが開くと、逃げると思われた皐月賞馬ヴィクトリーが出遅れを喫してしまう。スタンドがどよめく中外から好スタートを切ったアサクサキングスが先手を主張する形となった。2番手には皐月賞同様サンツェッペリンがつけ、出遅れたヴィクトリーも持ち直し好位につけた。 一方、フサイチホウオーはまずまずのスタートを切ると外目の中団につけた。
そして、フサイチホウオーとは別に注目されていた牝馬はフサイチホウオーより後方の内目を進んでいた。 レースが向正面に差し掛かると、フサイチホウオーはかかり気味に好位まで進出、しかしフサイチホウオーなら最後に必ず末脚を炸裂させて勝利するだろう!この時点では誰もがそう思っていた。
ダービーも4コーナーを回り最後の直線へと差し掛かると逃げたアサクサキングス未だにしぶとく粘っていた。2番手追走のサンツェッペリンも追いつめるがなかなか差が縮まらない。出遅れたのにも関わらず先行策を採ったヴィクトリーは無理が祟り既に馬群の中へ沈んでいた。だが残り300mを迎えると強烈な末脚でアサクサキングスを捉えにかかる馬がいた。
「フサイチホウオーがやっと来たんだ!」
だがその馬はフサイチホウオーではなかった。フサイチホウオーはヴィクトリーと同様馬群に飲み込まれかかっていたのである。じゃあその馬は誰なんだ?
そう…その馬とは64年ぶりの牝馬によるダービー制覇を目指し、果敢にもダービーへ挑戦した後の名牝、ウオッカであった。ウオッカは粘るアサクサキングスを残り100mで捉え、最後は3馬身差をつける歴史的な完勝劇を飾った。
牝馬によるダービー制覇は64年ぶり、戦後初、史上三頭目。牡馬クラシック三冠達成以上の快挙である。
一方フサイチホウオーは皐月賞の末脚は息をひそめ7着に敗北した。
こうして第74回日本ダービーは64年ぶり史上3頭目の牝馬の制覇という伝説となって幕を閉じた……。
ダービー後のフサイチホウオーは「鬱病を発症した」と言われるほどに調子を落とし、皐月賞で見せた末脚が嘘だったかの如く敗退を繰り返した。
神戸新聞杯12着、菊花賞8着、ダート参戦という荒療治をしたJCダートも11着……。
年が明けた2008年も中山金杯、京都記念共に15着に終わり、掲示板入りすらできぬまま、競走馬のガンとも呼ばれる屈腱炎を発症し、そのまま引退した。
ダービー前後での落差の激しさから、同じ関口房朗所有馬(ネタ馬)であるザサンデーフサイチやフサイチジャンクと似たような扱いをされることが多い。
その関口氏も、ホウオーの引退と前後して高額馬への投資を辞めると発言するなど、だんだんと競馬界の前線からは退きがちになり、ついに2010年には厩舎に預託中の馬を差し押さえられるという事態になってしまう。そのまま関口氏自身も消息不明となってしまった。
フサイチホウオーは当初乗馬となる予定だったが、全妹トールポピーの活躍もあって種牡馬入りした。
しかし種付け数は伸びず、数少ない産駒からケンブリッジサンが2014年の安房特別を勝利、その後も準オープン戦で2着に入るなど健闘はしたが、そこまでであった。
フサイチホウオー自体も種牡馬を引退し去勢され、ノーザンホースパークで乗馬として繋養されていたが、歩様が悪いために思うように使えず2016年10月に生まれ故郷であるノーザンファームへ戻ってきた。
そこでフサイチホウオーは第四の馬生にしてついに天職を得る。
ノーザンファームと関係が深いレイクヴィラファームの影響で騸馬ながらリードホース (幼駒の保護者や保育士のようなもの) になったのだが、これがどんぴしゃり。悠々自適な生活を送りつつ、子馬の面倒をよく見る良き先生となった。牧場でのあだ名も「先生」。スタッフ曰く「フサイチホウオーがあと3、4頭は欲しい。それぐらい良い先生」。
リードホースは「ママ代わり」ということもあり、従来は引退した繁殖牝馬が勤めることが通例だった。しかし牝馬では牡の仔馬に力負けしてしまったり、成長して馬っ気を出されてしまったりする場合があるという問題点があった。騸馬のリードホース導入は、こうした問題の解決策として発案されたものだという。先述のレイクヴィラファームでは2013年頃から騸馬のリードホース導入が進められており、小倉巧者のトリオンフやGI5勝牝馬メジロドーベルの息子ホウオウドリームなどはこうした騸馬リードホースに世話をされてきた馬なのだという。(参考記事)
フサイチホウオーがリードホースとして成功したこともあり、彼以外にも騸馬や引退した種牡馬をリードホースに起用する例が出始めている。ノーザンファームでは他に、ディープインパクトとダービーを争ったインティライミなどが続いている。フサイチホウオーもまさか第四の馬生にて、引退馬全体の新しい道を切り拓くことになるとは思いもよらなかったであろう。
一方、馬主の関口氏は消息不明のまま。一部ネットニュースではすでに死去したとされる。
皐月賞を争ったうちの1頭、ヴィクトリーは2017年に先立ってしまった。
また、ダービーで伝説を作ったウオッカも2019年4月、蹄葉炎を発症し没した。
そんな中、フサイチホウオーは2022年現在でもノーザンファームのリードホースとして健在である。勝てば期待馬と持て囃され、負ければネタ馬と笑われ、周りに振り回されるような現役生活を過ごした彼も、ついに競走引退馬の新たなキャリアを拓く先駆者の一頭となった。遂に安住の地を得た彼に、これからも長く穏やかな余生があることを願ってやまない。
掲示板
18 ななしのよっしん
2023/01/24(火) 15:48:45 ID: H6gcxdf49D
種牡馬や乗馬だけじゃない新たな道を切り開いたと言うのは言い過ぎか?
フェノーメノも競走馬→種牡馬→リードホースというキャリアになったし、新たなキャリアの一つとして定着すればいいな。
19 ななしのよっしん
2023/11/18(土) 00:44:39 ID: x7squCyovj
シロナガスクジラ現象が起きているので気付きにくいが、トールポピーの大百科記事はまだ無い
20 ななしのよっしん
2024/05/16(木) 20:35:43 ID: Xob9as+T/F
急上昇ワード改
最終更新:2024/11/25(月) 12:00
最終更新:2024/11/25(月) 12:00
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