ポルシェ(Porsche)とは、ドイツのスポーツカー・レーシングカーを専門とする高級自動車メーカーである。
ポルシェ(Dr. Ing. h.c. F. Porsche AG)はドイツ南西部の都市シュトゥットガルトに本社がある自動車メーカーである。高級スポーツカーとレーシングカーを専門に開発・製造し、中でも現在では少数派となった駆動方式リアエンジン・リアドライブ、水平対向エンジンをリアエンドに配したスポーツカー「ポルシェ911」は有名である。
現在も水平対向エンジンを採用している数少ないメーカーの一つであり、自動車メーカーで同エンジンを採用しているのは他にはスバル(富士重工)だけである。
モータースポーツ活動が盛んなメーカーとして知られており、主にGTと耐久を中心に活動している。強力なレーシングカーでもカスタマーに数多く売ることを始めたメーカーでもあり、ポルシェはそういう意味でもスポーツカーメーカーといえる。またル・マン24時間レースでは通算19回(歴代一位)の総合優勝を飾っており、「耐久王ポルシェ」と呼ばれている。
技術者、フェルディナント・ポルシェがダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフトからシュタイアを経て1930年ごろに独立して設立したデザイン事務所が前身となる。主にアドルフ・ヒトラーやアウトウニオン(現:アウディ)等からの依頼で自動車等の設計を行っていた。ヒトラーの国民車(フォルクスワーゲン)構想、生産台数が2152万台を越えるフォルクスワーゲン・タイプ1(フォルクスワーゲン・ビートル)をはじめ、アウトウニオン・Pヴァーゲン、風力発電機から第二次世界大戦中はキューベルワーゲンやティーガー戦車などのドイツ国防軍軍用車を中心に多種多様な物を設計していた。
戦後、フェルディナント・ポルシェは戦争犯罪人として逮捕収監され、それまでの資産などは全て没収されていた。そこを当時南オーストリア、ケルンテン州グミュントへ疎開していた、設立時からの社員で息子であるフェリー・ポルシェと姉のルイーズによって1947年に立て直したのが現在に至るポルシェである。ポルシェ356で初の自社生産を開始し、フォルクスワーゲンとの事業提携してシュトゥットガルトへと拠点を戻した。以後、ポルシェ家は1971年まで直接経営している、現在は同族経営からは脱却しているが現在に至るまでも同社の大株主である。
事実上フォルクスワーゲンの株式を傘下に収め、さらには金融機関から必要に応じて株式を追加取得できる権利も含め、約75%まで同社の株式を買い進める方針だったが資金繰りに行き詰まり、逆にフォルクスワーゲンがポルシェを買収する形で2011年半ばを目処に経営統合する予定であった。しかし、こちらも係争中の訴訟問題から難航し、2011年内に決着を見ることはできなかった。2012年8月1日にようやくフォルクスワーゲンによる買収が成立。正式にポルシェはグループの子会社となった。
ポルシェといえば、モータースポーツとは切っても切り離せない存在といえる。その関わりを、簡単に追って見る。
911に関しては、→ポルシェ911の記事を参照。
ポルシェは、最初のモデル356からすでにモータースポーツの申し子と言えた。
1951年に356のアルミボディーによるスペシャルマシンで初めてのワークス参戦を果たし、初年からル・マン24時間レースのクラス優勝をしてみせたのである。それとは別に、レン・シュポルト(Renn Sport)と呼ばれるプロトタイプカーにも着手。当時としては極めて先進的なミッドシップレイアウトの550スパイダーを開発し、1500ccの小ぶりなマシンながらル・マン24時間のクラス優勝の常連となった。さらに多くのプライベーターに販売されて、手軽に高性能なマシンを得やすくすることでレースの隆盛に大いに貢献する事になる。このポルシェの姿勢は、のちのグループC時代にも発揮されている。
1964年にはカレラ904GTSを開発。これも下位クラスながら常に大活躍した。日本では、第2回日本グランプリでのスカイラインGTとのトップ争いが、今も語り草となっている。1966年に登場した906も、同年のル・マン24時間で1-2-3フィニッシュしたフォードGT40Mk.IIに続いて4-5-6位でゴールしている。翌年にはより改良された910、そして1968年には3000ccにプロトタイプカーが制限されたことに対応した908が投入された。
1970年には5000ccのスポーツカークラスが年間25台生産の条件に緩和(これまでは年間50台)され、事実上の大型プロトタイプカーとなったことに対応し、4900ccの水平対向12気筒エンジンを搭載した917シリーズを開発。ついに念願のル・マン24時間レース総合優勝を遂げた。翌年も同じ917で連覇を達成する。
1972年にはプロトタイプカーが再び3000ccに制限されたため、ポルシェは一旦ワークス活動から身を引くが、911ベースのGTカークラスには依然参戦。1976年にスポーツカーのレギュレーション全面改訂により、新しいグループ6(2100ccターボなどのプロトタイプ)とグループ5(屋根などの一部だけ市販車を再現するいわゆるシルエットフォーミュラ)にそれぞれ936と935を投入。1976年、1977年、1979年、1981年と両マシンでル・マン24時間の総合優勝を獲った。
翌1982年から新たなグループC規定が始まり、このためのマシン956、962Cにより、1994年に至るまで優勝の常連となり、スポーツカーレースを過去最高に盛り上げる立役者となるのである。詳細は→グループC
グループC時代が去った後も、TWR(ジャガーのグループC)のモノコックをベースに962C用エンジンを積んだWSC95で1996年と1997年を連覇。代わって1998年は911GT1で3連覇を達成。再びワークス活動を終わりにする。
21世紀に入ってからは、ワークス活動を控えていたが、2013年にWECのLMGTEクラスに911RSRに参戦して復活。2014年からはLMP1クラスに919ハイブリッドで挑戦し、アウディ、トヨタといったライバルたちを相手に2015~2017年のル・マン24時間3連覇を成し遂げた。
これらの他にも、911によるワンメイクレース「カレラ・カップ」など、世界を見渡せばモータースポーツのあるところポルシェがある。
スポーツカーでの輝かしい戦績に比べると、フォーミュラカーでのそれはいささか寂しいものと言える。
1961年からF1に参戦したが、1962年にTYPE804 F1で挙げた1勝が純粋なオールポルシェの唯一の勝利である。
1983年には、TAGポルシェの名でマクラーレンチームにエンジンを供給。1984年、1985年とダブルタイトルを獲り、1986年もドライバーズタイトルを獲ったのが、現在までのもっとも大きな成功であった。
1991年には、日本のフットワークの資金を得たアロウズに3500ccV12エンジンを開発したが、当時のSWC用プロトタイプカーに兼用することを狙ったこのエンジンは全くの駄っ作に終わった。
インディカーにも1989年に挑戦しているが、満足行く成績とはならなかった。
2017年現在、上記のWECからの撤退を表明すると同時に、2018年からのフォーミュラE第5シーズンへの参戦を発表した。
ポルシェ911は、そのRRレイアウトのお陰で意外にもラリーへの適応性が高かった。1960年代のWRCラリーでは911が何度も勝利を重ねて活躍する。
1986年のパリ・ダカールラリーでは959が総合優勝している。
掲示板
77 ななしのよっしん
2024/03/02(土) 23:49:29 ID: YZSUdNgKiG
BoP政治で大成功や
メルセデススタイルの覇権時代やで
…FIAって機会均衡マジで下手くそだな
78 ななしのよっしん
2024/03/07(木) 00:15:13 ID: jmVMFSAs6O
商船三井、ポルシェを提訴 「運搬船火災は電池が原因」
https://
79 ななしのよっしん
2024/03/12(火) 19:16:28 ID: YZSUdNgKiG
自分でソース探せてないからアレだけど、タイカンの電池が中国製とのこと
まあ電池自体が問題なくても制御回路がゴミだと燃えちゃうからなあ…
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最終更新:2025/01/31(金) 01:00
最終更新:2025/01/31(金) 01:00
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