メルシーモンサン 単語


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メルシーモンサン

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メルシーモンサンMerci Mont Saint)とは、2005年生まれの日本競走馬鹿毛

引退間際の高野騎手に最初で最後のJ-GⅠ勝利を贈った、メルシー軍団第3の男。

な勝ち
2010年中山グランドジャンプ(J-GⅠ

概要

アドマイヤベガカネショウダイヤ*ダイヤモンドショールという血統。
テイエムオペラオーナリタトップロードと3強を形成した1999年ダービー種牡馬入り後8歳で世したが、障害含むGⅠ4頭を輩出し、競走馬としても種牡馬としても短いキャリアに終わってしまったことが惜しまれた。メルシーモンサンはラストクロップの1頭。
川崎に所属し42戦4勝。
は4歳時にサンクルー大賞、バーデン大賞など欧州G1を3勝したMill Reef産駒アメリカ種牡馬入りしたが大失敗に終わり、Mill Reef系をめていた日本輸入されたが、日本でも交流重賞を1頭出しただけに終わった。
叔父に同じメルシー軍団中山大障害メルシータカオーがいる。

2005年2月6日叔父メルシータカオーと同じ三石町の三石ファームで誕生。オーナーは「メルシー冠名を用いた永井康郎(「スズカ」冠名永井啓弐の)。

名意味は「冠名+山()+聖人()。モンサンミシェル(世界遺産)より」。

ありがとう、ミシェル

メルシータカオーメルシーエイタイムと同じく東・武厩舎に入厩。2007年12月8日阪神ダート1800mの新馬戦ミルコ・デムーロ上にデビューしたがタイムオーバーブービー13着に沈むと、その後も2桁着順の惨敗続き。福島・芝2600mの未勝利戦で初めて掲示板の5着に入り、長距離に活路をめたが結局5着が最高で、地では10戦未勝利のまま障害競走に転向することになった。

3歳9月障害デビュー戦(9着)は地でも騎乗していた小坂忠士騎手上を務めたが、その後しばらく休んで4歳となり、2戦障害未勝利戦から手綱を任されたのが高野騎手。……ぶっちゃけ名前も聞いた覚えがないという人の方が多いだろう。2002年デビューしたが立った実績を残せず、減量特典がなくなると騎乗数も減。2006年は年間未勝利2007年障害の1勝のみ。2008年マーメイドS川島信二の代打で騎乗した12番人気トーホウシイン重賞初制覇を達成したが、この年もそれが一の勝利だった、そんな騎手である。
高野騎手を迎えたメルシーモンサンは、そのレース単勝万馬券の12番人気で2着に好走。以降、高野騎手戦を務めることとなった。

だがそこからすんなり勝ち上がれたわけでもなく、9着、10着、5位入線で斜行により9着降着。転向6戦でようやく勝ち上がったが、続く場のオープンは何の見せ場もなく11着に終わる。

そのためジャンプS(OP)では最低人気まで評価を落としたが、人気薄になると発奮するのか4着に好走。
これを受けて営は強気に中山大障害(J-GⅠに送り出した。中山バンケット対策をしっかりつけて臨んだレースは単勝93.8倍のブービー13番人気だったが、2番人気の同冠の先輩メルシーエイタイムを前に見ながら中団で進め、キングジョイメルシーエイタイム闘には全く割って入れなかったものの5着に健闘。高野騎手も「力をつけているし、収穫のあるレースでした」と納得の結果であった。

明けて5歳となった2010年3月ペガサスジャンプS(OP)から始動したが、あまり見せ場なく6着。
そして迎えた中山グランドジャンプ(J-GⅠ不良馬場での開催となったこの年、キングジョイが回避したためメルシーエイタイムが1.9倍の断然人気。メルシーモンサンはというと、38.4倍の8番人気であった。昨年の大障害人気のわりには頑ったとはいえ、1勝では用しと見られたのも致し方なしか。
しかしメルシーエイタイムと同じような中団の位置でレースを進めたメルシーモンサンは、大生垣を越えたあたりから前に進出し好位を確保。8号障害メルシーエイタイムが落中山競馬場がどよめく中、最終障害を越えたところで逃げるテイエムトッパズレを捕まえたメルシーモンサンは、外のオープンガーデンとの一騎打ちに。必死の追いべを最後はクビ差いだところがゴールだった。

メルシーメルシーでも人気薄の方のモンサンが勝利し、地を含めても通算2勝がJ-GⅠ(他にはユウフヨウホウのみ)。高野騎手障害重賞初制覇がJ-GⅠビッグタイトルとなった。勝ち時計はなんと5:03.5レース創設以来初の5分台、2024年現在も歴代最遅の勝ちタイムという消耗戦であった。

かくして栄冠を手にしたメルシーモンサンと高野騎手だったが、高野騎手はこのとき既に度重なった落健康面に不安をきたしており、結局この年限りでステッキを置き、調教助手へと転向した。そしてメルシーモンサンも脚部不安を発症、ほぼ2年にわたる長期休養を余儀なくされる。

2012年に復帰したが、その後に語ることは何もなく、メルシーエイタイムと似た地をいて中山GJへ、というローテを組んだが3戦走って全て最下位。2013年中山グランドジャンプにて、レース終盤に最後方でひっそりと競走中止。左前靭帯不全断裂で現役引退となった。通算25戦2勝 [2-1-0-22]。

引退後は滋賀県忍者ホースクラブ(現:Vigorous Stable)で乗となり、脚元の回復後は休養調教パートナーなどを務めた。先輩メルシーエイタイムの1年間にわたる治療生活にも付き合っている(詳しくはメルシーエイタイムの記事を参照)。
その後、引退繋養展示事業の助成対となって2017年鹿児島ホーストラストに移り、以降はそこで余生を送っている。
メルシー軍団先輩叔父メルシータカオーは現役のまま予後不良となり、メルシーエイタイムレース中の予後不良級の故障から1年間の治療生活を経て命を落とした。メルシーモンサンは先輩たちの分まで末永元気でいてほしいものである。

血統表

アドマイヤベガ
1996 鹿毛
*サンデーサイレンス
1986 青鹿毛
Halo Hail to Reason
Cosmah
Wishing Well Understanding
Mountain Flower
ベガ
1990 鹿毛
*トニービン *カンパラ
Severn Bridge
*アンティックヴァリュー Northern Dancer
Moonscape
カネショウダイヤ
1993 鹿毛
FNo.1-e
*ダイヤモンドショー
1979 鹿毛
Mill Reef Never Bend
Milan Mill
Crown Treasure Graustark
Treasure Chest
ウィスパーモア
1986 鹿毛
マルゼンスキー Nijinsky II
*シル
メルシーブルー *ダイアトム
マミーブルー

クロスNorthern Dancer 4×5(9.38%)

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