「天草四郎(あまくさ・しろう)」(1621/1623年?-1638年)とは、江戸時代初期のキリシタンである。
本名は益田四郎、諱は時貞(ときさだ)。洗礼名はジェロニモ、またはフランシスコ。
ここから「天草四郎時貞」とも呼ばれ、島原の乱における総大将として、徳川幕府を相手に戦った。
出生時期や血脈については諸説あるが、キリシタン大名・小西行長の家臣、益田甚兵衛の子という説が有力。肥後国(現在の熊本県)天草諸島・大矢野島に生を受けたと伝えられる。
関ヶ原の戦いで主君が斬首され、浪人となった父と共に肥後国・宇土に移り住む。幼い頃から非凡な才能を示し、キリスト教を初めとした学問に親しんだという。
俗説によると、天草四郎は類稀なる美少年で
といった奇跡を起こしたとされる。
事実はどうあれ、彼は「神の子」として、迫害が強められつつあったキリシタンや、旧領主家臣らの心の支えとなっていった。
寛永14年10月25日(1637年12月11日)、島原の乱が勃発する。
事の起こりは、新たに島原に入封した領主、松倉重政・勝家親子による苛烈な悪政だった。飢饉にも関わらず重い年貢を科され、更にはキリシタンとして迫害された百姓達による不満が爆発して一揆が起きる。
これに旧領主の有馬家・小西家・加藤家に仕えた浪人や国人らが加勢し、大坂の陣以来起こる事のなかった戦が起きてしまった。
当時の天草四郎は、わずか15歳にしてそのカリスマから信奉を集め、名を知られていた。その為、乱の首謀者達によって一揆軍の総大将に据えられる。
またたく間に膨れ上がった一揆軍に対し、島原藩は討伐軍を派遣したが敗走、退却して島原城に籠城する。城下に押し寄せた一揆軍は城下町を焼き払い、略奪行為を働いた。
肥後天草では拠点を攻撃し、富岡城代・三宅重利を討ち取るなど戦果を挙げる。しかし討伐軍が接近している事を知った一揆軍は有明海を渡って島原で合流、当時既に廃城だった原城に立てこもる。かくして約37,000人の一揆軍(うち半数以上が非戦闘員)による籠城戦が開始された。
ちなみにこの一揆軍には、キリシタンではないのに集落単位で巻き込まれ、無理矢理参加させられた者もいる。反乱そのものに反対し、一揆軍を追い返した集落について記録が残っている。
これに対して幕府は板倉重昌を派遣して総大将とし、九州の諸大名らで結成された討伐軍が鎮圧に当たったが、守りは固く戦闘は熾烈を極め、何度も敗走させられた。
これは一揆軍の団結力が高く、また三方を海に囲まれた原城の守りが固かった一方、当初討伐軍の諸侯の足並みが揃わなかった事、せいぜい1万5千石の小藩主に過ぎない重昌が諸侯の統制を取り切れなかった事が原因と考えられる。
知らせを受けた三代将軍・徳川家光は激怒し、その才知から「知恵伊豆」と呼ばれた松平信綱を総大将に任じる。功を焦った板倉は信綱到着前に原城を落とそうと無理に突っ込んだ結果、あえなく討死してしまった。
新たな総大将の下、討伐軍は九州の諸大名の軍勢に仕官の口を求めてきた浪人を加え、総勢12万の大軍となった。これにより、原城は完全に包囲されてしまう。
甲賀忍者による原城の内偵を受けて、信綱は作戦を思案。積極的な戦を仕掛けるよりも、兵糧攻めを選んだ。その後2か月に渡り一揆軍の籠城と反攻は続いたが、次第に追い詰められていく事となる。
更に長崎奉行の依頼を受けたオランダ商館長により、軍船二隻が派遣。海上から城内に艦砲射撃を行った。後に他国の助力を借りるべきではないという意見から砲撃は中止となったが、これはキリスト教国、特にポルトガルからの援軍を期待している一揆軍に対して心理的動揺を与える為の、信綱の戦略だった。
当時オランダとポルトガルは戦争状態にあり、ポルトガルの影響を排除したかったオランダと利害が一致したとされる。砲撃による直接的な被害は少なかったが、これにより一揆軍の士気は落ちた。
また、たびたび討伐軍は使者や矢文で「キリシタンではなく、一揆に強制参加させられた者の命は助ける」と投降を呼びかけたが、応える者はいなかった。或いはいたかも知れないが、極限状態にあった状態では投降しようとしても許されなかった可能性はある。
先に生け捕りにした天草四郎の母と姉妹に投降を勧める手紙を書かせて送ったが、これも拒否された。
その後、城を出て戦死した彼らの死体を調べた信綱は、胃の中に海藻しかないのを見て、一揆軍の食糧が尽きかけている事を知った。
これを機と見た討伐軍による総攻撃が開始され、寛永15年2月28日(1638年4月12日)、遂に原城は落城する。弾薬も食糧も尽きた一揆軍は、敢えなく全滅した。
原城へと乗り込んだ討伐軍の兵士は、老若男女を問わず一揆軍を皆殺しにしていった。これについて松平信綱の子・松平輝綱は「剰つさえ童女の輩に至りては、喜びて斬罪を蒙むりて死なんとす、是れ平生人心の致すところに非らず、彼宗門に浸々のゆえ也」と書き残しており、自ら進んで死を選ぶ姿に恐怖した兵士らは、おびただしい数の死体の上に石を投げ落として埋めたという。
事実原城跡からは大量の人骨が十字かやロザリオなどと共に発掘されているが、頭から足まで完全に揃った骨はひとつもなく、激しく損傷していた。
そうした中で天草四郎は肥後細川藩士・陣佐左衛門(じんのすけざえもん)によって討ち取られ、その首級は長崎の出島で晒された。
この最期については、以下のような話がある。
佐左衛門達が城内を探索中、怪我人や病人が寝かされている小屋を見つける。そこには銃に撃たれながらまだ息のある少年と、泣きながらその世話をする女がいた。逃げようとした少年は佐左衛門が、女の方は朋輩の三宅半右衛門が斬り殺した。
その後、多くの兵士によって少年の首が多数持ち込まれたが、天草四郎の人相を知る者がいない為、どれが本物かを判断できなかった。そこで天草四郎の母に首実検をさせると「神の子である四郎が人に首を取られる筈がない」と言っていたが、佐左衛門が持ってきた首を見ると狂乱して泣き崩れた為、これが天草四郎であると断定したという。
この功により佐左衛門は千石を与えられ、鉄砲二十挺頭を命じられた。一方で女の方を斬った半右衛門は、僅かの差で大将首を逃した事を後々まで悔しがったという。
こういった事もあり、天草四郎は生きて落ち延び、ひそかにルソンに脱出したという生存説が唱えられている。また、天草四郎は真田幸村に連れられて落ち延びた豊臣秀頼の落胤であったという説も存在する。
その特異性から非実在説も唱えられているが、今も「神の子」の物語は受け継がれており、様々な形で現代まで残されている。
なおよく勘違いされる話だが、彼を始めとした島原の乱の犠牲者は殉教者には数えられていない。
乱のそもそもの発端が「領主の圧政に対する反逆」で、信仰を貫く為に命を投げ出したとは見なされていない為である。
若くして散った悲劇や、美少年であったという伝説から、後世に多くの創作が行われた。
「羽織姿にマントや襞襟をまとい、ロザリオを手にした前髪の美少年」という姿が有名。
しかし実際の史料が見つかっておらず、天正遣欧少年使節などのキリスト教に由来する肖像が元ネタであるとされる。
上記の、ステレオタイプの描写から逸脱した造形も存在する。
最も知られるのは、1981年の映画「魔界転生」(原作:山田風太郎、監督:深作欣二)の天草四郎だろう。
沢田研二演じる天草四郎は、死後に地獄から蘇り徳川幕府に復讐を誓う魔人として描かれた。原作のラスボスであり師である森宗意軒の存在をなかったことにして大幅に出番を増やし、男女問わず虜にする妖艶な美青年として、真田広之演じる忍者・伊賀の霧丸に口づける姿は、当時大きな話題を呼んだ。
和洋折衷のインパクトあるキャラクターデザインは、対戦格闘ゲーム「サムライスピリッツ」において、ラスボス「天草四郎時貞」として登場させるに至る。
ゲーム中では暗黒神・アンブロジァ復活の為に現世に蘇った魔人として、最後のステージで立ちはだかる。後にプレイヤーキャラクターとして善と悪の人格に別れるなど、その立ち位置は様々な変遷を辿った。
近年の作品では、小説「Fate/Apocrypha」や、ゲーム「Fate/Grand Order」においても、エクストラクラスのサーヴァント・ルーラーとして登場。
「全人類の救済」という崇高な願い、或いは執念を以て、物語の裏で立ち回る。
掲示板
31 ななしのよっしん
2023/10/21(土) 20:00:13 ID: dyhTRJNLxP
結局3万もの大勢で城に籠った以上その後どうするって展開がね
その後天草島原の苛政が高力やらの後継のおかげでなんとか改善されただけ他の多くの一揆と違って効果があった分良かったのかもしれないが
さらに言えばここで水野勝成やら立花宗茂など活躍の場とされることが多いが降伏を断ったとはいえ結局やったのが飢えた農民多数の相手の大量虐殺だから後味悪いし
32 ななしのよっしん
2024/02/12(月) 18:21:04 ID: L+bk0vTxcx
税率の問題であるけど信仰の問題でもあったからなぁ
他の九州も結構高税率だったけど皆縋る神仏がいたけど島原はそういうわけにもいかなかった(禁教のキリスト教が主流)
だから税率を訴えるとかじゃなく信仰を認めさせろ!だから話し合いの余地がなくなっちゃったのもある
33 ななしのよっしん
2024/02/12(月) 18:35:33 ID: nGGp3sChrL
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最終更新:2024/11/22(金) 09:00
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