~ 『東方昭和伝』第五部「帝都騒乱編」 二・二六事件の時系列表 ~
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※時刻は正確なものではなく、おおむね「~時頃」
| 時刻 | 青年将校側 | 宮中・陸軍首脳・政府等 |
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第十七章「帝都激震(前編)」 ![]() |
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| 昭 和 1 1 年 2 月 2 6 日 | ||
| 03:30 | 安藤輝三大尉隷下・歩兵第3連隊第6中隊、行動開始 (目標:鈴木侍従長邸) |
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| 04:00 | 栗原隊(首相官邸)、坂井隊(斎藤内府邸)、中橋隊(高橋蔵相邸)、香田隊(陸相官邸)、野中隊(警視庁)が各襲撃目標へ行動開始 | |
| 04:30 | 山口一太郎大尉、電話で本庄繁大将(侍従武官長)に蹶起を連絡 | |
| 05:00 蹶起部隊、警視庁と陸相官邸を占領 | ||
| 05:05 斉藤実内大臣邸・高橋是清蔵相邸襲撃(斎藤・高橋死亡) | ||
| 05:10 首相官邸・鈴木貫太郎侍従長邸襲撃(鈴木は重傷を負うも生存、岡田啓介首相は死亡とみられた) | ||
| 05:20 | 木戸幸一が事件を知り、原田熊雄と近衛文麿に連絡 | |
| 05:40 牧野伸顕前内大臣の別荘「光風荘」(神奈川県湯河原)襲撃(牧野は脱出に成功) | ||
| 05:40 | 天皇、甘露寺受長侍従から事件の報告を受ける 「とうとうやったか」 「まったくわたしの不徳のいたすところだ」 |
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| 06:00 渡辺錠太郎教育総監邸襲撃(渡辺死亡) | ||
| 06:00 | 本庄侍従武官長、参内 井上成美少将、横須賀鎮守府に入る |
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| 06:30 | 蹶起将校、川島義之陸軍大臣に会見 「蹶起趣意書」を読み上げ、蹶起軍の配備状況を図上説明し要望事項を朗読 |
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| 07:00 | 湯浅倉平宮内大臣、木戸幸一内大臣府秘書官長・広橋忠隆侍従次長と協議した「暫定内閣を設置せず叛乱軍を鎮圧すべし」とする時局収拾策を上奏 天皇、これに同意 |
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| 08:30 | 真崎大将、磯部に対し「とうとうやったか、お前達の心はよーくわかっとる、よーくわかっとる」 | 真崎甚三郎大将と山下奉文少将が陸相官邸を訪れ、川島陸相に天皇に拝謁することを勧める |
| 09:00 | 川島陸相が天皇に拝謁し、反乱軍の「蹶起趣意書」を読み上げて状況を説明 天皇、「速に暴徒を鎮圧」せよと命ずる 米内光政中将、横須賀鎮守府に入る |
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| 09:30 | 迫水久常総理秘書官、岡田首相の生存を確認 | |
| 10:00 | 伏見宮軍令部総長参内(道中、嶋田繁太郎軍令部次長・加藤寛治大将・真崎大将同行) 天皇は速やかに事件を鎮圧するよう命ずる 海軍省、臨戦態勢に入る |
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| 12:00 | 伏見宮総長より高橋三吉連合艦隊司令長官へ緊急下令 土佐沖で訓練中の第1艦隊は東京湾、第2艦隊は大阪湾へ急行 午後、横須賀鎮守府の海軍陸戦隊、芝浦に上陸 |
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| 13:00 | 宮中・東溜の間で非公式軍事参議官会議 穏便に事態を収拾させることを目論んで「陸軍大臣より」が起案される |
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| 午後 | 清浦奎吾・元首相参内 穏便な処置を奏上するも、天皇の「ご機嫌麗しからざりし」 |
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| 15:00 | 東京警備司令官香椎浩平中将、蹶起部隊の占領地域も含まれる第一師管に戦時警備を下令(7月18日まで継続) 「陸軍大臣告示」「軍隊に対する告示」が東京警備司令部によって印刷・下達 戦時警備下令により、蹶起部隊は第一師団長堀丈夫中将の隷下となり、正規の統帥系統に入る |
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| 19:50 | 後藤文夫内相(首相代理)が閣僚の辞表をまとめて奉呈 天皇は時局の収拾を優先せよと命じ、一時預かりとする |
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| 20:40 | 戒厳令施行が閣議決定される(行政戒厳) | |
| 21:00 | 主立った蹶起部隊将校、陸相官邸で真崎・荒木貞夫・林銑十郎・阿部信行・植田謙吉・寺内寿一・西儀一らの軍事参議官(皇族を除く)と会談 かけうどんを食う |
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| 22:15 | 東京警備司令部、「戦時警備に関する告諭」を布告 | |
| 23:17 | 枢密院会議、戒厳令施行の緊急勅令案を可決 | |
| 第十八章「帝都激震(後編)」 | ||
2 月 2 7 日 ![]() |
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| 01:00 | 石原莞爾大佐・橋本欣五郎大佐・満井佐吉中佐が帝國ホテルで会談 蹶起部隊の戒厳軍入り、『山本英輔海軍大将内閣』による事態収拾策などを協議し、村中孝次を呼び出して伝える 満井「お上の思し召しもよくないそうだ」 |
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| 02:40 | 枢密院、戒厳令施行を上奏・裁可 | |
| 03:50 戒 厳 令 布 告 | ||
| 04:40 | 香椎浩平戒厳司令官、『戒作命令第一号』発令 | |
| 未明 | 磯部、村中の持ち帰った石原・橋本らの収拾策を拒絶 | 石原、杉山元・参謀次長に収拾策を提起するも、杉山拒否 |
| 08:20 | 原隊復帰を命ずる奉勅命令允裁 | |
| 10:00 | 北一輝・西田税、蹶起将校たちと電話会談 | |
| 12:45 | 川島陸相参内 天皇 「朕ガ最モ信頼セル老臣ヲ悉ク倒スハ、真綿ニテ朕ガ首ヲ締ムルニ等シキ行為ナリ」 「朕自ラ近衛師団ヲ率ヰテ、此レガ鎮定ニ当タラン」 |
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| 13:22 | 岡田首相、福田耕秘書官・小坂慶助憲兵総長らにより首相官邸から救出される | |
| 14:00 | 蹶起将校と一部軍事参議官(真崎・阿部・西)と会談 | |
| 16:00 | 連合艦隊第1艦隊、品川沖に到着 戦艦『長門』以下各艦の主砲、永田町一帯に向け砲列を敷く | |
| 16:45 | 農相官邸・鉄相官邸・文相官邸・赤坂の料亭「幸楽」・山王ホテルを宿舎とするよう命令される | |
| 17:00 | 秩父宮雍仁親王、弘前より上京 | |
| 夕方 | 迫水秘書官、官邸より岡田首相(=松尾伝蔵大佐)の棺を搬出 宮内省にて後藤文夫首相代理ら閣僚と首相参内について協議するも、後藤などが反対 |
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| 19:00 | 香椎戒厳司令官、『戒作命令第7号』発令 『二十六日朝来出動セル部隊』(=蹶起部隊)を歩兵第一連隊長・小藤恵大佐の「麹町地区警備隊」に編入 |
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| 夜半 | 近衛師団・第1師団・宇都宮第14師団などの各部隊、続々と集結 | |
2 月 2 8 日 ![]() |
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| 00:00 | 山口一太郎大尉、奉勅命令の存在を知る | |
| 03:00 | 山口大尉、戒厳司令部(九段・軍人会館)にて香椎戒厳司令官らに直談判 | 石原莞爾、28日正午を期しての総攻撃開始を下令 |
| 05:08 奉 勅 命 令 下 る | ||
| 12:00 | 山下奉文少将が陸相官邸に来る 磯部・村中・栗原・香田らに奉勅命令の下達を伝え、暗に将校らの自決を促す 栗原、自決に際しての侍従武官御差遣を願う |
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| 13:00 | 安藤、原隊復帰・将校自決の方針に反発 蹶起部隊、一転して徹底抗戦へ |
川島陸相・山下、本庄侍従武官長と協議 本庄、御差遣について上奏 天皇激怒し、「自殺スルナラバ勝手ニ為スベク、此ノ如キモノニ勅使ナド以テノ外ナリ」 |
| 15:00 | 村中より西田へ電話 | 本庄、御差遣について天皇に再上奏 |
| 16:30 | 岡田首相参内 総辞職・謹慎を奏するも、当面の事態収拾を命ぜられる 後藤臨時首相代理の職務解かれる 『戒作命令第十号の一』発令 武力鎮圧の準備 |
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| 17:00 | 北一輝逮捕 | |
| 18:00 | 『戒作命令第十一号』発令 蹶起部隊に対する小藤大佐の指揮権を解除 | |
| 23:00 『戒作命令第十四号』発令 「叛乱部隊ハ遂ニ大命ニ服セズ 断乎武力ヲ以テ当面ノ治安ヲ恢復セントス 明二十九日午前五時 攻撃準備完了セヨ」 |
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| 23:00 | 歩兵第3連隊長渋谷大佐、「幸楽」に安藤を訪ねて帰順を勧める 陸軍省新聞班員大久保大佐、蹶起部隊兵士の尋問に立ち会う |
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2 月 2 9 日 ![]() |
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| 02:00 | 戒厳司令部に荒木・真崎来る 石原、真崎に「あなたのようなバカ大将がおだてるから、部下が勝手な真似を平気でするようになる」 |
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| 05:10 | 討伐命令発令 | |
| 08:00 戦闘機が『下士官兵ニ告グ』のビラ散布 アドバルーン掲揚 【勅命下る 軍旗に手向かふな】 |
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| 08:55 NHKラジオ、『兵に告ぐ』の放送開始 「勅命が発せられたのである 既に天皇陛下の御命令が発せられたのである・・・」 |
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| 午前 | 蹶起各部隊動揺し、続々と抵抗を止め原隊復帰するなか、安藤隊は最後まで脱落者無く山王ホテルに留まる ※午前10時ごろ「キタ(北一輝?)」を名乗る人物より安藤へ「カネはいらんかね?」という電話が入る 磯部ら安藤を説得し、第6中隊も原隊復帰へ 安藤、自決を図るも失敗 |
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| 14:00 | このころまでに各部隊原隊復帰完了 | |
| 14:30 戒厳司令部 『戒作命令第十五号』 「叛乱部隊ハ鎮定セラレタリ」 |
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| 2月29日 | 午後5時までに蹶起将校らは逮捕 このうち、野中四郎歩兵大尉は自決(戒厳軍側による他殺説あり) 将校らはこの日付で免官、3月2日には位階返上も命ぜられる |
| 3月4日 | 西田税、潜伏先で逮捕 緊急勅令により東京陸軍軍法会議設置 天皇、本庄武官長に対し「自分としては、もっとも信頼せる股肱たる重臣及び大将を殺害し、 自分を真綿にて首を絞むるがごとく苦悩せしむるものにして、甚だ遺憾に堪えず。 而してその行為たるや憲法に違い、明治天皇の御勅諭にももとり、国体を汚しその明徴を 傷つくるものにして深くこれを憂慮す。 この際十分に粛軍の実を挙げ再び失態なき様にせざるべからず」 |
| 3月5日 | 湯河原の牧野前内府襲撃を指揮し、銃撃戦で負傷・治療中の河野寿・航空兵大尉が自決 |
| 3月9日 | 岡田内閣総辞職により、川島義之陸軍大臣辞任 3月30日に予備役編入 広田弘毅内閣が発足し、陸軍大臣に寺内寿一大将就任(23日 梅津美治郎中将、次官着任) |
| 3月10日 | 荒木貞夫・真崎甚三郎・阿部信行・林銑十郎ら4大将・軍事参議官、予備役編入 山下奉文少将(陸軍省軍事課長)、歩兵第40旅団長に転出 (以後、山下は陸軍省や参謀本部の部局に就くことは無かった) |
| 3月23日 | 本庄繁侍従武官長辞任(後任:宇佐美興屋中将) 4月、予備役編入 近衛師団長・橋本虎之助中将(同期生に畑俊六・杉山元・小磯国昭)、解任 7月10日、予備役編入 第1師団長・堀丈夫中将、解任 7月10日、予備役編入 両名とも配下より蹶起将校・部隊を出したことによる懲罰 |
| 3月28日 | 近衛師団歩兵第3連隊・第1師団歩兵第1連隊・第1師団歩兵第3連隊の各連隊長、解任 いずれも配下より蹶起将校・部隊を出したことによる懲罰 |
| 4月2日 | 戒厳司令官兼東京警備司令・香椎浩平中将、解任 7月10日、予備役編入 後任は岩越恒一中将 |
| 4月28日 | 将校級の公判開始 6月5日までに23回実施 |
| 5月5日 | 下士官級の公判開始 同28日、論告求刑 牧野前内府襲撃班の公判開始 同10日、論告求刑 |
| 7月5日 | 第1次処断判決言渡 磯部浅一・村中孝次・栗原安秀・安藤輝三ら死刑17名 |
| 7月12日 | 磯部・村中を除く15名の死刑執行 |
| 7月29日 | 第2次処断判決言渡 |
| 12月21日 | 匂坂春平陸軍法務官、真崎大将につき起訴案と不起訴案をそれぞれ提出 |
| 昭和12年 1月18日 |
満井佐吉中佐ら「背後関係者」の判決言渡 |
| 1月25日 | 真崎甚三郎予備役大将、反乱幇助罪で起訴 |
| 8月14日 | 北一輝と西田税に死刑判決 |
| 8月19日 | 北・西田・磯部・村中の死刑執行 |
| 9月25日 | 真崎予備役大将に無罪判決 |
掲示板
1 ななしのよっしん
2011/01/30(日) 21:09:47 ID: 0uETB01OcV
26日午後9時・・・w
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最終更新:2025/12/19(金) 01:00
最終更新:2025/12/19(金) 01:00
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