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| 内閣 | 月日 | 日本の動き | 世界の動き |
|---|---|---|---|
斎 藤 実 ∥ 海 軍 ・ 挙 国 一 致 ∥ |
昭 和 8 年 (1933年) | ||
第十三章「帝人事件」1/2 ![]() |
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| 4月7日 | (12月5日、いわゆる「禁酒法」廃止) |
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| 4月10日 | 関東軍、長城線(事実上、中国・満州の国境である「万里の長城」)を超えて、華北へ兵を入れる | ||
| 4月11日 | |||
| 4月19日 | |||
| 4月22日 | ≪ 滝川事件 ≫ 文部省、京都帝国大学教授・滝川幸辰に「赤化的傾向」と辞職を要求 |
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| 4月23日 | 関東軍、長城線まで後退 | ||
| 5月26日 | |||
| 5月31日 | 日中間に塘沽停戦協定成立 満州事変による一連の軍事行動終結 | ||
| 7月10日 | ≪ 神兵隊事件 ≫ 天野辰夫・大日本生産党などの右翼クーデター計画が発覚 49人を検挙 |
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| 7月14日 | |||
| 7月20日 | |||
| 9月5日 | |||
| 9月14日 | 内田康哉外務大臣辞任 後任に広田弘毅・元ソ連大使 |
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| 9月19日 | 「五・一五事件」陸軍側被告に禁固4年 | ||
| 10月1日 | 『新軍令部条例・省部事務互渉規定』施行 「海軍軍令部長」が「軍令部総長」に改称される (初代総長:伏見宮博恭王) |
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第十三章「帝人事件」2/2 ![]() |
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| 10月3日 | 首相・陸相・海相・蔵相・外相による「五相会議」が初めて行われる | ||
| 10月5日 | 新渡戸稲造 死去 | ||
| 10月14日 | |||
| 11月9日 | 「五・一五事件」海軍側被告に判決 古賀清志・三上卓は禁固15年 | ||
| 11月12日 | |||
| 11月17日 | |||
| 12月23日 | 皇太子御誕生(継宮明仁親王・上皇陛下) | ||
| 昭 和 9 年 (1934年) | |||
| 1月17日 | 時事新報、「番町会問題をあばく」連載開始 | ||
| 1月23日 | 荒木貞夫陸軍大臣辞任 後任は林銑十郎大将 | ||
| 2月9日 | 中島久萬吉商工大臣辞任 | ||
| 2月15日 | 政友会、鳩山一郎文部大臣の収賄疑惑を攻撃 | ||
| 3月1日 | |||
| 3月3日 | 鳩山文部大臣辞任 | ||
| 3月12日 | ≪ 友鶴事件 ≫ 過重武装の水雷艇「友鶴」が、復原性不足で転覆・沈没 殉職者100名を出す惨事に |
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| 4月17日 | 天羽声明事件 | ||
| 4月18日 | 帝人事件 “ 発覚 ” | ||
| 4月21日 | 忠犬ハチ公の銅像除幕式 | ||
| 5月 | 東北地方で冷害・不漁 深刻な凶作となり飢饉に | ||
| 5月1日 | 倉富雄三郎枢密院議長辞任 一木喜徳郎・元宮内大臣が後任 |
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| 5月17日 | 近衛文麿貴族院議長、親善特使として渡米 | ||
| 5月30日 | 東郷平八郎元帥 死去(6月5日、国葬) | ||
| 6月30日 | 突撃隊(SA)幕僚長レーム、NSDAP左派領袖シュトラッサー、元首相フォン・シュライヒャーら100名以上の要人が粛清される |
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| 7月3日 | 斎藤内閣総辞職 | ||
| 7月4日 | ≪ 重臣会議 ≫ 元老西園寺公望、一木喜徳郎枢密院議長、牧野伸顕内大臣、斎藤実前総理、高橋是清・清浦奎吾・若槻礼次郎ら3首相経験者による「重臣会議」初開催 予備役海軍大将・岡田啓介を後継総理に奏薦 岡田大将に大命降下 |
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岡 田 啓 介 ∥ 海 軍 ・ 立 憲 民 政 党 ∥ |
第十四章「岡田内閣と天皇機関説問題(前編)」1/2 ![]() |
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| 7月7日 | 鈴木政友会総裁、岡田内閣への入閣を拒否 | ||
| 7月8日 | 岡田啓介内閣成立 政友会、党の方針に反して入閣した床次竹二郎・内田信也・山崎達之輔を除名処分 |
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| 8月2日 | |||
| 8月3日 | |||
| 9月18日 | |||
| 9月21日 | ≪ 室戸台風 ≫ 死者2500人、行方不明者500余人、負傷者8000余人、全壊家屋3万4500戸など被害総額10億円以上にのぼる惨事 |
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| 10月1日 | 陸軍省、「国防の本義と其強化の提唱」(陸軍パンフレット)を頒布 | ||
| 10月9日 | 親独派の従弟・パブレ公が摂政に就任 |
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| 10月15日 | 中国共産党軍、江西省瑞金を脱出し陝西省延安へ |
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| 10月24日 | 第2回ロンドン海軍軍縮条約の予備交渉開始 | ||
| 11月1日 | 若槻礼次郎・元首相が民政党総裁を辞任 町田忠治総務会長が総裁代行に就任(翌年1月20日、正式に総裁就任) |
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| 11月10日 | |||
| 11月16日 | 群馬県桐生市で天皇誤導事件 | ||
| 11月20日 | 陸軍士官学校事件 | ||
| 11月27日 | 藤井真信大蔵大臣が病状悪化のため辞職 後任に高橋是清・元首相が通算6度目の蔵相就任 党の野党路線に反したとして、政友会は高橋(元総裁)を「離別」(事実上の除名) |
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第十四章「岡田内閣と天皇機関説問題(前編)」2/2 ![]() |
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| 12月1日 | |||
| 12月3日 | ワシントン海軍軍縮条約破棄を閣議決定 | ||
| 12月5日 | 西園寺公望暗殺未遂で少年血盟団員を逮捕 | ||
| 12月29日 | 日本政府、米国に対しワシントン海軍軍縮条約破棄を通告 (1936年12月、条約自体失効) |
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| 昭 和 1 0 年 (1935年) | |||
| 1月13日 | 毛沢東が中国共産党内の指導権を確立する |
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| 1月25日 | 広田外相、「在任中戦争なし」の議会演説 | ||
| 2月19日 | 天皇機関説問題勃発 菊池武夫男爵、貴族院で天皇機関説を非難 |
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| 2月20日 | |||
| 2月25日 | 美濃部達吉、貴族院にて「一身上の弁明」と称して菊池に反論 | ||
第十五章「岡田内閣と天皇機関説問題(後編)」1/2 ![]() |
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| 2月28日 | 江藤源九郎、美濃部の著書を不敬罪で告発 | ||
| 3月6日 | |||
| 3月8日 | 貴族院で天皇機関説大討論 政府の態度が追及される | ||
| 3月20日 | 貴族院で「政教刷新」建議案(天皇機関説排撃)可決 | ||
| 3月23日 | 衆議院で「国体明徴」決議案可決 | ||
| 4月4日 | 真崎甚三郎教育総監、全陸軍に国体明徴の訓示 | ||
| 4月7日 | 美濃部、天皇機関説のため不敬罪で告発される(9月18日起訴猶予) | ||
| 4月9日 | 内務省、美濃部の3著書を発禁処分(売切れ続出) | ||
| 4月23日 | 帝国在郷軍人会本部、天皇機関説排撃のパンフレットを全国に配布 | ||
| 5月8日 | 選挙粛正委員会令を発布・施行 | ||
| 5月11日 | 内閣審議会成立・内閣調査局設置 | ||
| 5月17日 | 日中両国政府、大使交換を発表 | ||
| 6月18日 | |||
| 6月27日 | 土肥原・秦徳純協定 | ||
| 7月1日 | 梅津・何応欽協定 | ||
| 7月5日 | |||
| 7月11日 | 陸軍将校磯部浅一・村中孝次(皇道派)「粛軍に関する意見書」配布 | ||
| 7月15日 | 真崎教育総監(皇道派)更迭 後任は渡辺錠太郎大将(非・皇道派) |
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| 7月26日 | 高橋是清蔵相が赤字公債政策に批判的な内容の声明を発表 | ||
| 8月1日 | |||
| 8月2日 | 「粛軍に関する意見書」を配布した磯部浅一・村中孝次を免官処分 | ||
第十五章「岡田内閣と天皇機関説問題(後編)」2/2 ![]() |
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| 8月3日 | 政府、国体明徴声明(1回目) | ||
| 8月12日 | ≪ 相沢事件 ≫ 永田鉄山・陸軍軍務局長(統制派)が相沢三郎中佐(皇道派)に斬殺される |
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| 8月14日 | |||
| 8月31日 | |||
| 9月6日 | |||
| 9月8日 | 床次竹二郎(元・政友本党総裁)死去 | ||
| 9月15日 | |||
| 9月18日 | 美濃部達吉、貴族院議員辞職を決断 | ||
| 9月21日 | 美濃部、貴族院議員辞職を公に声明 | ||
| 9月26日 | ≪ 第四艦隊事件 ≫ 演習中の第4艦隊が北海道沖で台風に遭遇し、駆逐艦「初雪」「夕霧」が艦首切断など艦艇19隻に損害 |
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| 10月1日 | 第4回国勢調査 内地人口6925万4148人 外地人口2844万3407人 |
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| 10月3日 | イタリア軍、エチオピアへの侵攻開始 |
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| 10月15日 | 政府、国体明徴声明(2回目) 天皇機関説は国体に背くと明言 |
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| 10月21日 | |||
| 11月1日 | |||
| 11月13日 | |||
| 11月25日 | 冀東防共自治委員会成立 殷汝耕が主席就任 (12月25日 冀東防共自治政府と改称) |
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| 11月30日 | 昭和11年度予算案を閣議決定 | ||
| 12月18日 | |||
| 12月25日 | |||
| 12月26日 | 牧野伸顕内大臣辞任 後任は斎藤実前首相 | ||
| 昭 和 1 1 年(1936年) | |||
| 1月15日 | 日本、第2回ロンドン海軍軍縮会議より脱退 ネイバル・ホリデー(海軍休日)の終焉 |
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| 1月21日 | 政友会、内閣不信任案提出 内閣、採決せずに衆議院を解散 | ||
| 2月16日 | |||
| 2月20日 | 第19回衆議院総選挙 民政党205 政友会171 昭和会22 社会大衆党18 国民同盟15 その他35 政友会は議席を大幅に減らし、鈴木総裁が落選するなど大敗北を喫する |
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| 2月21日 | 美濃部狙撃事件 | ||
| 2月26日 | 二・二六事件 | ||
※ 書記:内閣書記官長 参謀:参謀総長 軍令:軍令部長 内府:内大臣 枢密:枢密院議長
| 参謀 | 軍令 | 内府 | 枢密 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 斎藤 実 内閣 1932年(昭和7年)5月26日 ~ 1934年(昭和9年)7月8日 | 閑 院 宮 載 仁 親 王 |
伏 見 宮 博 恭 王 |
牧 野 伸 顕 |
倉 富 勇 三 郎 |
|||||
| 外務 | 斎藤 実(~32.7) 内田康哉(~33.9) 広田弘毅 |
大蔵 | 高橋是清 | 内務 | 山本達雄 | ||||
| 陸軍 | 荒木貞夫(~34.1) 林 銑十郎 |
海軍 | 岡田啓介(~33.1) 大角岑生 |
書記 | 柴田善三郎(~33.3) 堀切善次郎 |
一 木 喜 徳 郎 |
|||
| 岡田啓介 内閣 1934年(昭和9年)7月8日 ~ 1936年(昭和11年)3月9日 | |||||||||
| 外務 | 広田弘毅 | 大蔵 | 藤井真信(~34.11) 高橋是清 |
内務 | 後藤文夫 | ||||
| 陸軍 | 林 銑十郎(~35.9) 川島義之 |
海軍 | 大角岑生 | 書記 | 河田 烈(~34.10) 吉田 茂(~35.5) (※内務省官僚) 白根竹介 |
斎 藤 実 |
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最終更新:2025/12/15(月) 03:00
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