鈴木優磨(すずき ゆうま、1996年4月26日 - )とは、千葉県銚子市出身のプロサッカー選手である。
J1リーグの鹿島アントラーズ所属。
鹿島アントラーズのアカデミーで育ち、2015年にトップチームへ昇格。すぐに頭角を現し、2016年のFIFAクラブワールドカップの準決勝でアトレティコ・ナシオナルを相手にゴールを決めた後にクリスティアーノ・ロナウドのゴールパフォーマンスをやってのけ一気に注目度を増す。2017年のAFCチャンピオンズリーグでは鹿島の初のアジア王者に貢献。大会の最優秀選手に選出されている。
2019年から3シーズンの間はベルギーのシント=トロイデンVVでプレー。2020-21シーズンには得点ランキング6位の17ゴールを記録。2022年からは鹿島に復帰し、中心選手としてチームを牽引している。
一方、やんちゃな悪童として知られており、ピッチ内外での言動がたびたび波紋を呼んでいる。そんな素行面の影響もあり、実力的に申し分ないものの日本代表には縁がない。もっとも本人はアントラーズでのプレーを優先させることを公言しており、代表には執着していない。
3歳年上の兄である鈴木将大もプロサッカー選手であり、現在は鹿児島ユナイテッドFCに所属している。
千葉県銚子市出身。3人兄弟の真ん中として生まれ、3歳上の兄と2歳下の妹がいる。「優磨」という名前は、当初競馬好きの父親が有馬記念の「有馬」と名付けようとしたが、母親が反対。それでも馬を残したいけど「優しい馬」にするのもなんだからと、音だけを残して「優磨」になった。
幼稚園の頃からサッカーを始め、小学1年生のときに鹿島アントラーズのスクールに通うようになる。兄の翔大も同じスクールに通っており、毎週祖父に送り迎えしてもらいながら練習に取り組んでいた。最初の数年間は学校の少年団にも入っていたが、小学4年生のときに鹿島のジュニアチームに選抜されてから鹿島一本でプレーし続けている。当時は体が大きかったこともあっていろいろなポジションを経験しており、小5のときはCBも経験している。ちなみに、この当時好きだった選手は鹿島で点取り屋として活躍していたマルキーニョス。
ジュニアユースを経て高校生になるとユースに昇格。だが、この頃はまだ自分がプロになれるとは思っておらず、ヤンチャだったこともあって生活態度を注意されることも多かった。高2まではチームの中でイケイケだったが、高3になる前にトップチームの宮崎キャンプに帯同することになる。軽い気持ちで参加したものの、練習中にトップチームの植田直通に軽く吹っ飛ばされたことでプロとの差を痛感。この宮崎キャンプの経験が大きな転機となり、サッカーへの取り組み方を変え、プロになるためにやれるだけのことをやろうと危機感を持ちながら努力を重ねる。2014年のJユースカップでは優勝を果たしている。
トップチームへの昇格は通常夏までには内定し、そういった話がなかったことから大学の練習にも参加していたが、10月にトップ昇格が決まる。ただ宮崎キャンプで受けた衝撃もあってプロでやっていける自信が持てず、断ることも選択肢として考えていたが、最終的に覚悟を決めてプロの道を選ぶ。
2015年、J1リーグの鹿島アントラーズとプロ契約を交わし、プロサッカー選手となる。背番号は「34」。当初の序列はFWの中でも一番下で、半年間はベンチ入りすら果たせずにいた。だが、Jリーグ・アンダー22選抜ではJ3リーグで9試合3得点という成績を残すと、2ndステージから就任した石井正忠監督からベンチ入りメンバーに選ばれる。そして、9月12日のガンバ大阪戦でJリーグデビューを果たすと、その試合の後半42分にプロ初ゴールを決める。その後少しずつ出場機会を得られるようになり、10月17日の柏レイソル戦では途中出場ながらアディショナルタイムに決勝ゴールを決める。プロ1年はJ1リーグで7試合2得点という成績になった。
2016年はプレシーズンマッチで2試合連続ゴールと好調なまま開幕を迎えると、開幕戦となった2月28日のガンバ大阪戦では途中出場から決勝ゴールを決める。ちなみにこのゴールがパナソニックスタジアムでの公式戦初ゴールとなった。この年も途中出場がメインだったものの、カイオの中東移籍や金崎夢生が石井監督と衝突したこともあってスタメンでの起用も増えていく。要所で勝負強さを発揮し、前年を大きく上回る8ゴールを記録。Jリーグチャンピオンシップでは決勝の第2戦でPKを獲得するなど、鹿島の7年ぶりのJリーグ年間王者獲得に貢献。さらに、12月14日のFIFAクラブワールドカップ2016準決勝 アトレティコ・ナシオナル戦ではチームの3点目を決めると、クリスティアーノ・ロナウドのゴールパフォーマンスを披露。このことで日本国内のみならず、スペインのメディアからも注目をされる。
2017年からは背番号が「9」に変更。相変わらず鹿島の前線のポジション争いはし烈で、常時スタメンを獲得というわけにはいかなかったが、4つのコンペティションを戦う過密日程の中で公式戦通算14得点と鹿島の下部組織出身選手の最多得点記録を樹立。7月22日にはJリーグワールドチャレンジのセビージャFC戦で2ゴールを決めている。
2018年にはいよいよ鹿島のFW陣の中でのファーストチョイスとして起用されるようになる。この年もJ1リーグとACLの両方を戦う過密日程を強いられるが、コンスタントにゴールを決めることでチーム内での信頼を増していく。J1リーグでは9月28日の第28節ヴィッセル神戸戦で3試合連続ゴールとなる1ゴール1アシストの活躍。国内では無冠に終わったものの、自身初となるリーグ戦二桁得点を達成し、チームトップとなる11得点10アシストをマーク。一方、ACLでは14試合全試合に出場し、チーム初のアジア王者獲得に貢献。大会の最優秀選手にも選出。この年は公式戦52試合に出場するフル稼働となったが、単なる点取り屋というだけでなく周りを活かす才能も開花させ、選手として大きく飛躍することとなった。
2019年は開幕前に前年の右ハムストリング損傷を再発。当初の予定よりも長期の離脱を強いられる。
2019年7月15日、ベルギー1部のジュピラー・プロ・リーグに所属するシント=トロイデンVVへ移籍することが発表される。背番号は「9」。ハムストリングの怪我によってコンディション回復に時間がかかり出遅れるが、8月31日のKASオイペン戦で途中出場し、海外でのデビューを飾る。9月21日のSSCシャルルロワ戦では移籍後初スタメンを果たすと、移籍後初ゴールを決める。二桁得点には届かなかったものの、24試合7得点を挙げ、移籍1年目から存在感を示す。
2020-21シーズンは開幕戦でゴールを決め、幸先の良いスタートを果たす。FWの中ではファーストチョイスとなっていたが、徐々に不振のチームの中で前線で多くの仕事を科せられることになってしまい、前半戦は5ゴールと物足りない数字となり、チームも降格の危機に直面していた。しかし、12月に監督が交代したことによって攻撃陣のタスクがきっちり整理されるようになり、ゴール前での仕事に専念できるようになる。12月19日のズルテ・ワレヘム戦でのゴールを皮切りに、12月26日のスタンダール・リエージュ戦では2試合連続となるゴールを決める。ストライカーとしての才能が開花したことで2021年に入ってからもゴールを量産。チームは降格圏を脱出し、最終的に9位にまで上昇。自身もキャリアハイを大きく上回るチームトップの17ゴールを記録。シーズン終了後には、サポーターが選出するシーズンの最優秀選手に選出される。この活躍によって欧州4大リーグへの移籍話が過熱するようになる。
新シーズン、本人も移籍をクラブにリクエスト。イタリアのクラブでのプレーを希望し、交渉を進めていたが、なかなかまとまらず。移籍期間最終日にようやくドイツのシャルケ04への移籍が決まりかけるが、シャルケ側の手続き上の不備によって破断となってしまい、結局2021-22シーズンもシント=トロイデンに残留となる。公式戦出場の拒否をはじめ自身の振る舞いに関して監督にも謝罪し、チームに合流。しかし、一度失った信頼は回復せず、居場所を失い始めていた。
2022年1月3日、J1リーグの鹿島アントラーズへの復帰が電撃的に決定する。背番号はクラブのレジェンドである小笠原満男が付けていた「40」を選択。復帰会見で「アントラーズを優勝させるために帰ってきました」とコメントしている。さらにチームの副キャプテンに任命される。
2月19日のJ1リーグ開幕戦のガンバ大阪戦では、早速移籍後初ゴールを決める。一方で前半38分にややオーバーに見える仕草でG大阪のパトリックの退場を誘発したことが物議を醸すことに。前半戦は上田綺世との2トップでゴールを量産。その一方で試合中で何かと物議を醸す行動が散見し、良くも悪くも目立つ存在となっていた。一時は優勝争いにも加わっていたチームだったが、上田がベルギーに移籍した7月以降に失速。自身も厳しいマークに苦しむことが増え、不発に終わることが多くなる。それでもリーグ戦7ゴール、アシスト数はリーグトップの9アシストを記録。鹿島のエースとしての役割を全うしている。
2023年には鹿島のキャプテンに就任。名実ともにチームの顔となる。しかしチームは4連敗を喫するなど深刻な不振に陥り、一時は15位にまで低迷する。この事態に不満を露わにしたサポーターの抗議に対し、試合後自らメガホンを持って話し合いをおこない、涙ながらに奮起を誓う。すると直後の4月23日のJ1第9節アルビレックス新潟戦で先制ゴールを決め、チームの連敗ストップに貢献。さらにここから4試合連続ゴールを決める活躍で低迷していたチームの順位を浮上させる。Jリーグ30周年記念試合となった5月14日の第13節名古屋グランパス戦ではゴールを決めたものの、直後にその前に同じ形でのゴールの取り消しを判定した主審を威嚇する行為を取る。後日、家本政明元主審からこの行為に苦言を呈されるなど騒動となる。その後も苦しむチームの先頭に立ち奮闘。チームチップ、リーグ日本人2位の14得点を記録するが、チームは7年連続の国内無冠に終わり、敬愛していた岩政大樹監督も退任となる。
2024年は開幕前の右頬骨を骨折し出遅れたものの、開幕戦にはフェースガードを付けて途中出場。3月17日のJ1第4節川崎フロンターレ戦でシーズン初ゴールとなる逆転ゴールを決め、チームに開幕戦以来の勝利をもたらす。
2018年11月に初めて日本代表に招集されるが、直後のACL決勝での負傷を理由に辞退。その後、2020年9月、森保一日本代表監督に対して「イライラする部分が好きじゃない? てめーなに様だよ」「だったら呼ぶんじゃねーよ」とツイッターに投稿。さらには森保監督を批判するツイートに対していいねを押している。これらの一連の行動は物議を醸し、以降日本代表候補にすら呼ばれていない。また、鈴木本人は日本代表に執着していないことを公言している。
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2015 | 鹿島アントラーズ | J1リーグ | 7 | 2 | |
Jリーグ・アンダー22選抜 | J3リーグ | 9 | 3 | ||
2016 | 鹿島アントラーズ | J1リーグ | 31 | 8 | |
2017 | 鹿島アントラーズ | J1リーグ | 26 | 6 | |
2018 | 鹿島アントラーズ | J1リーグ | 32 | 11 | |
2019 | 鹿島アントラーズ | J1リーグ | 0 | 0 | |
2019-20 | シント=トロイデン | ジュピラー・プロ・リーグ | 24 | 7 | |
2020-21 | シント=トロイデン | ジュピラー・プロ・リーグ | 34 | 17 | |
2021-22 | シント=トロイデン | ジュピラー・プロ・リーグ | 11 | 2 | |
2022 | 鹿島アントラーズ | J1リーグ | 32 | 7 | |
2023 | 鹿島アントラーズ | J1リーグ | 33 | 14 | |
2024 | 鹿島アントラーズ | J1リーグ |
適正ポジションはCFだが、セカンドストライカーとしてもプレーでき、点取り屋としではなくポストプレー、チャンスメイクでも貢献できる現代的な万能型のFW。前線からの守備も献身的で時にやり過ぎることもある。
得点パターンはワンタッチゴールが多く、ヘディング、右足、左足全てでゴールキーパーの取れないコースに蹴り込むことができる。特にヘディングは強烈で、対空時間が長いわけではないものの、タイミングよく飛び込み正確にボールにミートできているのでフリーで強烈なヘディングを放っている。
けっしてスピードのあるほうではなく、フィジカルも海外の選手と比べると見劣りはするが、DFとの駆け引きとポジショニングに長けており、ゴール前でフリーになる技術が高い。オフ・ザ・ボール時の引き出しの多さが強みであり、フリーのボールへの反応は日本人でもトップレベル。
気持ちを前面に出すタイプで、かつ狡猾なプレーも辞さないスタイルは南米出身のストライカーに近い。
2022年に鹿島に復帰してからは中盤に下がってゲームメイクに関与するようになっており、中盤と前線のリンクマンの役割をしながらゴール前へ飛び出すスタイルに変化している。ライン間に顔を出すことも増えており、9.5番の選手になりつつある。
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最終更新:2024/12/02(月) 09:00
最終更新:2024/12/02(月) 09:00
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