柴崎岳(しばさき がく、1992年5月28日 - )とは、日本のプロサッカー選手である。
J1リーグの鹿島アントラーズ所属。元サッカー日本代表。
175cm64kg。ポジションはMF。利き足は右足。愛称は「ガク」「ガクさま」「王子」など。
青森県上北郡野辺地町出身。宇佐美貴史や宮市亮らと同じプラチナ世代の一人で、その中でも10代の頃から天才ゲームメーカーとして注目を浴びていた筆頭格である。
青森山田中学・高校時代にはいずれも全国大会で準優勝の実績を持ち、鹿島アントラーズでも加入してすぐに不動のプレーメーカーとなり、伝統の背番号10を背負った2016年にはJリーグ制覇を成し遂げるなど国内タイトルを全て獲得している。2017年からは活躍の場をスペインへと移しているが、トップリーグで結果を残せず、2部のチームに所属している期間が長くなっている。
日本代表には2014年にデビューしており、その後なかなか代表に定着できずにいたが、2018 FIFAワールドカップのメンバーに選出されると、日本の絶対的な司令塔として活躍。敗れはしたものの、ラウンド16のベルギー戦では、原口元気の先制ゴールをアシストしている。2019年のコパ・アメリカにはチームのキャプテンとして出場している。
妻は元ハロー!プロジェクトのメンバーであり、女優でもある真野恵里菜。
三人兄弟の末っ子として生まれ、幼少期はしょっちゅう喧嘩をするやんちゃな子供だった。ちなみに本人いわく、この頃の喧嘩で負けた記憶は無いとのこと。両親がサッカー観戦が趣味であり、二人の兄が共にサッカーをやっていたことから自然とボールに触れるようになり、自身もプレーするようになっていく。
小学1年のときに地元の野辺地SSSに入団し、本格的にサッカーを始める。地元の青森は雪国のため、冬に室内でも練習ができるようにフットサルにも励んでいた。その頃からすでに年上を相手でも非凡な才能を発揮しており、1年生ながら3、4年生の試合に参加しいきなり大量得点をあげていた。当時の柴崎は年上相手にゴールを決める感覚に面白さを覚え、サッカーにのめり込んでいった。小学6年になると、青森県の少年サッカーの大会で優勝しており、全国大会でもチームの中心として輝きを放ち、すでに青森県内のサッカー関係者の間では知らない人はいない程の選手になっていた。
中学はすでにプロサッカー選手になるという目標を持っていたことから親元を離れ、青森のスポーツ名門校である青森山田中学に進学。両親からは当初反対されたが、柴崎の才能に目を付け誘った青森山田高校の黒田剛監督の説得もあって入学に至った。全国から有望な選手が集まる青森山田でもその才能は抜けており、2年生の時にはすでにチームの大黒柱にまで成長。中学3年生のときに全国大会で準優勝に輝き、全国的にもその名が知れ渡るようになる。また、この頃すでに高校の試合に飛び級で出場しており、プリンスリーグ東北では中学生ながらもボランチのレギュラーに定着していた。
高校はそのまま青森山田高校に進学。1年生のときから背番号10をつけ、司令塔としてレギュラー入り。監督やコーチの意見に熱心に耳を傾け吸収しようとし、常に自分のプレーを分析して向上を図ろうとするなど高校生とは思えない意識の高さを見せていた。全国高校選手権には、1年生のときは怪物・大迫勇也を擁した鹿児島城西に1回戦で敗れるが、2年生のときにはチームの中心としてチームを決勝へと導き、準優勝という成績を残す。大会後の2010年1月にまだ2年生ながらもJ1リーグの鹿島アントラーズと仮契約を結んだことが発表される。
2011年にJ1リーグの鹿島アントラーズへ正式に入団。4月29日のJ1第8節アビスパ福岡戦で途中出場を果たし公式戦デビュー。10月9日のヤマザキ・ナビスコカップ準決勝名古屋グランパス戦でプロ初ゴールを決める。シーズン終盤にはレギュラーとして出場する機会が増え、10月29日のナビスコカップ決勝浦和レッズ戦では120分間フル出場し、ルーキーイヤーでプロ初タイトルを手にしている。
2年目となった2012年シーズンにはレギュラーに定着。この年、長年チームを支えた野沢拓也が移籍したことで大きな期待がかかったが、高卒2年目とは思えない堂々たるプレーで鹿島の中盤を支える。11月3日におこなわれたヤマザキ・ナビスコカップ決勝清水エスパルス戦では、2ゴールを挙げる活躍を見せ、鹿島のナビスコカップ連覇に貢献し、自身も決勝の最優秀選手賞を受賞。また、この年のJリーグベストヤングプレーヤー賞を受賞。リーグ戦では31試合に出場するなど、飛躍の1年となる。
2013年は監督がトニーニョ・セレーゾに交代し、野沢が1年でチームに復帰したが、柴崎のチームの中心選手としての立場は揺らぐことはなかった。チームの象徴である小笠原満男の相棒として不動の立場となり、リーグ戦全34試合にスタメン出場を果たす。
2014年は、中盤の底から前線へと飛び出す意識が強くなったことでよりゴールに直結したプレーが見られるようになる。特に8月は第20節のヴァンフォーレ甲府戦で豪快なミドルシュートを叩き込むなど、5試合で2得点を記録し、パスの出し手として攻撃の起点になるだけでなく、すばやい切り替えで速攻性を生み出すなど、質の高いプレーが評価され初の月間最優秀選手賞に選ばれている。チームは2年連続で無冠に終わるが、自身は2年連続で全試合スタメン出場を果たし、6ゴール7アシストの活躍で初のJリーグベストイレブンに選ばれるなど充実した1年を過ごした。
2015年は、4月4日のヤマザキナビスコカップ 大宮アルディージャ戦で左太ももの肉離れを起こし、戦線を離脱したことでリーグ戦での連続試合出場記録が途切れることになる。それでも、復帰後は質の高いプレーを見せ、10月31日のナビスコカップ決勝のガンバ大阪戦ではフル出場し、チームの3年ぶりのタイトル獲得に貢献。リーグ戦でも5ゴール10アシストという好成績を残している。
2016年からは退団した本山雅志の後を引き継ぎ、かつてジーコやレオナルド、ビスマルクといった名プレイヤーが背負った伝統の背番号「10」を背負うことになる。この年は前半戦は本職のボランチでプレーしていが、後半戦は永木亮太の台頭もあって一列前のポジションで起用されることが増える。それでもリーグ戦3ゴール9アシストと10番の名に恥じない活躍を見せる。この年、チームは2ndステージで優勝し、チャンピオンシップも勝ち抜き、7年ぶりとなるJ1リーグ年間王者に輝き、自身初となるリーグ制覇を経験。さらに、FIFA クラブワールドカップ決勝では、欧州王者レアル・マドリードを相手に2ゴールを決める大活躍を見せ、あと一歩まで追い詰める。結局チームは延長戦の末に逆転負けを喫し準優勝に終わるが、この活躍で一躍欧州のスカウトから注目されることになる。2017年1月1日の第96回天皇杯決勝 川崎フロンターレ戦でもフル出場し、鹿島のシーズン二冠に貢献。そして、これが鹿島でのラストマッチとなった。
2017年年明けからスペインへの移籍話が取り沙汰され、一時は1部リーグのラス・パルマスへの移籍が決定的と見られたが、1月31日スペイン2部リーグのCDテネリフェへの移籍がクラブ公式HPで発表された。移籍当初は慣れない国外の環境に苦しみ、不安障害を患っていることが発覚。それでも、克服し3月からチームに合流すると、昇格のかかった大事な終盤戦で活躍。チームは昇格プレーオフへと進出。準決勝のカディスCF戦では、決勝ゴールを決め、決勝のヘタフェCF戦でも2試合で2アシストを記録するが、チームは敗れ、1部昇格を逃す。
2017年7月17日昇格プレーオフを戦った相手であるヘタフェCFへの完全移籍が発表され、背番号は鹿島時代と同じ10を与えられる。開幕からスタメンで起用されると、第4節FCバルセロナ戦でプリメーラ・ディビジオンでの初ゴールを決める。このゴールはGKテア・シュテーゲンの持つリーグ戦無失点記録を打ち破る価値のあるゴールとなった。ところが、この試合で左足首骨折を負ってしまい長期離脱を強いられてしまう。不運にも柴崎の離脱後にチームは大躍進を遂げ、復帰後レギュラーの座を失ってしまい出場機会が大幅に減ってしまう。
ワールドカップ出場後の2018年7月16日女優の真野恵理菜との入籍を発表。
2018-2019シーズンは、開幕戦のレアル・マドリード戦こそスタメンで起用されたものの、その後はチームの構想外となってしまい、スタメンどころかベンチ入りさえ叶わなくなってしまう。結局このシーズンはリーグ戦わずか7試合出場に終わり、もはやチームでの居場所はなくなっていた。
2019年7月14日スペイン2部リーグ(セグンダ・ディビジオン)に所属するデポルティーボ・ラ・コルーニャへの完全移籍が決定。しかし、極度の不振に陥るチームにあって力を発揮できず、不調の戦犯にあげられる。2019年12月末の監督交代を機に調子が上向きになり、本来のパスワークを見せるようになるが、シーズンが終盤になるにつれて安定感を欠くようになり、最終節でチームはまさかのセグンダ・ディビジオンB(3部リーグ)降格が決定。
2020年9月4日セグンダ・ディビジオンのCDレガネスへの移籍が決定。背番号は「8」。加入して間もなくレギュラーの座を掴むと、2020年10月25日のオビエド戦で移籍後初ゴールを記録。2部のチームとしては強力な攻撃陣を擁するレガネスにおいて、本職である中盤の底の位置から攻撃の舵を取る役割を与えられ、チームに不可欠なピースと称されるようになる。しかし、2021年1月に柴崎を重宝していたマルティ監督が成績不振を理由に解任され、ガリターノ監督が就任すると事態は急転し、システム変更の影響もあってボランチの定位置は剥奪され、出場機会が激減してしまう。トップ下やSHで起用されることもあったが結果を残せず、苦境に立たされる。しかし、4月26日の第36節アルコルコン戦で1ゴール1アシストの活躍を見せ、チームを勝利に導く。スタメンに返り咲くようになった矢先、シーズン終盤戦に左太ももを負傷。昇格のかかったプレーオフは欠場となり、チームも準決勝で敗退となり昇格を逃すことに。
2021-22シーズンでは、開幕からレギュラーの座を掴み、主力としてプレーする。2021年10月8日、第8節のルーゴ戦では豪快なブレ球のミドルシュートを決め、シーズン初ゴールを記録。10月はクラブの月間最優秀選手賞を受賞するなど存在感を見せ、17試合連続でスタメンとして出場する。しかし、チームは降格圏に近づく程低迷し、2022年に入ると早い時間帯に交代させられたり、控えに回る試合が増える。それでも4月以降はスタメンの座を取り戻すと、5月14日の第40節エイバル戦でゴールを決める。またも昇格は逃したが、セグンダ・ディビジオンで通算100試合出場を達成し、34試合3得点1アシストと手ごたえも掴めたシーズンとなった。
2022-23シーズンも開幕からトップ下やインサイドハーフで起用され、レギュラーの座をほぼ掴む。2022年11月にはレガネス史上初のワールドカップ出場選手となる。ワールドカップ後もレギュラーとしてプレーしていたが、2023年2月4日の第26節スポルディング・ヒホン戦では人生二度目となる一発退場となる。その後、徐々にスタメンを外れる試合が増えるようになり、チームの1部昇格の望みがなくなったシーズン終盤の7試合は途中出場で3試合のみの出場になるなど完全に序列が低下してしまう。
2023年6月をもって契約満了により退団。
2023年9月1日、古巣であるJ1リーグの鹿島アントラーズに7年ぶりに復帰することが発表される。背番号はかつて背負っていたのと同じ「20」。怪我の影響もあってコンディションが整わず、10月21日のヴィッセル神戸戦で左ハムストリングを損傷。わずか3試合の出場でシーズンが終了する。
2024年シーズンはキャプテンに任命される。前年からの負傷の影響で開幕からしばらくの間は欠場が続いていたが、5月25日のJ1第16節北海道コンサドーレ札幌戦で久々にピッチに立ち、20分間プレー。
宇佐美貴史や宮市亮を擁して「プラチナ世代」と期待された2009年のU-17日本代表において背番号10をつけていた。2009 FIFA U-17ワールドカップにも出場。初戦でネイマールやフィリペ・コウチーニョを擁するU-17ブラジル代表と激しい打ち合いを演じるが敗れると、その後のスイス戦、メキシコ戦にも連敗しグループリーグ3連敗で敗退。3試合ともスタメンでプレーしたが、世界の壁を思い知らされることになる。
しばらく各世代の日本代表とは縁が無く、2012年にフル代表に選出されたものの試合に出場することはなかった。だが、2014年9月9日ベネズエラ戦でA代表デビューを果たすと、その試合で初ゴールを記録。ハビエル・アギーレ監督から評価され、このまま主力に定着するかと思われた。しかし、ブラジルとの親善試合で失点に繋がる痛恨のミスを犯してしまうと、レギュラーを失ってしまう。2015年1月に開催されたAFCアジアカップ2015のメンバーに選出されが、ベテランの遠藤保仁が代表に復帰したことで控えという立場になる。それでも、準々決勝のUAE戦で後半9分から投入され、後半36分にチームを救う同点ゴールを決める。しかし、チームはPK戦の末に敗れてしまう。
アジアカップ後アギーレ監督が解任され、ヴァビト・ハリルホジッチ監督が就任してからはトップ下で起用されることもあったが、プレーのインテンシティ(強度)を重視するハリルホジッチ監督の信頼を得られず、ヘタフェに移籍してからの不遇の日々も重なって主力に定着することはできず、2015年10月から2017年9月までの2年間は代表での試合出場は無かった。しかし、2018年4月にハリルホジッチ監督が電撃解任となり、急きょ就任した西野朗監督からは本大会直前のパラグアイとのtestマッチ以降本職であるボランチでチームの司令塔としての役割を託される。
当時ヘタフェで出場機会が激減していたこともあり、起用に対して懐疑的な声が多かったが、迎えた2018 FIFAワールドカップ ロシア大会ではプレーメーカーとして躍動。長短織り交ぜたパスで攻撃陣を操り全4試合にフル出場し、日本のベスト16進出に貢献。ベルギー戦では、スルーパスで原口元気のゴールをアシスト。大会前の不安説を一蹴し、プレイヤーとして再評価された大会となり、同時に日本サッカーの課題となっていた遠藤保仁の後継者問題に終止符を打った。
ロシアワールドカップ後に就任した森保一監督のもとでも、クラブチームで出場機会を与えられていないにも関わらず不動のボランチとして信頼され、今度は経験豊富なベテランとして若返ったチームでのリーダーシップを発揮している。2019年1月から開催されたAFCアジアカップ2019に出場。森保監督からの絶対の信頼を得て決勝までの全6試合にフル出場するが、ちょうどヘタフェで干されていた時期と重なり不安定なプレーが散見された。6月から開催されたコパ・アメリカ2019では、東京五輪世代の若いチーム編成の中でキャプテンを任される。初めてプレーする選手が多い中で連携に苦しみながらもチームを牽引。グループリーグ第3戦のエクアドル戦では、接触プレーで頭から出血するアクシデントに見舞われたが、3試合全てにフル出場。グループリーグ敗退となったが、存在感を見せた。
2021年に入り怪我やチーム事情でしばらく代表から離れていたが、2022 FIFAワールドカップアジア最終予選で復帰し、ボランチのレギュラーに返り咲く。しかし、10月7日のサウジアラビア戦で致命的なバックパスのミスによってサウジアラビアに決勝ゴールを与えてしまう。以降、守田英正、田中碧が台頭したこともあって序列が下がり控えに降格。2022年に入ってのワールドカップ出場がかかった重要な3試合では出場機会が与えられなかった。
出場した親善試合で低調なプレーが多く、落選を予想する声も多かったが、直前のカナダ戦でアシストを記録したこともあり、2022 FIFAワールドカップのメンバーに選出される。しかし、本大会の4試合で出場機会が与えられないままだった。
プレーメーカータイプのボランチで、試合の流れや状況に応じた長短織り交ぜたパスで攻撃陣を操る、いわゆるレジスタ。利き足は右足だが、左足のキック精度も高い(関連動画参照)。攻撃センスの高さには目を見張るものがあり、クラブワールドカップ2016決勝のレアルマドリード戦では、2得点をあげて世界中の注目を集めた。ゲームの流れを読む力にも長けており、攻撃のスイッチを入れる縦パスを得意としている。
反面、守備の強度が不足していることが弱点であり、ハリルホジッチ監督やヘタフェを率いるホルヘ・ボルダラス監督といった中盤の選手にボールを奪う強度を求めるタイプの監督からは積極的に起用されない。また、単独でのプレッシング回避やプレッシャーがかかった状態でのプレーを苦手としている。
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
2011 | 鹿島アントラーズ | J1リーグ | 13 | 0 | |
2012 | 鹿島アントラーズ | J1リーグ | 31 | 1 | |
2013 | 鹿島アントラーズ | J1リーグ | 34 | 2 | |
2014 | 鹿島アントラーズ | J1リーグ | 34 | 6 | |
2015 | 鹿島アントラーズ | J1リーグ | 29 | 5 | |
2016 | 鹿島アントラーズ | J1リーグ | 31 | 3 | |
2016-17 | テネリフェ | ラ・リーガ2部 | 16 | 2 | |
2017-18 | ヘタフェ | ラ・リーガ | 22 | 1 | |
2018-19 | ヘタフェ | ラ・リーガ | 7 | 0 | |
2019-20 | デポルティーボ | ラ・リーガ2部 | 26 | 0 | |
2020-21 | レガネス | ラ・リーガ2部 | 34 | 2 | |
2021-22 | レガネス | ラ・リーガ2部 | 34 | 3 | |
2022-23 | レガネス | ラ・リーガ2部 | 30 | 0 | |
2023 | 鹿島アントラーズ | J1リーグ | 3 | 0 | |
2024 | 鹿島アントラーズ | J1リーグ |
子供の頃からあまり感情を表に出さず、クールな性格という評判だった。中学・高校時代はストイックなまでにサッカーに取り組み、休みの日にチームメイトからカラオケに誘われても断るほど他のことには興味が無かった。
クールではあるが、同時に人一倍負けん気が強い性格でもあり、高校2年生のときには、試合中「もっとやれねえのか」と言っていまいちなプレーをしていた3年生にビンタしたことがある。
プロになって高校生へのアドバイスを求められたインタビューでは、「プロサッカー選手に歌唱力は必要ない」と語り、カラオケなどの誘惑に負けないようにアドバイスしている。
青森山田高校時代の恩師であり、高校サッカー屈指の名将としても知られる黒田剛監督は、「小学生のときから非常に周りが見えていて、まるで次元が異なるプレーをしていた」と評している。
掲示板
30 ななしのよっしん
2019/08/22(木) 02:28:58 ID: Apk8z4lFaw
>>sm35571729
2部でも元気そうだね
31 削除しました
削除しました ID: kemJjJkHDi
削除しました
32 ななしのよっしん
2021/10/08(金) 22:26:44 ID: owBwckiLon
柴崎だけが悪いわけじゃないが、あのパスミスはずっと言われるんじゃないか・・・。このままワールドカップ出場を逃せばずっと十字架を背負わされそう
あのプレーの前にもアンカーの選手がやっちゃいけないレベルのミスがいくつかあったし、もうちょっと早くひっこめていれば・・・・
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/02(月) 06:00
最終更新:2024/12/02(月) 05:00
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