キエフ級空母重航空巡洋艦とは、ロシア海軍が保有していた軽空母である。
搭載機にVTOL機を採用しており、第二次世界大戦後の軽空母として代表的な艦の一つである。
4隻が建造され、3隻は退役、1隻がインドに売却され改装された上で現役である。
キエフ級に至るまで
時は折しも冷戦真っ只中、下手すりゃ核戦争という時代に、ソ連の懸念する物の中には米海軍の戦略原子力潜水艦があった。 戦略原子力潜水艦には核弾頭を備えた弾道ミサイルを持ち、その高い隠密性で世界の海洋を彷徨いていたのである。
これを探しだし狩るために、モスクワ級対潜駆逐艦を配備した。これは海上自衛隊で言うところのDDHにあたり、その対潜ヘリ運用能力をもってして高い性能を示した。
これに気を良くしたソ連海軍は発展型の対潜駆逐艦としてキエフ級の開発を始めた。のだが…
かくしてキエフ級対潜駆逐艦は没となり、キエフ級は軽空母の道を歩むことになる。
概要
外見は通常の駆逐艦の左側に、艦の中心から4.5度斜めにずらして一本の短い飛行甲板がくっつくという実に特徴的な姿をしている。
スキージャンプやカタパルトなどはなく、VTOL機の力だけによる垂直、あるいは短距離離陸をすることになる。着陸はアレスティングワイヤーが無いためVTOLによる着陸のみ。
甲板に丸い円があるが、これは着陸スポットとなる。最前列のCの円が救難ヘリ、その後ろの1~6が戦闘機や対潜ヘリ、艦体の中心線上にある一際大きい円が輸送ヘリ用となっている。
もともと戦闘機の6機同時発艦をするつもりだったが、戦闘機側に安定装置がない上にお互いの排気で煽りまくってしまうので3機同時発艦がやっとだった。
艦載機は最大30機、通常は22機搭載が可能。
メインの艦載機はYak-36の艦上機モデルYak-36Mの量産型、Yak-38。しかし対潜作戦を行う場合はこれに変えてヘリを満載することもある。
キエフ級は見た目通りに航空機以外の武装も充実しているのも特徴である。
76.2mm連装砲または100mm単装速射砲が2基、P-500対艦ミサイルの発射機が4基または6基、他に対空兵装や魚雷複数というのは空母としては重武装といえる。
キエフ級はソ連が手にした始めての空母だったものの、艦載機であるYak-38があまりにも微妙な出来であったこと、VTOL推しだった当時の国防総省とゴルシコフ元帥が死亡したこと、ソ連崩壊後の財政難などの要因により1993年までに4隻中3隻が退役、4番艦はインドに売っぱらわれるという道を歩んだ。
"重航空巡洋艦”?
どう見ても空母にしか見えないキエフ級だが、就役当時、対外的には『重航空巡洋艦』と名乗っていた。これは『モントルー条約』というめんどくさい条約があるため。
旧ソ連にはでかい軍艦を建造できる造船所がたった二箇所、現在のウクライナにあるニコラーエフ造船所とレニングラードのバルチースキー・ザヴォート造船所しかなかった[2]。で、これの何が問題なのかというと、地中海のさらに内陸にある黒海沿岸のニコラーエフから地中海に出ようとすると、どうしてもトルコのイスタンブル沖、というか目の前にあるボスポラス海峡を通過しなければならない。ここで問題のモントルー条約が出てくるのである。
モントルー条約とは第1次世界大戦後に締結されたボスポラス海峡の利用に関する条約で、ざっくり言うと、『戦艦や空母といった大きい軍艦は通行禁止、商船や巡洋艦以下の小さい軍艦ならいいよ?』的な内容である。これを潜り抜けて外洋に出るためにキエフ級は巡洋艦をあえて名乗ったのである。同様の理由で同じニコラーエフ造船所製であるアドミラル・クズネツォフも巡洋艦を名乗りボスポラス海峡を堂々と通っていった。当然世界中から「お前のような巡洋艦がいるか!」と突っ込まれまくったのだが、結局通過している。
同型艦
1番艦「キエフ」
北方艦隊に所属。大西洋及び地中海を行動範囲としていた。水陸両用作戦の演習に参加したり、米空母追跡任務を行ったりと精力的に活動していた。
しかしソ連崩壊後の1993年に退役、中国に売却された。現在は天津市にある軍事・科学をテーマとしたテーマパーク『天津滨海新区航母旅游区』の中心施設、その名も『天津航母酒店(=天津空母ホテル)』として営業中。余談だが中の客室は中国人好みの派手派手豪華な内装になっており、日本人から見るとラブホにしか見えないが普通のホテルです。旅行社に頼めば外国人でも泊まれる模様。
2番艦「ミンスク」
太平洋艦隊所属。南シナ海からインド洋までの広範囲を活動の場としていたが、その周辺にはキーロフ級を扱える修理工場が無くメンテナンス出来なかった為に、主機関の半数が故障するなど見る見るうちにオンボロになった。
ソ連崩壊後の1992年に退役後、韓国にスクラップとして売却されたが、売却先の会社は当時艦艇の処分にかかわっていたロシアの海軍大将マホニンが設立した会社であり、売られた金はマホニンのポケットに行ったといわれている。その後、今度はキエフと同じく中国に売却。改装後香港のすぐ隣、深圳市で遊園地『ミンスク・ワールド』として一般公開された。ただ場所が行きにくい上、火災にあったり経営会社が潰れたり再建したり末期には施設は荒れ気味だったとのこと。
2016年2月にミンスク・ワールドは経営不振で閉園。今度こそミンスクもスクラップか? と思いきや、なんと上海市の北隣にある南通市へお引越し。100億元(=1600億円?!)かけて改修して2017年の再オープンを目指すんだとか。それだけ金があるなら同寸の張りぼてができる気がしますが。
3番艦「ノヴォロシースク」
大西洋艦隊所属。上記2隻から改良が行われており、強襲揚陸任務を考慮して魚雷発射管を取っ払ったスペースに兵員の居住スペースを設け、Mi-6輸送ヘリコプターの露天繋留が出来るようになった。なお新型個艦防空ミサイルを積むはずが、当の新型が間に合わなかったため何も積まなかった。
配属直後に座礁事故をやらかすが、太平洋艦隊まで回航された後は特に問題も無く、積極的に作戦行動を行った。ソ連崩壊後に予備役となっていたが火災事故が起こり、これがきっかけで退役となった。ミンスクと同じく韓国にある前述のマホニンの会社に売却され、こちらは実際にスクラップとなった。
4番艦「バクー」(後にアドミラル・フロータ・ソヴェーツコヴォ・ソユーザ・ゴルシコーフに改名される)
北方艦隊所属。ノヴォロシースクからさらに改良され、76.2mm連装砲が100mm単装速射砲に、P-500対艦ミサイルの発射機が6基に、対潜ミサイルと艦隊防空ミサイルの撤去、ノヴォロシースクでは間に合わなかった個艦防空ミサイルの搭載などが行われている。
本来Yak-141を艦載機とする予定がこれが没となり、ソ連崩壊以後はYa-38すらも退役しヘリ空母として扱われた。活動は鈍かった上、火災で機関室が損壊し先に退役したキエフからのパーツでどうにかするなど していたが1995年に予備役となった。
その後は他の3隻と違い、インドへ全通式甲板に改造された上で売却されることになり、ヴィクラマーディティヤと改名。2013年にインドへ引き渡し、2014年1月にインドに到着した。
関連動画
関連コミュニティ
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関連項目
- 軍事関連項目一覧 / 軍用艦艇の一覧 / 空母
- ソ連 / ロシア
- アドミラル・クズネツォフ
- ヴィクラマーディティヤ
脚注
- *当時のソ連海軍で一番偉い人。後に当のキエフ級4番艦、そして現代ロシアの最新型フリゲートにその名を残すことになる。
- *ソ連崩壊後は原子力潜水艦の生まれ故郷セヴェロドヴィンスク市にある北方機械建造会社が建造能力を手に入れたと主張して4番艦バクーがえらい目にあうのだが、ここらへんはヴィクラマーディティヤの記事を参照のこと
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