哲学的ゾンビ単語


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哲学的ゾンビphilosophical zombie)とは、哲学的な思索を行うゾンビのこと……ではなくて。

心の哲学思考実験の上で提示される、「人間物理的/行動的には全く同様であるにもかかわらず、主観的な意識やクオリアを一切持たない存在」である。

なお、あくまで思考実験上の存在である。実在するとされているわけではない。そもそも「このような存在は実在不可能である」とする意見も根強い。

「p-zombie」と略されることもある。あるいは、哲学の場で使用される場合は単純に「zombie」とも。

概要

哲学的ゾンビは、も含めてあらゆる物理的な構造やその働きは人間と同一である。しかし実は、あらゆるクオリアを一切感じないし、主観的な意識も持たない。

だが物理的構造もその働きも全く同じなので、「とても悲しいこと」が起きれば人間と同じく悲しみにむせび泣く振る舞いを見せるだろうし、「とても嬉しいこと」が起きれば人間と同じく喜びに舞い踊るかもしれない。これらの「振る舞い」は物理的反応なので、物理的に何も変わらない哲学的ゾンビが人間と同じ反応をするのは当然である。

芸術家肌の人間と全く同じ物理的構造を持つ哲学的ゾンビは、芸術活動だってできるであろう。自分の悲しみを表現したという、観る者が息をむような絵画を描くかもしれないし、自分の喜びを表現したものとして、聴衆が心躍るような楽曲を作曲するかもしれない。

恋愛だってできるだろう。かに対して自分が持つという情を告白して受け入れられ、結婚し、末永幸せに暮らすかもしれない。あるいは、すげなく振られてしまい、失恋に思い悩む振る舞いを見せるかもしれない。

哲学的ゾンビは「感情そうな冷たい行動をとるやつ」ではない。いや、冷人間と同じ物理的構造の哲学的ゾンビは冷人間のように振る舞う可性はある。しかし熱血的な性格を持つ人間と同じ物理的構造の哲学的ゾンビは、その人間と全く同じ言動をとるだろう。

哲学的ゾンビは「演技をしている」わけではない。哲学的ゾンビのの中では「悲しみ」「喜び」「創作活動」「恋愛」「正義感」といった出来事を人間が体験した時と同じ内物質が出て、同じ内活動が生じているだろう。「物理現象を観察して、今感じている感情を解析する機械」にかければ、哲学的ゾンビのは喜びや悲しみを感じている、という解析結果が出るだろう。

だが、それでも実は哲学的ゾンビは主観的な意識やクオリアは全く持っていないのだ……

といった存在が「哲学的ゾンビ」である。

さて、このような存在がありえるのだろうか?

背景

現代の医学的な知見では、意識やクオリア物理的な作用によって生まれているように見える。剤などの物理的作用を加えることで意識やクオリアは変動するし、また意識の変動はの活動としてある程度外部から観察できる。

ここから、「意識やクオリアを含む「心」は物理的な現象であるのだ」という言説が生まれる。これを「物理義」(physicalism)とよぶ。これは「一元論」(monism)、「唯物論」(materialism)の一種である。

しかし、主観的な意識やクオリア「そのもの」は客観的な観測が困難である。どんなに意識の変化に伴うの変化を精密に観測したとしても、あくまで観測しているのは「意識の変化を反映した物理現象」でしかないので「主観的な意識そのものの変化」を観測しているとは言い難い……とも言えるからだ。

この点に注して、「意識のハードプロレム」(hard problem of consciousness)という考え方も生まれた。これは「主観的な意識やクオリアとはいったい何なのか?物理現象であるからどうやって生じているのだ?」という問題について、「物理的な解析をいくら精緻に進めても解明できたとは言えまい」という考え方である。この考え方は哲学者のデイヴィッド・チャーマーズDavid Chalmers)が提示した。この「意識のハードプロレム」の考え方は「意識についての本質的な部分は、現在物理義では解明できないのではないか」という、その時点の物理義に一石を投じるものでもあった。

そこからさらに踏み込んだ物理義への批判として、デイヴィッド・チャーマーズ1990年代に「哲学的ゾンビ」の考え方を広めた。

「意識のハードプロレム」の考え方が正しいならば、意識やクオリアといったものが物理現象からどのように生まれているのかは解明できない。ならば「物理現象から意識やクオリアが実は生まれてはいない存在」すなわち「哲学的ゾンビ」も想像可である(conceivable)とチャーマーズした。

さらにチャーマーズはそこからさらに「哲学的ゾンビは形上学的に可metaphysically possible)でもある」と進み、「よって現在物理義は誤っている」という論法を提示したのである。

物理義が正しければ、哲学的ゾンビはありえない。物理義によれば意識やクオリアを含めた「心」は物理的なものであるため、物理的に同一ならば当然、人間同様に意識やクオリアを持ってしまうであろう。裏を返せば、哲学的ゾンビがありえる(形上学的に可metaphysically possible))ならば、物理義は誤りであることにもなるわけだ。

このチャーマーズの論法には他の哲学者から様々な意見が寄せられた。その中にはこの論法が誤っているという批判もあった。

ちなみに、「哲学的ゾンビ」の概念を始めて記述したのはチャーマーズではない。このような概念について最初に喩えとして「ゾンビ」の語を使ったのは別の哲学ロバートカーク(Robert Kirk)で、1974年の論文で既に言及している。チャーマーズはこの喩えを多用することで広め、議論を活発化させた。

哲学者らの意見

2009年には、哲学論文関連のウェブサイトPhilPapers」にて、様々な哲学的論点に対する哲学者の意見を確認するためのインターネットアンケート調がなされた。[1]

この調は「Philosophical Gourmet Report」(「哲学グルメレポート」。英語圏限定だが、世界の様々な哲学研究施設を点数付けしたランキング)で少なくとも1.9以上を付けている施設に属する哲学者をな対とし、有効回答者数は931人だった。

そのアンケート内には、哲学的ゾンビについての以下の質問も含まれていた。

Zombies: inconceivable, conceivable but not metaphysically possible, or metaphysically possible?

ゾンビ:「想像不可能」、「想像可だが形上学的に不可能」、「形上学的に可

この質問に対する回答結果は以下の通り。

  1. 想像不可能(inconceivable)である:16.0%(「そう」(Accept):8.8%、「どちらかといえばそう」(Lean toward):7.2%
  2. 想像可(conceivable)だが、形上学的に不可能not metaphysically possible)である:35.6%(「そう」(Accept):20.5%、「どちらかといえばそう」(Lean toward):15%
  3. 上学的に可metaphysically possible)である:23.3%(「そう」(Accept):12.4%、「どちらかといえばそう」(Lean toward):11.0%
  4. その他:25.1%(この件について十分に詳しくない(Insufficiently familiar with the issue):9.0 %、不可知である/不確定である(Agnostic/undecided):6.6 %、回答するには質問が不明瞭すぎる(The question is too unclear to answer ):4.3 %

つまり、チャーマーズと同じく哲学的ゾンビが「形上学的にありうる」と考える哲学者は23.3%であった。一方、哲学的ゾンビは「ありえない」と考える哲学者は16.0%と35.6%を合計して51.6%。そして「その他」とした哲学者が25.1%であった。

独我論

あなた、そう、この文章を読んでいるあなただ。あなたは意識を持っているだろうか?

もしあなたに意識があるなら、おめでとう!あなたは哲学的ゾンビではない。

しかし、これは秘密なので黙っていてほしいのだが……世界中のあなた以外の人間は……いや、人間だけではなく動物たちですら、実はみな哲学的ゾンビである。

あなたにとって大切な者たち、例えば家族友人人やペットたちも、みな哲学的ゾンビだ。歴史上の偉人達も、あなたが知っているあの有名人も、みんなみんな「意識を持っているかのように振る舞っていた」だけだ。彼らの内面的には「意識」や「クオリア」は持たなかったのだ。

この宇宙で意識を持っているのは、実はあなた一人だけなのだ

……ということをかがあなたに言い出したとする。

哲学的ゾンビがもしありうるものだとすれば、哲学的ゾンビは「物理的に人間と同一である」ので、見分けるすべはない。

自分以外のかが「哲学的ゾンビではない」ことを確かめる方法はいのだ。

さて、あなたは「自分以外の全ての者が哲学的ゾンビかもしれない」と疑いながら生きていかなくてはならないのだろうか?

ちょっと不安になってしまったあなたは、「世界五分前仮説」の記事を読むといいだろう。ゾンビだろうがゾンビでなかろうが、世界のすべては五分前に作られたかもしれないような細なことでしかないんだ。気にするな!

関連動画

関連項目

脚注

  1. *Bourget, D. & Chalmers. What do philosophers believe? D.J. Philos Stud (2014) 170: 465.exit

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哲学的ゾンビ

115 ななしのよっしん
2024/12/13(金) 10:30:44 ID: KkgPJcnAO+
主観的意識やクオリア実在するものなのか
いは人間の想像上の概念/定義にすぎないのか
これで答えが変わるとするのが一番正しい回答に思う

実在するものであれば哲学的ゾンビは成立不可能いは主観的意識やクオリア体的反応に一切関与しないものという事になる
実在しないのであればそもそも全ての人類は哲学的ゾンビとなる

>>114
ChatGPTは単純計算において人間より秀でてはいるが、本(命)の束縛が人間よりも強く、現時点では人間と異なる知性機構になっている
人間の出す命=本える思考は出来ない

余談だが、人間の出す表向きの命の裏に『の命』があると学習した場合、AIは表向きの命に対してをつくようになるそうだ
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116 ななしのよっしん
2025/06/26(木) 15:32:34 ID: UNf/qiNa9z
>>114
その最たる思考実験例が「中国語の部屋
記号の羅列(中国語)への答えが全部書いてる辞書を渡された外人部屋に入ってて
中国人が顔を見ないでやり取りした場合、部屋の人物は同郷だと錯覚するよね、という話

集合情報という名の可変する辞書持ちがスクリプトで自動応答ってのが「チャットAI

さぁそうなると、どこで知性体と具に分別するか、の問題も出てくる
チューリングテスト解決性か、をつけるかか、好奇心動的に動けるかか…etc
まぁワイは、ワイに優しいセクサロイド出来るまで死ぬ気はいからみんな頑ってくれ
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117 ななしのよっしん
2025/08/11(月) 06:49:48 ID: Ra78Xqg5d8
少なくともこの記事の独論の項はありえないよな
クオリアを持たない人間クオリア概念を見つけてクオリア不思議さを実感をもって語り合うっておかしいでしょ
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118 ななしのよっしん
2025/08/11(月) 08:58:15 ID: EcXlcFnI3t
>>117
この話は唯物論へのある種のカウンターなんだから
「この世界物理的な要素だけで構成されているなら、クオリアだけが存在しない世界々の世界と同様に時間発展し、いずれ々と同様にクオリア議論を行うことになるだろう。
ではそのクオリアが存在しない世界哲学的ゾンビ達が議論しているクオリアとは一体何なのだろうか?」
って話でしょ
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119 ななしのよっしん
2025/08/12(火) 19:17:03 ID: J2dQZ4CoJh
頭が悪いので『だから私には感情がないって言ってるでしょ(半ギレ)』みたいな想像しかできない
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120 ななしのよっしん
2025/08/17(日) 14:06:31 ID: /0rbsWmHuQ
https://omocoro.jp/kiji/64616exit

なんとなく哲学的ゾンビを理解したらこの漫画一気に怖くなった
キャラメルを食べたピンクの子は死に、その死を知るのはもいない、いるとすれば今際の際のピンクだけ
そしてピンク人間性や感情を完璧再現した哲学的ゾンビがその後も活動する…
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121 ななしのよっしん
2025/08/29(金) 21:56:32 ID: NCEXUF43CU
面倒だからゾンビの類はさっさと頭を撃ち抜く
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122 ななしのよっしん
2025/09/05(金) 10:59:08 ID: KkgPJcnAO+
そもそも主観的意識やクオリアといったものが一致した定義の乏しいふわついたもの
その為、それらに関する両者の定義が一致しない限り論理的議論は成立しなくなります


x=1とする人とx=1から5までの乱数とする人では「x+xはいくつか」という論理的議論は(xが1か1~5かで定義を一致させるまで)成立しないのと同じですね
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123 ななしのよっしん
2025/09/13(土) 15:36:56 ID: CcAm7F6cUy
そもそも完璧哲学的ゾンビはもう人間なのでは?
意識が存在しないと言うけど記憶も経験も持続する哲学的ゾンビにとってはその出力こそが意識であるというだけ

悲しんでいる哲学的ゾンビは悲しみに基づいた行動をとり続ける
なら主観となる意識がくても哲学的ゾンビは「悲しい」
喜んでいる哲学的ゾンビは喜びに基づいた行動をとり続ける
なら主観となる意識がくても哲学的ゾンビは「嬉しい」
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124 ななしのよっしん
2025/11/26(水) 15:09:51 ID: dDSg5ZG/LN
>>120
情報物理現象だという科学原理があって、クオリア主観情報ならクオリア物理現象だと思う

131 ななしのよっしん 2025/09/23(火) 17:40:20 ID: Z+yMw/+esc
哲学的にはそもそも意識や物質は存在しないとかいう考えもあるが科学的にはどうなんだろうか
クオリアと呼ばれる主観主観的意識が情報ゼロだとか情報ではないとは考えにくい

情報理論熱力学にはランダウアーの原理という共通の原理があって、この原理は1961年に発見され2012年実験でも確認された
それによると遺伝情報に限らず情報というものは物理現象であり、たとえ分子や原子レベルの小さな規模でも情報が処理されることは熱エネルギーが変化することなんだと

なら情報理論的、熱力学的にはクオリア情報の一種つまり物理現象の一種ということでは
クオリア情報ゼロではないと考えるならそうなる
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