思想・信教・表現・学問の自由とは、日本国憲法の規定する国民の全てに保証された精神的自由権である。
概要
第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
02. 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
03. 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
02. 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
本来別々の精神的自由権の思想・良心の自由[1]、信教の自由、表現の自由、学問の自由を合わせた言葉である。「思想および良心の自由」の方は、文面を文字通り解釈すると”頭の中だけで何を思っても良い自由”と取れるが、これは狭義の解釈であり、法曹界では”考えたことを他人に伝え、表現できる自由”と考えるのが判例・通説である。ちなみに前者は他人の権利と衝突する可能性がないことから、本当に”思うだけ”であれば処罰されず、公共の福祉による制約を受けることもない。
これらがセットにされる理由は、議会制民主主義を支える国民が広く様々な情報を共有する情報化時代において、4つの自由が密接に関わっているためである。
論語の『由らしむべし知らしむべからず』の本来の意味、人民は為政者の定めた方針に従わせることはできるが、人民すべてになぜこのように定められたかという理由を知らせることは難しいと言う問題を解決する早道、Webやマスメディアを使った国民間の情報共有に必須の精神的自由権である。
表現の自由は、刑法第174条公然わいせつ罪、同175条わいせつ物頒布罪に基づき、警察の取り締まり、刑法の処罰の対象と成っており、制限された自由に留まっている。又、地方自治体は青少年保護育成条例でパッケージメディア・出版物の性的な表現規制を行っている。更に、多くのパッケージメディア・出版物は業界第三者機関のレイティング(Rating)に拠り、自主的な検閲及び広告・流通・販売の制限が設けられている。
秘匿すべき個人情報を安易に漏洩させない為に、個人情報保護法関連五法に拠っても、表現の自由は法規制を受けている。
この条文が争点となった有名な判例に三菱樹脂事件がある。詳細は「私人間効力論」を参照すること。
大日本帝国憲法には、思想・良心の自由、学問の自由の直接の明文規定は存在しないが、同憲法の起草者・伊藤博文は、『憲法義解』の大日本帝国憲法第28条「信教の自由」の解説文の中で次のように述べている。
蓋本心ノ自由ハ人ノ内部ニ存スル者ニシテ固ヨリ国法ノ干渉スル区域ノ外ニ在リ而シテ国教ヲ以テ偏信ヲ強フルハ尤人知自然ノ発達ト学術競進ノ運歩ヲ障害スル者ニシテ何レノ国モ政治上ノ威権ヲ用ヰテ以テ教門無形ノ信依ヲ制圧セムトスルノ権利ト機能トヲ有セサルヘシ
要するに「信教の自由が保障される前提条件は、国法・公権力が個人の内心に干渉して来ないこと(思想・良心の自由の存在)であり、これなくしては学術の競争進歩(学問の自由)など有り得ない」ということであって、思想・良心の自由、学問の自由は、共に信教の自由の規定に内包されるものであることが示唆されている。
今日では、信教の自由、表現の自由、学問の自由は、思想・良心の自由を頂とする精神的自由権の構成要素に位置付けられている。
昭和8年(1933年)の滝川事件の際、当時の文部省は「学問の自由を妨げる意思は毫[ごう]ももっていない」と主張していた[2]。これは裏を返せば、憲法に明文規定のない「学問の自由」の存在を公権力側が認識していたという事実である。
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関連項目
- 政治
- 日本国憲法
- 検閲
- 自由民主党憲法改正草案
- 静止画ダウンロード違法化法案
- アシュクロフト対表現の自由連合裁判
- 人権
- 自由
- 著作権
- ポルノグラフィ
- フェミニスト
- 表現の不自由展
- 表現の不自由展・その後
- 日本人のための芸術祭 あいちトリカエナハーレ2019 「表現の自由展」
脚注
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