非ユークリッド幾何学とは、ユークリッド的でない幾何学の事である。
そのオサレな語感から、少年漫画などで「なんか分からんが凄い理論」のように扱われたりするが、実はそれほどぶっ飛んだ内容ではなかったりする。
ユークリッド的でない概要
ユークリッド幾何学は三角形やら円やらが出てくるいわゆる普通の「幾何学」の事を言う。これは目盛の無い定規とコンパスのみで作図するべし、などの明確なルールが定まっており、長らく数学的厳密さの手本とされてきた。ユークリッドは幾何学の解説書である「原論」を著しており、その中で、まず初めに認める幾何学の基礎として5つの公準というものを考えていた。以下の命題がそれである。
公準1 任意の点から任意の点に直線を引くことができる。
公準2 任意の線分を延長する事ができる。
公準3 任意の点を中心に任意の半径の円を描くことができる。
公準4 直角はすべて等しい。
非常にシンプルで直感とも整合しており、これを定理として証明するような更に基礎的な公理もなさそうである。が、全く瑕瑾がなかったわけでもない。唯一の弱点とされていたのが第五公準の妥当性である。
何を言ってるか分からない?よろしい、ならば図解だ。
なるほど。確かにそれっぽい。ただ、他の公準と比べてどうにも説明が長ったらしくややこしい。もう少し短くマシな言い方はないのか?実は他の4つの公準から導ける定理なのではないか?などと小2000年程問い詰められていたのも事実だったわけである。
その結果、19世紀前半になって冷静に考えてみると、ユークリッド幾何の要請は「平面はまっすぐでないとダメ」だとか「ループしてるのはダメ」などとは一言も言っていないということに思い当たる人が現れ始める。一度常識を疑えば、「平面」が歪みねぇものであれば第五公準を含めたユークリッド幾何学が成立するが、双曲面のような歪んだ「平面」であれば第五公準に反する幾何学が成立するということ、すなわちこれまで厳密な真理だとされてきたものは、実は人間の勝手な先入観で作られた幻想に過ぎなかったとみんな気付くようになってしまったのだ。
しかし、この事は逆に幾何学を大きく前進させた。なぜか?つまり、幾何学の本質がルールを定めて何が起こるかを知る、という点にある事、すなわち「俺がルールブック」こそが幾何学の本質であることを白日の下に晒したからである。
幾何学あれこれ
ユークリッド幾何学は歪みがない空間で成立するという意味では、大なり小なり歪みのある非ユークリッド幾何学とは一線を画した特別な存在ということはできる。しかし、上の定義通りユークリッド的時空を扱う物以外は非ユークリッド幾何ということになるため、非ユークリッド幾何という幾何などぶっちゃけないのと同じである。LISPかよ!
「平行線はいくらでも引ける」幾何学、「平行線は二本あった!」幾何学だとか「平行線など存在しない」幾何学、あるいは他のルールを否定した幾何学など、論理さえ矛盾しなければ何でもいい。オサレであればなお結構である。そこにルールがあり、ルールに沿った図があるならば、それはすでに幾何学なのだ。
逆に言えば、「平行線だから交わらないはず」といった直感的な説明は一切認められない。「点」という用語を全て「椅子」に、「直線」という用語を全て「テーブル」に置き換えても論理的には同じものにならなければならない(by ダフィット・ヒルベルト)のだ。(ここでいう「椅子・テーブル」は「点・線」に対する先入観を破壊するために導入された「A・B」と同様な記号であり、「平行線だから〜」という理屈が通用しないのと同様、「椅子だから〜」「テーブルだから〜」という反論は一切成立しない。)
・距離の測り方から疑ってみた → リーマン幾何(相対性理論で使う!)
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第五公準とは同値ではなく裏の関係になるが、ユークリッド幾何学では常識である「内角の和が2直角なら平行で交わることがない」の反証については球面の例が一番わかり易い。下記動画を見て常識を疑うことを始めてみよう。
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