U-864とは、第二次世界大戦中にドイツ海軍が建造・運用したIXD2型Uボートの1隻である。1943年12月9日竣工。1945年2月9日にベルゲン西方で英潜水艦ヴェンチャラーの雷撃を受けて沈没。
概要
IXD2型は、今までのIXA~C型とは全く異なる船体を持った遠距離航洋タイプのUボートである。
IXD1型に搭載していた魚雷艇用エンジンの信頼性が低かったため、IXC型と同一のMAN社製M9V40/46ターボチャージドエンジン2基に変更し、新たにMWM社製RS34/5S巡航用ディーゼル2基を搭載。これによりフランスからインド洋やオーストラリア近海まで長駆出来る長大な航続距離を獲得した。補助用ディーゼル発電機と電動モーターを同時駆動させる事で水上速力19ノットを発揮する。IXD型はD2(前期型)とD1(貨物艦用に改修した後期型)に分かれており、U-848は28隻生産された前者に当たる。
諸元は排水量1616トン、全長87.58m、全高10.2m、喫水5.35m、出力9000馬力、最大潜航深度100m、急速潜航秒時35秒、最大速力20.8ノット(水上)/6.9ノット(水中)、乗員55名または64名、燃料搭載量441トン。武装は53.3cm魚雷発射管6門(艦首4門、艦尾2門)、10.5cm甲板砲1門、3.7cm甲板砲1門、2cm対空砲1門。
U-864は英潜水艦ヴェンチャラーの雷撃により撃沈されたが、通常潜水艦同士の戦いは常にどちらかが浮上している状態で行われるため、第二次世界大戦の全期間を通して、双方潜航中の状態で沈んだのはU-864だけである。
戦歴
1941年6月5日発注、1942年10月15日にブレーメンのヴェーザー社で1070番船の仮称を与えられて起工、1943年8月12日に進水し、12月9日に無事竣工を果たした。艦長にはラルフ=ライマール・ヴォルフラム少佐が着任。彼はU-108の艦長を務めて3回の戦闘哨戒に従事したベテランであった。
竣工すると同時に訓練部隊の第4潜水隊群へ編入。バルト海で慣熟訓練を行う。
1944年11月1日、日本占領下バタビアで活動中の第33潜水隊群(モンスーン戦隊)に転属。U-864にはV2号ロケットに使われるメッサーシュミット社製最新鋭ジェットエンジンの部品、兵器製造に使う水銀65トン、Me163とMe262の設計図及び部品、軍事機密情報、帰国する日本人科学者2名、メッサーシュミット社の技術者2名を日本へ輸送する極秘輸送、カエサル作戦に従事するよう言い渡された。U-864乗組員の多くは積み荷と任務について殆ど知らなかったという。
日本が最新技術を得て、太平洋での制空権をアメリカ軍から奪還すれば、アメリカは多くの部隊を極東へと移動せざるを得なくなり、ヨーロッパのドイツ軍への圧力が軽減される。その事をヒトラー総統が期待して今回の作戦が立てられた訳である。
12月5日にキールを出港、12月9日にドイツ占領下ノルウェーのホルテン軍港へと到着し、オスロフィヨルドでシュノーケルの実験を行った。12月27日にホルテンを出発し、翌28日にクリスチャンサンへ寄港して補給、12月30日、ファルスンドにて護衛艦艇が合流するまで仮泊しようとしたが、その際に座礁してエンジン出力を完全に喪失。更にランカスター爆撃機が潜水艦基地を爆撃し、その巻き添えでU-864も損傷を受けた。
このままでは日本に向かう事が出来ない。ヴォルフラム艦長は最寄りのベルゲンで修理を行う事とし、1945年1月1日にファルスンドを出発した。港を出た直後、シュノーケルに欠陥が見つかる問題に見舞われつつも、1月5日にベルゲンに入港、9隻のUボートを収容できる巨大乾ドックで修理を受ける。異説ではキール運河を通過中に座礁・損傷してしまったためベルゲンに寄港したとしている。
修理中の1月12日、ベルゲンのUボート基地をイギリスの爆撃機が攻撃、投下されたトールボーイがU-864がいる乾ドックに着弾し、軽微な損傷を負った影響で工事が長引き、2月初旬になってようやく修理完了。
一方、ブレッチリー・パークのイギリス軍暗号解析班は、U-864とキール間でやり取りされたエニグマ暗号を解析してカエサル作戦を察知、U-864を仕留めるべく海軍本部はスコットランドを出撃したばかりの英潜水艦ヴェンチャラーをノルウェー沖フェジェ島に送り込んだ。艦長のジェームズ・スチュアート・ジミー・ラウンダース大尉はU-771を含む13隻の船舶を葬って来た恐るべき手練れだった。
2月6日にU-864はベルゲンを出港。日本への遠い旅の一歩を踏み出す。ヴェンチャラーは静穏性を優先してASDIC(高性能ソナー)ではなく水中聴音だけでU-864を探し求めていたが、その索敵方法では捕捉率がどうしても低く、一度はフェジェ海域の突破を許した。
しかしU-864に死へといざなう不幸が襲い掛かる。なんとエンジンの1基がトラブルを起こして発火、そのせいで騒音が激しくなり、応急修理の音も手伝って潜水艦の命とも言うべき静穏性が失われたのだ。ヴォルフラム艦長はベルゲンと連絡を取り、修理のため反転する予定と伝えた後、ベルゲンから2月10日にヘリソイ島へ護衛が向かうと通達され、ヘリソイ方面へと向かう。
最期
1945年2月9日午前10時10分、ベルゲンの沖合い65kmでヴェンチャラーの聴音手はU-864のスクリュー音を探知。その20分後には、U-864が水上の友軍艦艇を探す目的で上げた潜望鏡を1800m先で発見し、北方からU-864の追跡を開始する。45分後、ヴェンチャラーの存在に気付いたU-864は、雷撃を警戒して不規則にジグザグ運動を行うようになり、互いに決め手を欠いたまま、双方ともに危険を冒して潜望鏡で位置を探り合う心理戦に発展。というのも、互いに潜航している状態での雷撃など両軍ともマトモに想定及び訓練しておらず、またU-864が5分間隔で針路を急変させるため、おいそれと魚雷を撃てなかったのだ。
追跡開始から3時間が経過した午後12時12分、水中でもバッテリー充電が可能なシュノーケルを持つU-864とは対照的に、ヴェンチャラーはバッテリーの充電不足でそろそろ浮上しなければならなくなり、最後の賭けとしてU-864の動きを先読みして、距離2000mから17.4秒間隔で4本の魚雷を発射。
対するU-864は深く潜りながら旋回する回避運動を実施、こうして最初の3本は回避に成功したものの、4本目の魚雷は潜航を見越してわざと深く発射しており、ヴェンチャラーの巧みな罠に引っかかったU-864は直撃を喰らい、航海日誌曰く「大きく鋭い爆発音とそれに続く破壊音」を立てながら艦体を真っ二つに引き裂かれて水深150mの海底に横たわった。乗組員と便乗者73名全員死亡。ヴェンチャラーが雷撃した地点に向かうと、そこには魚雷ほどの大きさの長い鋼鉄の円筒(おそらくフォッケ・アハゲリスFa 330の格納筒)や油膜、残骸などが漂っていた。
乗組員のプラマーは「(無事仕留められて)ほっとした」と語った。だがすぐに彼と仲間たちは他の潜水艦の乗組員が死んだ事に気付き、「今にして思えば、かわいそうに、としか思えない」と漏らしたという。
もしベルゲン空襲が無ければ、もしシュノーケルに異常が無ければ、U-864は無事に出発できていた可能性が高く、まさしく不運が重なった結果と言える。ただしフランスからペナンに行くだけでも3~4ヶ月程度かかるためドイツの降伏までに日本へ辿り着けたかはどのみち怪しい。
その後
U-864に積載されていた貨物の一つに水銀があると知ったノルウェー海軍は残骸の捜索を開始。5年間の捜索を経て、2003年10月に機雷掃海艇のダイバーがフェジェ島沖4kmの海底に沈むU-864を発見。
2年間の調査の結果、U-864から漏れ出した水銀がベルゲン近海の海域を汚染している事が確認され、その範囲は年々広大化、更に水銀濃度が高い魚が捕獲されたため沈没地点付近での漁業は禁止となった。引き揚げようにも艦内には数発の魚雷が起爆可能な状態で残っていて断念。ノルウェー政府は約2500隻の沈没船を監視対象としているが、U-864は最も重大な対象であり、2017年2月、厚さ12mのコンクリート壁で覆って埋葬する計画を決定。しかしまだ実行には移されていない。
2011年10月18日にドイツのテレビ局がU-864を題材としたドラマ「Am Ende Hoffnung(希望の果て)」を放映。邦題は「U-864 日本を目指したUボート」。
関連項目
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