サッカーオーストラリア代表とは、オーストラリアサッカー連盟(FFA)により組織されるサッカーのオーストラリア代表チームである。愛称はカンガルーから取ったサッカールーズ。ユニフォームは、ホームはシャツが黄色、パンツがビリジアン色。アウェイは上下ともに紺。
サッカーのナショナルチーム一覧 | |||
オーストラリア代表 | |||
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基本情報 | |||
国旗 | |||
協会 | FFA | ||
大陸 | AFC(アジア) | ||
FIFAコード | AUS | ||
FIFA加盟 | 1963年 | ||
監督 | グラハム・アーノルド | ||
FIFAワールドカップ | |||
出場 | 6回 | ||
最高成績 | ベスト16(2回) | ||
アジアカップ | |||
出場 | 5回 | ||
最高成績 | 優勝(1回) |
オーストラリアサッカー連盟は当初オセアニアサッカー連盟(OFC)に所属していたが、2006年にアジアサッカー連盟(AFC)に移籍。現在はAFC所属である。日本代表とは何度となく対峙し、激闘を繰り広げている。
長年ラグビー、水泳、クリケットが人気スポーツで、サッカーはマイナースポーツという扱いだったが、政府主導の国家プロジェクトとも言うべき一連の改革『オーストラリアサッカー革命』により、劇的な変貌を遂げた。
オーストラリアは移民の国であり選手はイギリス、イタリア、旧ユーゴスラビアなど欧州系をルーツに持つ選手が多い。代表的な選手であるマーク・ヴィドゥカやティム・ケーヒルも移民の血を引いている。
FIFAワールドカップではオセアニアに割り当てられる出場枠が0.5であることが多く、オセアニア予選を勝ち進んでもプレーオフで敗れて出場を逃すことが多かった。1994年はアルゼンチン、1998年はイラン、2002年はウルグアイにプレーオフで敗れている。AFCに移籍した後は5大会連続でワールドカップに出場しており、2006年と2022年にはベスト16入りを果たしている。
アジアサッカー連盟(AFC)へ移籍したことから、2007年からAFCアジアカップに参戦。AFCアジアカップ2011では決勝進出を果たすも日本に敗れ準優勝。しかし母国開催となったAFCアジアカップ2015では見事優勝を果たした。
初試合は1921年。当時はニュージーランド、中国、南アフリカと親善試合をおこなっていた。FIFAワールドカップには、1966 FIFAワールドカップから予選に参加。
三度目の参加となった1974 FIFAワールドカップ・西ドイツ大会のアジア・オセアニア最終予選で韓国との再試合までもつれ込んだ激闘を制し、初出場を果たす。本大会では、1ゴールも決められないまま1分1敗でグループリーグ敗退となった。
1980年代になり、オセアニア地区が切り離されると、オセアニア地区予選は圧倒的な強さで勝ち抜くものの、大陸間プレーオフで南米や欧州のチームとの対戦に敗れ、ワールドカップ本大会に出場できない時代が長く続いていた。2002年大会のオセアニア予選では、アメリカ領サモラを相手に31-0という記録的な大勝を飾るが、大陸間プレーオフでウルグアイに敗れて予選敗退となった。
2003年に政府主導での改革がおこなわれ、初のプロリーグであるAリーグが発足。さらにこの頃、ハリー・キューウェル、マーク・ヴィドゥカ、ティム・ケーヒル、マーク・シュウォーツァーといったプレミアリーグで活躍するタレントが揃い、過去最高といえるメンバーとなる。2005年にはPSVアイントホーフェンとの兼任という形でオランダの名将フース・ヒディンクが監督に就任。これまでにないほど国民のサッカー熱が高まっていた。
オセアニア所属として最後の出場となった2006 FIFAワールドカップ・ドイツ大会において鬼門となっていた大陸間プレーオフで前回敗れたウルグアイへのリベンジに成功し、32年ぶり2度目の本大会出場を決める。本大会では、初戦となった日本戦をケーヒルの2ゴールによって逆転し、ワールドカップ初勝利を飾る。続くブラジル戦こそ敗れたものの、第3戦でクロアチア相手に引き分けに持ち込み、グループFを2位で突破。ラウンド16でもイタリアをおおいに苦しめる大健闘を見せるが、終盤に力尽き惜しくも敗戦。
2006年よりこれまで希望していたAFCへの移籍が実現。初出場となったAFCアジアカップ2007では準々決勝まで進出するが、日本にPK戦の末に敗れている。2010 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会は、アジア最終予選で6勝2分という好成績を残し、本大会へ出場。初戦のドイツ戦で0-4と大敗したことが大きく響き、ガーナに得失点差で及ばず2大会連続での決勝トーナメント進出は果たせなかった。
AFCアジアカップ2011では、決勝まで進出するが、日本相手に延長戦の末に敗れ準優勝に終わる。2013年にブラジル、フランスと親善試合で対戦するが共に0-6で大敗。事態を重く見たFFAは、ホルガー・オジェック監督を解任し、アンジェ・ポステコグルーを後任とする。この頃、キューウェルら黄金世代が次々と代表を去り、ポステコグルーは遅れていた世代交代に着手。しかし、2014 FIFAワールドカップ・ブラジル大会では3戦全敗での敗退となる。だが、この惨敗の中で新たな世代の芽が出始めており、自国開催となったAFCアジアカップ2015では、2大会連続で決勝に進出。決勝では、ソン・フンミン擁する韓国を延長戦の末に下し初優勝を果たす。
その後、ポステコグルーはこれまでのフィジカル頼みのスタイルから脱却し、ポゼッションスタイルを導入しようとする。2018 FIFAワールドカップ・ロシア大会のアジア最終予選では新たな試みがチームになかなか浸透せず、グループ3位となるが、大陸間プレーオフではミル・ジェディナクのハットトリックによってホンジュラスを破り、4大会連続での本大会出場を決める。ところが、その2週間後にポステコグルーが横浜F・マリノスの監督に就任するため突如辞任。元オランダ代表監督のベルト・ファン・マルヴァイクを招聘し本大会に挑むが、グループ最下位に終わるとともに2大会連続の未勝利に終わる。
ロシア・ワールドカップ後、グラハム・アーノルドが監督に再任。しかし、ケーヒルやジェディナクが代表を退き、チーム力は低下。2022 FIFAワールドカップ・カタール大会のアジア最終予選でもサウジアラビア、日本の後塵を拝しながらも、大陸間プレーオフでペルーとのPK戦を制して5大会連続で本大会へ出場。メンバーに欧州の主要リーグで活躍する選手がほぼおらず苦戦が予想されたが、初戦のフランス戦に大敗した後にチュニジア、デンマークを相手に連勝。2006年大会以来となる決勝トーナメント進出を果たす。ラウンド16では、アルゼンチン相手に善戦したもののリオネル・メッシの天才性の前に敗れる。
AFCアジアカップ2023では、準々決勝まで順調に勝ち進んだものの、準々決勝の韓国戦で1点をリードしながらも逃げ切りに失敗。延長戦にソン・フンミンの逆転ゴールを許し、前回に続いてベスト8止まりとなる。
太字はワールドカップで指揮を執った監督。国旗が付いているのは外国人監督。
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最終更新:2024/05/12(日) 18:00
最終更新:2024/05/12(日) 18:00
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