市営モンロー主義 単語


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市営モンロー主義は、交通政策にける黒歴史

概要

一言で言うと、「内の交通自治体が行うから、民間事業者は入って来るな!」と民間事業者を締めだしてしまう交通政策。
大阪市東京市(現:東京都23区)が行った。

そもそもの言葉の由来は、かつてアメリカ合衆国ヨーロッパに対して相互不干渉を提唱した「モンロー義」であり、時の大統領の名に因んでいる。

大阪市の場合…

1903年大阪市電が開業。その頃、民営事業者が大阪市内での鉄道・軌事業に参入しようとしていたが、
1901年大阪市長に就任した「原定吉」は、

鉄道のような市民生活に必要な交通機関は、利を標準に定されるものではなく、私人や営利会社に運営を委ねるべきではない」

議会し、それが議会の支持を受けてしまったことが、悪い意味で歴史を動かしてしまったのだ。

市営モンロー主義の被害者

この市営モンロー主義で煮え湯を飲まされた事業者は、に以下の事業者が挙げられる。

上記3社の関係者、特に古社員・OBからは今でも大阪市を恨む者が多い。

京阪の場合

元々京阪天満橋駅をターミナルとしていたが、そこから梅田駅への進出を図ろうと「梅田線」の建設を計画し、鉄道省から建設免許を受けたところ、
1920年大阪市は「梅田進出?縄張り荒らすんじゃねえよ!!」と鉄道省に干渉し、
結局建設条件に、地上線での建設を許可せず高架線・地下線でのみ建設を認めさせた。そうすると、建設費の面で折り合いが付かなくなり、梅田進出を頓挫させ、淀屋橋駅ターミナル駅となる結果となった。
その一方、新京阪電鉄ことのちの阪急電鉄十三駅を経て梅田進出を果たしており、命運が分かれる結果となった。

ちなみに、この建設中止で大阪電気こと後の近鉄も「四条畷線」(額田駅桜ノ宮駅)の建設が頓挫するというももたらしている。

阪神・近鉄の場合

1946年野田駅難波駅を結ぶ新線を計画し、難波駅近鉄に接続し相互乗り入れする予定であったが、
ここでも縄張りを荒らされたくない大阪市は、並行する新線の免許を申請した(のちの千日前線)。
そこで阪神野田駅から分岐するのではなく、伝法線こと後の西大阪線なんば線の当時の終着であった千鳥から難波へ向かうルートに変更した。
そのことに対し、大阪府阪神近鉄側を支持する方針を示したため、大阪市を益々怒らせてしまう。
1970年代近鉄難波駅まで進出を果たすが、阪神2009年まで大幅に遅れてしまった。

また、この新線の沿線には近鉄が経営するプロ野球球団・大阪近鉄バファローズの本拠地であった大阪ドームがある。
阪神近鉄連絡線構想の頓挫により、近鉄阪神タイガース西武ライオンズと同様の「沿線からの観戦客誘致」というビジネスモデル確立できなくなり、結果として大阪近鉄の経営難、その果ての合併消滅にもつながったと評価されることがある(ただし球団の赤字な要因は近鉄グループが自前で保有していた藤井球場から三セク企業である大阪ドームに移転したことによる使用料)。

バスも容赦しなかった

市営モンロー主義はバスにも及んでいた。元々大阪市内には「大阪乗合自動車」という事業者が1924年からバスを運行していたが、それに負けじと1927年大阪市市バスを走らせる。そうすると、過度な競争状態になり、1939年大阪乗合自動車大阪市に買収され営化されてしまった。そので、今でも大阪市中心部を走るバスは基本的に大阪市バスしか存在しない状態となった。
かつては中央区内本町に「内本町バスセンター」というバスターミナルが存在し、阪神バス阪急バス京阪バス近鉄バス南海バスの5社が乗り入れていたが、渋滞化等ので撤退、閉鎖された。

なお、大阪市バスはその後、「赤バス」でしくじってしまいもうひとつ黒歴史を生み出してしまう。
しくじり先生もびっくり。

地下鉄規格も容赦しなかった

大阪市営地下鉄車両は、第三軌条方式・架線集電方式・輪式リニアモーター方式の3つがある。
阪神近鉄へのカウンターパンチ路線となった千日前線中央線第三軌条方式である。
これは表向きには架線集電を行わないのでトンネル断面が小さく出来る建設費抑制策とされているが、
その裏では集電方式・建築限界をわざと変えることにより相互乗り入れをさせない防と言われている。
そのため、近鉄東大阪線(のちのけいはんな線)はやむを得ず第三軌条方式で開通させ、その車両を検する時は電動貨車で牽引しないと検場に持っていけないという面倒臭い行為を余儀なくされる結果となっている。
なお、堺筋線1970年大阪万博開催という役割を果たすため阪急の規格に乗っかった。

国からの介入、財政難に伴い黒歴史へ

1950年代後半、運輸省(現在国土交通省)の都市交通議会によって市営モンロー主義が玉に挙げられた。
地下鉄整備が営資本で行えないという問題点に対し、民間資本による新線建設が望ましいとのアンサーを出したのだ。

市営モンロー主義のターニングポイント1960年代から始まった。モータリゼーションである。
大阪市内に流入する自動車数が爆発的に増加したことにより、電の遅延が頻発するようになり、
電の収益がガタ落ちする。元々地下鉄建設の原資を電収益ありきで考えていたため、
その皮算用が通用しなくなったのだ。それにより、負債が膨らむ→高い運賃→客が乗らない→負債が膨らむという負のスパイラルに陥る。

その後も何度も大阪市都市交通議会玉に挙げられ、1963年京阪淀屋橋延伸、1970年近鉄難波延伸が実現。
その頃には、というお上に逆らう体力もなくなったことを悟っていた大阪市はそれ以降民間資本を締め出す方針はあまりせず、共存する姿勢を取るようになった。

そして2011年、当時の大阪市長であった橋下徹地下鉄市バス民営化を推し進めていく方針を掲げた発言により、市営モンロー主義はこれで幕を下ろす。約100年に渡る長いのりであった。
なお、大阪市交通局民営化は橋下政治世界から身を引いた後、2018年に「大阪市高速電気軌道Osaka Metro)」「大阪シティバス」という形で成就した。

東京の場合…

東京市においても、特に明治時代以来の「旧15区」(麹町・神田日本橋京橋・芝・麻布・赤坂・四込・小石川・本郷・下浅草・本所・深)の交通は原則により行う方針が示されていた。
なお、東京市1943年東京都とその特別区に再編されて、現在の区域では千代田区中央区の全域+文京区台東区港区のほぼ全域+地域以外の新宿区墨田区本所地域・江東区地域にあたる地域である。
東京における私鉄ターミナルが現在に至るまで東武浅草駅京成上野駅[1]を例外に池袋武蔵野西武池袋線・東上→東武東上線)・高田馬場西武新宿線)・新宿京王小田急)・渋谷東横東急東横線玉電東急田園都市線都電京王井の頭線)・品川京急)といった、鉄道開通前までは東京の区域に含まれない地域に立地し、古くからの東京地である東京駅新橋駅日本橋地域などには基本的に地下鉄またはJRのみが通じているのはこのためである。

ただ頑なに交通による整備と運営にこだわった大阪市と異なり、当初は路面電車は民営であり、1911年路面電車企業を買収して営化が成立。また地下鉄も民営で建設されたのち都も出資者として関わる「帝都高速度交通営団」による運営となっていた。
バスに至っては内は民営のバスと遊覧を的としたユーランバスが極めて強く、東京市としてバス事業に乗り出したのは関東大震災以降のことである。これらのバス会社は戦時統合されて都営バスとなるが、ユーランバスはその性質の違いから戦後まもなくあっさりと独立を果たしている(ただしはとバスの筆頭東京都)。

戦後都は営団の移管をしたが、そもそも東京市地下鉄を建設できなかった理由が予算の不足にあることからから拒否され、結局都営地下鉄という形で立ち上げるも営団と建設を分担することとなった。
但し、東京地下鉄郊外鉄道との共通規格による相互乗り入れが考慮されていた点も大阪との大きな違いである。

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関連項目

脚注

  1. *この2つのでさえも、開通時のターミナルである東武業平橋(とうきょうスカイツリー)駅京成押上駅は本所区内でこそあるが、浅草の対の町はずれの場所である。
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