代表作は4thアルバムの「こわれもの-Fragile」、5thアルバムの「危機-Close To The Edge」など。
プログレッシブ・ロックの代表的存在であり、yes、King Crimson、Emerson, Lake & Palmer、Pink Floydの4つのバンドをまとめて「プログレ四天王」と称される。(Genesisを入れて「プログレ五大バンド」とも言われる)
英国のバンドで初めてアトランティック・レコードと直接契約を交わしたバンドでもある。
リーダー的存在のジョン・アンダーソンの「音楽観と世界観」に合わせられるかがyesというバンドに残れるか、出て行くかを決めているようなもので、技術、才能があっても合わなければ脱退。というのがほとんどである。リック・ウェイクマンは4回も脱退している。メンバーの入れ替わりが多く、バンドの活動にも悪い影響を及ぼすこともしばしば。しかし、クリスのみ結成から現在まで1度も脱退したことが無い。
結成初期の頃のアルバムには、60年代に流行したサイケデリックな要素もあった。また、いくつかのカヴァー曲も含まれている。1stアルバムには、ビートルズの曲である「Every Little Thing」をカヴァーした物が入っている。
中期(全盛期)には、1曲でLP盤の片面を使い切る程長い大曲を多く作っていた。その為、「長すぎ」「散漫」「統一性が無い」等発売当初は評価が低い物もあり、一部メンバーの不満が積もるなどメンバー脱退に拍車をかける原因にもなった。現在では、それなりに評価されている。
後期(主に80年代)は、プログレ自体の人気が下がっていたこともあり、大曲志向を改め、ポップな要素が強い。後期の曲である「Owner Of A Lonely Heart」は、アメリカだけでなく、多くの国でヒットした名曲である。ちなみに「ロンリー・ハート」の原題である「90125」の数字はいわゆる商品番号みたいな物で意味は特にない。
中心メンバーの脱退の影響でアルバムやツアーの評価が極端に低くなり、1980~1983年は活動停止状態だった。(解散と言われているがアラン・ホワイトは否定)
近年(主に90~現在)は新曲の製作よりツアーを多く行う傾向にある。「ビッグ・ジェネレイター-Big Generator」以降の作品がセールス面で振るわなかったことも原因かもしれないが、「マグニフィケイション-Magnification」はキーボード担当が不在であったのを逆手に取り、オーケストラを起用した異作である。
2008年に結成40周年を記念して世界ツアーが予定されたが、ジョン・アンダーソンの病気により行われなかった。その後、アンダーソンの代わりにベノワ・デヴィッドを起用し北米で小さなツアーを行った。
2010年6月~7月に北米ツアーが行われ、ベノワとオリヴァーを正式メンバーとして迎えアルバムを発表。
日本では2012年にアニメ「ジョジョの奇妙な冒険」で「ラウンドアバウト」がEDで採用された為、「こわれもの」が“アニソン”としてとらのあな等に他のアニソンと並べて置かれているというプログレファンからすれば隔世の感すらある奇妙な光景が起きた。
となっている。
余談だが、ロジャー・ディーンの手がけたジャケットの絵はファンから評価が高い。
とあるバーで「Mabel Greer's Toyshop」のメンバーであったクリス・スクワイアと出会い、意気投合。アンダーソンはToyshopに加入。その後yesと名前を変える。
ジョン・アンダーソンの特徴といったらやはり美しい声が真っ先に挙げられるだろう。声は昔も現在もあまり変化は無く、むしろ昔より良くなっている感じがするくらいである。
yesの曲の多くはアンダーソンの世界観が影響したもので、海洋地形学はアンダーソンがヒンドゥー教をヒントに作成したものである。
1度目は1979年。アルバム製作が上手く行かず、メンバーの結束徐々に弱まって行く中での脱退である。リック・ウェイクマンも同時に脱退してしまった。人気者でyesの中心人物であった2人の脱退はyes消滅の可能性もあったが、「The Buggles」を吸収し、体制を整えた。
2度目は1988年。当時はトレヴァー・ラビンが中心となって活動していたが、アンダーソンにとっては不満であった。それがラビンとアンダーソンの対立の原因であり、アンダーソンは脱退。当時のyesに失望し脱退したという説もある。
21世紀に入ってから大規模なツアーを何度か行ったが、2001年の「マグニフィケイション-Magnification」以降新曲の作成を行っていない。
3度目は2008年のツアー前に急性呼吸不全を患いツアーを中止。アンダーソンの代わりにベノワ・デヴィッドを起用し、北米で小さなツアーが行われた。
病状は回復したが、復帰を許されなかった為、脱退。現在はソロで活動している。
蛇足だが、アンダーソンはKing Crimsonのアルバム「リザード-Lizard」にゲスト参加している。
yes黄金期の復活を考えたアンダーソンは翌年にyesを脱退していたスティーヴ・ハウ、リック・ウェイクマン、ビル・ブラッフォードの4人で「ABWH-アンダーソン、ブラッフォード、ウェイクマン、ハウ」を結成し、同年「閃光-Anderson-Bruford-Wakeman-Howe」を発表。クリス・スクワイアにも参加を要請したが、断られたうえ、yesと名乗る事も認めなかった。「閃光」は当時のyesより(黄金期の)yesらしい作品だった。
アルバムやライブが好評だったので2ndアルバム「ダイアログ - Dialogue」の製作を始めるが、楽曲が不足していたので、トレヴァー・ラビンに楽曲を提供を依頼。ラビンは承諾し、いくつかの楽曲を提供。この流れでクリスがコーラスとして参加。そしてABWHはyesに吸収される形で消滅した。
「結晶-Union」の曲は、ほとんどがABWHが提供した曲である。
ベース担当。本名はChristopher Russel Edward Squire。
yes結成時のメンバー。メンバーチェンジの多いyesで唯一結成時から在籍している。
1965年に「The Syn」というバンドを結成するが活動期間は短く、すぐに解散してしまった。
その後yesの前身である「Mabel Greer's Toyshop」を結成。結成して間もない頃、バーでジョン・アンダーソンと出会う。そこでお互いの音楽観などを話し合い、意気投合。アンダーソンがToyshopに加入。その後バンド名が「yes」となった。
結成時からグループを仕切り、中心メンバーのアンダーソンが脱退した時もyesを守ってきた。しかし、yesが活動停止(解散)し、メンバーがバラバラになってしまった為、アラン・ホワイト、ジミー・ペイジと「XYZ」を結成する計画があったが、失敗してしまう。
その後活動を再開したyesだが、アンダーソンとトレヴァー・ラビンと対立が深刻化。アンダーソンは脱退し「ABWH」を結成。クリスも誘われたがラビンの理解者であったクリスは拒否。アンダーソンはバンド名をyesにする予定だったが、クリスがyesのリーダーであった事と、yesが存続していたのでこのようなバンド名になった。
さらにABWHのライブ盤「イエス・ミュージックの夜-An Evening Of Yes Music Plus」にyesという文字が入っていた為クリスは猛反発。クリス側の「yes」とアンダーソン側の「yes」の間で裁判にまで発展した。しかし、当時yesの活動は順調ではなく、自然消滅もありえる状態であった為、ABWHがyesに吸収されるという形で裁判とABWHは終わった。
ソロ活動よりもyesの活動を重視していたクリスは、ソロアルバムを1枚しか出していない。
2015年5月、世界ツアーの日程を発表した際、白血病の治療のためツアーへの不参加を表明した。
しかしそれから1ヶ月後の6月27日、白血病のため不帰の人となった。67歳だった。
yes結成時のメンバー。と言われているが、実は二代目のドラマーなのでは、と噂されている。
ドラム担当。日本ではブラッフォードと表記される事が多いようだが、正確な表記はブルフォードらしい。(この記事ではブラッフォードとする)洋楽専門雑誌などではブルッフォードと表記している。
危機発売後のツアーが終了した直後に一度脱退し、「King Crimson」に移籍する。yes在籍時とは違い、激しい演奏をしていた。
その後King Crimsonが解散した後は「U.K.」の結成に参加するが、すぐに脱退し1979年に「ブラッフォード」を結成。二年後には再結成したKing Crimsonに参加。この頃からジャズ・ロックの分野に活動を重視するようになった。
1989年にはyesを脱退していたジョン・アンダーソンらと共に「ABWH」を結成。関連動画にある危機のライブ動画はABWH時のものである。この頃は電子ドラムを使用していた。
1991年には再度yesに加入し、1994年には再々度結成したKing Crimsonに参加と非常に忙しい人である。
その後ロックから離れ、ジャズグループ「Bill Bruford's Earthworks」のリーダーとして活動していたが、
現在は音楽業界を引退済み。
ブラッフォードは1968年12月にyesに加入したとコメントしているが、実はこれより前からyesは活動をしており、ブラッフォード加入以前のドラムは誰が担当していたのか?という事になる。
トイショップでドラムを担当していたジョン・シンバルという人物が有力な説だが、他のメンバー、関係者がこれに関して一切コメントしていない為、真相は不明である。
もっとも、正式な活動はアトランティック・レコードと契約してからなので、ファンの認識は「ブラッフォードが初代」となっている。
2ndアルバム「時間と言葉-Time And A Word」発売後、オーケストラの導入を巡って他のメンバーと意見が合わず、脱退した。
脱退後は「Flash」を結成、アルバムを3枚出して解散した。
その後、yesの曲をトリビュートしたアルバム「テイルズ・フロム・イエスタデイ-Tales from Yesterday」に参加した。
2013年死去。
1971年のライブを最後に1度脱退。理由はメンバーと音楽性が合わなかったからと言われている。
1983年に復帰し、1994年に再度脱退。側面からyesをサポートしていくと表明。
yes脱退以降は音楽活動をほとんど行っていなかったが、2007年から元yesメンバー数人を集めて「Circa」を結成した。
現在もCircaとして活動する傍ら、ビリー・シャーウッドとアメリカのロックバンド「Toto」のメンバーと共に「Yoso」を結成。アルバム「エレメンツ~要素~-Elements」をリリースした。
オルガンの演奏にこだわり、マルチ・キーボード(ウェイクマンの演奏方法)や、新しいテクノロジーは拒否した。
yes加入前はバンドを転々としていた。脱退したピーター・バンクスの代わりにyesに加入したのは1970年の事。
ロックギターを主軸としていたピーターと違い、多種多様なギターを演奏できたハウの加入により、演奏の幅が大きく広がった。作詞や作曲の面でも大きく貢献していた。
活動停止(解散)期には他のメンバーがyesから離れて行き、残ったダウンズと共にyes再建を考えるが、マネージャーの意見を聞き、ダウンズと共に「Asia」のプロジェクトに参加し、1stアルバムを大成功に導いた。ちなみにクリスとアランは「ハウとダウンズが自分達を残してAsiaに行った」というような発言をしている。当時の結束はかなり弱かった事がわかる。
Asiaを脱退した後は様々な活動をするが、アンダーソンの誘いを受けて「ABWH」を結成。ABWHがyesと合流した際にyesに戻らなかった。その理由は不明であるが、1991年から再加入する1996年の間にはいくつかのソロアルバムや他バンドへのゲスト参加がある。
その後Asiaをオリジナルメンバーで再結成し、ニューアルバムをリリースする等二束草鞋を続けていたが、2013年Asiaを再脱退。現在はyesだけに活動を専念している。
本名はRichard Christopher Wakeman。
1971年にトニー・ケイが脱退したので後任としてyesに加入。「マルチ・キーボード」という演奏方法が得意。この演奏方法はトニー・ケイが行っていなかったので、従来のyesと比べると明らかに違いがわかる。また、この演奏方法のおかげで長い曲でも聞き手が飽きないようになった。「危機」はウェイクマンが加入していなかったら無かった。もちろんこの演奏方法を行う技術も上手い。上手いでは足りない。
しかし、「海洋地形学の物語-Tales From Topographic Oceans」の出来、世界観などが気に入らなく当時この作品に関してコメントを求められた時に「最悪」とのコメントを残している。さらに海洋地形学の発表後のツアーではカレーと食べ、ビールを飲みながら演奏していたというエピソードがある。
2度目の加入は1976年、パトリック・モラーツが「究極-Going For The One」製作中に脱退した為、急遽参加を要請。ウェイクマンは承諾した。ちなみにウェイクマンは究極の作曲には参加していない。
そしてまたウェイクマンは脱退。さらにジョン・アンダーソンも脱退してしまった為、yesは大きな打撃を受けた。
その後しばらくはソロで活動していたが、「ABWH」の結成に参加。ニコニコ動画にある「神キーボード」という動画はABWH名義でのライブでのものである。
1991年にABWH吸収により復帰。そして発売されたのが「結晶-Union」である。このアルバム発売ごに行われたツアーが終了するとまたyesから離れソロ活動を再開(「トーク-Talk」には日程が合わず参加出来なかった)
1996年に復帰し「キーズ・トゥ・アセンション-Keys to Ascension」と「キーズ・トゥ・アセンション2-Keys to Ascension 2」を発表。キーズ2を発表した後にツアーが行われる予定だったが当時マン島に住んでいたウェイクマンがツアーを知った時はソロ活動のスケジュールもあり、参加出来ない状況だった。結果的にウェイクマンは脱退し、ツアーもキャンセルされてしまった。
2001年に復帰。2008年に予定されていた40周年ツアーには心臓病を患い医師の助言により事前に参加出来ないことを表明していた。代わりに息子のオリヴァー・ウェイクマンを推薦。ツアーはジョン・アンダーソンの病気により行われなかった。
現在はソロで活動しており、ジョン・アンダーソンと共に活動をしていたりもする。
「ヘンリー八世の六人の妻-The Six Wives of Henry VIII」を始め70年代に発表したソロアルバムは評価が高く、日本でも紙ジャケット仕様で再発されることがある。
ドラム担当。
yes加入以前から多くのセッションを経験。ジョン・レノンの「Plastic Ono Band」ともセッションを行ったこともある。
「King Crimson」に移籍したビル・ブラッフォードの後任としてyesに加入。以降1度も脱退する事無く、現在も活躍中。
ブラッフォードと演奏スタイルが全く異なる為、当初物議をかもした。ニコニコ動画にあるyesの動画でも「ブラッフォードの方が・・・」「アランは・・・」などのコメをたまに見かける。
それでも温厚な人柄もあってか、長期に渡りyesに在籍した。
1980~1983年の間はよく解散期と言われるが、アランは「メンバーが集まらなかったので活動を停止していただけ」と主張し、解散を否定している。
活動停止期はクリス・スクワイア元「Led Zeppelin」のジミー・ペイジと共に「XYZ」を結成するという話があったが、契約面などでトラブルがあり、XYZは結成されずに終わった。
トニー・ケイら共にCircaを結成したが脱退。yesに専念している。
キーボード担当。
その経歴から「プログレッシヴ・ロツク界の華麗なる渡り鳥」と称される。
1973年に「Refugee」を結成するが、翌年8月に脱退し、yesに加入する。
真相は不明だが、リック・ウェイクマンが脱退したyesは、モラーツをレフュジーから引き抜いたと言われている。ちなみに、Refugeeはモラーツを失った為、解散せざるを得なかった。
モラーツが参加したアルバムは7thアルバムの「リレイヤー-Relayer」のみだったが、今までyesに無かった演奏をした。その為、「リレイヤーが一番好き」という人も多い。
1976年にyesのメンバー全員がソロアルバムを出すと言う企画で出したアルバム「ストーリー・オブ・アイ- Story of i」が予想以上の評価を得た為8thアルバム製作中にyesを脱退した。
しかし、自ら脱退した訳では無く、「自分は解雇された」というコメントを残している。
ボーカル担当
元は「The Buggles」のメンバー。デビューソングが大ヒットして間もなくyesに加入。
当時のyesはアルバムの製作が上手くいかず、メンバーの結束も急激に弱まっていた。遂に中心メンバーのジョン・アンダーソンとリック・ウェイクマンの脱退という恐れていたことが起きてしまった。このままではyesの存続も危うい状態だった為、同じマネージメント所属のThe Bugglesを「吸収」し、yesの傾きかけた体制を整えた。
加入後yesはアルバム「ドラマ-Drama」をリリースし、ツアーを行うが、ボーカルがアンダーソンでなくトレヴァー・ホーンだった為ファンの反応は冷たく、特にヨーロッパでの評価は低かった。yesが活動停止(解散)した後、バグルスの活動を再開するが、メンバーのジェフ・ダウンズが「Asia」に参加していた為ホーンはバグルスの2ndアルバムを発表後、活動を停止した。(補足。バグルスはホーンとダウンズの2人のみ)
その後はプロデューサーとなり、yesのアルバムにもかかわっている。
キーボード担当。
トレヴァー・ホーンと共にyesに加入。その後yesは「ドラマ-Drama」をリリース。
中心メンバーだったリック・ウェイクマンの後任だった為、昔からのファンはThe Bugglesの二人を軽視していた。アメリカではそこそこの評価だったが、ヨーロッパツアーでの評価はあまり高くなかった。
yesが活動停止(解散)し、他のメンバーがyesから離れていき、残ったメンバーはスティーヴ・ハウとダウンズの二人となってしまった。二人はyesの再編を考えたが、マネージャーの助言を聞き入れyesを諦めた。そして二人はジョン・ウェットン、カール・パーマーと共に「Asia」を結成。1stアルバム「詠時感?時へのロマン-Asia」が全世界で1500万枚の売り上げを記録する大成功を納めた。
現在もAsiaとして活動しているたが、
2011年、30年振りにyesに復帰し現在も活動中。
ギター担当。
母国南アフリカでバンドを結成したが、長く続かず、アメリカに渡る。1982年、キッカケは不明だがyesの存在を知る。
その頃「XYZ」結成が失敗に終わったクリス・スクワイアは「Cinema」を結成する為にラビンに参加を打診。ラビンはこれを承諾。その後ジョン・アンダーソンらも参加し、yesのアルバム「ロンリー・ハート-90125」として発表された。
ギタリストとしては優秀でその後もyesで活躍するが、アンダーソンと対立。yesと「ABWH」に分裂する原因を始めトラブルが多く、70年代のファンからは良く思われていない。
その後ABWHとyesは合流するが、ラビンは1994年に脱退。映画音楽の世界へと進んでいった。
キーボード担当。
1997年に17thアルバム「オープン・ユア・アイズ-Open Your Eyes」でセッション参加し、1999年に正式なメンバーとなるが、ツアー中に事件を起こして解雇された。
yes加入前は兄と共に「Lodgic」というバンドで活動していた。解散後は「World Trade」を結成。このバンドの2ndアルバムにはクリス・スクワイアがゲスト参加している。
その縁もありyesの「結晶-Union」以降yesと関わるようになる。
1994年に行われたツアーでサポートメンバーとしてステージに立った。その後もキーボードやギターを担当するようになったが、音楽性の違いを理由に脱退。
脱退後もクリスと共同でアルバムを製作したり、2007年にはトニー・ケイやアラン・ホワイトらと共に「Circa」を結成した。
現在もCircaとして活動する傍ら、ソロアルバムを発表したり「Yoso」を結成したりと盛んに活動している。
2015年、ツアーの日程を発表した際、白血病の治療のため不参加を表明したクリス・スクワイアの穴を埋める形で、
ベーシストとしてサポート参加が決定する。しかし、6月27日にクリスは死去してしまう。
かねてからyesの楽曲にも関わり、かつクリスからも多大なる影響を受けた彼の悲しみは計り知れないと思われる…。
担当はヴォーカル。
元々はyesのトリビュートバンド「Close To The Edge」のヴォーカルとして活動していた。その後病気のジョン・アンダーソンの代わりとしてyesに加入した。
「Mystery」というバンドでも活動しており、アルバムをリリースしたりライブも行っている。
担当はキーボード。元yesメンバーリック・ウェイクマンの息子である。
キーボーディストとしていくつかのプログレッシブ・ロックバンドを渡り歩いた経歴をもつ。また、スティーヴ・ハウと音楽活動をしている時期もあった。
父親リックの推薦でyesに参加し、そのまま正式なメンバーとなった。
余談だが、弟のアダム・ウェイクマンもキーボーディストであり、オジー・オズボーンのソロ活動及び再結成されたBLACK SABBATHに参加している。
「こわれもの」以降のyesの多くのジャケットデザインを担当した。また、こわれもの以降yesの評価や知名度は上がっていったので、ロジャー・ディーンの名も多くのプログレファンに広まっていった。
幻想的で不思議なデジャケットデザインはyesの世界観とマッチしていた。
他にも、多くの人物が、プロデュースや、セッション等でyesと関わっている。
yes だけで検索すると他の動画もヒットするので「yes プログレ」で検索する方が良い。
もっとyesが聴きたい方は⇒「yes プログレでタグ検索」
yesの人気が下がっている頃のアルバムはAmazonでも見つけることがあまり無い(売っていない)ことが多い。
現在市場へ流通している主な音源は、2003年にRHINOレーベルより発売された各ボーナストラック入り音源の2009年再リマスター版である。2009年再リマスターにはSHM-CD仕様(w)と通常CD仕様がある。RHINO以前にも、1998年発売のHDCD仕様、さらに「Fragile」では2002年発売の5.1chサラウンドDVD-AudioとそのSACD-Hybridによる2010年再販盤などと様々なバージョンが発売されているので、詳細はAmazonの某レビューを参考にどうぞ。
しかし、2009年再販前のRHINO音源日本国内盤は万円単位でのぼったくり出品が多いので注意。
※ここでは再リマスター前のRHINO音源輸入盤で統一しています。
「Yessongs」と「Yesshous」も5月下旬に再発売。2枚組で2800円。
「In a Word」は5枚組のBOX。
1枚ずつ買うのが面面倒な方はこちらがオススメ。
右のアルバムはトリビュートアルバム(多数のアーティストがyesの曲をカバーした)アルバムなのでベスト盤と勘違いしないように注意が必要である。
掲示板
77 ななしのよっしん
2020/08/12(水) 21:47:52 ID: 8ZXPIMxbjh
78 ななしのよっしん
2023/11/12(日) 01:54:12 ID: NIgqWKANUq
リック・ウェイクマンの後任候補だったりジョン・アンダーソンとのユニット組んでた
ヴァンゲリスが全く触れられないな
79 ななしのよっしん
2024/06/02(日) 11:37:54 ID: TXAl4jinl8
残った主要メンバーのハウとダウンズには頑張ってほしいな。
たとえアンダーソンやウェイクマンがいなくてもやってけることはドラマが証明してるんだしさ(このアルバムはスクワイアの貢献も大きかったが)
それにこの2人に関してはエイジアでの実績もあるしね。
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/21(土) 21:00
最終更新:2024/12/21(土) 21:00
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