フリゼット(Frizette)とは、1905年アメリカ産まれ、アメリカ調教の牝馬の競走馬である。
19世紀を代表する名繁殖牝馬で、数々の名馬の牝系の祖として活躍した馬。
父Hamburg(ハンブルグ)、母Ondulee(オンドゥルオンドゥリー)、母父St. Simon(セントサイモン)という血統。
父ハンブルグは通算21戦16勝で2歳の時点で57~61キロの斤量を背負いながら走り続けたにも関わらず、通算で4着以下が一度もないという優れた成績を残した名馬。
母オンドゥリーに特筆したエピソードは無いが、母母Shotoverは牝馬として史上唯一の英2000ギニー・ダービーの勝ち馬でセントレジャーは3着に敗れた伝説の馬。
母父セントサイモンは最早説明不要の馬なので項目に省略。
血統的には父Hamburgはアメリカの歴史的名馬Lexingtonのラインを4本持ち(ここ重要)、母Onduleeはイギリス由来の血脈で固められた米欧血統である。
……ここまで書いておいて何だが、競走馬としてはフリゼットは大した成績は残せていない。
同期・同厩・同馬主に15戦全勝(ベルモントSなど相手が弱いわけじゃない)で20世紀のアメリカ名馬100選に15位に選ばれるほどの名馬Colinがいたのだが、フリゼットは2歳時は9戦4勝の成績。
4勝と言えば聞こえは良いが、その内の1つはクレーミング競走(出走馬の売却を前提としたレース)であり、そのレースでJ.A.ヴェルンベルクという弁護士に2000ドルに売却された。
3歳時もよく走ったがレースの大半はクレーミング競走で、9月のレースでヒーマン・B・デュルエー氏に再び売却される。
この背景として、当時のアメリカ競馬は賭博反対運動が活発であり、近い将来賭博禁止法が予測されていたことがあった。ニューヨーク競馬関係者であったデュルエー氏は馬産をアメリカからフランスへと移すことを考え、フリゼットを基礎繁殖牝馬にしようとして購入したのだった。
この賭博禁止法は実際に実施され、その影響が受けないメキシコが一時期競馬の中心となった時期があり、かのPhar Lapが当時世界最高賞金のアグアカリエンテHを制する出来事が有名である。
閑話休題。デュルエー氏が購入した後も、繁殖シーズンまでまだ時間があるため、翌年の春までフランスで走り引退。
デュルエー氏が開設したノルマンディーの牧場で繁殖生活を始めることとなった。
初年度産駒のBansheeという牝馬が早速プール・デッセ・デ・プーリッシュ(仏1000ギニー)を優勝するなど出だしは好調で、次々と産駒を輩出していった中で、フリゼットが21歳の時にデュルエー氏が亡くなり、マルセル・ブサックに購入される。
このマルセル・ブサックという男を簡単に説明すると、本業は家業から受け継いだ繊維業を発展させ、戦時に莫大な冨を築き上げた通称「繊維王」であり、1914年から馬主業及び馬産を開始して、前述のBansheeの仔のDurbanとフリゼットの8番仔のDurzettaという馬を購入してフリゼットと同じく基礎繁殖牝馬として馬産をスタートさせた。
そしてそれからのブサックはフランス競馬界の頂点へと上り詰め、英仏全てのクラシックを制覇し、凱旋門賞を世界最高のレースへとマッチポンプさせるなど競馬の歴史を語る上では必ず外せないほどの偉人である。
……一方で極端な配合を試みる事も少なくなく、代表的なのはCoronationで独立した項目があるので省略するものの、言い方は悪いがサラブレッドを生き物ではなく商品と思っていると言われてもおかしくない程の行動をよくしている。
そして、フリゼットがブサックの所有となったのは21歳と、もう引退してもおかしくない年齢にも関わらず繁殖牝馬として期待されたが、案の定仔出しは悪く、22歳の時に最後の馬を産んで23歳、24歳は産駒を産むことが出来なかった。
もう繁殖牝馬としては役に立てない……そんなフリゼットをブサックは屠殺場送りにしてしまい、1929年・24歳の生涯に幕を閉じた。
不要になった馬を屠殺場送りにする事は日本でもよくあることだし悪いとは言わないが、自身の馬産に多くの貢献をしたフリゼットを屠殺送りにしたのはブサックの人となりが良くも悪くも理解できよう。
ちなみにブサックは最終的には繊維業も馬主業も衰退して1978年に破産、2年後に寂しく没している。
遅くなったが、フリゼット最大の功績は牝系の祖として多大な活躍をしていることである。
以下、日本で有名な代表産駒を紹介する。
……と有名所だけでもこれだけいる。
ステークスウイナーなり凱旋門賞を制した馬がいるなど活躍した馬は他にもっといるが、これ以上書ききるのは大変なレベルで子孫は発展している。
特にTourbillonとMr. ProspectorとSeattle Slewの活躍が目覚しく、その内フリゼットは血統のどこかに必ず存在する名前として残り続けるであろう。
1945年からアメリカのベルモントパーク競馬場にて、2歳牝馬限定レースのフリゼットSが施行されている。
1973年のグレード制導入以降もずっとGI競走に指定され、1986年にはPersonal Ensignが制している。
| Hamburg 1895 鹿毛 |
Hanover 1884 栗毛 |
Hindoo | Virgil |
| Florence | |||
| Bourbon Belle | Bonnie Scotland | ||
| Ella D. | |||
| Lady Reel 1886 鹿毛 |
Fellowcraft | Australian | |
| Aerolite | |||
| Mannie Gray | Enquirer | ||
| Lizzie G. | |||
| Ondulee 1898 鹿毛 FNo.13-c |
St. Simon 1881 鹿毛 |
Galopin | Vedette |
| Flying Duchess | |||
| St. Angela | King Tom | ||
| Adeline | |||
| Ornis 1890 栗毛 |
Bend Or | Doncaster | |
| Rouge Rose | |||
| Shotover | Hermit | ||
| Stray Shot |
クロス:Vandal 5×5(6.25%)、Lexington 5×5(6.25%)
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最終更新:2025/12/26(金) 17:00
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