古橋亨梧 単語


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古橋亨梧(ふるはし きょうご、1995年1月20日 - )とは、日本のプロサッカー選手である。本名は、古橋匡梧。奈良県生駒市出身。
スコットランド スコティッシュ・プレミアシップのセルティックFC所属。サッカー日本代表。

170cm63kg。ポジションはFW。利き足は右足。

概要

奈良県生駒市出身。高校生までは全く無名の存在で、キャリアのスタートもJ2リーグのFC岐阜からだった。しかし、プロに入ってからストライカーとしての才能を開花させ、ヴィッセル神戸時代には世界的な名プレイヤーであるアンドレス・イニエスタやダビド・ビジャからの影響を受け、日本でもトップレベルのFWに成長する。

2021年夏にスコットランドの名門セルティックFCに移籍すると、チームのエースストライカーとしてゴールを量産。2022-23シーズンには公式戦34ゴールを挙げ、スコティッシュ・プレミアリーグの得点王と最優秀選手賞を獲得。タイトルを総なめにする。同時に欧州リーグにおける日本人選手の1シーズンにおける最多得点保持者となる。

オフ・ザ・ボールの際の動きの質の高さとスピードを活かした裏抜けが得意なストライカーで、決定力の高さは特筆すべきものがある。一方、日本代表ではチームへの適応に苦しんでおり、クラブで見せるような活躍ができずにいる。

経歴

生い立ちからプロ入りまで

幼少期は祖父母のいる広島県に預けられることも多かったが、奈良県生駒市で育ち、友人たちとサッカーを始めるようになり、小学1年生のときに桜が丘FCに入団。中学生になると、地元では強豪であるアスペガス生駒FCに入団。このとき、京都サンガF.C.のジュニアユースチームのセレクションに落ちている。

高校は、大阪の興國高校へ進学し、サッカー部へ入部。興國高校の同級生には、後に日本代表で一緒にプレーすることになる南野拓実がいたが、南野はサッカー部に入らず、セレッソ大阪のユースチームに所属し、年代別の代表に選ばれるなど、将来のスター候補と期待されていた。エリートコースを歩む南野とは対照的に、古橋の所属するサッカー部は当時強豪とは言えず、全国的には無名の存在だった。

高校卒業後は中央大学に進学。大学に入ってから頭角を現すようになり、全日本大学選抜にも選出され、本格的にプロを目指すようになる。しかし、3年生のときに膝を負傷したうえに、中央大学が2部リーグへ降格してしまったこともありスカウトの目にとまることも無く、4年生の時点でJリーグチームから声はかかっていなかった。複数のJクラブの練習に参加するが、やはりオファーを出すチームは無く、本人もプロ入りを諦めて、サッカーを辞めようと考えたこともあった。だが、最後の最後になってFC岐阜からの内定を勝ち取ることとなる。

FC岐阜

2017年1月に当時J2リーグのFC岐阜への入団が正式に決定。背番号は「11」。監督だった大木武から才能を高く評価され、プロ1年目ながら開幕からスタメンとして起用される。4月8日、J2第7節水戸ホーリーホック戦の後半15分にプロ初ゴールを決めている。大木は無名の存在からスタートした古橋に対し、「お前は大丈夫だから。何も考えず継続してやれ。成績が出なかったら俺が責任を取るから。」とまで言い、自信を与え続けていた。大木の期待に応え続けた古橋は、ルーキーイヤーながら全42試合にスタメンとして出場し、6得点9アシストを記録。チームのJ2残留に欠かせない選手となった。

プロ2年目となった2018年も開幕からチームの主力として活躍。スピードを活かしたゴールへ向かうドリブル突破に加えて得点力にも磨きがかかり、第13節からは5試合連続でゴールを決め、5月の月間MVPを受賞。7月末までに11ゴールを決め、もはやJ2では手がつけられない選手に進化していた。

ヴィッセル神戸

2018年のシーズン途中である8月1日、岐阜での活躍が認められ、J1リーグのヴィッセル神戸に完全移籍することが発表される。背番号は「16」。8月11日のJ1第21節ジュビロ磐田戦で加入2試合目にして初スタメンを飾り、J1での初ゴールを決めている。ほぼ同時期に世界的な名パサーであるアンドレス・イニエスタが神戸に加入しており、このイニエスタからのパスの受け手として重宝されるようになり、

2019年には、元スペイン代表のストライカーであるダビド・ビジャが加入。ポジション争いにおいて厳しい立場に立たされることが予想されたが、ビジャの動きを吸収することでさらなる進化を遂げていき、欧州のスター選手が名を連ねる神戸の前線においてもレギュラーの一角に入り込む。期待を裏切り、低迷する神戸の中であっても、海外の一流選手と一緒にプレーすることでさらに成長を遂げ、J1では初となるシーズン二桁ゴールにまで到達。日本人の中でも有数のプレイヤーとして認識されるようになる。2020年1月1日の天皇杯決勝 鹿島アントラーズ戦では、ゴールに直結することは無かったが、前線からの果敢な守備で鹿島のビルドアップを妨害し続け、巧みな動き出しで相手をかく乱するなど、神戸のクラブ創設以来初となるメジャータイトル獲得に貢献する。

2020年は、師匠ともいえるビジャが現役を引退したため、エースとしての活躍が期待され、背番号も岐阜時代と同じ「11」に変更。新型コロナウィルスによる超過密日程の影響もあってシーズン後半戦はコンディションを落とし、チームの成績も振るわなかったが、前年を上回る12ゴールを挙げている。また、この年初めてAFCチャンピオンズリーグにも出場。グループステージ第2節水原三星戦で終了間際に劇的な逆転ゴールを決めるなど、7試合でチームトップの4得点を決める。しかし、イニエスタが負傷したこともあって、準決勝で敗退している。

2021年は開幕から例年以上のハイペースでゴールを量産。第8節の大分トリニータ戦では3試合連続となるゴールを決め、6月23日のJ1第19節横浜FC戦では、プロ入り初となるハットトリックを達成。7月末の時点で、リーグの得点ランキングトップの15ゴールを決めている。

セルティック

2021年7月16日、スコットランド・スコティッシュ・プレミアシップの名門であり、かつて中村俊輔が大活躍したクラブでもあるセルティックFCへの完全移籍が発表される。セルティックの新監督に横浜F・マリノスの監督を務めていたアンジェ・ポステコグルーが就任し、古橋の獲得を希望したことで移籍が実現。契約期間は4年で背番号は師匠であるイニエスタの代名詞でもある「8」を付けることになった。

2021-22シーズンの開幕戦となった8月1日ハーツ戦に途中出場し、海外でのデビューを果たすと、8月5日のUEFAヨーロッパリーグ予選FKヤブロネツ戦で移籍後初ゴールを決める。そして、8月8日のリーグ第2節ダンディーFC戦で初スタメンを飾ると、この試合でリーグ戦初ゴールを含むハットトリックを達成するという圧巻のホーム戦デビューを果たす。この大活躍は大きな反響を呼び、イギリスのツイッタートレンド1位に「Kyogo」の名前が躍り出た。しかし、期待が高まったところで9月上旬に招集された代表戦で膝を負傷。一か月ほどの戦線離脱を余儀なくされた。10月27日、リーグ戦第11節ハイバーニアン戦でゴールを決め、加入15試合目にして公式戦二桁ゴールに到達する。12月19日、スコティッシュリーグカップ決勝のハイバーニアン戦では2ゴールを決める活躍を見せ、自らのゴールで海外での初タイトルを獲得する。ところが、12月26日のリーグ第20節セント・ジョンストン戦で右ハムストリングを負傷。当初の見込みよりも回復が大きく遅れ、3か月以上の長期離脱を余儀なくされる。2022年4月9日、リーグ戦第33節セント・ジョンストン戦で復帰すると、復帰後初スタメンとなった4月25日の第34節ハイバーニアン戦で3か月ぶりとなる公式戦でのゴールを決め、復活をアピール。4月27日には、実働前半戦のみだったにも関わらずPFA選出による年間ベストイレブンに選出される。最終節のマザーウェル戦でも2ゴールを決め、最終的にシーズンの半分を欠場したにも関わらずリーグ戦では得点ランク3位の12ゴール、公式戦20ゴールを記録。セルティックの2シーズンぶりのリーグ優勝の立役者となる。

2年目となった2022-23シーズンも前線の柱として期待されると、第2節から第4節まで3試合連続ゴールを決める。さらに第5節のダンディー・ユナイテッド戦では4試合連続ゴールとなる前半だけでのハットトリックの大活躍を見せ、9-0という記録的な大勝に貢献する。一方、初出場となったUEFAチャンピオンズリーグ(CL)ではゴールを決めることができず、チームもグループステージ敗退に終わる。その後もスコットランド国内ではゴールを量産し続け、2023年1月21日のスコティッシュカップ4回戦で2ゴールを決め、2年連続での公式戦20ゴールを達成。3月8日の第27節ハーツ戦ではリーグ戦のゴール数が20ゴールに到達する。2年目のシーズンはリーグ戦36試合27得点という数字を残し、セルティックのリーグ連覇と共に自身のキャリア初となる得点王を獲得。公式戦通算では33得点を記録。日本人選手が欧州のリーグで得点王となるのは初の快挙である。また、この功績が評価され、スコットランドPFA年間最優秀選手賞とスコットランド・サッカー記者協会、そしてリーグが選出する年間最優秀選手賞をいずれも受賞。まさに個人タイトルを総なめにしたシーズンとなった。

前年の活躍からプレミアリーグへの移籍話も浮上したが、2023年7月4日にセルティックと新たに4年契約を結び、2023-24シーズンも残留することになる。8月5日のリーグ開幕戦ロス・カウンティ戦では1ゴール1アシストの活躍を見せ、幸先の良いスタートを切る。10月4日、CLグループステージ第2節SSラツィオ戦では前半12分に待望のCL初ゴールを決めている。さらに10月25日の第3節アトレティコ・マドリード戦でCL2試合連続ゴールを決める。しかし、前年よりもゴールのペースが落ちてしまい、前線で孤立することも増え、2024年になってからはスタメンを外れる試合が増える。それでも3月16日のセント・ジョンストン戦で1ゴール1アシストと活躍し、3シーズン連続のリーグ戦二桁得点を達成。

日本代表

2019年11月に初めて日本代表に選出され、11月19日のベネズエラとの親善試合で途中出場し、フル代表デビューを飾っている。2021年3月30日の2022 FIFAワールドカップアジア2次予選モンゴル戦では、代表初ゴールを含む2ゴールを記録。6月7日の同予選、タジキスタン戦では代表初スタメンを飾り、1ゴール1アシストという結果を残している。9月8日、アジア最終予選の中国戦でスタメンとして起用されるが、膝の負傷により後半5分で途中交代している。その後もスコットランドでの活躍とは裏腹に代表ではフィットすることができず、ラストチャンスと言われた2022年9月のドイツ遠征でも結果を残すことはできなかった。結局ワールドカップ本大会のメンバーからは落選となる。

2023年3月、スコットランドで圧倒的なゴール数を記録していたが、森保一監督は「リーグのレベルなど総合的な判断」として、日本代表に招集されなかった。このリーグレベル発言にセルティックFC監督のアンジェ・ポステコグルーは、「このリーグには国際レベルでとても良い成績を収めた選手がたくさんいる。5大リーグから来て、苦戦している選手も大勢いる」と反論。スコットランドのメディアやファンからも批判が相次ぎ、物議を醸すこととなった。そんな経緯もあってか2023年6月の代表戦ではメンバーに選出。6月15日のエルサルバドル戦では途中出場からヘディングシュートを決め、2年ぶりとなる代表3ゴール目をマークする。10月17日のチュニジア戦では先制ゴールを決め、かつての本拠地だったノエビアスタジアム神戸での凱旋ゴールを決める。しかし、AFCアジアカップ2024のメンバーからは落選となる。

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2017 FC岐阜 J2リーグ 42 6
2018 FC岐阜 J2リーグ 26 11
ヴィッセル神戸 J1リーグ 13 5
2019 ヴィッセル神戸 J1リーグ 31 10
2020 ヴィッセル神戸 J1リーグ 30 12
2021 ヴィッセル神戸 J1リーグ 21 15
2021ー22 セルティック S・プレミアシップ 20 12
2022ー23 セルティック S・プレミアシップ 36 27
2023ー24 セルティック S・プレミアシップ

個人タイトル

  • スコティッシュ・プレミアシップ得点王(2022-23)
  • スコティッシュ・プレミアシップ最優秀選手賞(2022-23)
  • PFAスコティッシュ・プレミアシップ年間ベストイレブン:2回(2021-22, 2022-23)
  • スコットランドPFA年間最優秀選手賞:1回(2022-23)
  • スコットランド・サッカー記者協会年間最優秀選手賞:1回(2022-23)

プレースタイル

日本人でも屈指のスピードを誇るストライカーであり、緩急で相手のマークを巧みに外し、スペースへ爆走。ひとたび裏へ抜け出せば、DFは一瞬で置き去りにされる。そして、抜群の決定力でゴールを奪うことができる。また、FWだけでなくウィングやサイドハーフとしてもプレーでき、ユーティリティ性も評価されている。

神戸に移籍して以降は、イニエスタやビジャの影響によってオフ・ザ・ボールの質が飛躍的に向上しており、相手DFラインを破って裏にボールを引き出す能力は日本人でもトップだと言われている。パサーとの阿吽の呼吸で動き出し、足下よりもスペースで勝負するタイプである。特筆すべきなのがトランジション時の動き出しであり、味方がボールを奪った瞬間に一歩先んじて動き出し、相手DFを置き去りにする。

プロデビュー当初はスピードで勝負するタイプのアタッカーだったが、近年はスピードよりもスピードよりもむしろ飛び出すタイミングの感覚と、それを相手に悟らせない駆け引きの巧みさによってラインブレイクするストライカーになっている。このあたりは2019年に1年間一緒にプレーしたビジャが最高のお手本となり、ビジャの技術を吸収したことが大きい。

右利きだが左右両脚でシュートを打つことができ、左足のシュートによるゴールも多い。シュート力もあり、遠いレンジからのミドルシュートも得意としている。守備での貢献度も高く、持ち前のスプリント能力はむしろ守備で活かされており、ただがむしゃらに走り回るわけでもなく、しっかりと相手のパスコースを限定することができる。

弱点は体の線が細いためフィジカルコンタクトを苦手としていることであり、スペースを消されてデュエルの勝負を余儀なくされると何もできなくなってしまう。独力でゴールをこじ開けられるタイプでもないため、神戸時代のイニエスタやサンペールのように動き出しが見てくれるパサーがいないチームでは生きない。また、ポストプレーなど前線でタメ作るようなプレーも苦手としており、代表になかなか定着できない原因にもなっている。

エピソード

  • 大学4年生の頃、J3のクラブからすらオファーが届かず、Jリーグクラブの練習に参加していたが、なかなか決まらず。プレッシャーもあって、練習参加のたびに、ホテルに戻って吐いていた。
  • FC岐阜への入団が決まり、いよいよプロキャリアをスタートさせるに際し、登録名を本名の「匡梧」ではなく「亨梧」に変更している。占い師から「匡」の字だと右側が空いているので「王」の字が逃げてしまうと指摘されたのが理由。その後の目覚ましい活躍を考えると、この占い師の指摘は当たりだったのだろう。本人は「芸名みたいなもの」と語っている。
  • FCバルセロナのレジェンドであるイニエスタは恩師のような存在であり、神戸時代2人のコンビは抜群の相性の良さを発揮。あのイニエスタから「古橋とは、もはやテレパシーで通じ合う関係。彼のようなストライカーは夢のような存在。」とまで称賛されている。
  • 神戸でチームメイトだったセルジ・サンペールとは生年月日が同じで、親友と呼べるほど仲が良く、古橋のセルティック移籍が決まり、ノエビアスタジアムでの壮行式では人目をはばからず涙を流していた。その後、「古橋は兄弟のような存在で、ピッチ内外で分かり合えた。寂しい気持ちだが、彼の力で勝ち取ったチャンスだから心から喜んでいる。夢を実現するために、これからも応援したい」とエールを送っている。

関連動画

関連項目

  • サッカー / サッカー選手
  • サッカー日本代表
    • 森保一
    • 大迫勇也
    • 浅野拓磨
    • 伊東純也
    • 南野拓実
    • 鎌田大地
    • 吉田麻也
    • 冨安健洋
    • 長友佑都
    • 酒井宏樹
    • 遠藤航
    • 権田修一
    • 柴崎岳
    • 川島永嗣
    • 守田英正
    • 板倉滉
    • 田中碧
    • 堂安律
    • 三笘薫
    • 久保建英
    • 上田綺世
    • 伊藤洋輝
    • 菅原由勢
    • 中村敬斗
    • 毎熊晟矢
  • 中央大学
  • FC岐阜
  • ヴィッセル神戸
    • アンドレス・イニエスタ
    • ダビド・ビジャ
    • ルーカス・ポドルスキ
    • 山口蛍
    • 酒井高徳
  • セルティックFC
    • アンジェ・ポステコグルー
    • 前田大然
    • 旗手怜央
    • 井手口陽介

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