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単語記事: 石田三成

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石田三成とは、豊臣秀吉に仕えた戦国時代の武将である。

概要

元は近江で寺小姓をしていたが、羽柴秀吉にその才を見出されて配下となる。
のちに豊臣政権が発すると五奉行の一人に抜擢される。
秀吉九州征伐では二十万とされる兵士の輜重を大過なく運営するなど内政面の手腕に長けていた。

秀吉没後、五大老筆頭の徳川家康と対立。
雌雄を決するべく「関ヶ原の戦い」に臨むも、小早川秀秋など味方の裏切りによって敗れてしまい、京都六条河原で処刑された。
しかし一の取り・関八州250万石の大大名・家康を相手に、たかが佐和山19万4000石の小大名が
(裏切られたとはいえ)五分の戦で包囲戦を仕掛けたことを考えると、武略面もそれなりにあったようだ。
 ※攻略の失敗については、「秀吉ごり押し」説がある

小説漫画では官僚的で狭量な、頭でっかちの融通が利かない頑固な人物と描かれる事が多い。しかし佞臣というよりは秀吉豊臣に(頑ななまでに)忠義を尽くす清廉潔な人柄とされることが増えた。近年は歴史が資料などを熱め、人物像の見直しなどが研究され非常に面い。
詳しくは新しい歴史系の本やWikipedia等を参照することをおすすめする。

ニコニコ動画における石田三成

戦国無双、他無双シリーズプレイキャラクターとして人気が高いため、それらの作品に関する動画、MAD手書きMADなどが多い。また同ゲームシリーズキャラクター真田幸村直江兼続とまとめて「義トリオ」と呼ばれており、彼らの出演する動画も多く作られている。

関連動画



補足

信長の野望シリーズにおける石田三成一覧

軍事 内政
群雄伝(S2) 戦闘 46 政治 89 67 野望 83
武将録(S1) 戦闘 43 政治 93 68 野望 71 教養 75
覇王 采配 60 戦闘 39 智謀 25 政治 92 野望 71
戦才 80(C) 智才 58(C) 政才 186(A) 60 野望 80
戦闘 36 智謀 29 政治 93
烈風 采配 40 戦闘 25 智謀 17 政治 94
世記 采配 45 智謀 81 政治 89 野望 70
統率 40 知略 81 政治 88
下創世 統率 40 知略 78 政治 80 教養 73
統率 52 武勇 20 知略 85 政治 99
統率 52 武勇 13 知略 85 政治 99

ちなみに、義理は非常に高い(ほぼ全ての作品で100)。

関連項目

携帯版URL:
http://dic.nicomoba.jp/k/a/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E4%B8%89%E6%88%90
ページ番号: 741752 リビジョン番号: 1344620
読み:イシダミツナリ
初版作成日: 08/11/26 22:47 ◆ 最終更新日: 11/11/08 02:35
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石田三成について語るスレ

126 : ななしのよっしん :2012/04/28(土) 01:22:34 ID: xqJi21pnl0
三献エピソードのせいで寺小姓出身とされているが
話の元となった武将感状記が信憑性薄いんだよね
大体寺小僧が大名にまでなったら成り上がり者呼ばわりされるだろ
それが無いんだから普通に武将の子なんじゃないの
例のエピソード信長の頭蓋杯事件みたいなのでか本当か知らんが三成ならやりそうだというだけで
127 : ななしのよっしん :2012/04/29(日) 23:56:42 ID: 6uhwFj79He
>>125
さすがにそれは厳しいかと
高所からで包囲しつつ見下ろす西軍の方が圧倒的優位な状態。西軍が実際奮戦した半分程度の兵で五分以上で戦えてる情勢
だったわけで
そこで要所で兵が多い小早川が攻撃すれば戦略的にも、
まとまりがイマイチだった西軍の士気的にも180度変わるかと
これ以上西が有利になれば毛利らだってどこまで抑えが効いたか分からないはず

摘の通り家康が持ってる総兵自体は不参加を含めれば圧倒
的で(特に遅参した大軍を持つ秀忠軍など)、関ケ原に敗北したらしたで即致命的とまでは行かなかったが、政治的な意味で家康
野戦で一敗した場合は全然意味合いが変わるだけに実際参加した兵が乏しく(西より総兵で劣るのは事実)、かなり不利な形で戦わなくてはいけない(待てば
待ったで東軍の外様部隊の変心、西軍が纏まって行く可能性
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
128 : ななしのよっしん :2012/04/30(月) 06:38:03 ID: KsmJ3dDoY+
東軍は前が詰まってるから
小早川隊が堂・福島隊を崩せばもう立て直せないやろ。
そうしてひとたび劣勢になれば袋小路の地形だから、
後ろの毛利2万が怖くてもう前に進む勇気は持てないのでは。
129 : ななしのよっしん :2012/05/01(火) 16:23:55 ID: pNAHJhMBfQ
>>127
そもそもなぜ家康がそんな不利な形で戦ったかというと
毛利小早川に寝返り要請を出していて見っていたから。

基本的に家康の慎重深さはもう有名すぎるくらい有名で、
西軍屈の大軍である毛利には東軍諸大名でも大きな兵を率いていた
浅野幸長、池田政を抑えに置いているし、東軍前線(井福島など)が
いつ窮地に陥ってもいいように徳川家康率いる旗本衆3万が全体を見渡せる
配山に布している。

また徳川家康自身も豊臣政権の維持を大義名分に抱えているから正直東軍から西軍に寝返るような連中はほとんどいない。
これが一番西軍が纏まりを欠いていた理由。決して三成が嫌われていたわけではなく、単純に大義名分がないから。
130 : ななしのよっしん :2012/05/01(火) 17:01:32 ID: lmUMTi+VjW
>>122
関ヶ原でそこそこの戦績を残したとしても、
らしい政務だった(あえて政治とは言わない)。
が妥当な評価だと思う。
131 : ななしのよっしん :2012/05/01(火) 17:13:33 ID: 7JNVLtgYS9
>>126
であり下人秀吉が農民からの成り上がり者
加えて同僚と言える清正正則も桶屋とかからの成り上がり者
後は言わなくてもわかるよな

まあの話が実話か創作かは怪しいとこだが
132 : ななしのよっしん :2012/05/03(木) 16:49:12 ID: ufgcx9NXtO
>>131
最近の研究では秀吉は富農。さらに東海から近江にかけて交易もしていた
当然だが近い親戚の福島たちも、後世創られた貧農のイメージは当てはまらない
そうでなくても親父の代から織田の戦に従軍しているから、当時の価値観では譜代扱いだったと考えられている

兵農分離前のイメージ+出世物に対する庶民の過度な憧れ+戦後の階級思想が適用されたイメージが固定されてしまっているが、実際は違った
133 : ななしのよっしん :2012/05/03(木) 17:32:20 ID: Pb1N5gePul
>>132
ソースはなんて本?
134 : ななしのよっしん :2012/05/17(木) 00:12:27 ID: hu08C9CMDM
の逸話が史実かどうかは別としても
逸話自体が徳川の時代を経てもり継がれた
(もしくは徳川の時代に生まれた?)という事実は結構味深い。
135 : ななしのよっしん :2012/05/22(火) 11:26:56 ID: rvN1WYgo6Z
そんな気が利く人間という印はないんだがなあ
若い頃は違ったのかな
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