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ハーフアイスト
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ハーフアイスト(Half Iced)とは、1979年生まれのアメリカ競走馬黒鹿毛

メンバーった1982年の第2回ジャパンカップを制したことで、日本でもその名を高めた。

概要

出自

Hatchet Man(ハチェットマン)、Winter Memory(ウィンターメモリー)、Olden Times(オールデンタイムズ)という血統のケンタッキー州産。1歳時に、その年のケンタッキーダービーながら制し、続くプリークネスSベルモントSでも2着となった女傑ジェニュインリスク馬主であったバートラム・ファイアトンという不動産業者によって購入された。

ジャパンカップまで

2歳の12月デビューし、そののうちに2戦したがいずれも着外。3歳1月のクレーミング競走(出走が売りに出されるレース)では3着だったが買い手がつかず、初勝利を挙げた3月のクレーミング競走でも買い手がつくことはなかった。以後は一貫してファイアトンの所有で走ることとなる。

勝利後はダートの一般競走を3戦したが勝ちきれず、8戦で芝に転向。ここでアタマ差の2着とした後、芝12ハロンレース勝利し、更に11ハロンの一般競走でも勝利して2連勝を挙げた。以降の戦となるドン・マクベス騎手との初コンビ重賞初挑戦となった8月レキシントンS(GII分割競走)ではマジェスティーズプリンスの4着に敗れたが、7身1/4差を付けて圧勝した12ハロンの一般競走を経て臨んだセクレタリアトS(GII)を3身差で勝利し、デビュー13戦重賞勝利を挙げた。

ダート10ハロンで行われるスーパーダービー(GII)7着を経て芝路線に専念することとなったハーフアイストは、その翌週のマンノウォーS(芝11ハロン)がGI初出走となった。ここではユナテッドネイションズハンデキャップ(GI)の勝ちナスクラブリーズから6身半差を付けられた2着に敗れ、次走のロスマン際S(加GI・13ハロン)でもマジェスティーズプリンスから5身差を付けられた4着に敗退した。しかしアメリカに戻って出走したニッカーボッカーハンデキャップ(GIII分割競走)は3身差で勝利した。

この後、日本で第2回ジャパンカップが開催され、アメリカからはGI11勝に加えて世界初の100万ドルレースとして創設されたバドワイザーミリオン(現在のアーリントンミリオン(GI)、当時は格付けなし)を勝っていたジョンヘンリーナスクラブリーズが招待されたのだが、ナスクラブリーズと補欠だったマジェスティーズプリンスが辞退したことから、その次位だったハーフアイストが招待を受けて渡日することとなった。

ジャパンカップ

この年のジャパンカップは「インドシンザン」ことオウンオピニオン以外の海外が全て北勢だった第1回と違い、欧州オセアニアからも招待が来日した。ジョンヘンリーに並ぶ玉とされていたのがGI4勝を挙げ、前年の凱旋門賞で3着、当年も4着としていたフランスエイリルランで、同からはヴェルメイユ賞を勝ったオールアロングも出走していた。その他のからもニュージーランドダービーであるアイルオブマン、前年の2着であるカナダフロストキングが出走して、この辺りが人気に支持されていたが、中でもジョンヘンリーエイリルラン・オールアロングの3頭が特に人気を集め、6番人気のハーフアイストは単勝32.3倍にとどまった。

一方これらを迎え撃つ日本は、明らかに今回より海外勢の層が薄かった前回ですらGI勝利メアジードーツモンテプリンスホウヨウボーイといった八大競走勝ちが一蹴されたという現実の前に絶望ムードが漂っており、最も人気を集めたのが重賞3連勝中のスイートネイティブで7番人気。他に出走していたのはともに重賞3勝のトドロキヒホウとカズシゲ、前年の天皇賞(春)2着・宝塚記念1着カツアール、当年の天皇賞(秋)2着ヒカリデユールで、八大競走の連対歴がある地方出身のヒカリデユールカツアールだけという寂しいメンバー構成となってしまった。

さて、レース田原成貴騎手騎乗のカズシゲがスローペース逃げ、ハーフアイストは最後方を進んだ。3コーナージョンヘンリースパートをかけると一気にペースが上がったが、そのジョンヘンリーは直線で々に失速。かわってアイルランドスタネーラが一旦先頭に立ち、それを内からオールアロングが交わしたのだが、その直後に外からハーフアイストとエイリルランが接近。そのまま快な末脚でオールアロングを差し切り、オールアロングエイリルランとのクビ・クビ差の接戦を見事制した。1身遅れた4着にスタネーラ、5着に日本最先着のヒカリデユールが入り、1番人気に支持されたジョンヘンリーは13着に敗退した。
なおオールアロングもハーフアイストと同じ3歳であり、ジャパンカップにおける3歳ワンツーは2020年終了時点でもこの年のみである。

4歳時~引退後

4歳時は始動戦こそ2着だったものの、2戦を8着に落とし、続けて出走したパンアメリカハンデキャップ(GI)も10着に敗れた。3ヶ間の休養を経た後、6月の一般競走を3着としてからユナテッドネイションズハンデキャップに出走したが、ここでは勝ったアカロイドはおろか前年のロスマン際Sから8戦して2着3回3着4回4着1回と善戦マン化していたマジェスティーズプリンス(3着)にも5身先着されて8着に大敗。続けて出走したソードダンサーハンデキャップ(GII)でも、GI5勝エリンアイルらを一蹴して久々勝利を挙げたマジェスティーズプリンスに全くが立たず、7着に終わった。

8月に入り、マクベス騎手に代わってエディメイプル騎手が手綱を執った一般競走を4着とした後、中4日で出走したセネカハンデキャップ(GIII)を勝利。これで調子が戻ったのかマンハッタンハンデキャップ(GII)も3着としたが、続けて出走したマンノウォーS(GI)ではまたしてもマジェスティーズプリンスボコられ8着に終わり、ルイジアナダウンハンデキャップ(GIII)でも8頭立ての4着。連闘で出走したロスマン際Sでは2週間前に凱旋門賞を勝ったばかりのオールアロングがひと捲りで快勝する11身後ろでブービー負けを喫してしまった。

こうして迎えた第3回ジャパンカップでは、ローマ賞(GI)勝ち・オークス2着の3歳ハイホーク、当年のセントレジャー2着エスプリデュノール、前年4着のスタネーラ人気を集める中、この年に入って12戦してGIII1勝だけのハーフアイストは7番人気にとどまった。レースでは鋭く追い込んだもののスタネーラキョウエイプロミス叩き合いを捉えきれずスタネーラから3/4身差の4着に終わり、これを最後に引退した。

が勝ったジャパンカップの上位は、このレースを最後に引退したエイリルランを除けばオールアロングが翌年のエクリプス賞ヒカリデユールが当年の優駿賞(現:JRA賞)で年度代表馬となり、スタネーラも翌年のジャパンカップジョー・マクグラス記念S(現:愛チャンピオンSGI)を勝つなどの活躍を挙げたのだが、ハーフアイストはこれらのべるとイマイチ振るわずに終わってしまった形となった。

31戦7勝、うち重賞4勝(ジャパンカップ含む)の成績で引退したハーフアイストはニュージーランド種牡馬入りした。オセアニアで長距離GIを制するを2頭輩出するなどそこそこの成功を収めたのだが、一部の良血以外は多くが去勢されるというオセアニア産の特色が災いしての活躍を出すことが出来ず、結局後継種牡馬を残せないまま2001年に22歳で死亡した。

現在では半ば空気化しているフシがありそうなではあるが、競走馬としてサッパリだった本2頭が日本に輸入されたという事実を踏まえると、メアジードーツなどと同じように明期のジャパンカップ歴史においては結構大きな存在感を持っていたようである。

血統表

Hatchet Man
1971 芦毛
The Axe
1958 芦毛
Mahmoud Blenheim II
Mah Mahal
Blackball Shut Out
Big Event
Bebopper
1962 鹿毛
Tom Fool Menow
Gaga
Bebop Prince Bio
Cappellina
Winter Memory
1972 黒鹿毛
FNo.13-c
Olden Times
1958 鹿毛
Relic War Relic
Bridal Colors
Djenne Djebel
Teza
Clear and Cold
1965 青鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Vase Native Dancer
Vashti
競走馬の4代血統表

クロス:5代内アウトブリード

主な産駒

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2 ななしのよっしん
2022/02/19(土) 02:10:00 ID: Pd4DgLoyhf
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3 ななしのよっしん
2023/12/25(月) 11:37:52 ID: 6+jlagH08O
ジャパンカップって外でも本命視されてるこけ
でも兵扱いのが勝つこと多い
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