僧正(そうじょう、魔神僧正)とは、ライトノベル『新約とある魔術の禁書目録』に登場するキャラクターである。
初登場:新約10巻 デザイン画はこちら
概要
人が“死”に臨んだ姿のなれの果て「即身仏」。その条件を満たした仏の成り損ないである。
※ここでいう死とは、死を以て生を永遠とする考え。
起源について考察
平安初期、弘法大師・空海が当時の正統仏教を学ぶため唐へ渡った。空海は旧態依然とした日本仏教に革命をもたらし、日本仏教は独自の仏教観を得て大きく進化した。
その後、空海は「真言宗」を開いた。真言宗とは密教(秘密仏教)であり、純密の本尊「大日如来」を自然宇宙の真理そのものとする教えのことである。真言密教とも呼ばれる。
とあるシリーズの僧正も恐らくこの真言宗。仏教と政治が密接な関係だった時代の高僧とされている。
即身仏
「この身、このままで仏-仏陀-になる」と謂う真言密教には、当時の日本仏教でも革新的な「入定」という観念が背景にあった。これは真言宗の修行の中でも究極の修行法である。よく混同されがちだが即身仏と即身成仏とでは意味が異なる。どれくらい違うかと言うと「裕福と幸福」くらい違う。
人に尽くした徳の高い僧が、衆生救済の厳しい修行の末、現世の身のままで涅槃(解脱)を得て六道の環を外れ、一代で自身が仏となる。そんな高僧の成れの果てを即身仏と呼ぶ。
土を掘り、僧が地下に潜ると埋める。五穀を断ち、絶命するまで鈴を鳴らしながら経を唱え続ける。
時が経ち僧の死体は「ミイラ」となる。そして人の手で掘り出されて祀られる。
衆生を本気で救う為の、現代の見解としては「自殺」に他ならない行為に及ぶ信心深い僧である。
壮絶な修練を終えて仏となり、現世には木乃伊として姿を現す。これにより本来ならば、教義のもと一種の信仰対象と見做されるわけだが……。
魔神「僧正」
即身仏という方法はとても回りくどく、他人の協力が無いと決して「仏」と認められないやり方である。
(具体的に言えば「ミイラ」として死体の保存に成功した時点で即身仏は成立するのだが、それを掘り出して「仏」として祀り上げるのは生きている人間でなければ出来ない。つまり仏として生かすか殺すかの判断が第三者に丸投げされているという、極めて面倒なシステム)
僧正は即身仏の要件を一つを除きすべて満たしていた。その一つとは「信仰面」である。彼は運悪く仏教間の対立に巻き込まれ、最後の最後に信仰だけが得られず即身仏として祀られなかった。
僧正に即身仏と成って欲しくない者達が、不動明王をモチーフにした豪華絢爛な副葬品を死後に身に付けさせ、それを欲にまみれたなどと悪印象に仕立て上げて信仰を得られなくしたのである。
しかし、彼は必要な手順を全て終えていた。
ただひたすら衆生を救うためだけに、全てを理解してあらゆる行程を成し遂げ、そして結論づける。
『なるほどのう。衆生の救済には新たな仏に座を与える必要もなかった。いやはや、流石の儂も考えが及ばなかったわい』
『であれば儂がその役を買って出よう。あさはかな欲を捨てられなかった未熟者にして、完成を待たずして死に絶えた惨めな破戒僧。仏となっても座を与えられず、仏となっても役割を与えられず、ただ莫大な力を持ち彷徨うモノの一つに』
こうして魔神「僧正」が誕生した。
僧正を貶めたある者は彼に泣いて許しを乞い、ある者は媚び、ある者は斬りかかり…。
もはや周囲の手で仏の座を剥奪され仏の座に収まらない彼は、「衆生」に望まれた「救済」のためと信じ、自儘に血まみれの爪牙を振るった。
僧正の過去と思想は狂気に満ちており、自らが受けた仕打ちを衆生の望むもの(救済)と解釈し、「役割のない仏」として動く事が衆生の救済に繋がると信じている。
オティヌスと違い狂気を感じられないと言った上条も、この事を聞いた際に動揺を隠せなかった。
性格
後述するが、かなり陽気な性格で冗談も通じる。
「好々爺」…と言うとちょっと語弊があるがニュアンスとしては間違ってないはず。
可哀想な過去は別として、共に現世に入ったエジプト・中国の女神様からの評価がかなり低い。
魔神「僧正」は頭に血が昇ると発言の内容が5秒前と180度変わる神様と言われている。この性質ゆえ周囲の評価は推して知るべしと言ったところか。
容姿
新約10巻の魔神「娘々」の発言から、木乃伊である事は判明していた。
娘々:ジージーィー、木乃伊になって物忘れ激しくなってる? ゾンビ少女もキメラちゃんもみーんなここにいるって。
ただ髪の毛一本分の隙間が無限の距離に広がるここじゃ、巡り合えるのは運任せだけどねー☆
網目のように多い皺、焦茶色の肌。紫の法衣を身に纏い、黄金の装飾品、純金の剣を持つ。
この格好は大日如来の化身「不動明王」がモチーフとなっているようだ。
ミイラである彼は元からなのかは不明だが髪が生えてない。デザインを指定した奴にハゲと呼ばれている。
はいむら的デザインのモチーフは高橋留美子の漫画『犬夜叉』に登場する即身仏「白心上人」。
能力
元は人の身でありながら魔術を究めた末に、神の領域に辿りついた魔術師を「魔神」と呼ぶ。
数字どころか「無限」と表現するしかない程の莫大な力を有し、世界を望むままに操る。
しかし、世界に一歩でも入れば世界の方が魔神という無限の容量を持つ存在に耐えられず、粉々となってしまう。そのため魔神は異世界・隠世に隠居している。
新約13巻では弱体化した影響で位相の力は使えなくなっていたが、そんな僧正でも上条達の相手は務まる。というか充分過ぎるほど強かった。
土属性
土を。冥府を。自らを害した餓死の空間を引きずり、操る……そんな『魔神』
神道において死とは「穢れ」。
死体を土中に埋葬する葬法「土葬」は穢れを隠す側面をもつ。日本では仏教と共に火葬が伝来するまでは土葬が主流だった。これは日本各地に根付いた土着信仰、神道の風習が背景にある。
『とあるシリーズ』だと「神仏習合」の結果、混ざりに混ざった土中入定と穢れの概念が、僧正の存在に影響を与えたという設定になっている。
(ミイラ化で僧正の体から出たものと「土」が一体化し、関連付けられたらしい)
巨大な「泥の腕」を地面から生やす、その腕で20階建てのビルを振り回す、土砂を起こすなど割とやりたい放題やって学園都市に多大な被害をもたらした。
これでもフルスペックの魔神のスケールを考えると微妙と言わざるを得ない。
そもそも世界を壊さず手足を動かしている時点で相当な弱体化を受けているのだから仕方ない。
耐久性
摂氏1000度のマグマを浴びても平然としている。
また、マスドライバーで宇宙に吹っ飛ばされても普通に過ごしてもいた。
というか宇宙で声を伝搬させたり、アローヘッド彗星に乗り(取り込んで?)地球に戻って来ようとした。
つまり弱体化した状態でさえ、普通の方法では死ぬことはないと考えていい。
鏡合わせの分割
魔神とは曰く“無限”の力を保有する存在だが、現世つまり上条達の居る「世界」はその“無限”の存在を受け入れるほどのキャパシティには至ってない。
魔神が現世に足を踏み入れようものなら「世界」はステンドグラスのように粉々になってしまう。
そこでゾンビ少女が提唱した、無限の存在(魔神)を無限に分割し、「世界」のキャパシティ限界まで魔神の容量を下げた上で、自己と重ね合わせて「世界」を騙す、という理論が重宝されている。
無限と呼べるわたし達の力を無限に等分する事で、この世界で許容可能なギリギリのレベルに自己を留める。 ……でもこれ、見方によっては最悪の変容じゃないかなあ? 何しろこれ、殺しても殺してもキリがない。 マトリョーシカやタマネギみたいに、わたし達を完全に殺すには永遠に等しい戦闘を繰り返さなくちゃならなくなったんだから
新約とある魔術の禁書目録12巻 魔神「娘々」の発言を抜粋
つまり現世に入る為に「レベル∞」を「レベル99999999999999999(ry」に下げたようなもの。しかしそれを無限に近い回数分倒さないと魔神は殺せない。
『鏡合わせの分割』を適用した僧正と娘々、ネフテュスは現世に入ったが、実はそれはアレイスター=クロウリーによって改竄された魔神弱体化用の「偽の術式」だった。
僧正たちはアレイスターに何らかのパラメーターを撃ち込まれ、殺せる状態になってしまった。
新約13巻
そーじょちゃん
上条さんにラブレターを出す。
「うほほーい☆」と、コミカルな声を上げながら時速60kmかそこらのアクロバイクに追い付く。
マグマを浴びて裸になる。
宇宙に放り出されてもコミカルな掛け声を忘れない。
真面目に書くと僧正が上条に「魔神達の運命論に対する採点者」とならせるためラブレター手紙を書き、その手紙を受け取った上条が「そーじょ」と読んで女と勘違いしたのだが、本当に僧正が「そーじょ」と書いたかまでは不明。
運命論
魔神達は何もしなくても世界の運命を歪める。
詳しい説明は「魔神(とある魔術の禁書目録)」の記事に譲るとして、魔神達は自分たちが創る運命やら世界やらへの採点者に上条当麻を欲したのだが、オティヌス戦を経た上条は自らが世界の操縦者に与することをすぐさま拒否し、交渉は決裂した。
戦闘
上条は途中で会った御坂を連れてアクロバイクで僧正から逃避行を続ける。
僧正も「うほほーい☆」等とコミカルな声をあげながら、電動自転車から離されないくらいの速度で追う。道中、学園都市の治安維持部隊と出くわし攻撃を仕掛けられる。僧正も仕方なしに応戦。当然ながら攻撃が僧正に通用するはずもなく学園都市側は多大な被害を出すこととなった。
上条達は「右方のフィアンマ」の協力を得た。フィアンマは僧正を妖精化しようとアレンジした術式で立ち向かうが僧正はフィアンマを一瞬で難なくKO、病院送りにした。窮地に陥った上条達も、マグマを浴びせたりマスドライバーで僧正を宇宙に吹っ飛ばしたりしたのだが、策もむなしく僧正は平然としていた。
最期
宇宙に放り出された僧正は「アローヘッド彗星」を取り込んで地球へ帰還しようとした。つまりこれは大質量の彗星衝突であり、下手をすれば被害は学園都市に留まらなかった。
だが対魔術式駆動鎧を起動しマッハ20で突っ込んできたイヌ(犬種:ゴールデンレトリバー)に、何らかの法則をドリルと共にねじ込まれて消滅した。
ちなみにこの対魔術式駆動鎧はロケットブースター+ドリルで構成される巨大ユニットである。
ゴールデンレトリバーこと木原脳幹は、僧正の消滅直前に「とある男」からの言葉を伝えた。
『覚えているか。……世界をより良くしたい、人類を余さず救ってみたい。そんな幼稚な歯車ですり潰されるようにして運命論に命を奪われた、私の娘の名を』
しかし僧正に答えられる時間は残されていなかった。
結局その男…アレイスター=クロウリーに
『済まなかったな』
という一言は伝えられなかった。
僧正は最期の瞬間、魔神に成らずに人間であり続けたアレイスターを思い出しながら微笑を浮かべた。
上条が敵対した者達の中でも珍しい、明確に「退場してしまった」描写が存在するキャラクターでもある。
見ての通り僧正は徹頭徹尾上条達との鬼ごっこに興じており、結局真っ当に腰を据えて会話をする機会は最後まで訪れなかった。
つまり、僧正の悪性だけがあまりにも強調されてしまったのである。
かつて上条はその手で多くの者達を「殺すことなく」救い出しており、オティヌスからも「人間としての理性の力」として大きく評価されている。
本当に僧正との対話の余地は無かったのか。
もしも話が出来ていれば、また違った結末も有り得たのでは無いのか。
最後にお犬様がドリルをぶち込む様を指を咥えて見ているしか無かったのか。
今となっては誰にも分からず、肝心の僧正も消し飛ばされてしまった。
最後に上条の心に残ったのは、「僧正という人をもっと知っておけば良かった」という1つの後悔だった。
余談
余談だが彗星を見た美琴は恐怖に浸った。だがそれ以上に恐怖を抱いた対象は、上条と右腕からピシピシと割れるような音を響かせた『何か』である。
弱体化した『魔神』に追い詰められた上条だが、はたして勝ち目は無かったのか。お犬様がマッハ20で突っ込まなければ僧正と上条の対決はどうなっていたのか気になるところである。
ゾンビ少女と僧正以外の魔神は「理想送り」によって新天地へと飛ばされている。現世から追放されただけで生きてはいるので、結局ゾンビ少女と僧正は名有り魔神で数少ない犠牲者ということに…。
アレイスターが僧正に伝えた「娘の命を奪った運命論」は新約18巻で判明する。これまでの会話を見るに魔神側も事情は知っていたものと思われる。
→アレイスター=クロウリー
上条の通う高校は僧正にぶっ壊された為、上条たちは校舎が直るまで別の高校を共同で使わせてもらっている。その高校には魔神の天敵「理想送り」の所持者の上里翔流も在籍していた。
仮に僧正が校舎を破壊しなかった場合、もしかすると上里と上条は特に親交を深めることなく違うストーリー展開になっていたかもしれない。
元ネタ解説
即身成仏義
密教における宇宙は地・水・火・風・空・識の「六大」要素で解き明かす事ができる。つまり世界の全ての事象こそ宇宙を仏格化した法身「大日如来」の顕れとされる。六大を人が知覚することは不可能だが、何か相を成して現れるという考え方を空海は説いた。これらは四つの曼荼羅(本質を表した物)に置き換えられている。
人の日常には身(体)・口(言葉)・意(心)が当然のようにある。密教ではこの三つを煩悩の元と考えて三業(身業・口業・意業)と呼び、悟りの世界においては区別するため三密(口密・意密・身密)と呼ばれる。
※口密…真言を唱える。意密…印を結ぶ。身密…仏を観ずる。
これらと一体となって衆生に悟りが開けるのが「即やかに身、仏と成る」こと。つまり即身成仏である。
人は本来なら仏性を持つが普段は煩悩で隠されている。三業と三密を一体とし、三密加持の考えを以て仏性に目覚めることができる、というのが空海の説く「即身成仏義」を端的に纏めた内容となる。
即身仏と即身成仏の違いと同一視
即身仏の概念は、本来なら生きたまま悟りを得るという「即身成仏」とは根本的に異なる。
当時、即身仏は死を死と捉えるのではなく、死をもって生を永遠とするという考えのもとで行われており、空海の死後に発生した空海入定説(入定信仰)と併せて真言密教における即身成仏義の極致、究極の修行法として実行されたのだと思われる。
(だが現代の見解では、やはり死は死。当然ながら自殺行為に他ならない)
先述した空海入定説においては「56億7千万後に弥勒仏と共に蘇る」と言われている。ただ真言宗において空海の死はタブーとされ認められていない。今も高野山で入定(この場合は座禅・瞑想)しているとされる。しかし空海入定説自体が後付けで様々な脚色を含み、後に土中入定と習合され最終的に即身仏と結びついている。即身仏と即身成仏義の混同も、大体これが原因となっているようだ。
余談だが2015年3月9日、ハンガリーのブダペストにある博物館で新たな即身仏が発見されていた。これはどうやら中国の僧侶の即身仏だったようだ。奇しくもその日は、僧正が即身仏と確定した新約12巻の発売前日である(まぁ新約12巻の試し読みもあって、実際にはその数日前に確定していたのだが)。
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