神仏習合単語

シンブツシュウゴウ
3.3千文字の記事
  • 110
  • 0pt
掲示板へ

概要

図1:神仏習合の概念

日本における神仏習合とは、神道仏教チャンポン状態のことである。

今でこそ寺院神社明らかに異なる物と認識されているが、明治以前においてはその区別は必ずしも明確ではなかった。

神道仏教の尊格を同列のとして認識することから始まり、最終的には神社のご体に像が据えられ、僧侶神前で読経し、寺が神社を管理するという教団組織レベルまで浸透した。

仏教伝来

6世紀に日本列島仏教が伝来する。
もちろん日本列島内にはすでに仏教徒は存在していたであろうことは想像に難くない。538年あるいは552年に済から像と経典が朝廷に献上された出来事をもって仏教伝という。
この時、朝廷において公式仏教を受け入れるかどうか、この点について非常に揉めたと言われている。
但し、ここでは仏教教義々という話ではなく、既存の々の一柱としてって大丈夫かということが争点だったようだ。

有名な蘇我氏()と物部氏(排)の政治闘争は蘇我氏の勝利で幕を閉じ、物部氏は粛清される。
これ以後仏教日本に広まっていくことになる。

神身離脱

図2:御宣託の様子

を尊ぶ。
奈良時代においてこのような思想が山岳修行者から広まったと言われる。
かくて、神社られている々が衝撃告白を行う。 

「私、この土地で長らく神様をやっておりましたが、以前より罪業に苛まれてまいりました。この苦しみから救われるため、この度仏教に帰依するに致します。」

もちろん記者会見を開いたりするわけはいので、御宣託ということで関係者の口を通じてるわけである。どう見ても仕込みなのだが神社のパトロンである地方族が仏教に近づきたいという意図のもと、このような方便が駆使された。これが身離脱しんじんりだつ)である。

こういったことが日本各地の神社で起こり、託宣を理由に神社内に寺が建てられることになる。これを宮寺という。もっとも宮寺建立は必ずしも身離脱思想が原因というわけでもない。
また、この宮寺が本体である神社を管理下に置き、神社僧侶運営するということも多々見られた。

護法善神

よりが下っていうのかコノヤロウ
という神社関係者のクレームがあったのかどうかは定かではないが、次に現れるのが護法善という考え方である。

神道々は仏教における部、つまり帝釈天とか四天王とかの一種である。そう、仏法の守護なんだよ!!」

日本に来る以前にインド神話々をこれでもかというくらい取り込んでいた仏教にとって、日本々を取り込むことはさして問題ではなかった。 ローカライズはマーケティング上必要なのである。
さて、多少は扱いが良くなったが、やはり中心である。そもそも、この手の理屈を考えるのはインテリな仏教側であって考えるな、感じろ!」がモットーの神道は理屈は苦手なのだ。

こうして「守護ならお寺に神社があってもよくね?」ということでお寺の中に鎮守社という神社が建てられた。
 宮寺と違い、鎮守社が本体である寺院の運営握するということはかったようだ。 
このように神道仏教とも変質しつつ神仏習合は加速していく。 

本地垂迹

10世紀頃に神仏習合チャンポンを再度説明するための理屈として本地垂(ほんじすいじゃく)説が考案された。これは大ヒットとなる。
本地(ほんじ)とは本来の(すいじゃく)とはつまるところ仮の姿となる。簡単に言うと

日本々の正体はであって、変身して古代日本として出現してただけ。だから神様様を同時に拝んでもノープロレム

という後付け設定である。もちろんそんなわけはない。

図3:本地と垂の例
  
イカ娘
  インなんとかさん
 

 そんなわけはないが、この本地垂のもと、記紀神話、それに対応する本たる仏教の尊格を本地という。有名なところでは天照大御神と大日如来、須佐之男と薬師如来などがある。
どういう基準で本地の対応が設定されたのかというと、色が似ているから、専門がかぶっているから、本人がそう言ったから、が同じだから、など分かりやすい理由が多い。ちなみに仏教神社、地域、時代によって、の対応関係が結構違うので割と適当なのかも知れない。

 さて、本地垂説が仏教サイドから発生した仏教優位、仏教ドグマの中に神道を包括させる理論であるのに対し、これに対抗する形で神道側から記紀々こそ本であり、の顕現にすぎない。ksgという(しんぽんぶっしゃく)説が現れる。
 が、イマイチ流行らなかった。呂が悪いせいである。

もっとも、本地垂説にしろアンチ本地垂である説にしろ、各々の教義において現実ちゃんぽん状態の信仰体系を何とか理屈付けようとするための苦し紛れのコジツケにすぎない。も大して区別しようとぜずカジュアルに拝んでいた民衆にとってはどちらが本であるといったことがどの程度意識されていたのかは定かではない。

それはともかく、結局のところ江戸時代までを通じて、本地垂は神仏習合の有な説明理論であった。

しかし、ちゃんぽん化した宮寺でも本堂の本尊の後ろにやお宮があったりしている。一概に本地垂説で「」かと言えば、そうとは言い切れずただ単に理論面で補っている場合であったりする。 むしろ参拝者からしてみれば「」の様にの方がよりよりも近しい存在としている。

神仏分離

混ぜるな危険。」

江戸時代も後半になると、学の盛により民族的なものの地位が向上しはじめる。
思想的にも組織的にも仏教優位の神仏習合が気に入らない神道関係者、学者などの支援により、それまで日陰者だった分離思想然勢いを強めたのは当然のなりゆきと言えよう。
この潮流は明治維新後、政府判然によりクライマックスを迎える。いわゆる分離である。

この通達により毀釈運動などというど暴動に近い状態にまで発展し、神社内にある多数の寺院像などが破壊されるという日本文化にとっては最悪の事態となる。ちなみに政府はそこまでしろとは言ってない。

また、それまで現代の視点からすれば神社のような寺寺のような神社氾濫していたが、彼らはここにきてきっぱりと「神社 or 寺」の二択を迫られることになる。神道色をして寺になるか、仏教色を捨てて神社として生きるか、運命を決める選択である。

そして、この後置県に伴い寺社領はすべて没収されたため、財政基盤が崩壊した多くの寺が\(^o^)/となってしまう。一方、国家の施設となった神社政府に保護された、というより政府の管理下に入った。但し、あんまり多いと政府も面倒が見切れないので相当な数の神社が整理統合されたことを付け加えておく。神社の祭に妙な組み合わせがあったら、この時の合の影かも知れない。また、当時の大日本帝国憲法では、今の日本国憲法と同じく『信教の自由』自体は認められていたが、『神道宗教に非ず』と規定されており、事実上のとなっていたことにも留意されたい。

こうして神仏習合は大きく後退した。
第二次世界大戦後、神道国家としての役割を離れ、単なる一宗教に戻った現在もそれはかつての姿を取り戻していない。

なお、こうした神仏習合は外オペラ世界にも見られ、有名なプッチーニ歌劇蝶々さん』では、当時のアジアに対する偏見もかなりあるものの、僧侶神道呪文(と思われる)で天罰を与えたりといった混同が見られる。今でも海外映画などで忍者東京タワー新幹線と共に出てきたり浴衣結婚式に参加したりといった『ヘンな日本』が描かれることは少なくないが、こうした混同を良しとせずにバスバリトン歌手岡村喬生氏によって『NPO法人 みんなのオペラ催で訂版が上演されたこともある。

図4:神仏習合から分離までの流れ
古代(習合以前) 初期の神仏習合 中世 近世 近代分離後)

    

  

  

関連項目

【スポンサーリンク】

  • 110
  • 0pt
スマホ版URL:
https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E7%BF%92%E5%90%88

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

神仏習合

190 ななしのよっしん
2020/11/09(月) 05:43:42 ID: Ls+i63Xp4T
知識のない勘違いしてるやつは探せばいるかもしれんが、このスレで大量発生してるわけでもないのに突然日本人は~となぜ言い出したのかよくわからんねぇ・・・
191 ななしのよっしん
2020/11/30(月) 21:42:59 ID: M6qbdEcThg
確かに異なる宗教を「化身」とみなしてシンクレティズムを形成する事例はインドにおけるヒンドゥー教仏教・シク教の事例や、中国における道教仏教の事例など多神教世界には多々見られる。

しかし、そのシンクレティズムがここまで体系化されているという点においては日本は突出している。中国では確かに一部で習合が見られるが、全体的には儒教流を占めていて仏教はほとんど普及していない。インドでも一部で習合は見られるが、全体ではヒンドゥーがほとんどを占めていて仏教は吸収されている状態にある。
しかも複数の宗教が一に並存していると言っても、それは異なる宗教が別勢として別々の信者を持ちつつ並存しているのであって、日本のように同一人物が神道仏教キリスト教儒教も信じているというような状況ではない。

これにべて日本では、神道仏教も(近世以前は)儒教も同じぐらいの存在感で並存し、なおかつ一致して存在していたという点が他のべて特徴的であると言わざるを得ない。
しかもそのシンクレティズムの状態が、宗教者によって教理として体系的に
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
192 ななしのよっしん
2020/11/30(月) 23:05:34 ID: meuQ8bN8ho
イエス誕生日12月25日になったりハロウィンの習慣があったりどこでも他宗教との習合は行われている
島田ベトナムのカオダイ教と幸福の科学の類似性を摘してる
外国人は自分が信じている以外の宗教を嫌いでいてほしい」という日本人の願望は本当にバカげているwwwww
193 ななしのよっしん
2020/12/01(火) 10:21:23 ID: M6qbdEcThg
>>192
レスに対する反応なのかもしれないが、「シンクレティズムが日本のみに存在する」とは言っていない
例えばインドでもブッダをヴィシュヌの化身とみなす思想などがあるし、
中国でも仏教部を中国の在来の化身とみなす思想などがある。
ともすればこれらの地域のシンクレティズムが仏教儒教の伝来に際して日本にも伝わり、日本シンクレティズムに影を与えている可性すらある。
そのことは伊藤聡氏なんかも言っているが。

ただ、シンクレティズムがここまで「顕著」なのは日本が「特徴的」であると言えることも摘されてる。

末木文美士『中世p5より
「…このように、世界宗教である仏教が定着しながらも、土着の宗教である神道を滅ぼさず両者が並存しつつ、しかも一人の人が両方を信仰し得るのは非常に特異である。
インドでは仏教ヒンドゥー教に吸収され独自性を失い、滅びてしまった。スリランカ東南アジアでは、仏教は土着の宗教を圧倒し、吸収した。
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
194 ななしのよっしん
2021/01/11(月) 22:25:15 ID: jp950Z4zoA
>>193大分神仏習合について詳しいんですね。
最近私も神仏習合日本だけじゃないけど、これだけ日本固有と勘違いされているのには何か根拠があるはずと思って、色々と調べていたので参考になりました。
他にも、日本世界神仏習合の違いとかはあるのでしょうか?
個人的には宮寺・僧・社僧・修験・陰陽の存在が、日本における神仏習合の特徴なのかな?と思っているのですが
195 ななしのよっしん
2021/02/08(月) 17:58:41 ID: M6qbdEcThg
>>194
私も別に詳しいわけではなく、色々と神仏習合神道に関する著書などを読んでその受け売りで話してるだけです。

インドの多宗教環境日本の多宗教環境較すると、インドの特徴は、ヒンドゥー教イスラム仏教・シク教などのそれぞれの宗教の信徒が独自のグループを築いていて、そのそれぞれの宗教グループが一の中に共存するという形での多宗教環境と言えると思います。
例えば、インドパンジャー地方ではシク教徒が多く、マレートラという地域ではムスリムが多く、ブッダガヤ周辺では仏教徒が多い、といったように、各宗教特定コミュニティを作って、そのコミュニティインドという一の範囲内で共存しているという形になっています。
ですから、各宗教コミュニティ同士での対立が生じることもしばしばあって、例えばバーブリマスジドというイスラム教聖地ヒンドゥー教徒により破壊される事件があったり、
シク教徒がインドからの独立国家形成をしてカリスタン運動という運動を行い紛争になるなどの事件が過去にありました。

これに対して日本の多宗教環境は、特定宗教がそれぞれコミュニティを作って一のうちに共存しているというよりは、
一人の人が仏教神道という複数の宗教を信じているという形での多宗教環境であるという点でインドと異なると思います。
もちろんインドでも、ヒンドゥー教徒やシク教徒が本来はイスラム教者をる「ダルガー」という祠を崇拝しているなど、一人が複数の宗教を崇拝するという形での宗教の共存が見られることはありますが、
全体の傾向として見た場合には、日本インドでは上述のような違いが見られると思います。
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
196 ななしのよっしん
2021/02/08(月) 18:07:25 ID: SToOuk/mKn
ギリシャ神話でもアフロディーテをメソポタミア女神イシュタル同一視するみたいなのがあるよ
197 ななしのよっしん
2021/02/13(土) 22:58:03 ID: meuQ8bN8ho
祈り  DVD化してほしい
198 ななしのよっしん
2021/02/16(火) 22:35:54 ID: jp950Z4zoA
>>195
変身ありがとうございます
なるほど、参考になります。
インドでも日本みたいに神社に行って寺にも行くってという人は一定数はいるんですね。
それでもやはり日本ほどでそういった人がいるわけではないと。
さらにインドでは、日本で言う県ごとに宗教の特徴があったりすると。
日本では県や宗教コミュニティがあるってほとんどありませんもんね。強いて言うなら天理教ですかね?天理教宗教都市造ってたはずですし。

中国の他宗教神仏習合関係はあんまり情報ないですもんね。自分で調べてみてもあまりヒットしませんでしたし。
でも、日本文化と似てるところがやっぱある文化圏ですし、道教寺院と寺が一緒にあったりするという噂もありますし、日本の多宗教神仏習合世界の多宗教神仏習合を調べるには、やっぱどうにかして中国宗教観も調べないといけないかなぁ。
199 ななしのよっしん
2021/02/17(水) 00:43:03 ID: HmJHHVrPoM
>>198
中国中国普通カオスだからなぁ
仏教道教がごっちゃになっているのはよくある事だけど
元はインド神様である毘沙門天実在した武将である靖が習合してたり、
三国志関羽竜王を引き連れて蚩と戦ってたり(ラノベとかゲームの話じゃないぞ。古典で出てくる話だぞ)
関羽が最高と同等レベルで崇拝されているらしい……これは確認しきれていないが
とりあえず関羽儒教仏教でも格化されてたりするんで色々カオス