1 ななしのよっしん
2008/08/07(木) 22:26:42 ID: YvhIS+Y34r
ユーゴスラビアの時の国旗
タイトル:
Xで紹介する

2 ななしのよっしん
2008/08/07(木) 22:30:16 ID: U/ylVzLlQe
ユーゴス・ラヴィアだと思っていた時代が私にもありました
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3 ななしのよっしん
2008/08/07(木) 22:30:17 ID: uyS3/teXJV
国旗職人半端ないww
しかも、王w紋章がないと物足りなかったのかw
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4 ななしのよっしん
2008/08/07(木) 22:40:57 ID: B8wF/RflEr
>>1
前々から思ってたんだけど・・・
日本旗章学協会とか旗章学協会国際連盟行ってみたら?
もよく知らんがw
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5 ななしのよっしん
2008/08/07(木) 22:45:55 ID: YvhIS+Y34r
>>4
そんなに勉強するつもりはww
世界国旗の大半を覚えただけでもう十分だww
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6 ななしのよっしん
2010/02/25(木) 10:47:39 ID: l3u2q4rK82
近代的な高層ビル行く通行人に対しての差別狙撃衝撃的ダッタ;
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7 ななしのよっしん
2010/04/09(金) 19:49:51 ID: q0BnL4mRUt
チトー・・・
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8 ななしのよっしん
2010/06/28(月) 13:08:03 ID: YrLfAb60Pj
置かれた状況がものすごく複雑だったんだよな
「7つの隣、6つの共和、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの
って言われたぐらい
最後は「1人の独裁者チトー)、0の」となる場合も
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9 ななしのよっしん
2010/07/21(水) 23:32:02 ID: QpQoOvGrP1
名字は「○○ビッチ」だらけ
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10 ななしのよっしん
2010/08/24(火) 02:54:41 ID: ibAvBoxjMg
ラブ三色にm9( ゚Д゚) ドーン!と入っているのも好きだな。個人的にはw
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11 ななしのよっしん
2010/09/25(土) 11:43:13 ID: RpuwdeAs/C
チトーイメージはヨミ様なんだが間違ってないよな?
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12 ななしのよっしん
2011/01/24(月) 04:38:09 ID: 9sru7PBb1Z
>>8
にしてはセルビアクロアチアボスニアモンテネグロの言語は方言レベルの差しかなかったりする
上記に挙げた4カ国語
日本語琉球語北京語広東語、標準ドイツ語バイエルンオーストリア語よりも近かったりする
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13 ななしのよっしん
2011/09/08(木) 13:25:08 ID: Ouk29xcD8T
-
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14 ななしのよっしん
2011/11/13(日) 12:18:11 ID: 2pjU72ZxMy
>>12
そこら辺の民族的な差異は、言語よりも信仰する宗教の方が大きいのかもしれないね。
で、方言的な差異と宗教の違い程度しかいにもかかわらず、地域義的な民族義が噴き出したのがチトー死後のユーゴスラビアか?

特に、ボスニアのムスリム人は、かつてのオスマン・トルコの支配が生み出したようなものだしなぁ
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15 ななしのよっしん
2011/12/17(土) 00:14:38 ID: VJTRokvpN/
>>14
そう言う意味ではセルビアクロアチアは同じドイツ人でも
プロイセンプロテスタント)とオーストリアカトリック)に近い感じだったのかもね。

レバノン宗教でもめてるし
(ちなみにレバノンキリスト教徒は自分たちはフェニキア人としている)
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16 ななしのよっしん
2012/01/13(金) 17:52:20 ID: 2pjU72ZxMy
>>15
>そう言う意味ではセルビアクロアチアは同じドイツ人でも
>プロイセンプロテスタント)とオーストリアカトリック)に近い感じだったのかもね。

方が摘する様に民族的な差異はくても、宗教的な差異は案外根深い対立を呼ぶのかも知れないし、方が挙げたレバノンの事例もそれに該当するのと、ユダヤ人民族よりも宗教的な区分だものねぇ…
それとオスマン帝国オーストリアハンガリー帝国が相争う地域でもあったので、そういう過去念を呼び覚ましたのがあの凄惨な内戦なんだと思う。
で、極め付けはパルチザンの歴史があるあのでは、スイスと同じく民総民兵に成り得るのも良くなかったのかも知れない…
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17 ななしのよっしん
2012/01/15(日) 04:26:29 ID: DYNEd29E7V
人間の土地に対する執着って凄いな。
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18 ななしのよっしん
2012/03/18(日) 02:43:24 ID: fCCqKCNobi
人間は、殺されたお父さんのことは忘れても、奪われたお金のことは忘れません」

これだけではもちろんないだろうけど、宗教・言語・民族といった概念は導火線でしかなかったのかぁ、と思わせるような説得力がある。
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19 ななしのよっしん
2012/05/28(月) 23:50:18 ID: vSEa78LF8i
チトー独裁者だが存命中は不自由はあれど平和ではあったんだから
相当上手い事民族間のバランスとってたんだろうな。
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20 ななしのよっしん
2012/05/29(火) 00:11:23 ID: OwIRYTJx1+
基本、戦争や紛争は敵を捕虜にしたり一般市民を保護しなければいけないとかあるけど。ユーゴスラビアの紛争は敵を皆殺しにするのが的だから、捕虜はとらず保護もせず、大人子供問わずのレイプから虐殺民族浄化をしてたんだっけ?間違ってたらごめん
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21 ななしのよっしん
2012/05/29(火) 02:04:22 ID: 7nf1rvybT1
>>19
内でガス抜きのためにある程度の政府批判野党勢力の存在を認めた反面、
民族義勢力は芽のうちに底的に叩き潰してもいた
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22 ななしのよっしん
2012/06/01(金) 18:30:10 ID: 2pjU72ZxMy
>>19
あの地域を連邦国家として維持していく事と、冷戦の狭間を生き延びる為には、
チトーの強権政治が必要だったんだろうね。
逆に言えば、チトー抜きでユーゴスラビア連邦は維持できなかった訳で現にそうなった
>>20
セルビア人、クロアチア人、ムスリム人のいずれも、
程度の差こそあれ方の摘する民族浄化を行なっていた模様。
>>21
民族義勢力を抑え込む重石になっていたのはチトー本人だし、
体制批判を一切許容できない姿勢を見せれば彼の存命中にユーゴスラビアは危うくなったのかもね。
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23 ななしのよっしん
2012/06/27(水) 23:50:18 ID: 0+PEU6ti/z
宗教文化が異なるのに「同じ民族で、ほぼ同じ言語を喋るから」という理由だけで同じを作ることに理があった

しかも王政時代はセルビア系の国王セルビア人第一
そりゃ反感もつのは当たり前
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24 ななしのよっしん
2012/07/03(火) 14:04:02 ID: PtG38UKHfd
独立元のオーストリア帝国と同じ運命をたどってしまったわけだな
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25 ななしのよっしん
2012/07/21(土) 19:00:36 ID: 2pjU72ZxMy
>>23
そりゃそうなんだが、セルビア第一次世界大戦の戦勝だった訳で、
彼らの失敗を参考に、クロアチア人のチトー国家政体を再構築した感じじゃない?
>>24
ユーゴスラビア構成で、オスマン帝国若しくはオーストリア帝国の支配を受けた経歴を改めて調べたが、
意外だったのがスロベニアは一貫してオーストリア側だった見たいね。
で、それ以外の地域はオスマン帝国の支配を受け、
オスマンの衰退と共にクロアチアボスニア・ヘルツェゴビナオーストリアが支配し、
セルビアオスマン帝国からの独立回復したと。

つまり、セルビアモンテネグロマケドニアオーストリア領になった経験はない模様。
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26 ななしのよっしん
2012/07/31(火) 23:24:12 ID: 6oZR5oOioJ
>>25
セルビアでも北部の「ボイボディナ自治州」はオーストリア領だった
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27 ななしのよっしん
2012/08/01(水) 13:30:19 ID: 0+PEU6ti/z
>>25
チトー時代だって旧王政時代から一貫してセルビア人の都であるベオグラード首都で、しかもスロベニアクロアチアといった北部の較的経済の発展した地域からは不満がタラタラっだった。だから1971年に「クロアチア」と呼称されるクロアチア人の暴動が発生した。

つまりチトー時代も、いくらチトー政権が「兄弟と統一」を叫んだところで王政時代とほとんど変わんない状態。「再構築」なんて結局は駄だった
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28 ななしのよっしん
2012/08/01(水) 15:07:34 ID: 7nf1rvybT1
そらまあ、分裂した後から言えば駄だったって結論にしかならんわなあ
もっとも別国家になってたって状況がそんなに変わったとも思えないのだが
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29 ななしのよっしん
2012/08/01(水) 18:42:15 ID: 2pjU72ZxMy
>>26
ごめんなさい。調べるの足りませんでした。
ベオグラードにもオーストリア飛び地が存在したとは知らなんだ。(お恥ずかしい限り)
>>27
ベオグラード首都を置いたのは、ザグレブやサラエボだとセルビア人を宥めるのが難しいとの判断では?
ただ方が摘した事例があるように、チトーが生きている間にもセルビア人への反発は強かった訳だから、
チトーの退場、東欧民主化、ミロシェビッチの登場」等の要素はユーゴ解体を促進したと言えるかもね。
しかし、東西冷戦の狭間でユーゴスラビアの存在が「意味・駄」だったとは思わないけどな。
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30 ななしのよっしん
2012/08/01(水) 22:23:31 ID: 0+PEU6ti/z
>>97
その通り。つまり「セルビア人をなだめるため」に首都を旧セルビア・旧セルビア首都をそのまま「南スラブ国家」たるユーゴ首都にした。
だからこそクロアチア人を中心に反セルビア、分離独立感情が湧きたった。

まぁ大セルビア義の台頭を防げず、結局各共和が分離独立した今となっては過去の遺物であり、「汎スラブ義」という理想義の壮大な実験は失敗だったと思われ。
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