サッカースウェーデン代表とは、スウェーデンサッカー協会(SvFF)により編成されるサッカーのスウェーデン代表チームである。愛称はブローギューラ(青と黄の意)。ユニフォームはホームのシャツが黄色、パンツが青。アウェイはシャツが紺、パンツが黄色。
サッカーのナショナルチーム | |||
スウェーデン代表 | |||
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基本情報 | |||
国旗 | ![]() |
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協会 | SvFF | ||
大陸 | UEFA(ヨーロッパ) | ||
FIFAコード | SWE | ||
FIFA加盟 | 1904年 | ||
監督 | ヤンネ・アンデション | ||
FIFAワールドカップ | |||
出場 | 12回 | ||
最高成績 | 準優勝(1回) | ||
UEFA欧州選手権 | |||
出場 | 7回 | ||
最高成績 | ベスト4(1回) |
FIFAワールドカップに11度、UEFA欧州選手に3度の出場経験を持つヨーロッパの古豪。自国開催の1958 FIFAワールドカップでは準優勝、EURO1992ではベスト4という成績を残している。オリンピックでは1948年に金メダルを獲得している。
1950年代に「グレ・ノ・リ(Gre-No-Li)」と呼ばれたグンナー・グレン、グンナー・ノルダール、ニルス・リードホルムを擁して黄金期を迎えており、近年では世界屈指のストライカーとなったズラタン・イブラヒモビッチを筆頭にヨーロッパのビッグクラブで活躍する著名な選手を多数輩出している。
伝統的に高さとフィジカルを武器としており、教科書に書いたような4-4-2の統率の取れたゾーンディフェンスが特徴的な手堅いサッカーを特徴としている。国際大会に出場すれば、毎回ダークホース的な存在に挙げられるチームである。
同じ北欧のデンマーク代表とは古くからのライバル関係にあり、過去の国際舞台の実績でも北欧勢の中ではこの2チームが抜き出ている。ただし、近年は2018年ワールドカップのベスト8以外は目立った成績を残せておらず、本大会にすら進めないことが増えている。
1904年にFIFAに最初に加盟した7か国のうちの1つであり、初試合は1908年。20世紀初頭の頃は、強豪国であり、1924年のパリオリンピックでは銅メダルを獲得している。なお、1936年のベルリンオリンピックでは優勝候補と見られていたが、トーナメントの初戦で格下と見られていた日本にまさかの逆転負けを喫している。下馬評では誰も予想できなかった敗戦は「ベルリンの奇跡」と呼ばれている。
FIFAワールドカップは第2回の1934 FIFAワールドカップ・イタリア大会が初出場。1回戦で前回準優勝のアルゼンチンを下すが、準々決勝でドイツに敗れる。1938 FIFAワールドカップ・フランス大会は、対戦予定だったオーストリアがドイツに併合されたことで初戦は不戦勝となり、準々決勝でキューバを8-0で破る前評判通りの強さを見せる。しかし、準決勝でハンガリーに敗れると、3位決定戦でもブラジルに敗れる。
1940年代後半から50年代にかけて黄金期を迎える。その中心に居たのが「グレ・ノ・リ」と呼ばれたグンナー・グレン、グンナー・ノルダール、ニルス・リードホルムの3人だった。1948年のロンドンオリンピックでは、「グレ・ノ・リ」トリオが決勝までの4試合で22得点という圧巻の攻撃力を発揮し、他国よりも頭一つ以上抜けた強さで初の金メダルを獲得する。ところが、グレ・ノ・リは翌年3人揃ってイタリアのACミランへ移籍。当時、スウェーデンはプロ選手を代表に呼ばないという方針だったため、ロンドンオリンピックがスウェーデン代表として3人が揃った唯一の国際大会となってしまう。
グレ・ノ・リを欠いて臨んだ1950 FIFAワールドカップ・ブラジル大会だったが、オリンピック優勝メンバーを多く揃えていたこともあり、1次リーグではイタリアに勝利して首位で突破。決勝リーグではブラジル、ウルグアイに敗れたもののスペインに勝利したことで3位となる。しかし、4年後の1954 FIFAワールドカップでは、欧州予選で敗退。
自国開催となった1958 FIFAワールドカップ・スウェーデン大会では、プロ選手の代表入りが認められたことでリードホルム、グレンの二大スターが復帰。すでに選手としてのピークは過ぎていた二人だったが、それでもチームの中心として牽引し、グループリーグを2勝1分の首位で突破。準々決勝のソ連戦では名GKレフ・ヤシンから2ゴールを奪い勝利。準決勝では前回優勝の西ドイツをグレンの逆転ゴールで下し、初の決勝進出を果たす。決勝のブラジル戦では、リードホルムのゴールで先制したものの、17歳のペレの独壇場を許してしまい、1点は返したものの終わってみれば2-5で完敗。それでも準優勝という成績を残し、現在においてもワールドカップにおける最高成績を残した大会となった。
大会後、リードホルムとグレンは代表を引退。1960年代に入って低迷期に入り、2大会連続でワールドカップ出場権を逃し、創設されたUEFA欧州選手権でも予選で敗退していた。
1970 FIFAワールドカップ・メキシコ大会では3大会ぶりに出場権を獲得するが、1勝1分1敗で2位ウルグアイに得失点差で及ばず、グループリーグ敗退に終わる。1974 FIFAワールドカップ・西ドイツ大会はラルフ・エドストレームを擁し、1次リーグはトータル・フットボールのオランダ相手に引き分けるなど2勝1分の2位で2次リーグまで進出する。しかし、ポーランドと西ドイツに敗れ、2次リーグで敗退。1978 FIFAワールドカップ・アルゼンチン大会に3大会連続で出場するが、1勝もできないまま1次リーグで敗れている。
1980年代に入ると再び低迷期に入り、ワールドカップでは2大会連続で欧州予選敗退。UEFA欧州選手権でも予選敗退が続いていた。1990 FIFAワールドカップ・イタリア大会では3大会ぶりに本大会へ出場するが、ブラジル、コスタリカ、スコットランド相手に3戦全敗に終わる。それでも19歳のトーマス・ブローリンが2ゴールを記録するなど孤軍奮闘し、未来のスター候補として期待を集める。
自国開催となったEURO1992は、これがUEFA欧州選手権初出場となった。この大会ではブローリンが攻撃の中心となり、ヨナス・テルン、クラス・インゲソンと共に魅力的な中盤を構成。グループリーグではフランス、イングランドという強豪を敗退に追い込み、首位で突破。準決勝ではワールドカップ王者のドイツ相手に粘りを見せるが、あと一歩及ばず敗退。
1994 FIFAワールドカップ・アメリカ大会はブローリンの他にもマルティン・ダーリン、ケネット・アンデション、ヘンリク・ラーションという強力な攻撃陣を擁し大会のダークホースとして注目される。グループリーグはブラジル、カメルーン、ロシアと同居する「死の組」に入るが、無敗の2位で突破。決勝トーナメントに入ってもアメリカの猛暑にも屈せず、ラウンド16のサウジアラビア戦を快勝し、準々決勝のルーマニア戦は延長終了間際に追いつきPK戦に持ち込む死闘となったが、これに勝利し1958年大会以来36年ぶりのベスト4進出を果たす。準決勝のブラジル戦は奮闘しながら後半にロマーリオに決められ、敗戦。3位決定戦はブルガリア相手に4-0で快勝し、3位入賞という予想以上の好成績を残した。特にダーリンとK・アンデションの2トップは2人で9ゴールを記録する活躍ぶりだった。
「北欧の雄」復活を印象付けたかと思われたが、その後ブローリン、ダーリン、テルンが揃って怪我のために大きく調子を落とたことが影響し、EURO1996と1998 FIFAワールドカップは予選敗退となる。初めて予選を突破し自力で本大会に出場したEURO2000だったが、結果は1分2敗でグループリーグ敗退。
欧州屈指のスコアラーへと変貌したラーションやフレドリック・ユングベリを擁した2002 FIFAワールドカップ・日韓大会はアルゼンチン、イングランド、ナイジェリアと同居する「死の組」に入るが、ラーションの2ゴールでナイジェリア戦に勝利し、1勝2分の首位で決勝トーナメント進出を果たす。しかし、ラウンド16で大躍進を遂げたセネガル相手に延長戦で敗れ、ベスト16敗退となる。
EURO2004は、新たにエースとして君臨したズラタン・イブラヒモビッチと一時は代表を引退しながら復帰したラーションの大会屈指の強力2トップが実現。初戦のブルガリア戦を5-0で大勝すると、続くイタリア戦ではイブラヒモビッチのスーパーゴールで引き分けに持ち込み、第3戦のデンマーク戦も引き分けたことで首位でグループリーグを突破。ただし、第3戦のドローは引き分ければイタリアを敗退に追い込んで共に決勝トーナメントへ進めた北欧2チームの談合試合が疑われている。準々決勝ではオランダ相手にPK戦で敗れ、ベスト8で大会を去っている。
2006 FIFAワールドカップ・ドイツ大会は、イブラヒモビッチがよもやの大スランプに陥るが、第3戦のイングランド戦を試合終了間際のラーションのゴールで引き分け、2位でグループリーグを突破。しかし、ラウンド16では開催国のドイツの勢いに飲まれ、敗北。2大会連続でベスト16敗退となる。ドイツ戦でPKを外したラーションは代表引退を表明。EURO2008は1勝2分でグループリーグ敗退に終わる。
2010年代に入ると、低迷期に入り、セリエAやリーグ・アンで手の付けられない怪物となったイブラヒモビッチは絶対的な存在となっていたが、彼の力を十分に引き出せる人材が不足してしまい、ワールドカップは2010年大会、2014年大会と連続で欧州予選敗退。EURO2012とEURO2016では本大会に出場するが、いずれもグループリーグ敗退。クラブのような栄光を掴めないイブラヒモビッチはEURO2016の後に代表引退を表明する。
2018 FIFAワールドカップ・ロシア大会では絶対的なエースがいなくなったことでよりソリッドなチームへ舵を切ったことが功を奏し、欧州予選プレーオフではイタリアに勝利し、3大会ぶりに本大会へ出場。グループリーグでは初戦の韓国戦に勝利し、続くドイツ戦は試合終了間際の失点で敗れるが、第3戦でメキシコ相手に3-0で快勝。首位でグループリーグを突破する。ラウンド16ではエミル・フォスベリのゴールを守り切り、スイスに勝利。1994年大会以来24年ぶりのベスト8進出を果たすが、準々決勝ではイングランド相手に0-2で敗れている。
6大会連続出場となったEURO2020では、39歳のイブラヒモビッチの代表復帰が話題となったが負傷のため本大会出場は叶わなかった。グループステージはスペインを上回り、2勝1分の首位で突破する。しかしラウンド16でウクライナを相手に延長戦で敗れている。2022 FIFAワールドカップは欧州予選で前回に続いてプレーオフに回るが、準決勝でチェコに勝利したものの、決勝でポーランドに敗れ、本大会出場を逃している。またEURO2024でも予選グループで敗退してしまい、これで主要国際大会に3大会連続で出場できないことになった。
太字はワールドカップで指揮を執った監督。国旗が付いているのは外国人監督。
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最終更新:2025/08/14(木) 12:00
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