テンジンショウグン 単語

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テンジンショウグン

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テンジンショウグンとは、1990年生まれの日本の元競走馬である。

な勝ち
1998年:日経賞(GII)

概要

その日まで

ノーアテンション、シュアンス、ダンディルートという血統。仏国の長距離で、スーパークリークなど産駒にもステイヤーが多かった種牡馬仏国で、こちらはビゼンニシキなどのにはミスターシービーの代表産駒と言われる皐月賞2着俳優シャコーグレイドがいる。

旧3歳8月デビュー戦はスカッと勝ったが、年明けの2戦から7連敗でクラシックとは一切縁のまま旧4歳シーズンは終了。旧5歳となりダート条件戦を連勝したが、また6連敗。降級2戦となった日本海ステークス(900万下)で6身差圧勝。1走を挟んだオクトーバーS(1500万下)では東京芝2300mのレコードタイム立して勝利する。
…今でも一応、東京には芝2300mってコース設定があるんですよ。一時期は年間10数回は開催があったんですよ。OP特別だって開催された時期があるんですよ。今では年2回しか使われないコースになってしまったけれど…[1]

OPに上がってからも勝てないまま9連敗するが、旧7歳の日経賞では最低11番人気ながら3着に突っ込み、複勝2040円の波乱を演出。続くOP特別も2着となったがまたも惨敗ルートに逆戻りし、結局97年5月武蔵野SまでなんとOP戦21連敗。営はこりゃもうダメだということで障害転向を決める。スタミナのありそうな血統だったし。

障害では3戦で初勝利し、続く条件戦も連勝。障害重賞に駒を進めるが、落競走中止、9着と散々な結果。なんでも障害が嫌いだったらしく、競走中止になった際には連れ帰った医に噛みついたらしい。
折から競馬が始まった98年3月。開催が東京から中山に移っており、テンジンショウグンは障害コースにあるアップダウンが苦手だったので中山は合わないだろうと判断され、東京開催まで障害は待つことになった。しかし次の東京開催までずいぶん間がくということで、3年連続となる日経賞出走が決まった。

その日

1998年3月29日、この年の日経賞役は類の中山巧者ローゼンカバリー。他にもシルコレとして台頭しつつあったステイゴールド重賞マウンテンストーンなど実績が顔をそろえたほか、時の障害王者アワパラゴン中山大障害へのステップとして出走してきていた。
んで、当のテンジンショウグンは…12番人気。圧倒的な最低人気。単勝は355.7倍。障害ボコボコにされただし、相手もそこそこ強いし、買える要素はほとんどなかった。あるとすれば調教師が「障害転向前より調子がいい」とコメントしていたことと、上が男」江田照男だったことくらい…。しかしその調教師も「(賞が出る)8着に入ってくれ」と示してたくらいだし、期待はその程度だったのだろう。

レース本番、テンジンショウグンは「どうせ地のペースについていけないし、障害と同じペースでいい」という調教師示通り、最内にも構わず外の後方2番手に控える。レースショウナンアクティとアワパラゴンの前2頭がスローで引っり中団が固まる形で進むが、トキエクセレントが内から積極的に動いた上にローゼンカバリーが3めに仕掛けたことで各が一斉に動き始め、ひとかたまりのまま直線に突入。手応えのよかったローゼンカバリーが抜け出し、残り200mで逃げショウナンアクティを捕らえ先頭に立つ。と、そこへ…

「そして外からはなんとテンジンショウグンが絡んでくる!テンジンショウグン絡んでかわした!かわしたぁぁ!!先頭は!テンジンショウグン!2番手も危ないぞローゼン!2着変わった!勝ったのはなんとテンジンショウグン!」(実況:青嶋達也)

そう、最低人気のテンジンショウグンがローゼンカバリーをかわして先頭に躍り出たのである。中後方にいたテンジンショウグンは3コーナーで他に合わせて大外をマクリ気味に進出…したのだが、それがもうすごい手応え。直線に入って勢いよくスパートをかけ、一気にローゼンカバリーに詰め寄り先頭に立ってしまったのである。ローゼンカバリーの横山典弘も懸命に追うが差は詰まらず、テンジンショウグンは1身1/4の差をつけて1着でゴールした。ゴールしてしまった。

競馬場然とする人、どよめく人…。党で知られるラジオたんぱ小林雅巳アナさえ「テンジンショウグンです、もう一度言いますテンジンショウグン」と繰り返す始末。なにせ単勝は35,570円。グレード制以降、サンドピアリスの勝った1989年エリザベス女王杯の43,060円に次ぐ重賞史上2位の高配当で、2021年現在でもこの記録を保持している。しかしそれ以上にとんでもないことになった馬券があった。連勝式馬券、つまり馬連である。

テンジンショウグンに差されたローゼンカバリー、実はゴール直前にもう1頭にもかわされ3着だった。そのローゼンカバリーをかわして2着に突っ込んだのが単勝7番人気シグナスヒーロー(はあのイナリワン)。この年7歳で、前2走の東京新聞杯ダイヤモンドSでは走していたである。軸が大荒れした上に、紐にまでが突っ込んでしまったのである。その結果生まれた馬連の配当額は驚くなかれ

2 1 3 , 7 7 0 円

3連単ではない。馬単でもない。馬連である(そもそも当時馬単3連単も存在しない)。21年を経た今でも破られていない重賞史上最高記録馬連配当が20万円をえた重賞2021年現在この1度きり。競馬史上に残る大波乱が巻き起こってしまったのである。

当の江田照男も「まさか勝つとは…」と驚き、ローゼンカバリーの横山典弘は「これからは障害練習でもしなきゃダメかな」と絞り出すのがやっと。実は障害から戻って活躍するトウショウファルコメジロパーマーなど時折いるのだが、戻ってきて初戦で、しかも最低人気重賞を勝つなんてさすがに前代未聞である。

次走に選んだ天皇賞(春)前にはNHKがわざわざ特集を組んだという。当時の衝撃はそれほど大きかったということであろう。

その後

その後テンジンショウグンは障害に戻らず地の長距離重賞を中心に使ったが4戦すべて2ケタ着順に終わり、同年のアルゼンチン共和国杯で最下位となり引退した。

引退したテンジンショウグンは誘導になる予定だったのだが、ある任務のためにで新たな生を歩むことになった。
その舞台警視庁隊。交通安全教室交通誘導、皇居周辺の警備などを任とする騎部隊である。任務が任務なだけに、見たが良く身体が強く大人しいめられるのだが、障害も含めて8歳まで走り、非常に穏やかなだったテンジンショウグンは騎としてうってつけだったのである。なお、この警視庁隊にいるはほとんどが元競走馬で、後にシルバー&ブロンズコレクターだったトウシウシロッコも加わっている。

テンジンショウグンは新たに「新志」という名を授かり、交通安全教室や儀の警備などに従事。ベテランとなってからは騎隊に入隊した警察官教育役にもなっていたという。高齢もあり、2012年を最後に騎隊から引退日高ローリングエッグクラブテーブルビコーペガサスロイヤルタッチらと共に余生を送り、2018年12月に世を去った。28歳。

血統表

*ノーアテンション
No Attention
1978 鹿毛
Green Dancer
鹿毛 1972
Nijinsky Ⅱ Northern Dancer
Flaming Page
Green Valley Val De Loir
Sly Pola
No No Nanette
芦毛 1973
Sovereign Path Grey Sovereign
Mountain Path
Nuclea Orsini
Nixe
シュアン
1980 青鹿毛
FNo.4-d
*ダンディルート
鹿毛 1972
Luthier Klairon
Flute Enchantee
Dentrelic Pludent
Relict
スタームー
黒鹿毛 1976
*シヤドーゲイ Swaps
Banquet Bell
ブラツクバトー *ヒンドスタン
エス
競走馬の4代血統表

クロス:5代内アウトブリード

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関連項目

脚注

  1. *東京芝2300mのコース2022年現在、3歳未勝利、新賞(3歳1勝クラス)の2しか行われていない。
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