夢と情熱と
すべての始まりは
夢と情熱である
繁栄を願う
一途な思いであるそれさえあれば
幸運へ導くという
あの伝説の鳥も
きっと姿を見せるはずだだから何度でも立ち上がれ
次の勝負へと挑め
マイネルホウオウとは、日本の元競走馬である。
馬名の由来は冠名+鳳凰。父親のスズカフェニックス(不死鳥)からの連想でもある。
父・スズカフェニックス
母・テンザンローズ(母父フレンチデピュティ)
父であるスズカフェニックスは泣く子も黙る大種牡馬・サンデーサイレンスの直仔で、競走馬としては高松宮記念を制した馬である。一方、母父フレンチデピュティはアメリカで現役時代を過ごし、引退後はクロフネやエイシンデピュティ、そしてピンクカメオなどを輩出している種牡馬である。
さて、マイネルホウオウの母系をたどるとヘレンサーフという馬に辿り着く。実はこの馬、小岩井農場が1907年にイギリスから輸入した繁殖牝馬の1頭であり、その子孫にはヒシミラクルやオサイチジョージなどがいる。
マイネルホウオウは2010年4月23日に、新冠のヒカル牧場で誕生した。実は、このヒカル牧場はライデンリーダーを生産した牧場でもある。
そんなマイネルホウオウであったが、2011年の北海道サマーセールにおいてビッグレッドファームによって651万円(税込)という値段で買われた。この651万円という値段は、競走馬としてはかなりお手頃な方のお値段である。
この世代の当歳セレクトセールの最高値を付けたトーセンパワフル(アコースティクスの2010・ロジユニヴァースの全弟)が1億1200万円だったので、その差は歴然である。
尤も、セリの内容も違うので単純に比較はできないものの、ある意味値段だけでGI勝ち馬が決まらないことの証明でもある。
(ちなみに、この馬より安かったGI馬では、250万円で買われたテイエムプリキュアや21万円で主取りされたスノーフェアリー、さらに10万円で調教師をしていた馬主に買われたテイクオーバーターゲットがいる)
その後、2歳になったマイネルホウオウは一口馬主であるサラブレッドクラブ・ラフィアンの持ち馬として、美浦の畠山吉宏厩舎に入厩することとなった。
また、マイネルホウオウの主戦騎手である柴田大知(以下、大知)についてもここで紹介する。
大知は、同期である福永祐一や和田竜二ととも『花の12期生』と言われ、さらに弟・未崎とともに史上初の双子騎手としても注目されていた。だが、2年目に重賞を制覇して以降、結婚による所属厩舎からの破門や騎乗馬の質の低下などの要素が重なり成績が低迷し、2006年・2007年は年間0勝に終わるなど一時は調教助手への転身を進める声も聞こえていた。
だが、2008年1月に障害レースで3年ぶりの勝利を挙げた。一方、平地競走では2008年も0勝……ではあったが、この年に大知にとって大きな転機が訪れる。
同年8月にミルファームの馬で平地競走で好走(※1)し、それをきっかけにミルファームの馬に騎乗するようになった。そして、ミルファームの代表がビッグレッドファームで働いていた縁から、岡田繁幸に見いだされ、マイネル軍団の馬にも騎乗するようになった。
その後、2011年6月にマジェスティバイオで久々の重賞制覇をすると、7月にはマイネルネオスで中山グランドジャンプ(※2)を制覇。さらに、2012年にはコスモオオゾラで弥生賞を制するなど、自身の成績を上げるとともにマイネル軍団での評判は高まっており、エース格になりつつあった。
さて、マイネルホウオウのデビュー後であるが、6月に行われた福島の新馬戦をきっちり勝利。だが、その後はコスモス賞2着、札幌2歳ステークス9着、きんもくせい特別2着、東京スポーツ杯2歳ステークス8着と4連敗を喫することとなる。
う~ん、もしかしてこの馬弱いのか?と思っていたら、年末のひいらぎ賞で2勝目を挙げた。
だが、勝てなかったとはいえ、この2歳時にはコディーノやラウンドワールド、ゴットフリート、などの素質馬と一緒に走っていたりもする。
そう、走るごとに強くなる馬……そんな路線を地で行くように3歳戦に挑むこととなる。
まず、3歳の初戦に選んだのは年明けのジュニアカップ。このレースを2番手からの押し切りで勝利し3勝目を挙げる。
そして、一息入れて選んだのがスプリングステークスであった。このレースには、前年の朝日杯FS勝ち馬ロゴタイプも出走しており、そのほかにもクラシックを狙う馬がごろごろ出ていた。
そんなレースであり、父スズカフェニックスの血統が嫌われたのか11番人気であったが、このレースでマイネルホウオウは新味を見せる。レースこそロゴタイプ・タマモベストプレイの後の3着に敗れたものの、大外から一気の追い込みを見せ、先行だけでなく追い込みもできるということを証明した。
さあ、返す刀で権利をつかんだ皐月賞へ!……と思われたのだが、陣営は距離に不安があるとして皐月賞を回避し、NHKマイルC路線を選択した。が、そのステップレースのニュージーランドトロフィーでは、馬場に足をとられたのか末脚が不発で7着。そして、本番のNHKマイルCに出走することとなる。
そのNHKマイルCでは前走での大敗、また3勝のうち2勝が中山、さらに東京スポーツ杯の敗戦があったことから、東京は不向きとみられ11番人気であった。しかし、後方3番手に構えると、最後は末脚が大爆発。素晴らしい追い込みを見せ、粘るインパルスヒーローやフラムドグロワールを差し切り、見事にGI初制覇。
騎手である大知もこれが平地GI初制覇にして通算200勝目のメモリアル勝利であり、同時に熊沢重文に続く2人目の平地・障害GIダブル制覇を達成。さらに畠山調教師も8年ぶりの重賞制覇が初のGI制覇。
父であるスズカフェニックス産駒にとっての初重賞制覇が初GI制覇。
そして、ヒカル牧場はグレード制導入後としては初、それ以前ではヒカルタカイが1970年に宝塚記念を勝って以来実に43年ぶりのGI制覇であった。
レース後のインタビューで大知は、「何も覚えていない」と繰り返し、涙の勝利ジョッキーインタビューとなった。その勝利ジョッキーインタビューの動画もあるのでぜひ必見。
NHKマイルカップ勝利後、陣営は変則2冠を目指して日本ダービー出走を表明。
あれっ、距離が長いから皐月賞は回避したんじゃなかったっけ……?
レースでは、7番人気で、後方から末脚をため、勝ったキズナとほぼ同じ位置にいたものの、最後は距離の壁か脚が止まってしまい15着と惨敗することとなった。
走るごとに力をつけてきたマイネルホウオウ。ダービーの惨敗もまた糧にし、秋は中距離路線に出てくるのか、それともマイル路線に進むのか。それを占うべく3歳秋は毎日王冠からの始動を予定していたが、調整中に左前脚の屈腱炎を発症し、長期休養を余儀なくされる。
結局4歳時は全休し、ダービーから1年9ヵ月後の東京新聞杯で復帰するが、復帰後はオープン特別で2着と3着が1回ずつというのが目立つという状況であった。
7歳まで現役を続けるものの、父の名の如く不死鳥の様に復活とはならず、2017年11月に引退。
長期休養後の戦績が惨敗続きであったことと、サンデーサイレンスの血が溢れているということもあってか、種牡馬にはなれず日高育成牧場に乗馬として繁養されることになった。
…と思ったら、2018年に思い出の地東京競馬場で誘導馬としてデビューを果たす。
2020年にはやはりサクセスブロッケンと共にダービーの誘導馬として先導したのが記憶に新しい。
2025年秋には、競馬を題材にしたTBS系列の日曜ドラマ「ザ・ロイヤルファミリー」に出演し“俳優デビュー”も果たしている。
ポストを読み込み中です
https://twitter.com/royalfamily_tbs/status/1977333299225018428
既に去勢されており、マイネルホウオウの血は後世に残すことは出来ないが、NHKマイルカップで見せた激走、そして柴田大知のインタビューは年を経ても決して色褪せることのない輝きである。
※1:北越ステークスのダイイチミラクル(2着)。その前走では弟の未崎が騎乗し3着に入っている。また、同馬も障害レースを走り、最後は故障を発症して引退となったが、その背中には大知がいた。
※2:本来は皐月賞前日のメインレースとして中山競馬場障害4250mで行われるレースで、障害レースでは唯一メインレースで行われる。同年は東日本大震災の影響で春の中山開催が中止となり7月に延期、距離も4260mと土曜日のメインレースであったこと以外は例年とは違うレースとなった。
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最終更新:2025/12/18(木) 12:00
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