宮崎交通とは、宮崎県宮崎市に本社を置くバス会社である。
略称は「宮交」だが、宮城交通も同じ略称を使用しているため、全国のバスを取り扱う際には注意。[1]
宮崎のバス会社と言えば宮交!というくらい県内各地の路線を独占している(というか他に競合しあう程度のバス会社が無い)。また県内も含め、九州各県の主要都市への高速バスも運行している。
2011年3月12日に九州新幹線鹿児島ルートが全線開業したことにより、「B&Sみやざき」(宮崎駅~新八代駅)の運行を開始。九州新幹線と共同利用することにより、博多~宮崎間が最速3時間10分で結ばれるようになった。
2015年3月21日には東九州自動車道の大分市~宮崎市間が全線開通、同年4月1日から「パシフィックライナー」(宮交シティ・宮崎駅~パークプレイス・トキハ(フォーラス)・別府北浜)を運行開始。大分~宮崎間をJR特急「にちりん」と同程度の3時間半ほどで結ぶ。別府~宮崎間が直行バスで結ばれるのは38年ぶりとなる。
1926年4月22日に宮崎市街自動車として設立。1943年には、戦時企業統合政策により県内の交通事業者と合併し宮崎交通となった。この時、宮崎鉄道(宮崎軽便鉄道)とも合併したため社内に鉄道部が設けられる。1960年代の新婚旅行ブームで一時は経営が安定していたが、その一方で1961年10月に発生した土砂崩れの影響で鉄道路線は翌1962年7月に全線が廃止された(ちなみに、並行するバス路線は鉄道路線の倍以上の本数があったという)。2000年代に入ると少子高齢化やマイカーの影響をモロに受け、2005年1月18日に産業再生機構の支援を受けることが決定。持株会社「宮交ホールディングス」の傘下企業となった。
| 宮崎地区 | 諸県地区 | 県北地区 | 児湯地区 | 南那珂地区 |
※現在、本社は宮崎市中心部の橘通にある「ボンベルタ」の7階に移転済み。
2014年7月に宮崎地区の営業所再編が実施された。同時に、営業所の名称が「○○自動車営業所」から「○○営業所」に統一されている。
宮崎市内を中心に表示してある。延岡地区などはホームページを参照。現在は各地区でも行先番号によって整理されている。
一般路線バスは基本的に中型車を使用するが、一部路線では昼間を中心に小型ノンステップバス(日野・ポンチョ)を使用することも多い。また、最近までは貸切車を転用した大型車も多く在籍していたが、現在急速に数を減らしている。大型路線車は宮崎地区・延岡地区にわずかながら在籍。現在ほとんどの新車は希望ナンバーを取得している。また、2009・14・16・19年度には首都圏から中古車も購入。現在の中古車流通元は神奈川中央交通・立川バス・川崎鶴見臨港バス・小田急バス・西武バスなどからと多岐に亘る。
一方の高速車は2004年まで3列シート車にスーパーハイデッカー(三菱ふそう・エアロクィーンⅠなど)を採用していたが、06年初頭に導入された新車からは全てハイデッカーに変更されている。
カラーリングはどちらもえりうみ濃淡ブルーのラインが特徴だが、路線車と貸切・高速車では塗装パターンが異なっている。貸切車の側面表記は「MIYAZAKI KOTSU」、高速車は「MIYAZAKI KOTSU HIGHWAY BUS」。
車内には「避けるより止まれ」「まずにっこり」の標語が見られる。これは1950年代に発行された社内報からの伝統である。
現行路線
九州内に7路線を展開。
廃止・休止路線
2002年10月にICカード「宮交バスカ」を発売した。日本のバス会社として初めてサイバネ規格に準じたカードとなっており、将来の鉄道会社との相互利用も視野に入っていた。
このカードでは乗車金額の10パーセントのポイントが付与されるシステムがあり、普通回数券と同等レベルのオトクさを備えていたが、2008年に3パーセント付与に下げられてしまった。
その後2015年11月14日に「nimoca」導入。
2016年3月末宮交バスカは廃止され、nimocaに完全移行した。
nimocaになった後は前述のポイントサービスは廃止となったため、それを惜しむ声も多かったという。
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最終更新:2025/12/20(土) 16:00
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