明宝ハム 単語

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メイホウハム

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明宝ハムとは、岐阜県郡上市の特産品の1つ、及びそれを生産するメーカーの通称名である。

もしかして明方ハム

概要

明宝ハムの特徴

岐阜県郡上市明宝地区(旧 明宝村)発祥の特産品で、岐阜県の飛騨・美濃地方お土産、贈答品として全的に有名である。
生産は、旧 明宝村導して設立した第三セクター「明宝特産物加工株式会社」が行っており、「明宝ハム」はこの会社の通称名としても使われている。

明宝ハムはその名の通り、プレスハムとして製造しており、「作り始めて半世紀。当時と変わらぬ本物の味」というコンセプトを元に、内産ももに限定して素材を厳選し、保存料、着色料、化防止剤、増量剤を使用せず、ほぼ手作業で作られている。そのため1本360gで1000円程度と少々ハイコスパではあるが、それをもろともしない一定の人気が定着している。

またハム以外にも、ソーセージハンバーグ郡上生まれのB級グルメである鶏ちゃん子供おやつのつまみとして人気のとんこ(ソーセージ)、こちらもお土産品として人気の明宝トマトケチャップを製造している。

ちなみに、イメージパーソナリティとして岐阜県出身で俳優酒井敏也を起用しており、CMや宣伝ポスターには明宝ハムとともに登場している。

商品名「明宝ハム」の由来

「明宝ハム」の「明宝」の由来は、製造開始当初から明方村の特産品として発展し、文字通り「方の」になってほしいという願いからきている。

明宝ハムと明方ハムの違い

明宝ハムとよく較されるのが同じ旧 明方村発祥の明方ハムである。もともとは同じ舟に乗っていたメーカーであったが、ある理由により分裂して誕生した。(これについては下記の「明宝ハムの歴史」にて説明する。)

岐阜県民にとっては、岐阜県きのこたけのこ戦争の様相を呈しており、互いによきライバル関係のメーカーとなっている。

ちなみに明宝ハムは「"めいほう"ハム」、明方ハムは「"みょうがた"ハム」と読むが、名前が酷似しているため、たびたび誤読されやすい。

明宝ハムの歴史

明宝ハムの誕生

明宝ハムの起は今から約70年前の1953年(昭和28年)までさかのぼる。当時の明方農協が農山村の食生活運動畜産的として、加工食品開発に乗り出した。この開発には当時が打ち出した「新農建設庫補助」事業が利用されており、ユニークアイデアとして一時注を浴びた。

初期の開発では明方農協加工所という農協所有施設の小さな1室で行われ、ここで明宝ハムの代表格であるプレスハムが誕生したのであった。

ちなみに当時は「明方ハム」の名前で製造しており、これがのちの現「明方ハム」のルーツにもなっている。

いきなりの挫折

満を持して開発されたプレスハムであったが、1950年代当時の日本戦後間もない頃であり、牛肉に限らず食自体が高級品で、それを買うこと自体が贅沢であるという潮があったため、地元農家からは敬遠されてしまった。さらに追い打ちをかけるように大手メーカーの躍進によって、明宝ハムは誕生からいきなり低迷期に入ってしまったのであった。

現状打開すべく、販売地域を八幡町(現 郡上市八幡町地区)に絞ってお土産品として売り出すも、年間で36,000本しか製造できず、低迷から脱出することはわなかった。

1973年、生産する農協の再編が行われ、明方農協郡上農協に吸収合併され、郡上農協明方支店となった。しかし、プレスハムの製造部門は長らく赤字が続いており、農協からお荷物事業扱いとなっていた。結果として事業打ち切り危機に幾度も直面していたが、明方村の関係者が「明方ハムは必ず人気が出てくるので、何とか努して生産を続けて欲しい」と要望し細々と生き長らえた。

ついに来たるプレスハムブーム、そしてNHKで特集番組放映へ

高度経済成長期っただ中の1970年代になると、食卓環境が贅沢路線、自然ブームに転換していく。また、1950年代と較して食も手軽に食べられる時代となった。これにして、明方のプレスハム手作りであることと添加であることが評価されて、じわりじわりと人気に火が付いた。

そして1980年(昭和55年)に当時のNHKで放映されていたドキュメンタリー番組「明るい農」で明方のプレスハムの特集が放送されると、全から反を呼び、同年には一気に10万本、3年後の1983年(昭和58年)には19万本、その4年後の1987年(昭和62年)には約38万本も生産し、赤字商品から一躍岐阜県を代表する特産品にまで成長したのであった。

この躍進までの長きにわたる30年の辛辣な活動が認められ、1983年(昭和58年)には優れた営農集団に贈られる岐阜県朝日農業賞を受賞した。

工場建設計画で噴出した農協と明方村との軋轢、事業分裂へ

前述の人気を得たため、普段は800本/日生産していた工場フル稼働。通常の約1.8倍にあたる1400本/日ペースで生産を開始したが、それでも生産が全く追い付かない状態となった。その当時はすぐ売り切れるほど手に入りにくい状況が続いたため、「ハム」という肩書きが付くほどであった。そこでは、安定的な供給を図るために、生産元の農協と協して、工場を拡して増産することを計画した。

この建設には1985年(昭和60年)からで進められている社営畜産基地建設事業を利用する構想が計画され、「特認事業」として補助事業の採択の見通しもつき、計画は順調に進行していった。

しかし、これに待ったをかけたのはまさかの農協であった。
農協は補助事業を断ったうえで、従業員確保を理由に隣町の八幡町(現 郡上市八幡町地区)に工場を移転する計画を突如として打ち出したのであった。
これに対しては、プレスハムの特産品であることと、スキー場の誘致・整備やそれに伴う雇用の場の拡充など若者中堅層がにUターンしてもらえるづくりを設計した矢先のことであったため強く反発。

結局話し合いで決着がつかず、事実上の事業分裂状態となった。そして、は地元商工会や消費組合、森林組合畜産組合協出資のもと、第三セクター方式で新たにプレスハムの製造会社を設立。会社名を「明方特産物加工株式会社」とし、「明宝ハム」の名前でプレスハムの製造を開始した。一方、農協側では前述の通りに工場八幡町(現 郡上市八幡町)に移転。「明方ハム」の名前でプレスハムの製造を再開した。これが、上記の分裂への引き金となったある理由、及び両社誕生までのである。

「明宝ハム」として再出発へ

その後、明方村は「明宝ハム」を宣伝するためにかねてから計画整備していたスキー場の名前を「めいほうスキー場」とし、1990年(平成元年)に開業させた。さらに大胆にも、名を「明方村」(みょうがたむら)から「明宝村」(めいほうむら)に変更する議案が提出され、これには村民を二分するほどの大騒動に発展した。結局名が承認され、は「明宝村」となった。

また、これに伴って会社名を「明宝特産物加工株式会社」に変更した。

平成の大合併で呉越同舟の道を歩む両メーカー、そして現在へ

2004年(平成16年)、八幡町大和町高鷲村明宝村美並村和良村が合併し、郡上市が発足した。この合併によって、旧 明宝村工場がある「明宝ハム」、旧 八幡町工場がある「明方ハム」の両メーカーは、不覚にも同じ内を地盤とすることとなり、まさに呉越同舟の状態となった。

そんな中、明宝ハムは生食ソーセージのとんこや明宝トマトケチャップ開発するなど、「明方ハム」を良きライバルメーカーとしてしのぎを削っている。

明宝ハム製造商品ラインナップ

ハム

ソーセージ

その他加工食品

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