無敵の人 単語

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ムテキノヒト

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無敵の人とは、

  1. ネットスラングの1つ。
  2. 甲斐による麻雀漫画
  3. きづきあきら&サトウナンキによる漫画。1を題材としている。

本項では1について説明する。

概要

尊厳がくとも飯があれば人は生きられる 飯がくとも尊厳があれば人は耐えられる

だが 両方くなると もはやどうでもよくなる 何にでも頼る

出典:漫画ドリフターズ』(平野耕太・著)

簡単に言ってしまえば、『失うものが何も無い人間』のこと。失うものが何もないので社会的な信用が失墜する事も恐れないし財産も職も失わない、犯罪を起こし一般人を巻き込むことに何のもしない人々をす。

※上記の例においては、窮地に陥った好戦的ではない村人を奮起させる的でごとあえて捨てさせ、侵略してきた敵を打倒かつその後に活路を見出したが、ドリフターズにおいては取り(紛争)の状況なので平和な世の中ではこういうことはまずなし。
さらに補足するなら、その後は新地で安定した暮らしを送るので、ドリフの場合においては抑圧的状況を打破するという未来のためにあえて失わせるという違いがある。


穏な状況で言われる無敵の人については下記。

もとは2008年頃にひろゆきが自らのブログの中で発した言葉だったが、2013年に「黒子のバスケ脅迫事件」などを通してこのフレーズが最近再び話題になった。

逮捕されると、職を失ったり、社会的信用が下がったりします。
元々、無職社会的信用が皆無の人にとっては逮捕というのは、なんのリスクにもならないのですね。

花輪和一さんの刑務所の中とか読んじゃったりすると、「刑務所もそんなに悪いとこじゃないのかもねー」とか思っちゃったりもするかもしれません。(中略)

でも、現在インターネットを使った犯行予告をすることで、警察官特定の場所に動員したり、飛行機を遅らせたり、警備員を走らせたりするぐらいの発言力が手に入ってしまっているわけです。
彼らは、それなりの社会力を行使できる状態にあるのですね。
でも、欲望のままに野蛮な行動をする彼らを制限する手段を社会は持っていなかったりするわけです。

ちなみに個人的に、こういう人を「無敵の人」と呼んでいたりします。

出典:ひろゆきの公式ブログexit

無敵の人にとっては犯罪を起こす事など何の抵抗もない。逮捕されることは社会からの追放ではなく「まぁいいか」程度の環境の変化に過ぎず、死刑を課したところで「生きることに執着していない」ため、自殺の手伝いにしかならない。むしろ「自分が本当に警察ほか多くの人間を動かして見せた」事にこそ満足感や充実感を覚える無敵の人にとって、逮捕予定調和ゴールに過ぎない。
事実、「黒子のバスケ作者脅迫した犯人作者とは何も面識や接点はく、「成功者への妬み」が犯行の原動力となっており、今後も何かのきっかけで失う物を持たない人間が「無敵の人」と化して同様の犯行に走る事もあるかもしれないし、もし発生したらそれらを未然に防ぐ事は不可能に近いだろう。

一般的に刑法を政策学的に考える場合には

  1. 犯罪の類
  2. 刑罰の種類・量刑

をどうするかが課題に上がる。例えば、実際に危が及ぶ前にその準備段階や加に及ぼうと意思した段階で取り締まる事が1に当たる(殺人罪には予備罪が規定されている)。また、刑法では一般予防として刑罰を置いており、殺人に対しては最高刑を死刑とすることで、犯行を思い留まらせる事を期待している。

精神分析

差別大量殺人を起こす要因について、アメリカ犯罪学者、J・レヴィンとJ・A・フォックスは6つ挙げている[1]

  • A:素因
    • ①長期間にわたる欲求不満(強い自己、特権意識など)
    • ②他責的傾向(被害者意識)
  • B:促進要因
    • ③破滅的な喪失(処罰)
    • ④外部のきっかけ(コピーキャット(同種の事件の模倣))
  • C:容易にする要因
    • 社会的、心理的な孤立(失業、失恋) 
    • ⑥大量破壊のための武器の入手

自殺願望を抱いている人が赤の他人家族を巻き込んで自殺する心理的メカニズムについて、精神科医の片田珠美は、サディズム的傾向と自己破壊衝動が容易に反転することを挙げている。いわく、「ときには、殺人が、殺人犯自身の一部分を破壊する試みであるように見えることさえある。その部分を被害者投影して消し去ることを望んでいるのであり、このような他殺は、いわば『部分的な自殺』ともいえる」(M・グットハイマー)、「攻撃する対の中で襲おうとしているのは、自分自身のカコ[2] 以外の何物でもない」(ジャック・ラカン[3]

文筆の御田寺は、「無敵の人」という概念社会的に説得力をもって受け入れられている現状について、そういった「無敵の人」に当てはまる人たちへの福政策は否定しないものの、排除や隔離政策に結びついてしまう可性を摘している[4]

ポーランド哲学者であるスラヴォイ・ジジェク2005年パリ郊外暴動事件を「(ジジェク自身が名付ける、国家に対応する)神話暴力に対する神的暴力」「システムへの抵抗民主主義的コンセンサスでのもとでは暴動でしかなかった」「抗議者たちがフランスの共和義的普遍義のなかに含まれていない」ことから来ると分析している。

抗議者たちは、実際にしいたげられ、事実上ののけもの扱いされてはいたが、餓死寸前の状態にはなかった。また、ただ生存しているだけの状態に置かれているのでもなかった。従来、彼らにべ、はるかに悪い物質的環境に置かれた人々は-もちろん身体的、イデオロギー的に弾圧された人々もまた-明確なものにせよ不明確なものにせよ綱領をかかげ、政治的な行為体として自己を組織することができた。パリ郊外暴動の背後になんの政治プログラムも存在しなかったという事実、ここでは、この事実自体を解釈しなければならない。(中略)もっとも受け入れがたいのは、この暴動意味さである。それは、抵抗の一形態というより、ラカンのいうアクティング・アウト-つまり、ことばにも思考にも翻訳できない、耐えがたいフラストレーションの重圧をともなった、行為に向かう衝動-である。これが物語っているのは、暴れた者たちの力さだけでなく、それ以上に、彼らは文化アナリスト、フレドリックジェイムソンのいう「認知地図」をもっていない、自分の状況を意味ある全体性のなかに位置づけられない、ということである。(中略)抗議者たちが前提としていたのは、自分たちはフランス市民でありたいし、実際にフランス市民であるが、そのように十分認識されてはいない、ということである。

ジジェク、『暴力 6つの斜めからの省察』p99-101

関連動画

参考文献

Slavoj Žižek2008Violence: Six Sideways Reflections, Picador.(スラヴォイ・ジジェク著、中山訳『暴力-6つの斜めからの省察』2010年土社)

関連項目

脚注

  1. *片田珠美.『拡大自殺 大量殺人自爆テロ無理心中』.KADOKAWA,2017年,p.14-21
  2. *悪を意味するギリシャ語
  3. *片田珠美2017),p.187
  4. *御田寺圭“川崎19人殺傷事件「無敵の人がやった」という物語にひそむ危険性 ネットで白熱する議論に思うこと”.現代ビジネス.(2019年5月30日)2019年7月3日閲覧exit
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