「竹中半兵衛」(たけなか・はんべえ 1544 ~ 1579)とは、日本の戦国時代の武将で、「今孔明」と呼ばれる戦国時代を代表する天才軍師(参謀)。同じく軍師として名高い黒田官兵衛とは、同じ豊臣秀吉旗下とあって二人あわせて「両兵衛」と称される。
名(諱)は「竹中重治」または「竹中重虎」だが、通称の「竹中半兵衛」に比べて知名度が著しく低い。
また外見は、明確には美男子と言う記述の無い森蘭丸と異なり、痩身且つ「その容貌、婦人の如し」と史料に残る程女性的であったらしい。その為か智謀のみに秀でた大人しいイメージがあるが、武術にも非凡な才を持っており、剣術は皆伝の腕前だったらしい。
美濃国斉藤家家臣竹中重元の子に生まれ、家督を継いで美濃の斉藤義龍に仕え、死後家督を継いだ斉藤龍興に引き続き仕えたものの、凡庸な龍興の為に家中に動揺が走る斉藤家を支えて憂鬱を囲う事になる。
美濃に侵攻してきた織田信長を「十面埋伏陣」という彼独特の戦法で撃退した。やり方は全軍を伏兵として
一旦通り過ぎさせた後、まず背面の兵を後ろから奇襲させ、残りの九面、つまり全方位から襲い掛かるというもので
度々大被害を被った。絵にすると↓のような感じである。
1. 敵をそのまま通過させる 2. 背面から奇襲 3全方位包囲攻撃
〇 〇 〇 〇 ↓〇↓〇↓
〇 〇 〇 ▲▲▲ 〇 オリャー!→〇▼▼〇←オリャー!!
〇 ↑ ↑ 〇 〇 ▲▲▲ 〇 オリャー!→〇▼▼▼〇←ウリャー!!
〇 ▲▲▲ 〇 ⇒ 〇 ▲!?▲ 〇 ⇒ オリャー!→〇▼!?▼〇←オリャー!!
〇 ▲▲▲ 〇 ▲▲▲ オリャー!→〇▼▼〇←ウラー!!
▲▲▲ ←〇(密かに背後へ) ↑〇↑オリャー!
▲▲▲
しかし、自分が忙しく働いてる時でも酒色にふけ、女性的な外見だったからと小便をかける龍興に、「龍興を諌める」事を口実に、弟や舅で共々冷遇されていた美濃三人衆の安藤守就(竹中半兵衛の舅)ら16人(17人とも)により、斉藤龍興の居城稲葉山城を1日で奪取するという信じられない事をやってのける。8ヶ月占領した後、斉藤龍興に返却、自身は斉藤家を去った。また掲示板レスの通り、奪還せんとする斎藤家が兵を集められたのに対し、竹中派はそれができなかったために去ったと言う説もある。
その後、才能を見込んだ織田信長の使いでやってきた木下藤吉郎に従い(七度竹中半兵衛宅に通った話は後世の捏造らしい。が竹中ほどの男を説得する事を考えればそのくらいはあったかもしれない。)軍師として彼の出世に手を貸したものの、中国地方を攻略中に病に倒れ、武士の本懐を遂げる為に療養の為退かずに戦地で没した。享年36歳。
なお、同じく猿の軍師を務めた黒田官兵衛(黒田孝高)とは、同じ「兵衛」である事等から仲が良く、黒田官兵衛が敵方に交渉に行って捕らえられて水牢に幽閉された際は、裏切ったと勘違いした織田信長の手から黒田官兵衛の息子を守った(偽の首を差し出したらしい)。幽閉から解放されてそのことを知った黒田官兵衛だったが、すでにその時には竹中半兵衛が亡くなっており、感謝の気持ちをこめて黒田家の家紋を竹中家の家紋に変更した。
なお彼が亡くなった時に息子の竹中重門はまだ7歳であったが、成長してからは秀吉に従い不破郡に5000石が与えられ、その後関ヶ原の戦いの際に西軍から東軍への寝返りを成功させ本領安堵された。しかし家禄は5000石のままであり、交代寄合という高い家格ではあったものの、半兵衛の従弟竹中重利の子孫とは違い彼の子孫が大名になることは最後までなかった。
※その他「竹中半兵衛」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照。
ニコニコ動画でも「信長の野望」「太閤立志伝」を使用したゲームプレイ動画や架空戦記で良くみかけるが・・・
「竹中半兵衛」のキーワード検索結果では「戦国BASARA」の竹中半兵衛がほぼ専有している状態だったりする。
BASARA以外の竹中半兵衛をニコニコで見たければ竹中半兵衛でタグ検索を推奨。
竹中半兵衛(戦国BASARA)の記事を参照。
戦国大戦での彼はと言うと、戦国傾奇(漫画とのコラボ枠)でさよなら絶望先生の作者である久米田康治氏が担当した結果、まんま絶望先生となっている。まだ秀吉に仕える前なので他軍扱い。
弓足軽の2コスト6/10と決して低くないスペックと騎馬隊の突撃から身を守る防柵を完備。
計略は「絶望の陣」、広範囲・長時間範囲内で計略を使えなくするものだが、味方・敵関係なく封印するため、使い方を間違えると自分が絶望することになりかねない。しかし使い方によっては相手を絶望へ叩き落とす事も可能、特に長時間持続する今川家の精鋭計略とは自分は計略の恩恵を受けつつ相手だけ封殺することが可能で相性がいい。
「我が智謀、全てをあなたのために…」
1.10で秀吉に仕えた後の彼が見られる。計略は「今孔明の軍法」。
智将と呼ばれただけあり統率はコスト2で単独一位の11、武力は5と寂しいが、制圧・魅力・攻城と有用な特技を3つ持っている。残念ながら伏兵は持っていない。弓足軽であることを考慮すれば攻城が伏兵になれば強さと彼らしさが増したであろう。
今孔明の軍法は元ネタである三国志大戦の諸葛亮の「八卦の陣法」と同じく、かける部隊数に応じて効果が変化する。
特に二部隊掛けは武力増加・移動速度上昇と八卦と同じ効果である。
あちらより軽い士気5だが代償として半兵衛の兵力は発動時に大幅に減ってしまう。二回連続でかければ家宝のテコ入れ無しでは全快からでも自分が撤退してしまう程である。病弱という設定を反映したものと思われる。命は投げ捨てるもの
「俺の采配の前では、お前など赤子同然!」
なお戦国数奇枠で鉄砲隊の彼もいる(pixivでのイラコン入賞者のイラストを使用)。
しかし計略で兵力が減り、更にメインの2掛けは前線の殲滅力を上げるため半兵衛はメイン火力となる鉄砲隊よりは後方支援に適した弓足軽のほうがいいという理由などからVer1.20までの使用率は思わしくなかった。
しかし、Ver2.0になると全兵種の兵力が同じになったため兵力面での不利は消え、更に弓足軽の大幅な射撃ダメージ弱体により、こちらを採用する選択肢も生きてきた。
「我が芸術をご覧あれ!」
さらにVer1.10ではプレゼント企画によりEXカードが登場した。統率が1下がり制圧も失ったが、機動力の高い騎馬隊となったので独自性はある。
「一計の元に、返り討ちにすべし」
Ver2.0ではセンゴクの姿で戦国数奇で参戦。相変わらず伏兵は無い。だが特技は制圧・豊国・魅力と3つ。
計略の「神の領域」は、逆計(相手が計略を使用した時だけ使える)で、範囲内で計略を使った敵に大ダメージを与える。その威力は並のダメージ計略の倍近く、と強力なのだが範囲は異様に狭い。更に逆計なので能動的には打てない。
決まればリターンは大きいが範囲が問題というあたりは三国志大戦3の司馬炎(金田一)と同じ。向こうはもっと自重してなかったけど。
突出した知略を誇るが、寿命という最大の敵におびえなくてはならない。寿命なしシナリオではその問題も克服される。
統率も高いので部隊長と軍師を兼ねることもできる。知略に比べると政治は低め。歴史イベントとして稲葉山城乗っ取りが採用されている作品もある。
『革新』では全武将中でもわずか二人しかもっていない固有戦法「治療」が与えられるという更なる公式チート武将と化している。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | 92 | 政治 | 85 | 魅力 | 70 | 野望 | 63 | ||||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | 93 | 政治 | 77 | 魅力 | 76 | 野望 | 29 | 教養 | 79 | ||||||
覇王伝 | 采配 | 88 | 戦闘 | 77 | 智謀 | 96 | 政治 | 84 | 野望 | 9 | ||||||
天翔記 | 戦才 | 164(A) | 智才 | 192(A) | 政才 | 168(B) | 魅力 | 85 | 野望 | 44 | ||||||
将星録 | 戦闘 | 80 | 智謀 | 97 | 政治 | 85 | ||||||||||
烈風伝 | 采配 | 82 | 戦闘 | 70 | 智謀 | 95 | 政治 | 65 | ||||||||
嵐世紀 | 采配 | 85 | 智謀 | 89 | 政治 | 58 | 野望 | 32 | ||||||||
蒼天録 | 統率 | 85 | 知略 | 90 | 政治 | 51 | ||||||||||
天下創世 | 統率 | 85 | 知略 | 90 | 政治 | 50 | 教養 | 72 | ||||||||
革新 | 統率 | 96 | 武勇 | 61 | 知略 | 102 | 政治 | 57 | ||||||||
天道 | 統率 | 78 | 武勇 | 36 | 知略 | 102 | 政治 | 57 | ||||||||
創造 | 統率 | 90 | 武勇 | 74 | 知略 | 99 | 政治 | 57 | ||||||||
大志 | 統率 | 86 | 武勇 | 70 | 知略 | 99 | 内政 | 57 | 外政 | 77 |
▼通称「変態チュートリアル」な架空戦記「竹中半兵衛の憂鬱」
▼iM@S架空戦記「くされ戦記」ではとあるアイドルが竹中半兵衛を務めている。まこまこり~ん
▼東方Projectと組み合わせた動画でもその高い知力は特別扱いを受けている。天才つながりで八意永琳と絡むことも多い。ただし、変態になることもある。
戦国無双3においてプレイヤーキャラクターとして参入。ショタとなっている。武器は羅針盤。CV:庄司宇芽香。
詳細は竹中半兵衛(戦国無双)の記事を参照。
竹中半兵衛(織田信奈の野望)の記事参照。
彼は病弱と言う事もあってか上の通り、あまりにアレなアレンジをされているのでここに少々実際の事を・・。
そもそも軍師と聞くと「〇〇の陣」の使用や「今です!」と奇襲や策を使い、戦の大局を見たり敵の策を見抜いたり
と言うイメージが強い。ところが戦国時代の軍師と言うのは調略や工作、つまり敵の将を密かにこっちの味方に
したり有利な条件にするという政治家の様な事が主な仕事の一つであった。
如何に兵がいようと強かろうと、裏切られて混乱して滅ぶという事は関ヶ原の合戦でも証明されている。逆を言えばこの工作が優れている所ほど強くなるという事である。もちろんこの半兵衛や官兵衛も記録にも残らない多くの調略を行い、度々勝利をもたらしたのであろう。もちろん、軍師として作戦指示や策の考案、と言う点でも一流だったのはいうまでもない。
掲示板
119 ななしのよっしん
2023/02/05(日) 00:54:39 ID: RTP4DSYyxe
復帰したとはいえ、有力な領主が織田家に通じるようになるし、翌年には信長に領土ドンドン奪われるのだから余裕が無いでしょう。
国追われるのは3年後とはいえ、半兵衛の領土も関ケ原の辺りだから信長に国を割られたら稲葉山の辺りからは軍隊も送り難いし。
120 ななしのよっしん
2023/03/06(月) 09:55:45 ID: 8RRJtfQbyb
121 ななしのよっしん
2023/04/19(水) 08:33:10 ID: l/1J3jUEIq
半兵衛が長生きしてたら安藤守就は食客か匿うか、その息子(義理の兄弟)は家臣にしてたと思う だから光秀には呼応しなかったと思う
信長がそれを許さなかったら本能寺後には秀吉に許されそう
以後はやっぱ小田原征伐、奥州仕置までは史実通りだろうけど 秀吉の権力による強引な施政に嫌気や危険視されるの恐れて早めに隠居かね
唐入りを諫言しても聞き入れてもらえなそうだし下手すると打ち首か切腹、追放だろうかねぇ
関ヶ原の時に生きてればどっちに付くかはわからないが
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最終更新:2024/10/10(木) 14:00
最終更新:2024/10/10(木) 14:00
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