PX作戦とは、第二次世界大戦期に大日本帝国海軍が立案し同陸軍との共同で準備された、「アメリカ本土や米軍占領下の島に対して細菌戦を行う」作戦である。なお、実行には移されなかった。
1977年の産経新聞にて元海軍大佐「榎尾義男」氏からの情報提供に基づく記事と言う形で報じられたのが、確認できる範囲では初期の言及かと思われる。
この新聞記事によれば、作戦の発案者は「小沢治三郎」中将で、作戦案がまとまったのは昭和二十年三月二十六日。作戦の概要は「アメリカ本土や米軍占領下の島に、伊四〇〇潜などを使い、兵士に決死的上陸をさせたり、搭載機で散布したりして細菌兵器をばらまく」というもの。
当初は海軍独自計画としてスタートしたものの、研究データや細菌そのものの入手について陸軍に頼る必要が生じ、満洲国北部のハルビン郊外で「防疫」を名目に細菌戦研究の人体実験を実施していた『七三一部隊』の協力を求めることになったという。
すでに海軍大臣の内諾までも得ていたのだが、「人道上許されない」とする梅津美治郎参謀総長の反対で実施はされなかったという。
なお、この産経新聞記事は731部隊の名を世に大きく広めた有名作品『悪魔の飽食』(1981年)より数年遡るものである。よって『悪魔の飽食』のブームに便乗した記事と言うわけではない。
1988年出版の元海軍少尉だった作家「生出寿」による書籍『智将 小沢治三郎』には、もう少し詳しい話も掲載されている。
こちらの情報源も上記の産経新聞の記事同様、榎尾義男によるものだったようだ。
小沢は沖縄決戦の構想をすすめるほかに、「PX作戦」というものをすすめていた。さきごろ作家森村誠一の記録小説で有名になった細菌戦である。直接の担当は小沢直属の軍令部参謀榎尾義男大佐(第五十一期)であった。榎尾は、それをつぎのように語っている。
「この話は海軍では山本(親雄)作戦課長、富岡(定俊)作戦部長、小沢軍令部次長、及川軍令部総長、陸軍では服部(卓四郎)作戦課長、梅津参謀総長、田中陸軍軍医学校長(注・石井四郎陸軍軍医中将が正しいと思われる。石井は同校長に就任する直前まで、北満ハルビン郊外で細菌戦研究の人体実験を実施した『七三一』部隊長であった)しか知られていないと思う。なかんずく、これが経過、内容については私の外は小沢次長と服部作戦課長、梅津参謀総長以外は殆ど知っていない。(中略)
次長直属参謀の任務は次長の命を受けて作戦計画に参与することであり、それはさきに次長が私にいわれた『敵に勝つ作戦計画』を一意専心に創意工夫、立案することであった。昭和十九年十二月末より作戦室の奥の一室を特に私のために供与され、且つ海軍は勿論、陸軍の秘密工場(これは海軍大臣、軍令部総長といえども出入を許可されない)にも榎尾に限り自由に出入許可の権限を付与された。これはPX作戦計画立案のためであった。(中略)
PX作戦計画は田中(注・石井)陸軍軍医学校長以下軍医官の決死的協力、服部作戦課長の了解と終始不変の小沢次長の救国懇願の熱意に支えられて当時残存せる潜水艦及び航空機の大部を動員し、敵が使用中の航空基地は勿論、米、中国の重要軍事施設を目標としてPX作戦を実施するもので、昭和二十年三月中旬計画を完了し、海軍側は軍令部総長の決裁を得、陸軍側は参謀総長の裁断を待つばかりとなっていた。私は再三、再四、服部作戦課長に対し日本の敗戦を救うものはこの方途あるのみであることを力説して梅津参謀総長の裁断を促した。
然るに梅津総長は、
『PX作戦実施は人類と細菌との戦となり、天皇陛下の御稜威を汚すこととなる』
との理由で不採用の決断を下した。服部課長は参謀本部を追われ支那前線の連隊長に転出され、海軍においては一部潜水艦を改造してまで準備しつつあったのに、PX作戦は日の目をみずに終わり、私も三月二十六日第五航空艦隊への転出となった。(後略)」
戦後に旧海軍の幹部らが集まって行われた談話会『海軍反省会』でも、このPX作戦に関連する会話が行われていたことが確認できる。海軍反省会の録音テープを文字起こしした書籍シリーズのうち『海軍反省会 4』内にて、以下の内容が収録されている。
黛 (前略)それから毒ガスと細菌戦、特に細菌戦ですが、保科(善四郎・兵41)さんが部長で、わしが先任部員。後で終戦後は、わしが部長ですが、ことに細菌戦のことで陸軍が大規模の生体実験などをやりまして、単行本も出ていますが、時々雑誌などで海軍がやったこともちょっと出る。これもある程度はっきりしておかないと想像したり、あるいは悪意に満ちた書き方をする傾向もありますので、関係した人とよく相談して、あんまり間違って誤解されないような書き方でいったらいいんじゃないかと。それで細菌戦のことをどこかに入れておいてもらいたい。
寺崎 はい、分かりました。今の細菌戦ですね。黴菌ですか。これは陸軍のほうは相当研究しておったけれども、海軍のほうはあまりやらなかったんじゃないですかなあ。
黛 私が化兵戦部長でよく知っているのが、あんまりたいしたことはないけど、相当やってたんですよ。効果が少ないんです。海軍のやつは。赤痢菌ですからね。
寺崎 ああ、あれは司令部の中で問題になるんじゃないかな、ああいうの。(中略)
黛 情勢から、海軍が何をやろうとしたかは、ある程度やっていることは、把握しておかなきゃいかん。
寺崎 何か潜水艦でアメリカの西海岸で細菌戦をやるというようなことを、大本営で計画して、それを取りやめたという、潜水艦がやめたということが書いてあるね。
黛 それは、サイパンに対して陸軍の兵器を貰って飛行機で行くという指揮官には会ったことがある。ですけど我々は軍令部からそういうことは一つも(ない)。
福地 あのね、細菌戦のことを書くか書かないかということは別問題ですがね。ただ、知ってるのは安井(保門・兵51)君です、先任部員でしたから。
寺崎 ああ、安井(保門・兵51)君、そう、書くか書かないかは別途検討して。
(前略)
黛 ちょっと、私は、昭和二十年の四月から化兵戦部にいまして、終戦のときは、化兵戦部長です。それで、毒ガス戦と黴菌戦の、兵器を作ることと使うことを受け持っておったわけです。それで、私も、今思うと、軍令部が終戦後どういうふうに黴菌戦を使うかとか、化学兵器を使うかっていうことを、化兵戦部にも知らせてくれなかった。それで、サイパンに、陸軍で開発したペスト菌を持たしてやる(ので)、行くとき、指揮官だった少佐から、私は(ペスト菌を持ってゆく)命令を受けていることを聞いたんですが、あの頃、軍令部にいた参謀が宮崎(勇・兵58)君だったかなと思うんですがね。
寺崎 そんときはね、榎尾(義男・兵51)君がね、これは色んな記録で、小澤(治三郎・兵37)さんの軍令部次長のとき、問題になっとった。榎尾(義男・兵51)君、あれが主務で研究しておって、潜水艦に詰め込んで、アメリカになんて。陸軍が反対してですね。陸軍の参謀総長が。梅津(美治郎・士23)さんか何かが、細菌戦なんかやっちゃ大変だって言うんで、反対して、やめたっていうようなこと。榎尾(義男・兵51)さん。宮崎(勇・兵38)さんも知ってるかもしれない。
保科 その問題はね、支那事変においてはね、そのう、その問題はわしなんかも関係したわけですな。大東亜戦争のほうは知りませんでした。
寺崎 あったんです。陸軍はもう満州で、なんとか最近新聞にも出てる。その他においてもね、東京で研究しておったんです。軍医学校あたりが。日本陸軍は、海軍よりも遥かに、細菌戦に関しては研究しておった。だから満州でも実験あったんですよ、と思います。これ、安井(保門・兵51)君が後で、終わってから話をさせて。細菌戦全体については。
細菌戦の用意について書き残すべきか
寺崎 ありがとうございました。それではあの色んな意見がありますけど、時間の関係で、一応初めに、これは細菌戦のことでですね、安井保門(兵51)さんが、わざわざ今度委員に加わって頂いて、出席されておりますので、発言を求められております。ちょっとお願いします。
(中略)
佐薙 ちょっと、細菌戦と書いてあるのはね、細菌戦という言葉を全部はずしてもらいたいんです。今ね、問題になってるんですよ。「ジャパン・タイムズ」で、あの教科書問題以上に問題になってるんです。日本でやっていたっていうことが出ますから、だからこれははずしてもらいたい。
安井 やってないんだもん。
寺崎 やってないけどね。
安井 まあ軍医中佐がおりまして、研究はしておりましたが。
寺崎 陸軍では研究しとったらしい。
はい、いいでしょう、はい、分かりました。はい。
黛 あの、こないだアメリカでは、報復的に細菌戦をやるというような発表してますね。それから、私の下で技術的なことをやっとった有馬玄軍医大佐が、彼は私が着任した頃は、細菌戦は、海軍は赤痢菌をやるんだと。陸軍はペスト菌をやる、全然性質が違う。それで、有馬玄さんは今、自分は後悔はないと思っておったと。で、たいしたことはやってないと言うんだが、私は、化兵戦部の先任部員で、初めは保科(善四郎・兵41)さんが部長です。それで効果がないものを、あの資源のないときに海軍がやるはずがない。ある程度効果ある。しかし海軍がですね、僅かな陸戦隊なんかが使うんなら意味がない状態で、おそらく参謀本部と軍令部が話し合って、海軍は(敵が)上陸する予期せぬ所、例えば、末期になれば、相模湾と九十九里と、そういう所に細菌戦をやって、上陸したら二週間ぐらいに(感染が)ピークになって、そのとき、(周囲の山岳部)、あるいは富士の裾野あたりの陸軍が夜間行軍で来て、決戦をやると。そういうので役に立つから、海軍はやっておったんだろうと思うんですよ。だけど、まだ訓練をやる部隊があって、基礎実験はどっかでやっとったらしい。
しかし、陸軍は細菌戦をやっとったというのに対して、ある雑誌に海軍でもそういうことをやったということを、書いてるらしいんですよ。だから、海軍がある程度差し支えないことを発表しなければですね、あの森村誠一ですか、あの「悪魔の飽食」(一九八一年、光文社)、「続・悪魔の飽食」(一九八二年、光文社)で三〇〇〇人の捕虜を「マルタ」と称して、生体実験をやったと、ペスト菌の実験その他を。陸軍はそうやったので、海軍もある程度発表しなければ、そういう作家あたりが、何書くか分からん。そこである程度発表しちゃえばいいんじゃないかというのが私の考え。アメリカだって、報復としてやってるんだから、日本の海軍が何もやらなかったのは、マヌケってことになるんで、日本の海軍でもやっておったけれども使わなかったと。そして、被害の少ない赤痢菌だったんだということをやったらいいんじゃないか。
寺崎 はい、分かりました。
黛 それでね、その、大所高所から見て、発表しないほうがいいのか、あるいは、ある程度発表して、揣摩憶測の余地のないようにするのが有効なのか。よく考えて。
福地 この前ね、この話になって、それで、実際何もやっていない。だけどね、それを出してね、そういう考えで読んでくれる人があればいいけどね、変にね、ああいう連中はね、歪めて書いてるからね。変なことになったらやめたほうがいいと思います。
寺崎 あの、細菌戦の問題だけど、実際使用しなかったんだから、触れないほうがいいんじゃないかと思いますけど、これはもうあの編集の最終段階でね、色々そういうほかの政治的な影響力もあると思います。それで結論、私はあの書かないほうがいいと思います。使用しなかったんです。
保科 僕は、化兵戦部長だったけれど、そんなものは全然問題にならない。(後略)
この「PX作戦」については、日本語版Wikipediaには記事が無いのになぜか英語など他の8か国語のWikipediaには記事が存在している(2025年12月15日現在)。
それらの記事、例えば英語版では作戦名について、「PX作戦」以外に「夜桜作戦」(Yozakura Sakusen:ヨザクラサクセン、Operation Cherry Blossoms at Night)という別名でも知られていた……などと、妙に中二病チックな呼称についても記載されている。だが、英語版Wikipedia記事のこの記載のソースはイタリア語のウェブメディア
のようなのだが、そのウェブメディアはこの呼称のソースを示していない。
「731部隊内部では戦争終盤に、自らも細菌に罹患すること覚悟のうえで敵地に細菌兵器をばらまきに行く特攻隊を結成していた。しかしソ連が部隊の所在地に迫るかたちで侵攻してきたので隊員らも脱出することになり結局出撃することはなかった」「この行動の符号を「夜桜」と言った」という元隊員の証言に基づく記載が731部隊関連の日本の書籍に記されている例はある。
ここから、日本の書籍ではこの「特攻隊」を「夜桜特攻隊」と呼ぶむきがあるのだが、「この特攻隊はPX作戦に従事する予定だったはずだ」と解釈してPX作戦の方を「夜桜作戦」と呼称する考え方もある、ということだろうか。
ちなみに、そもそも作戦名の「PX」とは何かについてだが、これはおそらく731部隊で生物兵器として研究されていた「ペスト感染ノミ」を指す言葉であるかと考えられる。
2011年に国立国会図書館関西部で発見された『金子順一論文集』内には、『PXノ効果略算法』という「ペストに感染させたノミを航空機から散布した際の効果を論じた」論文がある。
また石井部隊と関連が深い陸軍軍医学校が出版した書籍『陸軍軍醫學校防疫研究報告 第2部』(陸軍軍医学校防疫研究報告 第2部)内には「村國茂」氏による『ケオピスネズミノミ(Xenopsylla cheopis Rothschild)に関する実験的研究 第5編』[1]という研究報告が掲載されており、
P攻撃用武器たるP菌感染蚤輸送用規制策に当り、先ず以て考慮すべき重要なる条件は生きたる運動自由なる蚤が斯くの如き容器の間隙より遁走せざることなり
などと記されているという。
これらを合わせると、「PX」とは、ペストを指す「Pest」あるいは「Plague」と、上記のケオピスネズミノミの学名「Xenopsylla cheopis Rothschild」(あるいは、単にネズミノミ属を広く指す「Xenopsylla」)の頭文字をとったものかと思われる。
上記の「海軍反省会」の会話内で「陸軍から提供されたペストを使う」という話になっている事とも合致する。
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最終更新:2025/12/16(火) 16:00
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