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伊四〇〇型潜水艦単語

イヨンヒャクガタセンスイカン

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潜水艦とは、大日本帝国海軍潜水艦である。
水上機による攻撃を的としたことから「潜水空母」の異名を持つ。

概要

大日本帝國海軍が建造した潜水艦の1隻。日本潜水艦は航続距離の遠大化と艦載機搭載のため大化する傾向にあるが、伊400はその終着点かつ極致と言える頂点的存在。

第二次世界大戦中就航した潜水艦では世界最大であり、基準排水量3530トン。これは軽巡洋艦天龍夕張よりも大きい。一般論として潜水艦の最大の武器は隠密性であり、それゆえに潜水艦設計においては「小さいこと」が絶対善なのだが、はあえて世界最大の潜水艦として建造されることとなった。それはに与えられたに起因する。建造計画が誕生するきっかけとなったのは、山本五十六長官によるアメリカ都市攻撃の構想であった。開戦前にその検討が始まり、後に第一潜戦隊となる有中佐らが参加。そして艦政本部が設計概案をまとめた。

1942年9月9日25が放った零式偵がアメリカ西海のオレゴン州を爆撃被害は微々たる物だったが、米国民は恐怖におおのきパニックに陥った。この戦果にを付けた軍は、小偵ではなく大機ならもっと被害を与えられるのではないかと考える。そこでより大きな機体を収容可の建造に着手する。彗星良して艦載機にする案が存在したが、の折りたたみ機構がネックとなり新規に艦載機を設計する運びになった。

攻撃機としての運用が可を持つ水上機晴嵐を複数機搭載し、水上航行であれば連続4ヶの航地球を1周半できる極めて長大な航続距離を持つこの潜水艦は何をどうやってもこのサイズにならざるを得なかったのである。巨体化したおかげで従来の2倍以上になる1750トンもの重油を積載する事が出来、この異常な航続距離を実現させる一因となった。この巨体故に隠密性はお察し状態だが、水上航行から潜行するまでの時間や、水中での航行性は良好であり、大ゆえに受ける圧も強い事から船殻構造も強化。は死に体の帝国海軍が生み出した超兵器で、潜水艦技術のひとつの頂点をなすと言っても良いだろう。伊401艦長の南部少佐によると「性は意外と良かった」「大きい割に小回りが利いて、潜航時も1分を切るくらい優秀」だったという。潜水艦として見てもは規格外で、25mm3連装機3門、25mm単装機1門と日本潜水艦最多の対兵装を装備。艦首魚雷も8門と潜水艦以来の重武装であった。さらに伊400と伊401には工後の工事によってシュノーケルが装備され、潜航が向上している。

艦は一、二が就航。計画当初は全部で18隻建造する予定であったが、戦況の悪化により反対意見が強くなった他、計画の推進者であった山本長官が戦死した事を受け、計画が縮小。少将が働きかけ、潜水艦部長から再度18隻を建造する約束を取り付けたが資材不足で頓挫。結局建造中の4隻を除いて全て中止されている。また、本艦の計画縮小により十三潜水艦が代替として建造された。こちらも晴嵐を2機搭載・運用が可である。計画の縮小に伴い、攻撃不足を懸念した軍はの搭載数を2機から3機へと増やした。

当初は本艦を用いて、生物兵器ネズミ等をペスト菌の病原体として使用)でアメリカ本土を攻撃する作戦が計画されたが中止となり、パナマ運河を本艦搭載機で攻撃する作戦が計画された。パナマ運河は運に頼るアメリカにとって泣き所であり、運河を破壊されると東西の行き来に重大な支障が生じるのである。また、ドイツ降伏後に大西洋からやってくるであろう艦隊の足止めも期待された。この潜水艦の搭載機による攻撃を的としたことが「潜水空母」と呼ばれる所以となる。的が的だけに、は最高機密に処された。中には偽の煙筒や帆立を用意し、あたかも水上艦のように見せかける偽装までされていたとか。伊400の船体には対電探塗料が分厚く塗りたくられており、見たが汚らしかったという。効果のほどは不明。

上述したが本艦の搭載機は水上攻撃機晴嵐」。これ以前の日本潜水艦が搭載していた水上機、「零式水上偵察機」はエンジン340の小機で偵察以外にできることはほとんどなかったが、「晴嵐」のエンジン1400250kg爆弾4発もしくは800kg爆弾1発あるいは航空魚雷の運用も可という本格的な攻撃機でありそれまでの潜水艦搭載水上機とは次元が違う存在であったため、開発もと同時行で行われている。→晴嵐(航空機)

伊400の建造が突貫で行われ、晴嵐隊の猛特訓が続く1944年6月の定例会議で「パナマ攻撃はもう間に合わない」と判断される。これにより作戦の変更を強いられ、有中佐はロスアンゼルスかサンフランシスコの攻撃を具申したが、軍部は米軍の前進拠点での上のコブであるウルシー環礁攻撃をめた。

本艦が完成したのは大戦末期であり、パナマ運河を攻撃する意義が喪失した後であった。
時は1945年初頭。日本本土は米軍機の爆撃に曝され、焦土が広がっていた。軍上層部は米軍の跳梁を防ぐため、日本攻撃の前進拠点となっているウルシー環礁を攻撃する事を決定。作戦と呼称された。作戦従事の命が下され出撃するが、作戦中に終戦を迎え攻撃は中止となり、一は共に米軍に拿捕された。二は作戦に参加せず、整備中であった。この3隻は全て実艦標的として撃沈処分され、実戦で活躍することなく役を終えることになった。

二の沈没地点は五島列島であり、2004年に位置が特定された。その後、一は2005年3月20日、オアフで船体が発見される。最後となった2013年8月にオアフで発見され、同年12月2日に発見の表が行われた。

アメリカの反応

戦後、伊400と伊401アメリカ軍に捕獲された。兵も上層部も、特異な伊400に対し大きな関心を寄せた。来日したアメリカ潜水艦設計将校に「どの潜水艦が一番興味を覚えるか?」と尋ねると、「伊400」と答えたほど(潮書房人社出版「潜水艦」出典)。潜水空母という他にはい運用コンセプト米軍興味を誘ったものと思われる。2隻をを捕獲したアメリカハワイで技術調を開始。兵たちはまずその巨体に驚かされた。船体を調する兵たちの写真が未だ残っている。

そして次にアメリカは、が有する高性驚愕する。あまりの性の高さに自軍に編入する事さえ考えたが、ソ連の引き渡しを要。この技術がソ連に渡る事を恐れたアメリカハワイ航空攻撃によって沈没させてしまった。

本艦の的である潜水艦による航空攻撃は、戦後ミサイル潜水艦の登場により代替された。しかし潜水空母という秘密兵器的なコンセプトには人気があり、仮想戦記小説アニメゲーム等のフィクションで架潜水空母が活躍している。

性能諸元

排水量 基準:3530t 常備:5223t
水中6560t
全長 122m
全幅 12m
7.02m
機関 艦本式22号10ディーゼル4基2軸
水上7700
1200モーター2基
水中2400
水上:18.7kt
水中:6.5kt
航続距離 水上:14ktで37500
水中:3kt60
燃料 重油:1750t
乗員 157
兵装 40口径14cm単装1門
九六式25mm3連装機2基
九六式25mm単装機1挺
53cm魚雷発射管 艦首8門
九五式酸素魚雷20
電探 二二号電探1基
一三号電探1基
搭載機 晴嵐3機
射出機 四式一号一〇射出機1基
安全潜航深度  100m
連続行動時間 約4ヶ

戦歴

伊400

1942年戦時建造補充計画にて建造が決定。特潜水艦5231号艦として、19431月18日造艦船渠にて起工。既に起工していた航空母艦葛城と並んで建造が進められた。1944年1月18日(葛城は翌日進)。呉鎮守府に配備され、同年12月30日工した。第6艦隊所属。艦長は日下敏夫中佐

1945年4月20日、触して損傷した伊401に代わり大連へ入港。作戦に必要な人造重油1700トンを搭載してに帰投した。にてシュノーケルを装備する工事を受けた後、6月伊401とともに七尾湾にて晴嵐の飛行訓練を実施。7月13日七尾湾を出航し舞入港。食料と弾薬の補給を受ける。そして翌日、米軍の前進拠点となっているウルシー環礁攻撃のため出撃基地である大へ回航。伊401ともども海防艦に先導されながら大へ向かった。

に到着すると、有大佐より短の授与式が行われた。晴嵐の搭乗員は生還の見込みがない特攻隊の扱いで、有之介からの一文字を取って「神龍特攻隊」と命名された。その後、乗員たちには1日の休暇が与えられた。各々これが最後に踏む内地の土だと覚悟したという。

21日、大を出撃。中で伊401と分離し、単艦で行動。米軍線を掻い潜った伊400は、8月14日に攻撃予定地点であるウルシー南方で待機。味方のレーダー波を受信する体勢を整えていたが、15日に入って明けを迎えたため潜航。そして8月15日の敗戦を迎える。帰投命を受領し、魚雷晴嵐へ投棄。日本すが29日、房総駆逐艦ブルー」に接収され横須賀に連行される。この時、星条旗を掲げさせられたという。はためく星条旗を見て日下艦長は涙を浮かべていたと言われている。9月15日、除籍。
戦艦ミズーリ艦上での降伏文書調印が終わり、横須賀米軍の高官たちがやってきた。係留された伊400を見て、彼らは「ワンダフル!」「ビッグワン!」と感嘆したという。

1946年1月、佐世保からグアム珠湾を経由して本土へ回航。技術調された後の6月4日ハワイで標的艦となる。潜水艦トラピットフィッシュ」の撃で沈没した。
ちなみにハワイへ回航する時、兵では操艦が出来なかったため日本の操作員2名がハワイまで操艦した。

伊401

1942年戦時建造補充計画にて建造が決定。特潜水艦5232号艦として、19434月26日に佐世保工で起工。翌年3月11日に進し、1945年1月8日工した。呉鎮守府に配属され、の伊400とともに第6艦隊第1潜戦隊に編入。戦隊指揮官、有之介大佐が座乗する旗艦となった。艦長は南部伸清少佐

佐世保出航後、瀬戸内西部にて訓練に従事。3月19日米軍による軍港襲に遭う。午前7時30分頃、レーダー室からに向かう敵の大編隊捕捉の報告が上がり、伊401は初の実戦を経験する事になった。
の港にグラマン戦闘機が大挙して襲来し、周辺の台が一斉に火を噴く。伊401も対戦闘を開始し、機関弾幕を形成した。途中、攻撃機爆弾を落とされたが、外れて周辺の桟で炸裂した。襲の間隙を縫って伊401は桟を離れ、江田島秋月に移動。ここで潜航し、中に退避した。かろうじて伊401は大襲を生き延びたのだった。撃った弾は約1万発だった。

この時、軍港に残された貯蔵燃料は僅か2000トンのみであった。伊401だけでも1600トン以上の重油が必要となるため4月11日伊401作戦遂行に必要な重油を得るため大連に向けて出港した。ところが直後に座礁してしまう。が、事に離礁している。しかし不幸は続き、翌日には灯台B-29が投下した磁気機によって小破。キングトン弁や計器類にダメージを受け、大連行きが困難になったためへ引き返し修理を受ける。代わりに伊400が大連まで赴き、燃料を満載して戻ってきている。

その後、有の具申によって第一潜戦隊潜水艦シュノーケルを装着する工事が行われた。シュノーケルを装備した日本潜水艦は伊400、伊40113、14の4隻が初だった。
シュノーケルドイツUボートにも採用された長時間潜航も可とする装置の事で、米軍レーダーにもある程度回避できるとされた。

6月4日石川県七尾湾へ入港しの伊400とともに約一ヶ間の晴嵐の飛行訓練を実施。晴嵐を擁する第六三一航空隊も舞基地周辺に進出し、ともに発着艦訓練や潜航訓練に勤しんだ。舞が造ったパナマ運河の模型を使った襲撃訓練も行われた。しかし晴嵐には故障が多く、伊401から発艦した浅村飛行長の操縦席から突然オイルが飛び出し、面へ不時着するという事故も発生している。
伊401の訓練は逆転で、午後1時頃に巡検(就寝前の号)が下され、の9時から10時頃にかけて総員起こしの号が飛ぶ。そして真夜中に抜錨し、訓練を行ったという。訓練では晴嵐の組立作業や潜航の練習をし、故障と闘いながら午前8時ごろに七尾湾へ戻っていた。

伊400、伊401によるウルシー環礁攻撃が決定され、7月13日七尾湾を出航。夕方、舞に寄港し食料品や弾薬を補給を受ける。現地で第六艦隊長官である醍醐中将作戦の打ち合わせを行った。翌日、日本海で暴れ回っている潜を警しつつ、海防艦に先導されながら出撃基地である大へ回航。晴嵐日の丸アメリカマークに替える作業が行われた。作業中、潜水艦の上を大航空隊が旋回。作業員が慌ててばいになりマークを隠すという一幕があった。7月19日には館で乗組員たちの壮行会が行われている。

7月21日、伊400出港から2時間後の16時伊401も出撃。隠密出港のため見送りはかった。短波マストに軍艦旗と大日本神国也という幟を立てて伊401は大を離れた。気帆船や輸送船とすれ違いながら外洋をしていたが8時15分頃、津軽海峡通過中に北海道の陸軍首要塞から誤射を受け、急速潜航。有激怒し、大抗議電報を送っている。
外洋に出ると、敵の機動部隊や輸送船団と遭遇。しかしウルシー攻撃が最優先だったため見逃した。大挙して本土近に押し寄せる航空機や艦艇を撃し、乗組員たちは凄まじい物量に圧倒された。

26日、伊400と分離し攻撃予定地点へ向かう。北上する台風に巻き込まれながらも潜航と浮上を繰り返し、米軍を潜り抜けていく伊401中、米軍の貨物船と遭遇。彼らはだというのに火管制をしておらず、作業をつけて堂々と浮いていたのである。潜水艦から見れば格好の獲物だが、ウルシー攻撃という任務がある以上、手が出せなかった。南部艦長は「一発で沈没するのに」とりをしていた。

敵の偵察機が飛来するのを探知した伊401は1時間ほど潜航し、これをやり過ごす。敵機が飛来してきた事を受けて、艦内では当初の予定のルートで行こうとする有の意見と、大きく東へ回するルートに変更する南部艦長の意見が衝突。最終的には南部艦長の意見が採用され、伊401は当初の予定とは違うルートを通った。この変更はただちに伊400にも伝えられたが・・・。

この時、潜水艦を取り巻く環境は非常に厳しかった。7月30日重巡インディアナポリス」が伊58に撃沈された事を受け、米軍は対潜網を強化。作戦トラック彩雲を運んでいた13が撃沈され、14も輸送自体は成功させたものの撃沈寸前にまで追い詰められた。この事を知った伊401乗員は一様に不安を覚えた。
それでも伊401は巧みに航行し、米軍の対潜網をかわしつつ的地をした。途中、イルカの大群や飛びの飛行に遭遇したり、満点の夜空の下を航行するなど戦争を忘れさせてくれる一幕があった。8月7日、ヤップ付近で配電盤から出火する故障に見舞われたが修理により事なきを得ている。

8月14日の日没、ついに攻撃予定地点であるカロリンボナペへ到達。ここで伊400と合流し、作戦の打ち合わせを済ませた後に東進晴嵐6機を出撃させる手はずだったが、伊400が現れる事はかった(ルート変更が伝わっていなかった)。伊400との合流を待っている14日の伊401サンフランシスコラジオ放送を傍受。日本が降伏したという情報が飛び込んでくる。南部艦長や有は巧妙なだと断定したが、この情報は艦内に広まった。
15日の明けを迎えてもなお伊400は現れなかった。伊400が撃沈されたかもしれないと感じた伊401は単独で攻撃を実施しようとした。しかしその時、終戦を伝える電報が入る。電文を読み上げていた南部艦長は途中で「これはデマだ!」と叫び、続きを読むことが出来なかったという。同時に軍部から「第一潜戦隊へ帰投せよ」と命を受け、南部艦長は静かに敗戦を受け入れた。

艦内では攻撃を強行するか、自沈するかで論になった。会議では「爆撃機3機、魚雷20本、弾、機関銃満載、3ヵ分の食料を積んでいるこの潜水艦海賊船とし、暴れまわるのはどうか?」「大日本帝國降伏の時に、おめおめと内地に帰れない、自沈すべき」といった意見が飛び出す。ここで有は「自沈すれば賠償などで臣民に負担を掛ける事になるので、全員ここで自決すべし」という提案を出す。しかし「ピストルが6丁しかないうえ乗組員全員が立自決を遂げられる訳がい」という反対意見が出て艦内は再び論の渦に飲まれる。

最終的には航長と南部艦長の意見で日本へ帰投する事に決まる。伊401はその巨体を日本へ向けた。

日本に向かう伊4018月26日、「内地に向かう艦船は一切の武器を捨て、マスト上に球との三旗を掲げよ」という命が下る。黒色の三旗は際旗信号で「、降伏の用意あり」を意味した。しかし伊401はこの命視し掲げなかった。北緯26度線に到達すると伊401晴嵐魚雷、機密書類を中に投棄。特に機密書類は面に浮かばないよう弾を1発、重石として袋の中に入れた。

28日の深夜三陸にて潜水艦「セグンド」を発見する。9月2日の調印式に備えて、未だ太平洋で活動している巨大潜水艦所在を掴むべく米軍が捜網を敷いていたのだ。
幸い相手は伊401に気付いていなかった。潜航すると対敵行為として発される恐れがあるため、浮上したまま振り切ろうとしたが午前4時ごろに左舷機が故障し、速度が出なくなってしまう。そこへ伊401の存在が気付いたセグンドが接近、発信号で停船命を受ける。艦長の判断で停船した伊401はセグンドに拿捕される。航長が軍使としてセグンドに派遣され、航長とセグンド艦長が協議した。セグンドの艦長ジョンソン少佐はアナポリス時代に帝國海軍学校卒業生たちと交歓した事もあり、日本に親しみを持っていた。敵中で殺されるかもしれないと覚悟していた航長に、ジョンソン少佐は最初に握手をめたのだった。
思いのほか友好的な空気で協議が進んだが、時間が掛かった事で焦った有が自沈しようと「キングトン弁を開け」という号を出すなど艦内は一時混乱した。協議の結果、横須賀への回航が決まる。横須賀へ連行される途中、降伏を良しとしない有大佐8月31日ピストル自殺兵にばれないよう遺体を毛布くるみ、第二ハッチから葬した。この日の午前5時、伊401星条旗を掲げさせられた。

水母艦「プロデュース」よりヒラム・カスディ中佐率いる部隊が派遣され、接収。乗り込んできた兵は、先に双眼鏡砂時計、不要になった軍服や軍等を戦利品として持ち去っていった。中には戦利品を巡って喧する兵も居たという。

8月29日横須賀に辿り着き、既に拿捕されていた伊400の隣に停泊する。9月15日、除籍。
南部艦長ら乗組員は私物を持って上陸したのち、監禁される。そして交代で艦の整備をするとともに操艦方法を兵に教えた。また自決した有伊8艦長時代に国際法違反をしていた事から取り調べを受けたが、全員釈放された。

10月下旬、横須賀から佐世保に回航。翌年1月には、グアム珠湾を経由して本土へ回航され、伊401は技術調を受ける。1946年5月31日ハワイにて標的艦となり撃沈処分された。

ちなみに終戦を迎えずウルシー環礁攻撃が行われた場合、作戦終了後に伊400と伊401晴嵐輸送を兼ねてシンガポールへ回航される予定だった。決号作戦の戦に加えられていた事から9月頃には本土へ帰投していたと思われる。

伊402

1942年戦時建造補充計画にて建造が決定。特潜水艦5233号艦として、194310月20日に佐世保工で起工。1944年9月5日に進し、1945年7月24日工した。姉妹艦とともに第6艦隊第1潜戦隊を編成するも、最活躍の場は残されていなかった・・・。

8月11日にて爆撃を受けて損傷。修理中に終戦を迎える。11月15日、除籍。
1946年4月1日五島列島北方域で米軍の標的艦となり撃沈処分。

伊403

1942年戦時建造補充計画にて建造が決定。特潜水艦5234号艦として、で起工するも直後の襲で損傷し建造中止。そのまま終戦を迎え、未完成状態のまま解体された。

伊404

1942年戦時建造補充計画にて建造が決定。特潜水艦5235号艦として、194311月8日で起工。1944年7月7日に進するも、翌年6月4日をもって建造中止。完成度は95であった。

1945年7月28日、倉の湾内で退避中に米軍襲に遭い転覆。後に自沈処分された。

伊405

1942年戦時建造補充計画にて建造が決定。特潜水艦5236号艦として川崎重工州造船所で起工するが、直後の1944年9月27日に建造中止。終戦後に解体された。

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掲示板

  • 106ななしのよっしん

    2018/03/01(木) 01:12:00 ID: 1kJH5bDEEo

    伊400(艦これ)実装されたから冒頭の曖昧さ回避の記述を書き換えてほしい

  • 107ななしのよっしん

    2018/09/25(火) 21:41:30 ID: 1JcqRKXmZg

    >>102
    こんな意味なもの作って資材と油と人的資と時間を浪費しているようだから負けたんだと思うが
    いや相手がではそれらを最適に回してたとしても勝ちかっただろうけど

  • 108ななしのよっしん

    2019/11/19(火) 00:36:27 ID: UxWZvkhZXd

    だから攻撃に行ったのはパナマ運河じゃないんだけどな
    これ運用としては漸減作戦を敵地まで前進させたみたいなものだし日本向きではあったけど遅かった

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最終更新:2019/11/19(火) 22:00

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最終更新:2019/11/19(火) 22:00

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