563
451 ななしのよっしん
2019/03/05(火) 17:45:15 ID: 8DTl4FAkJM
項羽は生まれた時代に恵まれたな
戦乱の時代に生まれたから勇猛な猛将として名を馳せたけど、これが天下泰平の時代だったら気性の激しい項羽の性格からして暴君で終わってたかもしれない
452 ななしのよっしん
2019/03/05(火) 18:08:56 ID: qJfTb7tG17
>天下泰平の時代だったら気性の激しい項羽の性格からして暴君で終わってたかもしれない
項羽にしろ楚にしろ直近で戦乱があったからこそああなっているので
天下泰平の時代では史実の項羽と言う人物像が成立しないよ
そもそも、陳勝・呉広の乱から楚漢戦争の主要人物って
天下泰平の時代ではただの民で終わるだろう人がとても多いぞ
名家の血筋である項羽は戦乱が無くても一応歴史書の片隅には残るだろうけど
亭長の劉邦やただの農民な陳勝や韓信とかはまず名が残らないだろう
453 ななしのよっしん
2019/03/05(火) 20:20:53 ID: 8DTl4FAkJM
>>452
確かにそうだね
天下泰平の場合は秦の統治が上手くいっているという事だから、陳勝・呉広の乱も起こらない訳だし
清の趙翼の言葉に「国家の不幸は詩家の幸」っていうのがあるけど、その通りかもな
この場合は詩家ではなく英雄だけど
454 ななしのよっしん
2019/03/06(水) 23:18:28 ID: QXUETWVvJl
平和な時代なら項羽を上位で使える同族がいる訳なので、みんながよく言う「普通に一軍の将として生きる」状態になる
…が、その場その状況に置かれなければ強くもならんだろうな
455 ななしのよっしん
2019/03/07(木) 10:23:14 ID: qJfTb7tG17
>>454
その状況だと、強くならない以前に強さが判断できる場所が無いからな
周りも本人も、項羽の才能を知らないまま終わる
その場合、強調されるのは部下に優しく礼儀正しい人柄の方だと思う
となると項家の良将として無難に終われるのかもね(歴史にはただ名前が記録上残る位だろうけど)
ifを考えると項梁が定陶で死ななかったら、だな
この場合、項梁は政治力に優れた人物だったので項梁が仕切る下で項羽が活躍できれば理想だが
項梁は相当慢心していたそうだし、
当時既に戦後を見据えて項羽の高すぎる武名を疎んじ始めていた節があるので
結局上手く行かなそうではある
456 ななしのよっしん
2019/03/09(土) 21:11:05 ID: abwst6RiAP
>>451
平和な時代だったら、武人だったら李広や李陵みたいになっていたような感じ。皇帝に生まれたら武帝や永楽帝みたいになっていたように思えるが、環境が違い過ぎて、よく分からないな。
>>455
>当時既に戦後を見据えて項羽の高すぎる武名を疎んじ始めていた節がある
そういった記述はあったかな? よかったら教えて欲しい。
457 ななしのよっしん
2019/03/13(水) 13:33:06 ID: qJfTb7tG17
>>455
>そういった記述はあったかな? よかったら教えて欲しい。
推測の範囲だけど、
今まで項梁は前線は項羽らに任せ、本隊を率いるにも部隊司令官として急いては居なかったが
定陶では珍しく司令官として積極姿勢を見せている事から
項羽が李由を撃破した時点で、既に戦後を睨んで武勲を欲したのだろう、とね
ましてや項羽らが手強いとし迂回した定陶を敢えて攻略した事とか、
どうにも功を競っていたように思えるのよ
458 ななしのよっしん
2019/03/13(水) 23:46:47 ID: QXUETWVvJl
恐れるほどかね?
「中国史上まれに見る化け物」としての項羽のデビュー戦は鉅鹿で、項梁時代の項羽って探せばぎりぎり替えが効くレベルだし
459 ななしのよっしん
2019/03/14(木) 13:01:10 ID: qJfTb7tG17
いやいやそんな小さな出来事な訳無いから。
季由の撃破は秦の丞相李斯が一発で失脚するレベルの大事だぞ?
しかも中国史レベルの問題じゃ無いからね、
今話してるのは楚、もっと言えば項梁陣営、項家レベルの話だから
そんな奴が幾らでも居る訳なんて無いんだよ
460 ななしのよっしん
2019/03/15(金) 00:48:10 ID: 4yPzuc8UL2
まぁ、英布とかでもギリギリ出来るかもしれないけど、
配下の一武将が巨大な武勲を立てるのと、
同じ一族の者が巨大な武勲を立てるのでは、
意味合いが違うわな。
それに、この時点でも項羽、降兵数千人生き埋めとか、
この時代の倫理でもやべー事既にやってるから、
恐れるのはしょうがない気がする
461 ななしのよっしん
2019/03/16(土) 00:53:59 ID: abwst6RiAP
>>457
なるほど。確かにありえる可能性だな。ありがとう。
多くの創作では、項羽は項梁の後継者に指名されているが、史実では項梁に息子がいるかもしれないし、項羽ぐらい年長であったかもしれないしな。戦死したか、項荘あたりになったか分からないけど。
項羽は、項梁死後、おじの項伯やおそらく年長の項氏がいるにも関わらず、項一族の代表者に推戴され、懐王の次将に任命されているんんだな。家督で揉めているような気配があれば、宋義たちがつけこんだろうし、鉅鹿以前にすでに圧倒的な名望があったのだろう。
>>460
襄城の数千人生き埋めは、項梁が怒ったり、とがめたりした描写はないので、項羽が項梁が恐れられるような要因だったかは不明。恐怖心を与えて、他の城での降伏をうながすための行為だったのかも。
他の人物にしても、城を落とす時に「屠」という文字がある時は同じことをしていたのかもしれない。
462 ななしのよっしん
2019/03/20(水) 12:09:33 ID: qJfTb7tG17
>>460
項梁死後、当初は名家の宋義が総大将になったので(すぐぶっ殺されちゃったけど)
他家なら問題ない、と言う訳ではないのだろうけど
それでもやっぱり項家内での長を脅かされるとキツいからね
ただ、生き埋め云々は関係ないと思うし、
まして当時の情勢だと数千人生き埋め程度一時の話題になるか程度だろう
この間まで農民だった奴が皇帝になって数十万の軍を率いて暴れるような
当時の中華でそんな事いちいち気にする人は居ないと思うよ
463 ななしのよっしん
2019/03/24(日) 21:50:09 ID: h0iy9NVs4G
鴻門之会では項羽のおじさんの項伯を通じて項羽に命乞い
後の白登山では冒頓単于の妻を通じて冒頓に命乞い
結果・・・両方とも助かる
劉邦は命乞いの達人だった?それとも並外れた強運の持ち主か?
冗談はさておき
鴻門で劉邦殺してれば項羽は天下の支配者になれた可能性が高いことは確か
仮に劉邦が宴会に来ずに戦いを挑んだとしても当時の戦力差は歴然としてた
項羽の連合軍は50万で劉邦軍は10万
あの時に亜父の進言通りに劉邦殺しておけばと考えると項羽は悔やんだだろうね
464 ななしのよっしん
2019/03/25(月) 12:59:26 ID: qJfTb7tG17
>>463
当時の中国の群雄なんて面子第一だろうに
臆面も無くプライドを放り投げて命乞いが出来る、
しかもそれでいて組織内で地位を失い寝首をかかれたりしない、と言うのは
劉邦の立ち回り能力の高さを示す事柄だろうね
気前が良く褒めちぎる点ばかり注目されるが、粗暴でよく人を面罵するとか統一後の容赦無さとか
どこまでが素性が偶然噛み合った運によるのか、怜悧な計算なのか判断しにくいね
生存戦略より浪漫を優先しちゃう気があった項羽よりは考えていたんじゃなかろうか
ただ、不利になれば家族を捨てても逃げる位逃げる気満々なのに
勝ち負け以前に単于に捕虜にされてしまうと言うのは、皇帝としては現場人間過ぎるかな
(統一後に粛清し過ぎちゃった弊害で大将軍任せられる奴が居なかったのかもしれないが)
465 ななしのよっしん
2019/03/30(土) 16:23:54 ID: abwst6RiAP
>>464
>(統一後に粛清し過ぎちゃった弊害で大将軍任せられる奴が居なかったのかもしれないが)
冒頓単于との戦いの時はまだ、韓王信が反乱を起こしたぐらいで淮陰侯に落とした韓信もいたし、英布や彭越、曹参、灌嬰、樊噲、周勃、全ていたよ。少なくとも後ろの四人よりは、自分の方が勝算があると思ったのだろう。
劉邦って、項羽の戦いを防いで、逃げ切っているから、防衛と撤退に長けた人物で、謀略に頼りがちなところを見ると、攻城と野戦があまり得意じゃないのではなかろうか。元々は、豊邑も落とせないし、追撃して項羽に敗北して、垓下でも韓信に任せきりだし。
攻撃は指揮官の天性の武勇・戦術能力・兵士へのカリスマ性を要求するから劉邦は余り長じておらず、防衛は参謀たちの意見を聞けば補うことができる。
撤退(逃走)については、幸運と天才的な才能によるものと思えるけど。子供を二人、同行させて逃げ切れるのはただものではない。
466 ななしのよっしん
2019/04/09(火) 05:23:26 ID: abwst6RiAP
項羽のwikipedia項目が変な叩きを生む温床になっていたので、かなり変更したぞ。特に「評価」のところを大きく変えた。
変更内容については、ノートの「7評価について」、「8冒頭について」、「9生涯について」を見て欲しい。
意見があれば、ここでもいいから書いてもらいたい。
本文
https://
ノート
https://
467 ななしのよっしん
2019/04/14(日) 13:56:07 ID: 0mWNAxl2Rj
>>465
>劉邦って、項羽の戦いを防いで、逃げ切っているから、防衛と撤退に長けた人物で、謀略に頼りがちなところを見ると、攻城と野戦があまり得意じゃないのではなかろうか。
普通に項羽なんかのチートと戦うので無ければ野戦の勝率は高い方やろ
その項羽にしたって攻城戦は不得意だし
相手や部下がチート過ぎて本人が過小評価されるのは子孫と一緒やな
468 ななしのよっしん
2019/04/19(金) 01:55:39 ID: abwst6RiAP
>>467
劉邦が野戦が不得意ってあくまで冒頓・項羽・韓信と比べた話だよ。曹参・灌嬰・樊噲・周勃は恐れなかった英布に恐れられていたのだから、かなりのものではあったろう。
ただ、司馬卬にも負けたこともあるし、安定した勝率ではなさそうだけど。
>その項羽にしたって攻城戦は不得意だし
これ、たまに見るけど根拠は何かな? 函谷関を落としたり、斉の城を次々と奪い取ったり、関中からのバックアップを受けた滎陽を落とした項羽が不得意とはとても思えない。よければ教えて欲しい。
469 ななしのよっしん
2019/04/22(月) 18:05:06 ID: 8DTl4FAkJM
総大将自らが前線で戦った人物って項羽以外だと北宋の太祖・趙匡胤が思い浮かぶけど、他にもそういった豪傑はいるのかな?
470 ななしのよっしん
2019/04/29(月) 07:03:40 ID: 4yPzuc8UL2
大失敗した項羽の封建制だけど、任命した王が力を付けないように、
あえて統治が不安定になるような任命したとかはないだろうか?
471 ななしのよっしん
2019/05/01(水) 09:08:41 ID: abwst6RiAP
>>469
唐の太宗・李世民かな。弓矢で自ら敵を倒した話や危機に陥った話がかなり残っている。親衛隊長の尉遅敬徳が功臣の方でかなり上位になっているから信憑性は高い。
明の永楽帝・朱棣も信用性は高いだろう。何度も危機に陥っている。兵力差があったぎりぎりの戦いだから、必要性がある。
前線で戦ったでいいなら、高祖・劉邦も入ってもいいかもしれない。何度も矢を受けている。
指揮官が前線で武勇や勇気を見せるのは、指揮も上がるし、騎兵は前線から見ないと効率的な運用は難しいからあり得ない話ではない。
472 ななしのよっしん
2019/05/01(水) 09:15:26 ID: abwst6RiAP
>>470
秦と斉は間違いなくそうなんじゃないかな? 新しく任命した王を立てて味方につけた上で、統治を困難にしている。この二国は国力は本来は楚より上っぽいし、抑えておく必要がある。
ただ、一国一国への対応は納得できるものがあるが、同時に全て実行するとなると急進的過ぎて、せっかくの構想も絵に描いた餅になってしまった感じ。
ただ、劉邦が韓信を登用せずに、それほど躍進できなかったなら、項羽の封建は今ほどの酷評にはなってなかったかも。
473 ななしのよっしん
2019/05/03(金) 18:46:06 ID: 8DTl4FAkJM
>>471
結構いるんだね。日本では知名度が低い南北朝時代や唐末五代十国を探せばもっといるかもしれない
教えてくれてありがとう
474 ななしのよっしん
2019/05/05(日) 22:13:19 ID: CkLUo0zIf4
自ら陣頭で武器を執って戦った武将と言えば、朝鮮出兵の時の明軍の総司令官である李如松がそうだな。
蹴鞠と剣術をこよなく愛して、強敵との戦いを何よりの楽しみとしていたと同時代記録である宣祖実録に記述されている。
李氏朝鮮の武術書に「武芸諸譜」に「提督劍」という剣術が記録されているのだが、これは李如松が当地の兵士に
指導した剣術を元となっている。
また、同じく朝鮮救援軍の将校である劉テイも武術の達人で、数十種類もの武器を巧みに操って戦ったらしい。
ここから先は火器が勝敗を決する時代に入るので、猛将系だとこの人たちが最後の世代になるな。
475 ななしのよっしん
2019/05/19(日) 13:47:14 ID: 5ww+gCMcVz
この項羽に喩えられたという日本の戦国時代初期の武田元繁ってどんな武将だったんだろ?
毛利元就のデビュー戦の餌食という印象しか無いのだが・・・
476 ななしのよっしん
2019/05/30(木) 04:12:17 ID: npWEJKJaxe
項羽(Fate)作成されました。
477 ななしのよっしん
2019/06/07(金) 20:04:17 ID: KSkAPFkcm0
>>474
???「剣を持たない士官は戦場に相応しい正装をしていない」
478 ななしのよっしん
2019/06/29(土) 19:10:44 ID: 8DTl4FAkJM
よく項羽と劉邦は対照的な人物と評されているけど嫁も虞美人と呂后、軍師も范増と張良、配下武将も龍且と韓信といった工合に見事に項羽陣営と劉邦陣営で正反対な人物が揃っているのは面白い
479 ななしのよっしん
2019/08/05(月) 23:00:34 ID: oYaaXdJNoN
>>469
日本だが水野勝成は生涯一番槍にこだわって軍規すら無視して突撃、首級を上げるのを繰り返してた
名だたる戦国大名の元を渡り歩いてそのどこの軍でも一番槍
まさに戦国きっての豪傑っぷりだが意外にも徳川家康の親戚で最後は備後福山藩の藩主にまで上り詰めて善政を敷き88歳まで長寿を全うした
480 ななしのよっしん
2019/08/13(火) 21:38:46 ID: abwst6RiAP
秦末の反乱・楚漢戦争人物の軍事能力表を試しにつくってみた。江戸時代に似たようなランクがあるみたいなので、相撲の番付で。
同ランクでは、左が上位というわけではなく、大体、秦軍、陳勝軍、項羽軍、劉邦軍、その他の順(次レスが解説)
横綱 項羽、韓信、冒頓単于
大関 章邯、龍且、英布、彭越
関脇 鍾離昩、項梁、劉邦、田栄
小結 趙賁、周文、周殷、范増、季布、曹参、周勃、灌嬰、樊噲、田儋、田横、陳余
前頭 司馬欣、董翳、呂臣、周巿、周蘭、曹咎、項它、項声、酈商、王陵、夏侯嬰、靳歙、傅嬰、陳豨、韓王信、張耳、梅鋗、共敖、司馬卬、申陽、田都、臧荼
ほめた!
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